覚悟と覚悟のコンクリフト
わがままなガキの時分に無い物ねだりをしたら言われた。
『ガルドにはガルドにしかできないやり方がある』と。
今がそれを活かす時だと思った。
▷
「おい、来たぞ……」
「勇者……」
「呼ばないんじゃ、なかったのか……?」
ずらりと並んだ冒険者連中、そして一般市民どもの群れの前に戻ってきた途端に喧騒が伝播していった。話の中身は似たり寄ったりだ。
なぜ。どうして。何をしに来た。
まあそう焦んなって。すぐに一から十まで説明してやるからよ。
「あ……あなたは……」
号令台の前。ギルドマスターと話し込んでいた受付嬢が俺を見て喉を震わせた。
事の経緯の詳細は知らんが、恐らくクロードは【
それにしてもとんでもない驚きようである。開かれた目と口はまるで死人を目の当たりにしたかのようだ。いや、連れてきた勇者と瓜二つの存在が唐突に現れた時みたいな顔か?
敢えて無言を貫いて距離を詰める。号令台まで数歩に差し掛かったところでギルドマスター、ルーブスに行く手を塞がれた。
「失礼。勇者ガルド殿……で、宜しいのですよね? 此度は
「わーったわーった。まず説明させろ。質問はその後に聞く」
ギルドマスターとしては呼んでもいない勇者が現れてさぞや困惑していることだろう。奇遇だな。俺もだよ。どういう巡り合わせで俺が今ここに立ってるのか分かりゃしねぇ。
だがそうも言ってられないんでね。
目の前に立つルーブスを避けて進み号令台に上がる。考えを巡らせろ。全てを丸く収める方法を。賢しらに立ち回るのが俺の領分だっただろ。誰かを死地に向かわせるのは……俺の得意分野だ。それらしく焚きつけることすらも。
号令台の上からは集った連中の顔がよく見渡せた。どいつもこいつも真面目くさった顔をしてやがる。
数多の死線を踏破した猛者も、分不相応な力しか宿していないヒヨッコも、武器を持ったことすらない一般人連中も。本当に馬鹿なやつらだ。
俺のやろうとしていることと、こいつらの覚悟、そしてエンデという街の生き様は衝突する。
俺はこいつらを生かして帰還させる。クロードがそう望んだからだ。
こいつらは揃って死にに来てる。既に腹は決まっているだろう。
エンデは勇者の力を借りない。国の傀儡に成り下がることを拒んだからだ。
本当に、出る幕じゃねぇ。だったらどうするか。
決まってる。全部ぶつけ合って滅茶苦茶にして有耶無耶にするまでよ。俺は号令台の上で後ろ手を組み、足を肩幅に開いた。右の足首を捻って地を躙る。そうしてから、なるべく荘厳な声色を作って言った。
「全員、聞け。今から箝口令を敷かせてもらう」
この街は勇者に頼らない。そのお陰で勇者という存在に対してなかなかに無頓着である。だが、勇者の命令を蔑ろにすることが何を意味するかくらいは理解しているはずだ。
救世の英雄。女神の使徒。人類の守護者。
逆らうには首を賭けなきゃならん相手だ。こんな時だけは下らん威光も役に立つ。
「今から話す内容は他言無用だ。理由がわかんねぇようなら後でそこのギルドマスターにでも説明してもらえ。いちいち解説する気はねぇ。だがそれだけじゃあんまりだしな。事の次第くらいは教えてやる」
高慢に。一方的に。国が後ろ盾についている勇者にはそれが許される。
俺は少し離れたところで様子を窺っているクロードを親指で差して嘘をでっち上げた。
「そこにいるのは……俺の弟だ。初耳のやつしか居ないだろう。だが余計な詮索をするなよ? 繰り返すが、他言無用だ。話を進めよう。そいつがここに来た理由は、まあ、ざっくりとした説明になるんだが……魔物の気配を感じ取ったんだよ。言葉はあえて濁させてもらう。納得は求めねぇ。ただそういうもんだと理解しろ」
そこまで言って俺はルーブスに目配せした。意味は特にない。だが、わけ有りげな雰囲気を出しておけば周りが勝手に勘違いする。今必要なのは突っ込まれる粗を晒さないことと、踏み込んだらまずい事情があると認識させることだ。
「…………」
ルーブスが神妙な顔をして頷いたので続ける。
「弟がここに来た理由は分かったな? なら俺がここにいる理由も察せるだろ? 俺はあいつを連れ戻すために追って来たわけだ。……だがなぁ、あいつが言って聞かないんだよ。お前らを守ってやりたいってな」
クロードの意思を尊重しつつ、それとなく冒険者連中を煽る。俺は暗にこう言っているのだ。お前らは所詮庇護の対象に過ぎないのだと。
上からの物言いを受けて聴衆がどよめきの声を上げ始めた。……燻ってきたな。狙い通りだ。
「まぁー、正直な? 俺としてはどうでもいいんだ。俺らに頼らねぇって決めたんならほっとけばいいとさえ思ってる。だがなぁ、弟のわがままを兄としては聞いてやりてぇと思うわけよ。兄弟愛ってやつだな。いい兄だろ? っつーことで、お前ら」
俺は姿勢を崩した。虫を払うように手を振って告げる。
「全員帰っていいぞー」
「は?」
「……あ?」
「何言ってやがるんだ?」
空気が変わったのを肌で感じる。鋭利な針が全身の薄皮一枚を刺し貫くような感覚。それは俗に殺意と呼ばれるものだろう。
やはりいい反応をする。俺は思わず相好を崩した。勇者の到着と同時に馬鹿みたいな安堵の表情を浮かべて帰宅する連中とは何もかもが違う。そうでなくちゃ張り合いがねぇ。
「おいおい何ぼさっとしてるんだ? 俺の言葉が聞こえなかったのか? もう帰っていいって言ったんだよ。魔物畜生の群れなんて五分もあれば俺が揃って塵に変えてやる。万事解決ってな。ほら、解散解散。死ななくて良かったな。感謝してくれていいぞ」
燻った火種に油を注ぐ。ここまで馬鹿にされて黙ってられるほどお前らは賢くないだろ?
勇者。逆らうには首を賭けなきゃならん相手だが、言ってしまえばそれだけだ。腹が決まった状態で相対したならば、喧嘩を売ってきたいけ好かない野郎にまで成り下がる。
「ざっっけんじゃねぇッ!!」
何処の誰が放ったか判然としないその雄叫びが嚆矢となった。反乱の烽火の如く激語が乱れ飛ぶ。
「勝手なこと抜かしてんじゃねぇぞダボが!」
「テメェなんざお呼びじゃねぇンだよッ!!」
「引っ込めボケがッ!!」
「横から首突っ込んできたアンタが帰んなさいよ!」
「すっこんでろクソが!」
見ろよこの大ブーイングの嵐を。全く馬鹿な連中だ。せっかく人が手を差し伸べてやったってのにな? 本当に、それでこそだ。
【
「るっせぇなぁぁ!! あんま勇者様の親切心を踏み躙ってんじゃねェぞ! 命が助かるんだから儲けもんだろうが! てめぇらは頭を垂れて感謝の言葉を吐き出しやがれ!!」
煽れば炎のように火勢を増す。それがこの街の連中だ。
「余計なお世話だって言ってんだよぉ!」
「馬鹿にすんのも大概にしやがれ!」
「この街の人たちを……悪く言わないで下さいっ!」
「感謝してほしいなら他所へ行けや!」
「とっとと消えろ! それともテメェからぶっ飛ばされてぇのかっ!」
打てば響く。カンカンに熱した石を水にぶち込んだ時のように波紋と熱が伝播していった。
あと一歩ってとこかな。俺は声を張り上げて集まった連中の覚悟を貶めた。
「死にたがりどもがイキってんじゃねぇぞ! それは何だ? 覚悟かプライドか? ハッ! 生憎と俺は命の価値ってもんを知らんのでね、どうにもてめぇらが馬鹿に見えてしょうがねぇ! 失くしたら終わりの宝物だってんならっ! 後生大事にしまっとけってんだよ!!」
腹立つだろうな。命より大事なもんを、それを知らないやつに真っ向から否定されるんだ。
平和ボケした連中に『勇者さんって死んでも生き返るから羨ましいですー』なんて言われたら俺はキレる。多分反射的に手が出るね。俺がやってるのは、つまりそういうことだ。
怒りの波が沸点を迎えた。放射された熱が熱を喰らい合ってどこまでも勢いを増していく。本当に、山火事みてぇな連中だ。
「――――――!!」
もはや誰が何を言っているのか判別するのは不可能だった。
集まった全ての人間が声を張り上げ、足を踏み鳴らし、暴徒のように騒ぎ立てる。無秩序な狂乱状態に見えてその実、意思だけは一つに纏まっていた。邪魔すんな、すっこめ、どっかいけ。そんなとこだろう。
本当に、気持ちの良い連中だ。
この街を……冒険者ギルドを創設した人間ってのは、きっとこういう光景が見たかったのだろう。そこには生を勝ち取ろうとする者たちの輝きがあった。
衰え知らずの怒号の余韻に浸る。一分ほどそうしていただろうか。
膨大な熱の波が辺り一帯を包みこんだ。同時、集まった連中の意思に応えるように、或いは掻き消すかのように、背後から――溶岩地帯の奥地から大音声の吠え声が轟いた。
振り返らずとも分かる。恐らくは冒険者の斥候が見つけた溶岩の竜が檄を発したのだろう。
竜は顕現しただけで辺り一帯に影響を及ぼす。配下の魔物の生存に適した環境を作り上げるためだ。氷の竜なら周辺に冷気を振り撒き、溶岩の竜なら尋常ではない熱気をバラ撒く。それ即ち侵攻の狼煙である。
もはや猶予は限られている。ギルドマスターもそう悟ったのだろう。カツカツと靴の音を鳴らして号令台に上り、俺の肩に手を乗せた。よく通る声で言う。
「勇者ガルド殿、どうやら刻限のようです。我々は……既に死兵だ。国の守護者たる勇者殿へ唾を吐いたとなれば無礼討ちは必定。ですが、何卒ご寛恕願いたい。死に場所を選ぶ権利くらい、我々にも有るはずでしょう」
騒ぎは既に収まっていた。吠え声を聞いて戦闘態勢に移ったのもあるが……主な原因は全身の水分を持っていくかのような熱気だ。
息を吸うだけで喉を灼く熱気に耐えられるやつはそういない。叫び散らかすなんて以ての外だ。猛者連中ならばともかく、石級や一般人連中なんて一時間もすればぶっ倒れるだろう。
こうなるなんて端っから分かってただろうに、ほんとよくやるもんだよ。死に場所を選ぶ、ね。結構なことだ。美しいとさえ思える生き様だよ。
だが悪いな、今回ばっかりはその覚悟を踏み躙らせてもらう。
「ったく、魔物をブチ転がすって目的は一致してんのにどうしてこうも相容れねぇかなぁ」
結論なんてとっくに出ているが、あんまり物分かりが良いと怪しまれる。だからあくまで傲岸不遜な態度で言い放つ。ガリガリと頭を掻き、これ見よがしにため息を吐く。
「俺はお前らを生かす。他ならぬ弟の頼みだからな。だってのにお前らは自分たちが魔物をブチ殺すって言って聞かねぇ。ならもう勝負でもするか?」
俺はそこでハッとした顔を披露した。さも名案を思いついたかのように声を弾ませる。
「そうだな、それでいこう! 一方的な箝口令を要求するんだ。少しくらい協力してやってもいいだろう」
「……勇者ガルド殿? 何を」
ルーブスの疑問を無視して続ける。
「俺は別に誰が魔物を倒そうと構わねぇ。お前らがそこまで言うなら役目を譲ってやる。要は、こうだ」
俺は高らかに指を打ち鳴らした。演出の一環である。力を誇示するのには丁度いいだろう。
集った全員に向けて補助魔法を発動する。【
「……!」
「熱が……引いた?」
「【
「おいおい、俺の補助をそこらの凡百と一緒くたにするんじゃねぇよ。こちとら勇者だぞ?」
俺は補助魔法を磨き続けてきた。与えられた才能に恥じないために。そして、与えられた役割を逸脱するために。
「要は俺が協力してやればいいんだろ? 弟も、俺も、極論お前らが死ななきゃそれでいいんだ。喜べよ。いま、この瞬間、お前らは勇者をこき使う権利を得た。至高の補助魔法を望む分だけくれてやる。こんな機会は滅多にないぜ?」
押し付けがましく、尊大で、傲慢に。
重要なのは勇者に助けられた、という認識を芽生えさせないことだ。俺は覚悟を踏み躙る悪者でいい。人には抗しえない運命をどうとでもできちまうのが勇者って存在だからな。
【
「ただし……一人でも死んだら、お前らはもうダメだ」
表情を消して一方的に告げる。
魔物ってのが人の意を汲むことのない化け物なら、勇者だって同じだ。そう認識させる。
「お前らの運命は既に俺が預かってんだよ。至高の補助を受け、勇者の加護を得てもおっ死ぬようなやつは……庇護対象の域を出ねぇ。繰り返す。一人でも死んだらお前らの負けだ。死人が出た時点で魔物の群れは俺一人で駆逐する。お前らの覚悟も矜持も知ったこっちゃねぇ」
【
「てめぇらが死にてぇなら勝手にしろ! 俺が盛大に引導を渡してやるよ! 女神の家への水先案内人はこの勇者ガルドが請け負った! 片道切符は一枚ポッキリ先着順だぜ!」
【
「盛大に死んで来い! クソどもッ!!」
瞬間、灼熱の熱波をも跳ね除ける鬨の声が身体の芯を貫いて抜けていった。
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