耳に逆らう金言

 定宿の自室。【無響サイレンス】を展開しているため物音一つしない空間。そこで俺は俺と同じ形質を持つ存在と向き合っていた。


 クローン。イカれエルフが生み出した――やつらの言葉を借りるのであれば――肉の器。

 俺の肉体の一部を解析して作られたクロードは、勇者と同等の才を有し、そして俺と同じ記憶と……異なる意思を持つ。


「クロード」


 作られた存在。だが、そこに意思があるのであれば、俺はそれを歪めることを良しとしない。他ならぬ俺がそれを忌み嫌っているのだから。


「お前は、自由に生きろ」


 クロードは俺の思惑を理解しているはずだ。【共鏡インテグレート】を使用した時点で俺の考えは筒抜けになっている。だからあいつは進退窮まるその時まで肉の器を演じていたのだろう。

 だったらそのくびきから解き放ってやる必要がある。俺はそのための場を設けた。


「……自由に」


 俺の言葉を聞いたクロードはその真意を咀嚼するようにただ繰り返した。


 クロードには魔王の【洗脳リライト】が及んでいない。だから青臭い理想を抱いた勇者ガルドのような性格をしているのだろう。

 だが洗脳された後の記憶……冒険者エイトとしての活動や【偽面フェイクライフ】を駆使して手広くやっていたことの記憶も持ち合わせている。


 色々な情緒が混線していてもおかしくない。我ながらとんでもないことをしでかしたもんだ。

 ならば誠心誠意を込めて頭を下げりゃいいかというと、そう簡単なモンでもない。謝罪なんぞされてもクロードはひたすら困惑するだけだろう。

 勇者ガルドの性格は俺が一番把握している。むしろ相手を謝らせてしまったことに負い目を感じかねない。クソみたいな甘ちゃんだな、ほんと。


 だから、俺がしてやれることは道を示してやることだけだ。


「そう、自由だ。お前は何をしたっていい。お前にはその権利がある」


 作られた存在は造物主に服従しなきゃならんなんてルールはねぇ。仮にあったとしても守る必要はねぇ。要はそういうこった。


「食うメシ、泊まる宿、過ごす街。全部お前が決めていい。名乗る名前もな。俺が五秒で考えたクロードっつう名前が嫌なら遠慮なく捨てていい。俺がお前に押し付けた設定なんかも破棄して構わん。その必要は、もうなくなったしな」


 俺はクローンで世界を満たそうと考えていた。魔力の有無に囚われていない肉の器ならば世界から魔力が消えてなくなろうが生きていられる。当面の労働力としては申し分なかった。

 だが意思があると分かった以上は計画を変更せざるを得ない。やってることは昔の国の連中となんら変わらんしな。さすがに許容できん。


 というわけでクロードは自由だ。やりたいことをすりゃいい。そういう話である。


「……自由、か」


「あぁ。そのための金もある」


 俺はクロードに革袋を手渡した。恐る恐るといった様子で中を検めたクロードが目を見開く。


「金貨が……五枚に、銀貨がこんなに……! こんな、受け取れませんよ……」


 声を震わせたクロードが革袋を突っ返してくる。俺はそれを手のひらで押し返した。


「いいから受け取れ。それは清算の意味もあるんだよ。ケジメってやつだ」


「そんな手切れ金みたいな……」


 手切れ金とは言い得て妙だな。当たらずとも遠からずだ。

 これを受け取ったクロードが『じゃあさようなら』と言って街を出ていけば手切れ金になるし、受け取っても今まで通り知り合いとして振る舞えばただの支援金になる。それすら自由だ。


「先立つもんってのは必要だろ。その金に意味を与えるのはお前自身だ。分かったら受け取れ」


「でも…………」


「あんだよ煮え切らねぇな。いらねえってんなら捨てるぞ。なにをそんな遠慮してやがる。裸一貫じゃなんもできねぇってことくらいは理解してるんだろ?」


 俺がそう諭すとクロードは短く呻いて目を逸らした。指をもじもじと動かし、躊躇いがちに口を開いたかと思えば、こちらをチラと見て萎縮するように目を伏せて口を閉ざす。

 尻腰がないやつめ。そう思うと同時、俺も昔はこんな感じだったんだよなと思い至って鳥肌が立つ。いちいち他人の顔色を伺うんじゃねぇ。


「でも、その……」


「言いたいことがあんなら言えって」


 できるだけ高圧的にならないように促したところ、クロードは目を閉じて大きく深呼吸をしてから口を開いた。


「その……これ、汚いお金なんじゃないかって心配で」


 …………。


「……知らずに使って悪の片棒を担いでたなんてことになったら、その、困るなって」


 俺は鼻で大きく深呼吸してから答えた。


「……クロード。お前さぁ、俺のことをなんだと思ってるわけ?」


「……スリ。転売。密輸入」


 クロードは俺の収入源を事細かに列挙し始めた。


「禁制品の売却。違法賭博。犯罪教唆。修復費用の水増し」


 ふむ、この方向では勝ち目がないな。俺は話を逸らした。


「クロード。なぁクロード。俺を信じろって。今回ばっかりはまともな手段で得た金だからよ」


 プライドを売って得た金である。

 ガキども発案のクソみたいな漫画は前作を上回る売上を叩き出した。犯罪者の処刑を娯楽として愉しむこの街の住人の野蛮な気質とうまいことマッチした結果である。


 俺は今でも腑に落ちないモヤモヤを抱えているが……それは一先ず置いておく。俺の気分的な問題を除いたら、そこに残るのは安定した収入源であるという事実だ。俺はそれを享受すればいい。


 俺の説得が功を奏したのだろう。クロードは躊躇いがちな手付きながらも革袋を受け取って懐へとしまった。

 自己満足になるが、これで一応の清算は完了である。俺はよしと頷いてから尋ねた。


「んで、これからどうするつもりだ? 別にどこで何をしようが構わないが、方針くらいは聞かせてくれや。連絡も取りやすくなるし、ちょっとばっかり頼みたいこともあるからな」


 クロードの行動指針を一から十まで決めつけることはもうしない。だがちょいちょい力を借りるつもりではいる。そん時にコンタクトを取りやすいに越したことはない。


 しかしながらクロードはそこまで展望を描いていないようだった。


「うん……この街を出る予定はない、です」


「エンデが気に入ったのか? まぁいい。で、どこに越すつもりだ?」


「いやぁ……宿を変える予定も、ないです」


 おいおいよくこんなクソ宿に泊まる気になるな。【無響サイレンス】が使えなかったら苦情必至の最悪な立地だってのに。

 おまけに周りから特殊性癖持ちだと噂されるからな……。なんだよ他人の情事を盗み聞きするのが趣味ってのは。ふざけやがって。くたばれアウグスト。


「じゃあ今まで通りクロードとしてやっていくってことでいいのか?」


「はい」


「……変に遠慮してねぇだろうな?」


「してませんよ」


「……そうか」


 きっぱりと答えたクロードからは躊躇いや遠慮といった様相は感じられなかった。

 それならいい。今の立場が気に入ったのか、それ以外の方法を思い付かなかったのか、ただ面倒くさいだけなのかは知らんが、自分でそう決めたんなら何も言わんさ。過保護になるつもりはない。


 だがどうやって生きていくのかは聞いておかねばなるまい。


「それで、とりあえずの指針は決まってたりすんのか? 俺はもうお前の力に対して制限をかけるつもりはねぇ。適当になんかの店でも開けば……それこそ修復屋でも始めれば一財産築けるだろうよ」


 姉上らが戦闘技能に突出しているように、俺の補助魔法は他の追随を許さない。その才能を宿しているクロードならば飯の種には困らないはずだ。片手間に働くだけでもそれなりの生活を送れることは間違いない。


 じゃあそうします。

 そんな一言が返ってくると予想していたのだが。


「いえ、やりたいことは……もう決まってます」


 ほう。俺は思わず感嘆の息を漏らした。

 こいつのことだから自由にしろと言っても困惑すると思っていたのだが、どうやら見誤ったらしい。


 思いの外強い意思を示したクロードが宣誓のように言った。


「僕は……冒険者になります」


 ……なるほど、そう来たか。

 冒険者。冒険者ね……。


「……やめた方がいいですか?」


 俺の顔を見たクロードが細々とした声を出す。

 そんなつもりはなかったのだが、どうやら今の俺は渋面を晒しているらしい。意識を向けると顔の各部が中心に寄っていることを認識できた。


 眉間を軽く揉みほぐす。俺は【鎮静レスト】を発動してから言った。


「理由とかは、あんのか?」


「理由は……」


 自分の考えを纏めるように目を閉じて静かに呼気を吐き出したクロードが訥々と語る。


「この街の、生きる意思を持つ人たちの有り様を、近くで見てみたいと思いました」


「……へぇ」


「それに……僕には経験が必要だ。記憶にある戦い方ができるように。……自力で意思を全うするために」


「……そうか」


 不出来ゆえの無力感に苛まれるってのは形容し難いモンがある。それを克服しようって気概を否定する気はねぇ。


「お前の考えは、分かった。やめとけなんて言わねぇよ。言ったろ、自由に生きろってよ。だが」


 ただ一つ、言えることがあるとすれば。


「死ぬなよ」


 ろくすっぽ冒険者活動をしてこなかった俺が先達として送れる言葉はその程度のもんである。


「……。あぁ、そうですね。僕が死んだら死体が残る……クローンの存在が世間に露呈するのは好ましいことじゃ」

「ちげぇよ」


 見当違いな解釈をし始めたクロードの言葉を遮って言う。


「確かにお前が死んだら色々と不都合な点が出てくる。だがな、だから死ぬなって言ってるわけじゃねぇ。そんなもんは俺がどうとでもする」


 規模の大小によるが、勇者の威光と国の権力を総動員すれば騒動の芽はあらかた潰せる。貴族連中が一般人の目の前で死んで騒動になったことも一度や二度じゃきかないはずだ。

 それでも噂が広まってないってことは国の連中がうまいこと隠蔽したからだろう。それか前の俺が目撃者に洗脳でも施したか。両方かね。


 ともあれ些事だ。立ち回り次第でどうとでも取り返しがつく問題に過ぎない。だが。


「お前の命は、取り返しがつかねぇんだよ」


「…………!」


 破綻した死生観を持ちながら、一度死ねば終わりの肉体しか有していない。危なっかしすぎる存在だ。責任を持って釘を刺しておかねばなるまい。


「嵐鬼騒動の時の記憶はあるはずだ。星喰の噂も聞いたことはあるだろ? 溶岩の竜も直接その目で見てる。冒険者ってのは、どれだけ万全を期しても死ぬ時は死ぬ。それを念頭に置いておけっていう、ただ、それだけのことだ」


 冒険者稼業をナメ腐ってるごろつき崩れや、青臭い考えしか持ってないチビなんかは根拠のない自信を武器にして魔物に挑み、そして誰に看取られることなく消えていく。ありふれた悲劇だ。

 中途半端に放りだした結果、そんな連中と同じ末路を辿らせたとあっちゃ寝覚めが悪すぎる。


 握らせた金は冥土へ向かうための路銀じゃねぇ。それだけは理解させなければならん。元になった記憶は、己の命に銅貨一枚の価値も見出だせない野郎のもんだからな。


「……はい。分かりました。僕は……死なない。そう、努力します」


 クロードは眦を決して言い放った。

 努力する、ね。まぁ上出来だ。覚悟としちゃあ悪くねぇ。そういう意識が根付いただけ他の駆け出しよりも一歩先に立てる。上等だ。


「そうか。なら、まあ、頑張れや」


「はい!」


 さて、俺の話はこれで終わりだ。俺はいつもの短剣で首を掻き斬った。


「えぇ……?」


「話は済んだ。時間を取らせて悪かったな。つーことでちょっとイカれエルフんとこに行ってくるわ」


「…………そう、ですか」


「あとお前、そのなよなよした敬語はやめた方がいいぞ。冒険者でそれは致命的だ。周りの連中からナメられる。やつらはメンツがどうのって理由ですぐに調子に乗るからな。謙虚であることが時に欠点になるのが冒険者稼業だ。分かったな?」


「……はい。……そっちも、その、いきなり首を斬るのは」

「あっ死ぬ」


 俺は死んだ。

 んじゃ、あとは上手くやれ。クロード。

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