特異点
コンコンと、控えめなノックの音がした。一回目と二回目に挟まった絶妙な間が遠慮や躊躇いを感じさせる。そんなノックだった。
「エイト、さん。聞こえて、ますか?」
次いで響いたのは聞き覚えのある声だった。
……あの受付嬢か。どうしてここに? そもそもなぜここを知っているのか。
諸々の疑問を押し留めて息を殺す。呼び掛けに応じるつもりはない。
「…………そう、ですか。でしたらこのまま一方的に話し続けます」
あの受付嬢はどうやらここに冒険者エイトが居ると確信しているらしい。他の冒険者から聞いたのか、それともギルドマスターが居場所を吹き込んだのか。恐らくそのどちらかだろう。
【
「先程、冒険者ギルドに最新の伝令が届きました。『総員、ギルドの歴史を遺すために重要な書物類を持参して退避せよ』だそうです。……ギルドの中で作業してる人たちのほとんどは非戦闘員ですからね。差し障らない形で、要するに逃げろってことを伝えたかったんでしょう。既に多くの職員が荷物を纏めています」
……なるほど。これは少し事情が変わるかもしれない。ギルド職員がツベートまで来るとなると……堂々と敵前逃亡したエイトは悪目立ちすることになりそうだ。
もちろん、他にも逃げ出した冒険者はいる。だがエイトは普段から素行の悪さでそれなりの注目を浴びていた。不平不満や非難の捌け口として矢面に立たされることになるかもしれない。
「ですので、ご連絡です。先程承った要件に関しては手続きが難しくなりました。鉄級という身分は……いえ、そもそも冒険者ギルドという組織自体が存続不可能になるでしょう」
そこまで、か。
ギルドのトップは彼我の戦力差を見定めた結果、もはや敗色濃厚と判断したんだろう。それでも戦うと決めたのは……矜持か。足止めを担うためでもあるだろう。
大規模な魔物の群れが行進を開始したら街を飲み込み尽くすまで二時間もかからない。冒険者たちは、命を懸けて時間を稼ごうとしている。
「エンデは……もう終わるみたいです。何か奇跡でも起きない限りは。……勇者は、呼ばないとの決断が下されました。冒険者ギルドの存在意義がなくなるとか、歴史の否定に繋がるとかって、そんなあやふやな理由で」
あやふやなんかじゃない。だからガルドはこの街が気に入ったんだ。
「勇者って、何なんですかね……? 最近の話を聞く限りだと……なんかふらっとやって来て、馬鹿げた力で簡単になんでも解決しちゃう奇跡みたいな存在だなって思っちゃうんですよ。世界を滅びの運命から救ったのが勇者なら、どうしてその勇者を呼ぶ呼ばないで思い悩む必要があるんですかね……?」
生きようとする意思と競合するからだ。勇者は国民を生かし続ける装置に過ぎない。
害獣駆除の実態は華々しい戦果なんて言葉で飾られる。民衆の思考を誘導、統一するために担がれる神輿。滅びに瀕した国が進退窮まって発令した苦肉の政策。それが勇者だ。
自分たちで未来を切り拓こうと足掻く者たちとは……けして相容れない。
「私にとっては……この街の冒険者の方たちが勇者でした。粗野で、下品で、汚くてうるさい人も多いですけど……それでも、強かった。私たちを守ってくれていた。私は……鉄級のエイトさん、貴方にも、そんな期待を寄せていました」
石級の頃の活躍のことを未だに引きずっているのだろうか。
そう思ったのだが、どうやら違ったらしい。
「私は……今まで黙ってましたけど……見えるんですよ。才能の光が。その人がどれ程の才能を有しているのかを、ある程度把握できるんです。……ごめんなさい、エイトさんがギルドマスターに付け狙われていたのは……私のせいです。私がルーブスさんに……エイトさんの持つ才能を報告した。ギルドマスターと私だけは、エイトさんのことを、初めから知っていたんです」
……そんな能力があったのか。だからか。そういうことならこれまでの全ての記憶に納得がいく。
石級時代の活動を全て調べ上げられていたこと。街で行った喧嘩の回数を事細かに記録されていたこと。素性を暴くための施策を講じたこと。模擬戦なんて理由をつけて鉄級のエイトの底を測ったこと。
制御不能の不穏分子。それは目を付けられるわけだ。
「だから……いま、エイトさんが私の言葉を聞いてもだんまりを決め込んでるのも分かってます。光が、漏れてるんですよ。そのくらい、貴方は、眩しかった」
…………。
「責めてるわけではありません。……いえ、嘘を吐きました。本当は口汚く罵りたいです。どうしてそんな才能を持っているのに玉のない男みたいな卑屈な態度なんだ、って。その才能を私に寄越せよって、そう言いたいです。……でも、まぁ、理由があるんでしょうね。分かりますよ、そのくらい。理解はしてます。ただ、うまく納得ができないだけで……」
それは、そうだろう。隣の芝生は青い。そっちが鉄級のエイトの才能を羨むように……こっちも羨んでいる物がある。替われるものなら替わってるさ。
「……ごめんなさい。少し、何が言いたいのか自分でも分からなくなってきました。もう縋れる人が居なかったから、ここに来たのかもしれませんね……。打算が働いたんでしょう。焚き付ければ、ひょっとしたら動いてくれるんじゃないかって、そう思ったのかも……しれません」
才能の光、か。言葉で説明されてもピンとこない表現だな。鉄級のエイトは……勇者ガルドは、形振り構わず縋りたくなるほどの光を放ってたのかね。
「……私には、この妙な目以外に才能はありません。戦えないし、魔法も使えない……。非常時に誰かの役に立つような能力じゃないんです……。戦地に赴いても、他の人の足を引っ張ることしかできない……エイトさんみたいに、誰かを生かせる力なんて、無いんですよ……。私に力さえあれば、私の家族は――」
……どうしてこんな話を聞かされているんだろうか。これはなんの責め苦なんだろうか。
本当に、魔物ってのはろくでもない。昔っからそうだ。消しても消しても蛆のように湧いてくる旧世代の負の遺産。もう何百年苦しめられてるのかすら定かじゃない。
『大丈夫だって! 魔物なんて私の魔法でぱぱっと片付けてくるから!』
『ガル、お前はそこで見てろ。お前のお姉ちゃんの活躍をな!』
国の連中に記憶を、意思を定期的に奪われて戦い続ける兵器。
『即時還元式の成長する人型呪装。それが勇者。……私を殺したら、ガルドも、シンクレアも、レイチェルも……死ぬ』
ああ、本当にクソみたいな世界だ。だからガルドは……僕を――
「戦端が開かれるまではまだ猶予がある。戦えない私たちは市民たちに避難しろと通達する予定です。……でも、おかしくないですか……? 逃げた先でどうなるっていうんでしょうね……? ツベートは広いですけど、この街の住民が一斉に避難したらどうにもなりませんよ……。仕事だって、寝床だって無い。愚策なんですよ……! 誇りも大事でしょうけど、私はっ、みんなに生きて欲しかった……!」
力なく扉を叩く音がする。何かが擦れる音。膝をつくような音。鼻をすする音。しゃくり上げた喉が鳴らす音。
「こんなことっ、言ったってッ……どうにもならないって分かってますけど……! だったら……どうして私に希望なんて見せたんですか……! 改心したって思ったのに……今度こそエンデを支えてくれるって、思ったのに……あんまりじゃないですか……どうして魔物なんているんですか……っ!」
きっと、ものすごく怒られるだろうなぁ。
「お願いします……エイトさん……」
僕は【
「助けて、下さい……」
「分かった」
死んでも生き返るから肩を並べる資格がないって理屈なら。僕にはその資格があるはずだ。
「えっ……!」
「ドアから離れてて」
「あ、え……?」
一言警告してからドアを開く。そこには宿の廊下にへたれ込み、目を腫らしてこちらを見上げる受付嬢……シスリーさんがいた。
……メイクが崩れちゃってるじゃないか。懐から手巾を取り出してから手渡す。
「あ、なた……は……」
「僕は……ガルド。行こうか、皆を……助けよう」
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