狼少年、急を告げる
馬車ってのは乗り心地が悪くて好きになれねぇ。ガタガタと不愉快な揺れをごまかすために【
「……御宅は今後どうされる予定ですかな?」
「ツベートでしたら仕入れの経路が流用できますがね……この状況では治安悪化は避けられない。うちはもう少し奥へと引かせて貰いますよ。そちらは?」
「……確実に商機ではあるんですがね。決めかねておりますよ。ツベートにどれだけの商会が残るかが
馬車の中には商人が二人、護衛と侍従がそれぞれ二人、そして俺の七人が座っている。会話に花を咲かせているのはもっぱら商人二人だ。
こいつらなら自前の荷馬車くらいは持っていそうなもんだがな。わざわざ乗り合いの馬車に乗り込んだのは……情報収集をするためか。現地に着く前から牽制や腹の探り合いが始まってるんだろう。
俺はこういうやつらの意地汚さが嫌いじゃない。我欲を全うしようと思った時にはどう足掻いても金が入り用になる。商人として大成するってのは、一般人が大金を手にする上で最も現実的な道だ。
この二人もそういう手合いだろう。親の代から財と立場と既に確立された販路をまるっと譲り受けただけのボンクラが持っていない強かさを身に付けている。海千山千どもに揉まれてきた叩き上げだろうな。
「ツベートは荒れるでしょうなぁ」
「……農耕地としての体裁を保ち続けるのは厳しくなりそうですな」
「陥ちた後のエンデを国が再興するのかにもよるでしょう」
「森から採れる木材も溶岩地帯から採れる鉱石も貴重だ。そうそう見放さないとは思いますがね。……ただ、あの地を治めようとする貴族が現れるかどうか」
「冒険者ギルドは国にとっても都合が良かった。ですが貴族が直々に治めるとなると……さすかに見通せませんな」
どこまでが本心でどこまでが建前なのか。全部が全部嘘ってわけではないだろうが、それとなく虚実を織り交ぜて相手を、ひいてはその後の流れを自分有利に誘導しようとしているのは確実だ。
それは冒険者連中が敵へと斬り込む前にする間合い調整にも似ていた。
「まあ……いざとなったらアレ頼みでどうとでもするでしょう」
「そうですね……冒険者ギルドが無くなったら、絶対にアレが幅を利かせる」
「ここだけの話、私はアレがあまり好きではないのですよ。商機を削ぐ要因にしかなり得ない」
「奇遇ですな。売る商品に制限が課されますしね。どうにもアレの影響が強い地域の人らには……欲も張り合いもない」
相手の出方を伺う化かし合いの最中に挟まれた愚痴。その瞬間だけは互いに本音を吐露しているように思えた。
アレってのは確実に勇者のことだ。治世批判を免れるために言葉を濁さなきゃならない存在ってのは勇者くらいのもんである。
王はともかく、貴族なんてただのお飾りみたいなもんだしな。権力にかまけてちっとばかり悪事に手を染めるくらいはしてるだろうが、圧政を敷いて民を困窮させるような馬鹿はいない。勇者様にバレたら何をされるか分かったもんじゃないからな。
「エンデは……本当に惜しい街でしたな」
「ええ。私はアレよりも過去の、そして現代の英霊たちに祈りを捧げたいよ」
姉上らがほとんど直接馬鹿にされているわけだが、俺はこいつらに対して全くと言っていいほどに腹が立たなかった。むしろもっと言ってやれってなもんだ。余計なことすんなってな。お役御免でいいんだよ、勇者なんて連中は。
まぁ実際にお役御免になったら一年と持たずに国が滅びるだろうがね。分かっちゃいるけど、ってやつだ。国は勇者に頼らざるを得ない現状の改善策がないから旧態依然のクソみたいな策に甘んじていた。
これまでは、な。
俺は馬車の窓から外の景色を眺めた。どこまでも広がる草原の先には木々が林立していて、遠目には山嶺が聳えている。その向こうには魔物や原生生物がウジャウジャしているんだろう。
この国は勇者の庇護と魔王の慈悲で生かされている。歪んだ世界だ。それに終止符を打てる。クローン……あれさえ完成に至ればな。
……もっと早くに見つかってたら。そう思っちまうのは傲慢かね。
「父さん……もう、歩けないよ……」
「……あぁ、分かった。パパの背中に乗れ」
視線を近場に戻す。馬車の脇では徒歩で避難を試みたやつらが列を作っていた。大荷物を持っての避難ともなれば疲労も溜まる。野宿は免れないだろうな。
それでも生きようと足掻いている。
……本当に、惜しい街だった。もしもエンデが他の街と同じ空気で、人の生きる意思ってやつを感じられる場所がなかったら、俺はそのうち何もかもどうでも良くなっていたかもしれない。
「いい街、だったよなぁ」
思わずポツリと漏らした一言に商人二人が反応した。
「ええ、本当に」
「稼ぎ以上に、得られたものが大きい」
護衛と侍従の四人は声こそ出さなかったものの、賛同するように軽く頷いた。
もしもエンデを立て直すとしたら勇者が常駐することになるだろう。恐らく二番目の姉上かな。竜ばっかり選り好んで狩ってるくらい暇なんだ。あの地に縛り付けておくにはちょうどいい。
そうなると、もう戻ってくることはないかもな。
俺は懐から鉄級の身分証を取り出した。簡素な鉄のプレートに名前が刻まれた身分証。さんざん悪用させてもらったが、もう使うこともない。
鉄級のエイトは、この地で捨てよう。
俺は手にした身分証を窓から投げ捨て――――
「勇者だぁぁっ!! 勇者が来たぞぉぉ!!」
ようとして、固まった。
「勇者ガルドが来たぞぉぉっ!! 聞こえてるかーっ!! 勇者ガルドがっ!! 来たぞぉぉっ!!」
勇者。勇者ガルド。それは俺の名前だ。俺はここに居る。
だが同時に、そう呼ばれてもおかしくない存在も知っている。まさか。浮かんだ疑問を自分で肯定する。もうそれしかないだろう。
――クロード、あのバカ野郎がッ!!
「聞きましたか?」
「ええ……ですが勇者ガルド殿とは……何度かエンデに来たとは聞いておりましたが……それより、勇者の招聘はしないはずでは?」
商人の声を無視して窓の外へと顔を出す。この声、間違いない。ツナだ。あのガキ……どうやってここまで。
「勇者ガルドが来たって言ってんだよッ! 聞こえてんだろー!!」
おいおい……何やってんだよあいつら。
ツナはスライのリーダーに跨っていた。力強い疾駆にけして振り落とされまいとしがみついたツナが目を瞑りながら叫んでいる。そしていま、俺の目の前を追い越していった。
「勇者がっ! 勇者ガルドが来たぞぉぉ!!」
その光景を見た俺は一つの仮説を立てた。これはツナの下らない悪ふざけなのではないか、と。
勇者ガルドが来たと吹聴することによって俺が動かざるを得ない状況を作る。もしかしたら……クロードは無関係なのではないか。そう考えれば辻褄が合う。なるほど、なるほどね。
ふざけたことをしてくれやがったじゃねぇか。前方へ消えていった一人と一匹に意思を飛ばす。
(おいおい、これはどういうお遊びだ? 勇者ガルドが来ただと? 俺はここに居るだろうが。エンデに俺の名を語る偽物でも現れたってのか? あ?)
まさか。まさかね。どうせ『実はイタズラでした』って意思が返ってくるだろう。【
(っ、オッサン! その通りだよっ! オッサンの、勇者の顔をしたやつがなんかキレーなネーチャンと一緒に街を走ってたぞ! 戻ってきたのかと思ったら、アンジュが言ったんだッ! アレは違うって!)
(ずいぶんと珍しいモンを連れてきたのう。どうせお主の仕業なんじゃろ? ありゃあ本物の人間じゃねェか。ツベートの領主以外にもおったんじゃのう)
……まあ、そんなこったろうと思ったよ。
クロード……あのポンコツめ。【
それに……キレイなネーチャンと一緒だぁ? どういうことだそりゃあ。あいつ、まさか性欲にでも負けたのか? いや……宿の女将って説もある、か? 分からん。何もかも分からん。知らなければならないのは一つだけだ。
(その話はどれくらい広まってるんだ!?)
取り返しがつくか否かだ。目撃者が少なかったなら勘違いでしたで済む。だが手遅れだとしたら……。
(街中の人らが騒いでるぞ! もう大丈夫だって!!)
(向かった先は嫌な臭いが充満してる方角だったのう。そろそろ到着する頃合いじゃないかの?)
……そうかよ。ならもう、俺が出張るしかねぇじゃねぇか。
やってくれたなクロード。今回ばっかりは冗談じゃ済まされねぇぞ。溶岩よりも熱い灸を据えてやる。
俺は馬の手綱を握る御者へと言った。
「御者! 俺は馬車から降りる! 先にいけ!」
「えっ……? ちょ、困りますよ! お客さんを置いていったら信用問題です……!」
「るせぇ! だったらすぐそこにいる親子連れでも代わりに乗せとけ!」
「無茶な……! そもそもどうして」
「あぁ!? てめぇの手綱さばきが下手くそすぎて腹に来たんだよ! ちょっと林の方でクソしてくる! 文句あんのか? それともここで漏らしていいのか!? あっ!?」
「ひぃ……! 分かりました、いま馬を止めますので……」
「必要ねぇよ!!」
八つ当たり気味になっちまったが、まぁ許せよ。
【
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