帰るべき場所
異変類纂。冒険者ギルドが積み上げてきた戦いの歴史の最新ページに此度の騒動の顛末が綴られた。
悪辣な智慧を有する溶岩の竜の顕現は、斥候の冒険者が早合点した結果生じた誤報である。その実態は溶岩蛇の大規模な群れであった。意思を持って蛇のようにのたうつ巨体を見たことで知覚を違えたものと思われる。三年前の悪夢が脳裏を過った結果引き起こされた錯覚のようなものだろう。竜の顕現は誤報であったが、かつての災禍の想起させる現象であったことも確かであった。ギルドは酌量の余地ありと判断し、誤報を齎した斥候を罰しないものとする。
異変の鎮圧は粛々と行われた。溶岩蛇は単体の脅威度は低い。遠距離魔法を主軸に据えて群れを削ぎ、孤立した個体を掃討する作戦を立案、遂行。万全を期して行われた掃討作戦は、相応の時間こそ要したものの、死者の一人も出すことなく円満に終了を迎えた。人的損失は皆無であったが、街全体に波及した避難騒動により発生した経済損失が深刻である。補填のための歳出が膨れ上がったことをここに記す。溶岩地帯に赴く者へ告ぐ。誤報には注意されたし。
総合脅威度、低
「ふぅむ……」
俺は異変類纂の最後の行に一文を付け足した。
なお、柄にもなくはしゃいだギルドマスターが酷く腰を痛めてしまい一月ほど病床に臥すこととなった。
これでヨシ!
俺はベッドの上で死人のように寝っ転がっているルーブス殿に本を手渡した。最後の一文をチラと見たルーブスが重いため息を吐き出して顔を覆う。
「……勘弁して頂きたい。これでは後世の笑いものではないですか」
「んー? そうは言ってもなぁ、整合性を保つためにはしょうがねぇだろ?」
「……なぜ回復魔法を使わなかったのかと問われたらどう答えればよいのですか?」
「あ? そこはよく回る口で誤魔化せよ。自戒の念を込めたとかなんとかさ」
「……本当に、高い代償になった。無能の謗りとタメを張る辱めだ……」
再来の悪夢。街全体を巻き込んだ大騒動は、歴史からまるっと消去する方針で纏まった。勇者権限である。最初に箝口令を敷いたしな。クロードの存在も、俺がエンデに顔を出したという情報も封鎖させてもらう。
……まあ、完全に秘匿することは不可能だろう。街でクロードのことを見たやつはそれなりにいるし、なによりツナが言い触らして回っちまったからな。噂ってのは予想以上に足が速い。情報は既にツベートへ流れているだろうし、他の街へと広がっていく可能性もある。そこはもうしょうがない。必要経費と割り切ろう。
「……しかし、本当に良かったのですか?」
「何がだ?」
「全てが、ですよ。……此度の事件は、ガルド殿及びガロード殿が居なかったら鎮圧できなかった。その事実を捻じ曲げて、こんな……」
「そのほうがこっちにとって都合がいいんだっての。竜の出現も勇者訪問も誤報。それでいいだろ? まぁ市民の中には疑いの目を向けるやつが一定数出てくるだろうがな。それはどうにかしてくれ。圧力をかけて黙らせるのは得意だろ?」
「……得意ですが、気乗りしませんな。勇者の手柄を我が物とする悪人の所業ではないですか」
「お前らの手柄でもあるだろ。魔物を倒したのは俺じゃねぇ。俺は確かに補助魔法を行使したが、騒動にケリをつけたのはお前らだ。徹頭から徹尾までな」
戦地に立って武器を振るったのは俺じゃない。俺はあの場に集まった連中を死地へと放り込んだだけだ。
「勇者がいなければお前らは死んでたってのは分かる。事実だろうよ。だが俺らだけでも今回の騒動は片付けられなかった」
「ご謙遜を」
「事実なんだよなぁ」
今の状態なら、という注釈はつくがね。これは言わなくてもいいだろう。
……記憶の封は剥がれかけている。あとはきっかけさえあればってとこだな。ま、そのうちなんとかなるだろ。こっちの問題は気長にやるさ。クローンの件もエルフと話し合いをしなきゃならねぇしな。
俺の言葉を聞いたルーブスが皮肉げに口の端を歪めた。喉をくつくつと鳴らして言う。
「……なるほど。それであの謝罪の言葉というわけですか」
「やめろ」
「俺の負けだ。お前らの覚悟を馬鹿にしてすまなかった。協力感謝する、でしたかな?」
「やめろっつってんだろ」
チッ……こいつ調子に乗りやがって。こっちが下手に出たら付け上がる。やっぱ気に入らねぇな、ルーブスさんよ。また今度料理に鼻くそ混ぜてやる。覚えとけ。
腹の立つ含み笑いを浮かべていたルーブスは、次の瞬間に表情を霧散させた。
「……国の守護者たる勇者から持ち掛けられた勝負を制し、我々という存在を認めさせ、剰え謝罪まで受け取った。……この一連の流れが冒険者たちに――戦地に立った者たちに与えた影響は、予想以上に大きい。それが全て勇者ガルド殿の手のひらの上であったとしても」
いやぁ……割とぎりっぎりだったけどな。正直、あの場にスピカが居なかったら詰んでたかもしれん。一歩踏み外せば終わりの綱渡りだった感は否めない。
まぁなんだ、巡り合わせってやつかね。
「全てが円満に解決した、というわけではありません。敏い者は事の真相に勘付くでしょう。勇者に助けられたという事実を上手く処理できない者も居る。ですが、誰一人として、あの場で死んでおけばよかったと思っている者は居ない。数々の非礼に対して謝罪を。そして……エンデ一同を代表して、感謝を」
寝台の上で身体を起こしたルーブスが上体を折る。謝罪と感謝、ねぇ。
「いらん。最大の功労者はガロードだ。あいつには俺から伝えておく」
「そうですか。…………勇者ガルド殿、貴殿に見て頂きたい物があります。この寝台の下にある箱を取って頂けないでしょうか」
瞬間、ルーブスの纏う空気が変わった。情けない病人のそれからギルドマスターとして人前に立つものへ。……急にキナ臭くなるじゃねぇか。どういうことだよ。
「なんだ?
「ええ。中まで透けた凄まじい一品がね」
軽口を叩きながらも空気が緩むことはない。……なるほど、これは少し気を引き締めたほうが良さそうか?
注文通り寝台の下から箱を取り出す。古い材質で出来た箱だが保存状態は悪くない。埃もそこまで付いてないってことは……頻繁に手入れでもされてるのだろうか。
「中を」
短く促されたので蓋を取る。
中にあったのは一枚のメモと――
「……こりゃ珍しい。なるほど、中まで透けてんな?」
頭蓋骨。犬や馬のモンじゃねぇ。これは人間のそれだ。
「初代ギルドマスターの遺骨だと伝わっております。……そのメモ書きも見てもらえますかな?」
「あぁ」
何回も読み返されたのか、端が擦り切れて見窄らしくなったメモを摘む。紙面にはかろうじて読めるくらいに掠れてしまった文字が走っていた。
「『国も勇者も信じるな。我々は人間だ』。……警句ってやつかね」
「でしょうな。……ガルド殿。一つ問いたい。人間とは、何なのですか?」
人ってのは死ぬと塵になる。生きていた痕跡も、熱も、毛の一本も、
例外があるとすれば。
「初代ギルドマスターは……貴族だったんだろうな」
貴き一族。過ぎた名前だ。僭称にも程があるってもんだぜ。今や存亡の機に瀕してビクビク怯えるだけの憐れな連中だ。
「貴族……ですか」
「あぁ。それ以外の答えが必要か?」
「………………いえ」
半ば予想していた答えだったんだろうな。ルーブスは静かに目を瞑り、それ以上答えなかった。
国に
まー、そういうことだ。この世に女神様なんてもんはいねぇし、生物学上の『人間』ってのはほんの一握りしか残ってねぇ。あとはエルフの連中がギリギリで人間ってとこか?
やだやだ。何が悲しくておっさんと二人密室でこんな湿っぽい空気を吸わにゃならんのよ。俺は言った。
「あー、もういいか? 話が終わったんなら俺は帰るぞ。さすがに疲れた。今日はもう肉食って酒呑んで寝る。人間らしく、な」
「……!」
「他の誰がどう思うかなんて知らん。だがな、俺からすりゃこの街のやつらは生きてるよ。俺が保証してやる。気休めになるかは知らんがね」
「いえ……いえ……救われる言葉だ……」
そうかい。そりゃ何よりだ。
ま、色々と予定や順序やらがごちゃごちゃになって思うように事が進まなかったが……悪くねぇ。悪くねぇ結末だ。今はそれでいい。もとより行き当たりばったりな計画だしな。先の見通しが立たないその日暮らしくらいで丁度いいのよ。
「そんじゃ、俺は王都に戻る」
「承知しました。今見送りを」
「や、必要ねぇ」
俺はいつもの短剣で首を掻き切った。いま外に出たらうるさい連中に囲まれるかもしれんしな。こいつの前で【
「えぇ……」
「じゃあな、ギルドマスター殿。さっきの件はきっちりガロードに伝えとく。そっちも、諸々の火消しは任せたぞ。もし下手打ってこの件が公になったら色々と面倒なことになる。重ねて言うが、他言無用だ。それを破った冒険者の処遇とかはお前の裁量に、あっ死ぬ」
俺は死んだ。
「嘘だろう……病床の前でする所業じゃないぞ……胃が……また、夢に出る……グッ……」
▷
溶岩の竜出現の報は全くの誤りであった。エンデ健在。
朗報がツベートに届いたと同時、鉄級のエイトに戻った俺は馬車に揺られてエンデへと帰還した。こういう細かいところで手を抜かないのがコツだ。アリバイ作りってやつね。
エンデは星喰騒動を片付けた時を上回るお祭り騒ぎに湧いていた。……なるほど、騒ぎ散らかして全てを有耶無耶にしようって腹積もりね。他にはガス抜きと商人連中を呼び戻す意味合いも兼ねてるんだろう。いやはや、抜け目ないこって。
馬鹿騒ぎは好きになれない。俺はどこかで静かに飲めるところを探すとするかね。
「あっ! エイトさん見ぃつけた!」
「エイトさん! 見てくださいよっ! 僕たち、無事に生きて帰って来ましたよ! 約束覚えてますよねッ!」
「ちょっと、聞いたわよー? アンタ、珍しくこの子たちに奢るみたいじゃない。私も混ぜなさいよ!」
そう思ってたらうるせぇ連中に見つかった。チッ。踏み倒そうと思ったのによ……。
あー? んなの無効に決まってんだろ。大体、竜が出たなんて嘘っぱちだったみてぇじゃねぇの。それで賭けに勝ったなんて言い張るのはどうなんだ? あ?
俺は誤報を盾に言い逃れようとしたが、今日のこいつらはまた一段としつこかった。このまま無視したらどこまでも付いて来て騒ぎかねない勢いがあった。
わーった、わーったよ。まずはギルドで帰還の手続きをさせろっての。
チッ……たかが串焼きではしゃぎやがってチビどもめ。黒ローブもだ。銀級ならてめぇが奢れや。今回の徴発でたんまり儲けただろうに気が利かねぇやつよ。そんなんだからソロ拗らせてるんだぜ? そう言ったら杖でゴツゴツと殴られた。やめーや。
「号外! 号外だー! 冒険者さんたちの活躍が書いてあるぞー! 特別無料だー!」
ガキどもが配っているビラを見る。そこに書かれてるのは溶岩蛇の群れを冒険者たちが華々しく蹴散らす絵だ。勇者も竜もなかったことになっている。うむ、偽装工作が捗っているようでなにより。
煮炊きが行われ、スライどもが駆け回っている広場を抜ける。スピカの下手くそな歌に歓声を上げている馬鹿どもを尻目にスイングドアを腰で押してギルドへと入った。うーっす。おう、酒クセェな……できあがってるやつが多すぎんだろ。
「おぉ〜? 鉄錆どののお帰りだぁー!」
「おぉーい、聞いたぜエイトさんよぉー。お前さん、馬車ン中でクソ漏らしかけたんだってなぁ〜?」
「ぶわっははは!!」
ベロンベロンになった馬鹿どもが木造丸テーブルをバンバンと叩いて笑い声を上げた。これだよこれ。この煩わしさが丁度いいんだ。
しかしながらそれを察せない馬鹿が一人いるようで。
「あ゛?」
石級のチビの喉から漏れたとは思えない声が響く。やめろやめろ。何でお前がキレてるんだよルーク。慌てて意思を飛ばす。
(余計なことすんなバカ。いいからほっとけ)
(……でも)
(でもじゃねぇ。鉄級のエイトって人格はそういうモンなんだよ。うだつの上がらねぇ男。馬車でクソ漏らしそうになるなんてピッタリのエピソードだ。見下されてるくらいで丁度いい。むしろいい塩梅だ)
(…………ガルドさんが、そう言うなら)
ったく。なんだよその不満たらたらな意思はよぉ。ほんと頼むぜおい。危なっかしいやつだ。俺みたいに賢さってのを身に着けられないのかね?
「じゃあそこの席で待ってるから! 早く手続き済ませなさいよー」
「ねぇルーク、今のうちに沢山頼んじゃおうよ」
「えっ……」
「馬鹿やめろ! 三品以上頼んだら奢らねぇぞクソが!」
今は割と真面目に手持ちがすくねぇんだよ。それに……ガキどもにカッコつけちまった手前、新聞の売上を徴収しに行くのも躊躇われる。クソがっ。契約破棄なんてするんじゃなかったぜ……。また新たな食い扶持を探さなきゃならん。
まぁ、いい。エンデの街は健在なんだ。ならいくらでもやりようはある。
ノーマンを手酷くあしらったことでまたぞろ妙な注目をされるかもしれんが……知ったこっちゃねぇな。憎まれっ子世にはばかるってね。たとえどれだけ疎まれようと鉄級の身分が享受できる上澄みを啜り続けて高笑いしてやるさ。
「おー、宣言通り街の無事が確認できたんで戻ったぞー。手続き頼むわー」
街が騒ぎに浮かれている時でもギルドの職員に休みはないらしい。
いつもの目つきの悪い受付嬢は、俺の言葉を聞き、すっと目を細め、額が机に付くんじゃないかってくらいに頭を下げ、消え入りそうな声で言った。
「おかえり、なさいませ」
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