鉄級のエイト

 用事は終えたので冒険者ギルドを後にする。

 ギルド前の広場は目抜き通りとは打って変わって人の影がなかった。なんたってここは街の中心部だからな。

 冒険者のほとんどが出払っており、逃げることを決めた一般人は避難のために門へと向かっている。腹を括ったやつは自宅か寄合所で待機でもしてるんだろう。となれば街の中心部が閑散とするのは道理であった。


「処刑ん時は鬱陶しいくらいに人が居るんだけどな」


 断頭台の前。見慣れた二人が立ち尽くしていたので声を掛ける。……俺を待ってた、と考えるのは自意識過剰かね。


「……待ってましたよ、エイトさん」


 どうやら本当に待ってたらしい。

 ルーク、ニュイ。駆け出しの石級であるこいつらは有事の際の徴発対象から外れている。座して待つも臆して逃げるも自由ってわけだ。


 もちろん戦地に赴くのも自由である。


「避難するにしては荷物が少ないんじゃねぇの?」


「あはは……手厳しいなぁ。……分かってますよ、避難したほうがいいことくらい」


 ルークは馬鹿だ。直情径行で向こう見ず、考えるよりも動くほうが先の典型的な脳筋である。まだ幼さが抜けていないので孤立気味だが、あと二、三年もすれば酒場でくだを巻いてる模範的な馬鹿冒険者の仲間入りを果たすだろう。


 そういう連中は危機を前にして退くということを知らない。


「でも、行ってきます」


 いっそ心地よくなるほどの生き急ぎ方だ。俺には出来ない生き様である。本当に、清々しくなるほどのバカ野郎だ。


「お前、ソレ言うためだけに俺を待ってたわけ? 気持ち悪ぃな……」


「ええっ!? 酷くないですか!? 僕としてはこう、覚悟を示すためにですねっ」


「わーったわーった。生きて帰ってきたらまた飲もうや。お前の奢りでな」


「えぇ……そこは奢ってくださいよ……」


「却下だ。……さて」


 ルークと馬鹿話を終えたところでニュイを見る。こりゃひでぇな。蒼白になった表情に震える身体。色々と諦めちまったやつ特有の空気を纏ってやがる。

 ニュイは聡い。まるで馬鹿なルークを補うように育ったみたいに。自分たちの未来ってのがある程度予測できちまってるのかもな。


「おーおー、どうしたよニュイ。腹にクソが詰まって三日目みたいな顔してやがるぞ?」


「エイト、さん……ほんとに、来てくれないんですか……?」


「まぁな。俺は死にたくねぇんだ」


 俺がそう言うと、ニュイは震えた手で俺の外套を掴んできた。溺れるものが藁を掴むかのように。


「私たち……死んじゃいますよ……。この前みたいに、助けて下さい……お願いです……」


「他人に縋るな。死にたくねぇならお前がルークを守ってやれよ」


「無理ですよ。エイトさん、知ってるでしょ……? ルークは馬鹿なんだから。ほんとに、子どもの頃から糸が切れた凧みたいに危険に突っ込んていって……でも、今回ばっかりは……」


 いまにも泣き出しそうなニュイの頭に手を添えて魔法を発動する。【鎮静レスト】。


「……!」


「【耐久透徹バイタルクリア】に回復魔法。お前は立派な魔法が使えるじゃねぇか。それは誰かを守るための魔法だろ? それを持ってるお前がウジウジしててどうするよ」


「でも……私の魔法、そこまで効かないし……」


「そりゃあそんな態度じゃあな。……聞け、ニュイ。肉体強化の補助魔法の真髄は渇望に宿る。生きたい、生かせたい。そう念じてありったけを込めろ。そうすりゃ、まあ、何とかなるだろ。多分な」


「適当すぎる……っ! もう! エイトさんなんかに頼りませんッ!」


 吹っ切れたのか、ヤケになったのか。キッと睨むように俺を見上げたニュイが叫ぶ。


「私たちは……絶対に、生きて帰ってきてっ! エイトさんに高いお店のご飯を奢ってもらいますからっ!!」


「お前も俺に金払わせる気かよ……。チッ、わーったって。そん時は串焼きくらいなら奢ってやる」


「言質取りましたよ! ほら、行くよルークっ! 絶対に、生きて帰るんだからッ!」


 バッと俺の外套から手を離したニュイが早歩きで南門の方へと向かっていく。腹を括ったのか、それとも諦めたのか。その背中からは窺い知ることはできなかった。


「エイトさん……じゃあ、また!」


「おう、生きてたらなー」


 交わした言葉は少ない。絶対に生きて帰ってこい、なんてやり取りもしない。死ぬ覚悟ができちまってるやつに掛ける言葉でもないだろ。

 小さくなっていく背を見送ることなく踵を返す。向かう先は定宿だ。さっさと荷物を纏めて発つとしよう。


「チッ……クソみてぇに混雑してやがるな」


 大通りは人の波でごった返していた。食い物を買い込むために出てきた連中や出て行こうとする商隊らがかち合ったのだろう。治安維持担当がいないってんで狼藉を働こうとしてる輩もいそうだ。無人の屋台を物色してるやつもいる。

 ……この街も終わりなのかねぇ。過ごしやすくて良かったんだがな。ツベートあたりに拠点を移すことも視野にいれるか。


 取り留めもないことを考えながら路地裏に入る。狭く薄暗い路地裏は非常に入り組んでおり、内部を把握していないと出たいところに出れないため一般市民は入り込むことはない。居るとしたらそれは寝床を持たない生活困窮者かドブネズミか、あるいは犯罪者くらいだろう。


 けして銀級の冒険者様が迷い込むような場所じゃないんだけどな。


「よう、この前は借りを作っちまったな」


 ノーマン。【六感透徹センスクリア】で追ってきたのか。

 銀級だってのにこんなところをうろついてるってことは……目的は俺かよ。めんどくせぇ。


「ついでと言っちゃあなんだが、エンデの冒険者一同にも借りを作らせる気はねぇか? 星喰を単独で相手取れるあんたが来てくれたら今回の騒ぎも……まぁ、比較的軽傷で済ませられそうだ」


「……買い被りすぎじゃないですかね? 自分はただ逃げ足が早いだけの鉄級ですよ」


「報酬は金貨千枚だそうだ。あぁ、勘違いするなよ? それであんたの身柄を買おうってわけじゃない。一種の契約みたいなもんだと思ってくれ。一度きりでいいから手を貸してくれっていう、まぁそれだけだ。悪い話じゃないだろ?」


「金貨千枚って……ははっ、もしかして星喰の件で誤解されてるんすか? 『柱石』さんも言ってるじゃないですか。星喰は大したことなかったって」


「なぁ、あんまりすっとぼけないでくれよ」


 軽めの口調は演技だったんだろう。続く言葉は、抱え込んだ激情を抑え込むのに失敗して、それでもなんとか上辺を取り繕おうと苦心するような震え声だった。


「前に言ったろ。俺は【六感透徹センスクリア】が使えるんだよ。アウグストさんが嘘をついてることも……星喰って魔物が正真正銘のバケモンだってことも……全部理解してる。……あんたが金級並の実力を隠してることもだ」


「…………」


「冒険者ギルドは……ギルドマスターは、星喰の件で鉄級のエイトに対して不干渉を貫くことを決定したんだ。あんたが銅級になりたくないなら放っておく。正体を探るための策を練るのもやめる。あんたは……誠実とは言い難いが、だが、ここぞって時にはギルドの仲間のために命を張った! 二回も……っ! 『もういいだろう』。それが、ルーブスさんの言葉だ」


六感透徹センスクリア】は既に発動している。嘘ではないな。銅級昇格が取り下げられたのはそういう理由があったわけか。


「だが、ここへ来て事情が変わっちまった。竜が……三年前と同じ……溶岩の竜がっ……現れやがった……!」


 溶岩の竜、か。魔物の中でも特段に厄介な部類だろうな。そもそも溶岩地帯は危険度の高い魔物が多すぎる。触れるだけで身体の一部が持っていかれる化物がそこら中に発生してるってのは悪夢のような光景だ。

 そんな連中を束ねる竜が現れたら……壊滅的な被害は免れない。


「契約、なんて言葉を使ったが……これは実質あんたに対する降伏に近い……。ありったけの金を用意した。望むなら女だって用意する。正体を隠してるなら偽の身分証だって用意する。今までのやり方が気に入らなかったんなら……謝罪もする。だから……頼む」


 暗く湿った路地裏。ろくに舗装されてない土の地面に膝をついたノーマンが倒れ込むように五体投地した。


「力を……貸して下さい……っ!」


 …………本当に、面倒なことになった。恨むぞアーチェ。


「……ギルドはもう少し骨のある組織だと思ったがな」


「もう、形振り構ってられないんだよッ! 三年前とは状況が違う……アウグストさんにも限りがある。ルーブスさんも……衰えた……頼れるのはもう、あんたくらいしか居ねぇんだ!」


「勇者を呼ぶことは考えなかったのか?」


「提言したっ! だがルーブスさんは首を縦に振らなかったんだッ! 勇者は……強すぎる……あれは依存性の高い劇毒だ……また頼ったら、エンデの街も、人の意思も確実に死ぬって、そう断られた!」


 なるほどね。どうやら俺の忠告は聞き入れられたらしい。

 これだけの騒ぎを姉上らがサクッと片付けちまったら……確実に勇者信奉が街に根を下ろすだろう。

 前回は言い訳ができた。悪辣な呪装の力でギルドの宝剣を盗んだ犯罪者集団の鎮圧に戦力を割くため、という大義を盾にできた。今回はそれがない。


 冒険者ギルドが守り続けてきたエンデの誇りや伝統は即座に瓦解する。積み上げた歴史や信念は勇者の剣の一振りに劣ると大衆が理解しちまうわけだ。


 そうやって他の街は死んでいった。


「俺には……ルーブスさんみてぇなカリスマが無ぇ……。ただ希少な能力があるからって理由だけで担がれてるお飾りなんだよっ! だからこうして無様に頭を下げることしかできねぇ……。頼む……頼むよ、エイトさん……力を、貸して下さい……」


 すげぇな。俺は純粋にそう思った。

 銀級の上澄みともなれば相応の修羅場を踏破して実績を積み上げてきた練達だ。矜持の重さも察するに余りある。こんなよく分からん男に平身低頭するのはよほど堪えるだろうに。

 だからこそ俺はこの覚悟を踏み躙れない。うだつの上がらない鉄級冒険者、それがエイトであるが故に。


「路地裏から出る前に、土は払っといたほうがいいっすよ」


 森での事件の時とは違う。あの時は突発的な事態だった。しょうもない自己犠牲を選んだ黒ローブに苛立っていたのもあったし、その後の処遇が面倒だったこともあって手を貸した。


 だが今回は違う。選ぶ余地はあったはずだ。冒険者ギルドも鬼ではない。銅級以上の冒険者は全員徴発されるが、身分証を返上すれば戦地に立つ義務も消える。誰にでも逃げるという選択肢があったのだ。


 それでも死地に赴くと決めたんだろ? なら止めやしないさ。覚悟ってのはそういうもんだろ。


『死んでも構いません』


 信念に殉じる覚悟を決めたやつの言葉を聞いちまったからな。もはや俺の出る幕は無い。


 地に額を擦り付けるノーマンの脇を通り抜ける。向かう先は俺の定宿だ。死地とは真逆の方向である。


「金でも……地位でも動かない……」


 恨み言ではない。それはただただ純粋な質問であった。


「仲間のために命を張ったと思ったら……その仲間が死地に赴くのを平然とした顔で見送る……」


 ルークとニュイのことだろう。あのやり取りを見てたらしい。


「情でも動かないってんなら……」


 嗚咽にも似た声が背後から響く。


「あんたは……なんなんだ……?」


 難儀に映るだろうな。自覚はあるよ。俺と人間じゃあ価値観が違うんだ。

 俺は振り返らずに言った。


「鉄級のエイト。逃げ足だけが取り柄の……臆病な男だよ」

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