直せぬ箍と信頼関係
「こ、こんな傷あったか……? なんかの間違いじゃ……」
「なんじゃお主……儂を疑っとるんか? 儂は修復魔法の使い手。武器に傷なんぞつけるわけないだろう」
ダブルツ修復店は今日も繁盛している。
金払いのいい猛者が六割、背伸びして大枚をはたきに来た中堅が二割、そして話題につられただけの舐め腐った注文をつけてくる連中が二割だ。
まったく、どうして下っ端連中ってのはどいつもこいつも同じ考えなのかね。俺は嘆息した。
身の丈に合わない店に顔を出しておいてクソのような注文をつける。それは、例えるならば最高級の飯処のシェフに銀貨一枚ぽっちを差し出して『肉を一欠片くれ』と言うようなもんだ。厚顔無恥とはまさにこのこと。しみったれるにも程があるだろ。殴られて追い出されても文句は言えねぇぞ。
「銀貨二十枚」
だが俺は優しいので加工を請け負ってやる。
「う……ぐ……高い……」
「なら銀貨十五にまけてやる」
おまけに値引きまでしちゃう。
「…………分かった、払う……」
毎度あり。二度と来なくていいぞ。
ほんの少し欠けた刃と俺がつけた傷にアンブレイ鋼を塗布して修復完了。これっぽっちで銀貨十五枚だ。しかも鉱石はアーチェが用意したものだから元手はゼロときた。間違いなく過去最高効率の儲けである。
これだよ。この瞬間がたまらねぇんだ。蒔いた種が芽吹いて瑞々しい果肉を実らせ、そしてそれを一気に刈り取る感覚。
イカれ錬金術師との縁も、イカれエルフに腹を掻っ捌かれた経験も、全てがこの瞬間のためと思えるのならば納得がいく。開いた五指が風を受けて進むトールシップの帆のようだ。順風満帆。極めて良好な海路日和、前途は洋々。巨匠ダブルツの行く手を阻むものは無し。
「……あの、こんなやり方は良くないんじゃ」
ただ一人を除いて。
クロード……コイツはまだ甘い。態度の端々に躊躇いがある。経験不足が理由だろうな。踏み込んでいい境界線ってもんをちっとも把握できてねぇ。だから最高峰の才能を持て余して街の便利屋さんに成り下がるんだぜ。俺は言った。
「何が良くない? 言ってみろ」
「……その、不審に思った冒険者さんが治安維持担当に告げ口したら……また」
「告げ口? はっ! 馬鹿だなぁ……やつらはそんなことできやしねぇよ」
俺はクロードの提案を嘲笑ってから耳打ちした。
「やつらは見栄の塊だ。他人に言えるか? 剣を傷付けられてボッタくられたかもしれない、なんてよぉ。そんなこと口にしようもんなら得物の状態すら把握してない間抜けな素人の烙印を押されて終わりだぜ?」
「……ですが」
「むしろ逆なんだ。予想外の出費の元を取るためにやつらはこぞって自慢するぜ。銀貨十五枚で"あの"ダブルツさんに修復してもらった、ってなぁ……。取るに足らねぇやつらよ。真面目に取り合うのは上澄み連中だけでいい。強者を味方につけろ。木端は切り捨てていい。それが俺の商売哲学だ」
「…………」
考え込むようにむっつりと黙り込むクロード。まっ、この辺りの匙加減ってのは難しいからな。じっくりと最適解ってのを教えてやりゃいい。
「おーい、この胸当ての修復とコーティングを頼む。贅沢にやってくれや。金貨なら出せるぞ」
「うむ、しばし待っとれ! 何をぼさっとしとるクロード。早くお茶を出してやらんか」
「……はい」
二割のクソ客を除けば残りはしっかりとカネを払う上客だらけだ。こりゃあいい。流れがきてる。もうこの事業一本でいいんじゃないかと思えるほどだ。拘束時間の長さがネックだが、クロードへの引き継ぎが終わればそのデメリットも消え失せる。
勝ったな。俺は会心の手応えを感じつつ修復魔法を発動した。
▷
こういうクソがいなければ尚良しなんだがな。
「へへッ……今日も頼むぜダブルツさんよ。この籠手の指の先っぽをちょいと直してくれよ。これくらいなら銀貨五枚ですむだろ?」
先日、得物の剣に傷をつけてふんだくってやった野郎が性懲りもせずに顔を見せにきやがった。
はぁー。本当にさぁ……お前ちっとは身の程を知れよ。お前と同じ時間で他の客は金貨を落としてるんだぞ?
ヘラヘラと下卑た笑みを浮かべやがって……そんなに今話題の店で武具を修復してもらったという自慢は心地よかったのかね? ったく……あんまり俺の手を煩わせるんじゃねぇよ。
「籠手、とな」
「ああ。ほら、ココがちっと穴空いてるだろ? ちょっと修復するだけでいいからさ……へへ」
チッ。こんなしょぼい仕事を何度も俺に頼んでくるとはな。
決めたぜ。俺はゆっくりと立ち上がった。
「……? なん、かはっ!?」
【
「ぐ……うっ……」
「……! な、何を」
「黙れ」
悶える冒険者の男の頭に手を添える。生じた意識の隙間にねじ込んでやることで補助魔法は覿面の効果を発揮する。【
「ぉ……」
冒険者の男の髪を掴み顔を覗き込む。効いてるな。よし。これでコイツは直前直後の記憶が飛んだ。
【
「な、なにを……」
「商売ってのはな、ナメられたら終わりなんだよ」
俺はへこませた篭手を冒険者の足元に放り捨てた。【
「あ……え……俺は……」
「なんだ、一体どうした? 急に腹を抑えて取り乱しおって。いいのか? 篭手が落ちたぞ」
「え……あぁっ!?」
篭手を拾い上げた男が致命的な凹みを見て青い顔をする。銀貨五枚じゃ足りなくなっちまったな? さぁ、どうするよ。くくっ……。
「う、嘘だろ……落としただけでこんなヘコむか……?」
「安物だったということだろうな。さぁ、寄越せ。銀貨二十五枚で直してやろう」
「にじゅっ……! そ、そんなカネ持ってねぇよ!」
「フン、仕方ないのう。なら二十枚にまけてやる」
「……あのー、今回の注文はなかったことに」
「あ!? ウチは冷やかし禁止だぞッ! 馬鹿にしおって……貴様の顔は覚えたからな。ふざけた野郎じゃ。貴様の評判に修復不可能なほどの傷が付いても……儂は知らんからな?」
そう脅してやると男は面白いくらいに血相を変えた。慌てて革袋の中身を開いて中を検める。
おーおー必死だねぇ。随分と周りに見栄を張ってるみたいだしな。よほど今の立場を脅かされるのが怖いらしい。巨匠であるダブルツ様の価値を安く買い叩こうとするからこうなるのよ。
「……っ、今の手持ちはこれだけなんだ……後で必ず残りは払うから……な、頼むよ?」
そう言って男は銀貨十五枚を机に置いた。まぁ、許容範囲といったところかね。
腕を組み、三十秒ほど瞑目する。プレッシャーを与えるためだ。男がゴクリと唾を飲み込んだのを聞いてから大きくため息を吐いて告げる。
「二度は無いぞ」
「あ、あぁ! へへっ……ありがとうございます、ありがとうございます……」
少しでも俺の機嫌をとろうと
「…………」
「何をしてるクロード。ボサッと突っ立ってないで儂の茶でも」
言いかけた途端、店の入口が開く。
ズカズカと無遠慮に入ってきたのは年を食ったオッサンだ。冒険者ではないだろう。何だというのか。
「おうおう、ダブルツさんよぉ……オメェさんっとこの客が俺の店の前を塞ぐように並んでて邪魔で邪魔で仕方ねぇんだわ。ちったぁコッチを気遣えや。なぁ」
なるほど、同業のやっかみね。はいはい、あるある。
俺みたいな無名だったやつが急速に頭角を現すとこういう輩が必ず湧くんだ。割りを食った者の難癖ほど醜いものはないね。
まあ、ここで突っぱねても軋轢の種になるだけか。放置してもいいが、騒ぎが派手になって治安維持担当が駆けつけてくるのも面倒だ。ここはいい顔をしておくかね。
「だそうだ。クロード、しばらく外で列の整理をしてこい」
「…………わかりました」
「これでいいだろう?」
「フン……」
へへっ、楽勝楽勝。客に選んでもらえない立場ってのは辛いよなぁ? 俺は客を選ぶ余裕すらあるってのによ。
ま、これが弱肉強食ってやつだ。ご馳走にありつけないお前らはせいぜい指でも咥えながら見てるんだな。エンデの街の武具市場はこの巨匠ダブルツが食い荒らしてやるからよ……!
▷
「この短剣の修理をしてくださぁ〜い。あ、ココね? この欠けてるところをちゃちゃっとお願い!」
チッ。俺は内心で舌打ちした。クソ男を追い返したそばからこれだぜ。身の程知らずの木端冒険者が多すぎて嫌になるね。
鉄級の身分証を首から下げた女が短剣を差し出してきた。この女は魔法使いか弓使いだろうな。護身用にしか使えない刃渡りの短剣だ。こんなもんを修復してどうするよ。捨てちまえこんなの。
「どうしたんですかぁ〜?」
ったく、どいつもこいつも記念みたいな感覚でゴミを持ち込みやがる。
そうかい、そうかい。そっちがその気ならこっちも相応の態度で応えるだけだぜ。
「ちっと待っておれ」
「はぁ〜い」
俺は短剣を持って裏部屋に引っ込んだ。【
「くくっ、モノの価値を知らん女め。そのアホ面がいつまでもつか楽しみ――っ!?」
短剣が消えていく。淡く輝く光の粒になって。まるで世界に溶け出すかのように。
まさか。嫌な閃きを得る。
まさか、この短剣は――――
「呪装ですよ。クズ品ですけどね。致命的な損傷を負ったので世界を巡る旅に出たのでしょう」
刃の鋒を思わせる冷たい声色。その声は聞く者にある種の幻覚を与える。まるで喉元に槍の穂先を突き付けられたような。
「『遍在』……ッ」
ハメられた。そう悟ったが時すでに遅し。
俺はダメ元で逃げようとしたがやはりダメだった。距離が近すぎたのだ。踏み出した一歩を刈られて転がされて腕を捻り上げられる。クソがっ!
「タレコミがあったのでまさかと思い再訪しましたが……本当にこんな下衆の所業に手を染めていたのですね。優秀が故の増長でしょうか。冒険者が命を預ける武器を故意に傷めつける……貴方には失望しました」
「待て! 待ってくれっ! 訳が、訳があるんだっ!」
俺は叫んだ。訳など無かったがどうでもいい。でっち上げるんだ。何かそれらしい方便を……!
「あのアンブレイ鋼は……値段が張るんです……こうでもしなければ生計が成り立たなかったんだ……頼むよ、見逃してくれよぉ……」
俺は『遍在』の慈悲に縋った。泣き落としが通じる相手だとは思っていないがやらないよりはマシだと思ったのだ。しわがれた声でオイオイと訴える。対するミラさんの声は冷え切った金属よりも冷たい。
「その割には」
ヒュンと風切り音。鈎付きワイヤーが部屋の隅に置いてあった大袋の紐を断ち切った。大量の変質アンブレイ鋼がゴロゴロと床に散らばる。
「随分と大量の在庫を抱えているようですが?」
「……し、借金をして、仕入れたんです」
自分でも分かるほどにバレバレな嘘だった。問答は続かず、ただ感情を抑え込んで絞り出した溜め息だけが聞こえ、そして冷たい宣告が耳朶を打つ。
「……残念です。本当に、残念極まりない。……修復魔法師ダブルツ。冒険者の命に等しい武具を玩弄することで私腹を肥やす大罪人。女神様の許でその罪、存分に雪ぐと良いでしょう」
▷
「離せッ! 俺はそこらの凡愚とは一線を画す修復魔法の使い手ダブルツだぞッ! クソがっ! クソがーッ!」
「これより、冒険者の命に等しい武具を故意に傷付け偽りの査定を下すことで金銭を詐取した修復魔法師ダブルツの処刑を執り行います」
首枷を嵌められた俺は断頭台に掛けられていた。
「命に等しい武具だぁ!? ざけんなっ!! ゴミみてぇな武具を差し出した輩にその言葉を聞かせてみろッ!! やつらはただの箔付けのための道具くらいにしか思ってねぇぞッ!! だから俺が授業料として金を徴収してやったんだッ!! 俺はクソ野郎の目を覚まさせてやるために正しいことをしたんだッ!! そうだろ、てめぇら!?」
俺は集まった冒険者や街の住人どもに同意を求めた。話題の矛先がぺらぺらの矜持しか持たないクズ冒険者に向けばこのふざけた処遇も撤回されるかもしれない。
「そう思うなら加工を拒否すればよかっただけだろうが!」
「武器を傷付けていい理由になるわけねェだろ!」
「しっかりと取るもん取っておきながら御高説垂れてんじゃねぇー!」
「お前も同じ穴のムジナじゃねぇか!」
クソどもぉ……! テメェらはいつもそうだ! 大衆が好みそうな借り物の言葉で悦に入りやがって……! 一回くらい俺を擁護したらどうなんだッ! ボケがっ!
「いいのか!? 本当にッ! 俺ほどの腕を持つ職人は今後絶対に現れないぞッ! 埋め難い損失だ! お前らギルドは簡単な損得勘定もできねぇ間抜けなのかって、そう聞いてんだよッ!!」
「もう貴方に武具を預ける者はいませんよ。我々は腕も重視しますが、何よりも信を置ける職人を重用する。……貴方は冒険者の、そして何より職人としての誇りを軽んじた。今や貴方の背負う肩書は罪人ただ一つです」
ふざけるな! こんな機会を逸してたまるか! 最高率に近い飯の種をみすみす逃すなんて有り得ねぇ。
探せ……逆転の一手……何か、何かあるはずだ……。ハッ、あそこに居るのは……!
「クロード! クロォォドッ!! ここに居るクソどもに言い聞かせろ! 俺がどれだけ誠実な経営をしていたかっ! 俺がどれほど有用な存在なのかッ! 頭の硬いバカどもに分かるように言い聞かせるんだよォっ!!」
今回の俺は一味違う。なんたって絶対に裏切ることのない味方が居るんだからな。
クローン。意思無き肉の器。俺の命令を忠実に遂行するもう一人の俺。修復魔法師ダブルツのことを間近で見てきたこいつが声高に無実を叫べば処刑の撤回も見えてくる。そうなりゃ俺の勝ちだ……!
クロードがほんの少し視線を上に向ける。記憶を探っているのだろう。この場面で最も効果を及ぼす言葉を。酌量を引き寄せる言葉を。良心を撫で付ける言葉をッ!
クロードがキッと顔を引き締める。さぁ、吐き出せよ。俺を解放するための言葉をッ!
「僕はあの人に脅されたっ! カネが欲しければこのことは黙ってろって脅されたんだっ!」
は?
「冒険者ギルドの連中なんて手玉に取って転がせるって息巻いてたっ!」
クロード。クロード……お前、まさか……。
「ボロい商売だ、笑いが止まらないって金貨を数えながら笑ってたっ!」
処刑されビジネスの記憶を参照しやがったのかッ!
くそがッ! そんなモンを律儀に再現しようとしてんじゃねぇ! 俺の意を汲めよ! 今はそういう場面じゃねぇだろうがッ!! 俺は過去の俺の所業を棚上げして叫んだ。
「クロードぉぉぉッ!! 馬ぁ鹿野郎ぉぉォッ!! どんなポンコツだテメェぇぇッッ!!」
聴衆が湧く。声を揃えて俺の首を落とせと騒ぎ立てる。クソがっ! 千載一遇の好機が台無しじゃねぇかッ!
「最期に何か言い残すことはありますか?」
最期!? 最期だとッ! ふざけんじゃねェ……こんな美味い商売をみすみす手放してたまるかッ!!
「ミラさん、ミラさんよぉっ! 俺が加工した武器の具合はどうだっ!? 悪くねぇだろ……? へへっ……なぁ、心を入れ替えるから見逃してくれよ……ギルドに奉仕してもいい! だからっ! 頼むっ! この通りだっ!」
俺は断頭台の上に額を擦り付けて懇願した。
これだけやった。ここまでやったんだぞ。だというのに、返ってきたのは呆れを含んだ溜め息だった。
「……貴方は珠玉の才を有していました。その事実は疑いようもありません。……ギルドは、近い内に貴方を貴賓として厚遇する予定でした。優れた人格を有してさえいれば……本当に残念です」
「やめろ……やめろっ! 助けてくれッ! 俺の食い扶持が……効率の良い仕事が……クソがっ! クソがーッ!!」
「修復魔法師ダブルツ。一度破綻した信頼は」
ガコンと音がした。聴衆が湧く。
「修復魔法では直せない」
俺は半ばからポッキリと折れた剣のように首を飛ばされて死んだ。
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