勇者と勇者のコンクリフト
実際のところ、ニュイはルークが抱くほどの覚悟を心中に育めないでいた。
思い返すのは森での出来事だ。
唐突に現れた嵐鬼という脅威に巻き込まれた時、ニュイの静止の声を振り切って森の奥へと駆け出していくルークを見送るしかなかった時、銀級のメイに腕を引かれながらみっともなく泣き叫んだ時、ニュイの心は折れかけた。
勇者の真似事なんてしなければよかった。冒険者なんてやめておけばこんなことにはならなかったのに。
芽生えかけた昏い想いは、しかし勇者とともに五体満足で帰還したルークの顔を見た時に霧散した。どうしようもない安堵が押し寄せてきてそれどころではなかったのだ。
自身でも自覚するほどに現金なことだが、ニュイはともすれば勇者に毒づきそうになった口で、勇者二人に心からの感謝を述べた。ありがとうございます、と。
記憶よりも随分とやさぐれた感のある勇者ガルドはぶっきらぼうに片手を挙げて応えた。まるでどこかの鉄級の先輩のような仕草で。
かくして一難は去った。ニュイはこの事件でほとほと弱り果てた。もう冒険者はやめて田舎に帰ろう。そう提案するんだ。ニュイの心は既に逃走に向いており、あとはいつ打ち明けるかの機を図っている状態だった。
しかし、ルークは死にかけたという事実に一切臆することなく冒険者としての活動を続けることを宣言した。
『今度こそ死んじゃうよ……?』
ニュイはそれとなく翻意を促した。子供の頃からやんちゃという言葉ではきかないほどの奔放さを発揮していたルークだが、さすがに死にかけた直後なら話を聞いてくれると思ったのだ。
『なら……死なないようにこれまで以上に努力するだけだ!』
空振りに終わったわけだが。
共にエンデへとやって来た同郷の友人二人は既に他の街へと住処を変えている。幼い憧憬に命を懸ける覚悟はなかったのだろう。戦いの才能が無いとはっきり自覚したのも大きな要因だ。しかし、なにより大きいのは二人の関係だった。
恋仲。
森で死にかけた同郷の二人はほんの少し現実的になったのだ。子どもの頃の夢想よりも現在を選んだだけのこと。ニュイもルークも二人を責めなかった。当然引き止めることもしなかった。彼らとはそれきりである。
そんなこんなで引退の機を逃したニュイは幼少の頃と同じようにルークに振り回されている。気まぐれなバカ犬みたいにふらふらする様を見るのはもはや慣れっこだ。最近では目に見えないリードを引いて動きを誘導することもできるようになってきた。成功率は高くないのだが。
砂漠に行こうと言い出すルークをまだ早いとたしなめ。
ちょっとお高い飯を買おうとするルークの手をはたき。
色街の話に耳を傾けているルークのヒザを蹴り飛ばし。
悪くはない。悪くはない関係だった。それ以上の進展がなかったことが……ただただ心残りだった。
『最後にっ! もう一度問う!! これは強制された戦ではない!!』
溶岩地帯の入口。ずらりと並んだ戦列の先頭。ギルドマスター、ルーブスが号令台の上で声を張り上げている。
『これより始まるのは単なる憂さ晴らしだッ!! 魔物畜生を思う存分ブチ殺す、クソのような汚れ仕事だッ!! 誇りや矜持を胸に抱いている高尚な者は今すぐ立ち去れっ!!』
逃げていい。優先したいものがあるならば逃げていいのだと、遠回しにそう言っている。そんなことは集まった全ての人間が理解していた。
『これだけ言ってもまだこんなに残っているのかっ!! 救えない馬鹿どもだっ!! 石屑に鉄錆どもは何をしに来たッ!! 剣ダコすら持たない愚民は魔物のエサにでもなりに来たのかッ!! 包丁や算術で魔物を殺せるとでも思っているのかッ!!』
ギルドマスター渾身の悪罵が冒険者に、そして集まった住民たちに叩きつけられる。罵声を浴びた周囲の人間が揃って大声を上げた。罵声が束になって返っていく。エンデの住民を体現するような罵詈雑言だった。
罵声と罵声の応酬が続く。戦場を離脱する者はついぞ現れなかった。
『そうか! よーく分かった!! 魔物と同程度の知性しか持たないバカどもがッ!! もはや言葉は要らないようだな!! ならば忠告は終わりだッ! 女神の家の扉を蹴破る覚悟ができた者から付いて来いッッ!!』
爆発的な歓声が上がる。直ぐ側にいたルークが馬鹿みたいに大きな声を張り上げるものだから、ニュイは両手で耳を塞ぎ、鬱憤を発散するが如く力の限り叫んだ。
「わあああぁぁぁぁぁっっ!!」
ニュイに冒険者として殉じる覚悟はない。しかし、恋慕の情になら命を捧げても……構わない。
一緒に逃げてほしかった。だが、逃げることを選んだルークを愛せるだろうか。そんな考えが巡る。答えは出ない。
元より無駄な仮定だ。ルークは戦うことを選んだのだから。ニュイはルークにどこまでも付いていくと決めていた。だからこれは冒険者としての覚悟ではなく、寄り添う覚悟だ。
でも、やはり死にたくない。
生きたい。生かせたい。それが補助魔法の秘訣なのだと鉄級のエイトは言っていた。
――ていうか、あれ勇者ガルドでしょ。
星喰騒動の折、ニュイは密かに確信した。子供の頃、馬鹿みたいに勇者ガルドを称えていたルークが、今となっては馬鹿みたいに鉄級のエイトを称えていたから。
『なんかさぁ、エイトさんと勇者ガルドさんって似てるよねー?』
『えっ!? イヤーそんなこト思わな……エー? どコが? エー? カンガエタコトモナカッタナー……』
確定じゃん。
ニュイは既に鉄級のエイトの正体に当たりを付けていた。ルークは嘘が下手すぎる。
――だったら、助けてくださいよ。いつもみたいに……お願い、します……!
そんな一念が天へと通じたのか。
「待って下さい!! 皆さんっ!! 勇者がっ!!」
後方から声が響いた。聞き慣れた声だった。冒険者ギルドの受付嬢……シスリーが息も絶え絶えになりながら戦場に駆けつけ、朗報を高らかに叫ぶ。
「勇者、ガルドさんがっ! 駆け付けて下さいましたっ!」
大声での布告と同時、戦列の上空を影が舞った。金髪碧眼。濃茶の外套をはためかせた勇者ガルドが、号令台に立つギルドマスターの隣に降り立った。
「うそ……ほんとに、来てくれた……!」
戦列に加わっている全ての人間が絶句している。一体なぜ、という心境なのだろう。
だけどニュイはそんなことはどうでも良かった。
――助かる! 助かるんだっ!
思わず感極まって隣で呆けているルークの肩をバシバシと叩く。
「ルークっ! ガルドさんが、また来てくれたよっ!! これで私たち……助かるんだっ!!」
「……いや」
てっきり感動の歓声でも上げるのかと思いきや、返ってきたのはあまりにも熱のない声だった。
「あれは……違う。ガルドさんじゃない。誰だ……?」
「……え? ルーク?」
ルークは今までに見せたことのないほど峻険な表情をしていた。本気で言っている。冗談の類とは思えなかった。
だったら、いま号令台に立っているのは……偽物? そんな、まさか。
ニュイの心中の疑問に答えるように。そしてルークの発言を裏付けるかのように。耳をつんざくような怒号が再び背後から響いた。
「ちょぉぉっと待てやあああぁぁぁっっ!! ッざけてんじゃねぇぞおおおぉぉぉッッ!!!」
正気とは思えないほどに乱暴な大声で怒鳴り散らしながら現れたのは……号令台に立つ勇者ガルドと全く同じ顔をした……勇者ガルドであった。
幾らか目付きが悪く、仕立ての良い装備を纏った勇者ガルドは、冒険者の戦列をひとっ飛びで飛び越え、号令台の上に降り立ち、先に現れた濃茶の外套を纏った勇者ガルドの腕を掴んでから。
「テメェら、ちょっと待ってろっ!!」
そんな言葉を残し、二人してその場から走り去っていった。
▷
【
追い付けたのはクロードがあの受付嬢と一緒にちんたら走ってたからだろうな。ツナの迅速な報告にも感謝せねばなるまい。あとで串焼きを奢ってやろう。俺は働きには報いるのである。
そして俺の命令を無視するポンコツにも相応の報いを与えなければならない。
「なあ。何してんの、お前」
溶岩地帯の入口はゴツゴツとした岩がそこら中に点在している。俺は冒険者連中の目を遮れる大岩の裏でクロードに詰め寄った。
「俺が下した指示を忘れたのか? 【
「…………」
「なんとか言えや」
「……この街は、勇者ガルドが行動するのに最適で……この街を守ることが、後々の活動に好影響を及ぼすと」
「そんな理由でこの戦いに横槍をいれたのか?」
「…………」
「俺は戦いに関与しない理由を一から十まで説明したと思ったんだがな……俺の記憶違いだったか?」
「…………」
駄目だな。話にならねぇ。行動は記憶に由来するんじゃなかったのか? これだけ事細かに言い含めても指示通りに動かないとは思わなかったぞ。
……まだ教育不足ってことか。そうだな。これは俺のミスだ。少しクローンってやつに期待しすぎて結論を焦ったのかもしれん。長期的な視野で推移を測るべきだった。
「分かった。お前の判断はまあ、分かった。だがな、間違いだったんだよ。今回の件で学ぶといい。何が間違いだったかは後できっちり説明してやる」
俺はクロードの腕を掴んだ。強く引いて言う。
「帰るぞ。ここは俺らの出る幕じゃねぇ」
さて……冒険者連中に何と言って誤魔化すか。頭の中で穏便に退散する理由を練っていると掴んだ手が振り払われた。指が空を切る。
「……は?」
抵抗、されたのか? 意識に空白が混じる。なんだ、今の態度は。
振り返る。固く拳を握りしめ、険しい顔をしたクロードと目が合った。
「言ってることは、分かる……分かるよ。それでもっ!」
おい。嘘だろ。こいつ、まさか――
「僕はっ! この街の人たちを守りたいんだッ!」
「…………!」
この目。この幼稚で純粋で、分不相応な覚悟。
『それが僕の役割じゃないって分かってる……』
まさか。
『それでも僕は……姉さんたちを守りたいんだよ』
「お前は…………」
【
(お前は、勇者ガルドなのか……?)
お前は肉の器だろ。勇者ガルドとしての資質と記憶だけを肉の身体に宿した……クローン。意思なんて、持ち合わせていないんだろ?
そんな懇願は打ち砕かれた。
(……ごめんなさい)
返ってきたのは端的な謝罪だった。しかしその一言が孕んでいる意思は膨大で。
黙っていたことに対する罪悪感。肉の器を演じ切れなかった無念。指示を無視することへの葛藤。自らの欲を押し殺す懊悩。そして、それでも我を通したかったのだという決意。
あぁ……。どういうことだよ。前提から間違ってやがる。冗談になってねぇ。脳の奥が不快に疼いて思わず頭を抱えた。知れず歯が軋む。身体のどこに力を入れているのか自分でも分からなかった。
何が肉の器だ。ふざけやがって。こんな目をするのなら……こんなに声を荒げるのなら……こんなにも自分ってものを持ってるなら……それはもう、ただの人間じゃねぇか……っ!!
「クソがッ!!」
聞いただろ。だから俺は聞いたんだぞ。意思は無いのか、と。
胸糞悪ぃ。反吐が出る。自分のことを縊り殺してやりたいと思ったのは初めてだ。俺は、いま、俺が心底から嫌いな連中と同じことに手を染めている……!
「……ごめんなさい、でも、僕は」
「やめろ。それ以上謝るな」
やめだ。あぁ、もうダメだ。俺はもう……クロードを肉の器として認識できない。
こいつを……クロードの意思を俺の意思で縛り付けるのは……もうやめる。俺にそんな資格はない。
いや、むしろ逆だろう。
「クロード……正直に答えろ。お前は…………あいつらを、守りたいんだな?」
俺は、責任を持たなければならない。
俺が生み出してしまった命に。その意思に。
「……! はい……!」
「そうか。だけどな、お前じゃ無理だ」
「それは……」
「模擬戦で俺なんかに勝てない時点でどうにもならねぇよ。まさしく焼け石に水だ。死体が一つ増えるだけで終わる」
クロードには知識と技はあっても経験が足りていない。この状況を覆すには至らない。だが……それでもと、こいつは言ったんだ。
未熟な器に大層な記憶を放り込んで意思を歪めちまった。手の届かないところに希望を置かれてさぞ悔しかったことだろう。その苦汁を飲ませちまった責任は俺が取る。
「だから、お前は近くで見てろ」
腹は決まった。覚悟というには程遠いシロモノだが……俺は自分のやらかしの精算をしなきゃならん。自分のケツは自分で拭く。
すまんな冒険者連中よ。お前らの覚悟は……俺の身勝手で踏み躙らせてもらう。
「見て、学べ。次に同じことがあった時……自力で意思を全うできるように」
身を翻して進む。冒険者連中が雁首揃えて待っている広場へ。
久々に……やるとしようか。自分以外の誰かを死地へと送り出す……最低で、格好悪くて、心の底から大嫌いな勇者ガルドの戦いを。
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