契約満了
定宿の自室。避難に際しての荷物整理をしながらクロードに指示を下す。
「俺はすぐに発つが、お前は二、三時間くらい経ってから馬車の乗り合い所に向かえ。身分証を持ってないお前は馬車の優先利用権が無い。いま出歩いても人混みの一員になるだけだ。そこでスリでもされたら笑えねぇ」
予想外なところでポンコツを発揮するこいつには微に入り細を穿つ配慮をしてやる必要がある。上流に位置する商人連中や各地への伝令の任を帯びたやつらが全員いなくなるのは大体その時間だろう。
「ツベートは恐らく人で溢れ返る。色んな施設がキャパシティをオーバーするだろうから俺は速やかに宿の確保と飯の買い溜めをしておく。その後に合流するとしようか。宿に困ってるお前を偶然見つけて寝床を貸してやった……って流れなら、まぁ、自然だろ」
ずしりと重みを増した背嚢を背負う。いくつかの物は放置していくことになるが、これはしょうがない。【
「その後の行動は続報を待つ。エンデが持ち堪えたなら即座に帰還する。エンデが
「……あの」
それまで俺の指示を黙って聞いていたクロードが短く声を上げた。こいつは表情の変化に乏しい。何を考えているのか判断に困る面持ちでポツリと呟く。
「この街は、陥落するのでしょうか」
「さあな」
俺は三年前の災害とやらの規模も、現在のギルドの総戦力がどれほどなのかも詳しく知らない。冒険者連中は猛者揃いだが、飛び抜けた戦力は『柱石』くらいなもんだろう。『遍在』は対人に限れば無類の強さを誇るが、魔物相手だとどうかな。もしかしたらそこらの銀級のほうが強かったりするかもしれない。
「旗色は悪いんじゃねぇかな。ノーマンの野郎が俺なんかに縋り付いてくるくらいだし」
エンデで長いこと商売をやっている連中の多くが避難に舵を切っている。やつらの嗅覚は侮れない。商売の鬼が今回の騒動を商機ではなく危機と判断したってことは……そういうことなのかもしれんな。
「そう、ですか」
「まあ冒険者連中も軟弱じゃない。避難すると決めた連中が街から離れるまでは持ちこたえるだろうさ」
指示は出し終えた。あとはツベートに向かうだけである。
自室の扉を開く。この宿とももうお別れになるかもな。立地が最悪なクソ宿だったが、宿泊料の安さと過ごしやすさはなかなかのもんだった。
「そういや女将はどこ行った? もう避難したのか?」
「いえ……ティーナさんは、自分にはまだ出来ることがあると言って、娼館へ戻っていきました。こんな時だからこそ癒やしを必要としてる人もいるだろう、と」
「はぁー。あの人も覚悟決まってんな」
互いに深入りすることはなかったが、それでも短くない付き合いだった。別れの挨拶でもと思ったんだが……それじゃ仕方ねぇ。
「んじゃあ俺は行く。予定通りにな」
「……はい」
俺はクロードが答えるのを聞いてから扉を閉めた。
▷
目抜き通りを歩く。常に商売っ気が盛んな通りは、しかし活気とは違った喧騒に包まれていた。
怒号が響き、絹を裂くような金切り声がどこかで上がる。どうやら避難する、しないでどこぞの夫婦が揉めているらしかった。
狂騒が伝播していく。こういう騒ぎが起きて初めて治安維持担当ってやつらの抑止力的なもんに気付かされるな。鍛え上げられた肉体を持つやつらがずらりと並んでるだけで威圧感と同時に安心感のようなものも与えていたんだろう。今はそれがない。
「おい、押すんじゃねェよ!」
「あぁ!? んなとこで突っ立ってるからだろうが!」
「ねぇ、ママ……怖いよ……」
「大丈夫……大丈夫だから……」
不安、焦燥、狼狽、愁苦。よその街じゃめっきり見なくなった光景だ。犯罪者が出たら騒ぎくらいにはなるだろうが、ここまで街全体が荒れることはまずない。
魔力溜まり……過去の戦争兵器の猛威に晒されている土地で、勇者に頼らず生きると決めたのがエンデだ。いつ均衡が傾いてもおかしくなかった。それが今だったということだろう。
人混みに紛れて街の出口へ向かう。一塊になった人の群れは逆らうことを許さない濁流の鉄砲水のようだった。俺もその一員になってひたすら進む。
――それでも流れに逆らうやつらを尻目に収めながら。
「ゴールドならこんな時でも立ち止まらねぇ……! いくぞお前ら!」
「石級でもやれることがあるはずだ!」
「この戦いが終わったら、私をモデルにした漫画を描いてもらうんだから!」
「みんな、食材は買い込んだっスか!? 街を守ってくれてるギルドの人らに飯を振る舞いに行くっスよ!」
「腕によりをかけるぜぇ!」
「剣は振れなくても包丁捌きなら負けねぇぞ!」
「私も……何か、何かできることが……あるはず……この街を守るために戦ってる人たちに……何か!」
……この街の代わりは見つからないだろうな。
色々と動きにくくなる。だがそれも致し方なし。できればアーチェのやつは拉致っておきたかったが……また別のイカれたやつを探すとしようかね。まだ時間はある。じっくりと計画を煮詰めていけばいい。
「……サン! 聞こ……か! おい、オッサン!!」
聞き慣れた声が耳に届く。声のした方向に顔を向けたところ、屋台の骨組みに立ってこちらを見ているツナと目が合った。何やってんだあいつ。意思を飛ばす。
(曲芸の真似事でもしてんのか? 今そっから落ちたら人混みに踏まれてペラペラになっちまうぞ)
(んなヘマしねーよ! それより、さっきからずっとみんなでオッサンを探してたんだぞっ! ……話があるんだ、そこの路地裏で待ってる)
そう告げるだけ告げてツナは屋台の骨組みからヒョイと飛び降り近くの路地裏へと駆けていった。
無視してもいいが……そうだな、こっちからも話がある。俺を探してたってんなら尚更だな。
【
▷
「で、今回俺らは何をすればいいんだ?」
浮ついた様子のツナが早口にまくし立てる。
「なんでもするぜ? また騒ぎを起こして注目を集めればいいのか? それとも他に作戦でもあるのか?」
「なに言ってんの、お前?」
「とぼけんなよ! オッサンのことだからまた何か裏で動いてるんだろ? 俺らも手伝うって言ってんだよ! 号外でも刷るか? それとも足を使えばいいのか? なぁ!」
なるほどね。俺を探してたってのはそういうことか。
こいつらはちょっとした勘違いをしてるわけだ。俺がこの間の呪装盗難騒動を全力で片付けたから、今回も裏で動くと思ってるんだろう。
「好きにしろ」
「……え?」
「この街に残ってやりたいことをやってもいいし、他のやつらの後を追って逃げてもいい。俺に伺いを立てなくていいぞ。俺はツベートに向かう」
「なん、はぁ!?」
「俺は今回の騒動に首を突っ込むつもりはねぇ。ギルドも勇者を呼ばなかったしな。一足先に避難させてもらうわ」
「……嘘、だよな?」
「本気だ。こんな冗談言わねぇよ」
「なんで……オッサン、なんでだよっ!」
今にも泣き出しそうな震え声でツナが叫んだ。
「オッサンはっ! この街のことも、俺らのことも、全部どうでもよくなっちまったのかよッ!!」
おうおう、こりゃあほっとくと後々まで禍根が残りそうかね。少し説得しておくか。
【
「んなこたねぇよ。お前らは優秀な金づるだし、この街はこの国で一番快適な街だ。失くすには惜しい」
「だったら!」
「だがな……それだけだ」
突き詰めると、それだけなんだよな。俺の覚悟ってのはよ。
「優先順位ってやつだな。呪装盗難騒動ん時は、まぁ発端が俺だったからよ。ちっとマジになっただけなんだわ。犯人探しの過程で芋づる式に俺の身元がバレて、あの馬鹿姉二人に騒動が波及するのも避けたかったしな」
認めるのは非常に業腹だが、俺はあの馬鹿二人の優先順位をわりかし上の方に置いている。本気を出す理由としては十分だった。
「だがなぁ、今回は何もねぇ。惜しいとは思うぜ? 優秀な金づるも快適な環境もあればあるだけいい」
「だったら、それでいいだろ! それ以外に何が必要だってンだよッ!!」
「人の尊厳を踏み躙る覚悟、ってとこかな」
「……はぁ?」
意味がわからないって顔だな。そりゃそうだ。勇者と人間では視点が違う。
「お前も知っての通り、俺は死んでも生き返る。知ってるか? 死ぬと疲労も身体の汚れもまるっと消えるんだぜ? それに加えて転移もできる。もはや死に得だな。一日の締めにいっぺん死んでおいたほうがいいまである」
利を認めれば自死すら厭わない。それが勇者という存在だ。
「まぁクソみてぇな死に方はゴメンだけどな。イカれエルフに惨い解体をされるのは未だに抵抗がある。あとは痛覚を伴うのもダメだ。死ぬならスパッと死ぬに限るね。その点ギロチンってのはよく出来てる。この呪装もな。言ったことあったっけか? こいつは痛覚を無効化できる。俺の相棒だ」
俺は懐から愛用の短剣を取り出した。向こう側が透けて見えるほどに薄い刃。手練の暗殺者が愛用していたそれは、刃を突き立てた対象に酷く安らかな死をもたらす。斬られて死んだことにも気付かないほどに。
俺は短剣で左の手首を掻き斬った。
「おい、何してんだよオッサン……!」
とめどなく血が溢れる。命の残滓が零れ落ちて、泥に塗れて、致命的に汚れていく。だというのに俺の心にはさざ波一つ立ちやしない。冷静だ。嫌になるほどに。
「お前さぁ、もしも目の前でアンジュが手首を切ったらどうするよ。慌てふためくか? 怒鳴って叱るか?」
「…………オッサン」
「それが答えだ。命に銅貨一枚の価値もねぇ。死んだ後に霧散した魔力は、女神像の内部に刻印された式によって回収され、即座に修復されて蘇る。何度でもな。それが勇者だ」
「…………」
「破綻した命だ。こんなヤツがよぉ、どんな面下げて、たった一つしか無い命を張って生きることを決めたやつらと肩を並べればいいんだ?」
魔物狩りは俺の領分じゃない。俺はこの街の馬鹿どもの生きる意思を否定したくない。
「これだけの人間が命を懸けるっていう選択をしたんだ。その覚悟に勝るモンを今の俺は持ってねぇ。それだけだ」
結論としては、俺の身勝手だな。いつだってそうだ。誰かの道具に成り下がるのはやめた。俺は俺がしたいと思ったことをする。魔王に救われた日から、そう決めた。
懐から外傷治癒ポーションを取り出して左の手首に垂らす。アーチェ手製の品は効力が高い。ぱっくり開いた傷口はみるみるうちに修復された。もう血が溢れることもない。血を拭い、瓶を懐にしまう。
「オッサン……俺は……俺たちは……どうすれば」
先程からぼうと突っ立っていたツナがうわごとのように呟いた。どうすれば、ねえ。
「言ったろ。好きにすりゃいい。金ならあるんだろ? 生きる術だって学んだ。なら迷うな」
「でも……この街は、もう駄目かもしれないんだろ……?」
「だったらツベートに行けばいい。就く仕事がないなら牧童でもやれ。ライファって爺さんがちょうど後継を探してる。エイトの名を出せば、まあ優遇してくれるんじゃねぇの?」
「……俺たちは、やりたいことがあるんだ」
「そりゃあ、この街じゃなきゃできないことなのか?」
ツナは静かに頷いた。ぽつぽつと構想を語りだす。
「俺たちはさ……すげぇ恵まれてると思うんだよ。どっかの誰かがたまたま俺らに目をつけたから、孤児から一転して、何不自由のない暮らしを送れる立場を手に入れた」
「そりゃとんだ慈善家もいたもんだな」
「……それでさ、思ったんだよ。未だに飢えてる孤児たちと、たまたま選ばれた俺たちの違いは何なんだ、って」
「……運だろ。ただの運だ」
「ああ。俺たちも同じ考えだよ。違いなんてない。運命って言葉でしか片付けられないんだって、そう思った」
運命ね。嫌いな言葉だ。
人には抗し得ない超常の摂理。生まれや才能を選べるやつも、人との縁を選べるやつもいない。
選ばれなかったやつは、選ばれなかったから、選ばれなかったのだ。そんなクソみたいな結末に理由をつけるとしたら、やはり運命以外に適した言葉は無い。
「だから、俺たちは、それをなくしたい」
「…………」
「オッサンがこの前助けたやつ、すげー感謝してたよ。死ぬとこだった、って。泣きながらさ……。俺たちは、運命に見放されたやつらをさ……助けたいんだよ。オッサンみたいに」
「やめろや。俺のはそんな高尚なもんじゃねぇ」
「知ってるよ。でも、助けられたのは事実だろ。……新聞社の売上でさ、なんかできることがあると思うんだよ。具体的なことはまだ何も決まってないけど、他のやつらと案を出し合ってさ……考えてる途中なんだ。これからなんだよ。だからさ……」
ガキどもめ。こいつらはもう……俺が面倒を見なくていい段階まで来てやがる。
そこまで考えてるなら、俺からは何も言わん。ガキの頃ってのは大人の言うことが全てだ。世の仕組みってのを教え聞かされ、時に手ひどく失敗し、時に身体で学ぶことで通過儀礼を済ませて大人になる。そっからはもう自由だ。
俺はツナの言葉を最後まで聞かずに身を翻した。路地裏の出口へと向かう。
「オッサン……」
「じゃあな。精々強く生きろよ。他人の顔色を窺わなくていいくらいにな」
それがガキどもの覚悟だってんなら、俺はそれを尊重してやるさ。逃げろだなんて無粋なことは言わねぇ。
理想に殉ずることを選ぶのか。苦汁を舐めて身を引いて再起を図るのか。どこかで折れてその他大勢の仲間入りを果たすのか。……ガキどもの運命は、ガキどものモンだ。
ツナが騒ぎ出す前に意思を飛ばす。数は二十一。街に散らばっているガキどもへと告げる。
(全員、聞け)
ガキどもが俺を当てにしてるなら。
(俺は今からこの街を発つ)
俺の存在がガキどもの楔になっているのなら。
(現時刻をもって俺とお前らとの間に交わされた契約の一切を破棄する)
その
(全員、好きに生きろ)
返答を待たずに【
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます