会話は糾える縄のごとし

「アーチェぇぇァ!!」


「ぴぃっ!?」


 イカれ錬金術師の工房の扉を蹴破る。ノックはしなかった。俺達の仲だ。ノックなんて要らねぇよなぁ?

 俺はにこやかな笑顔を浮かべて店内に足を踏み入れた。薬棚の前で何かしらの作業をしていたアーチェが粉末の入った革袋を取り落としてこちらを見る。


 引きつった頬。ひくと震える瞼。小刻みに震える瞳。

 おーおーどうしたよ。死人でも見たような顔してるぜ? いや、催眠にかけて三日ほどは正気を取り戻さないはずなのに自我を取り戻して激昂し怒鳴り込んできたやつを見るような目かな?


「え、えええエイトさん!? そんな、どうして……まだ……」


「まだ? まだ何だよ。えぇ?」


 ジリジリと後ずさるアーチェを焦らすように一歩一歩追い詰める。目は反らさない。視線の動きを見て逃げ道を奪いながら部屋の角へと追いやっていく。


「まだ薬の効果が効いてるはずなのに。そう言いたいんだろ?」


「い、いやぁ……なんのことですかね……? えへへ……」


「ははは」


「あ、あはははは……」


 静まり返った店内に乾いた笑い声が二つ響く。俺はすっと笑顔を消した。にへらとだらしない笑みを浮かべていたアーチェだったが、十秒もすればわざとらしい笑い声は消え、表情も出来の悪い彫刻のように固くなっていく。


 俺は敢えて沈黙で返した。そうすることで伝わる意思がある。こいつには思い知らせてやらなければならない。俺のことを舐め腐ったらどうなるのかということを。


 アーチェは俺に強烈な催眠を施した。真面目な冒険者になる。ふざけた話だ。俺の築いてきた最適なポジションが危うく消し飛んじまうところだったぞ。


 おまけに。俺はあわあわと視線を泳がせているアーチェを見下ろした。

 こいつ……それだけじゃ飽き足らず、俺に禁制品をタダで貢がせるつもりだったからな。ここまで図々しいと一周回って清々しい。毒と薬は紙一重。そんな言葉を体現するような女だ。


 故にビジネスパートナーに相応しかった。俺は有能かつ融通を利かせられるやつとの縁を大事にしたいと思っている。アーチェはその中の一人だった。

 よく効く薬のようにいい顔をして表で活動し、タチの悪い毒のような顔をして倫理を踏み外す。俺はそこに利を認めた。凡俗の思考をなぞっていたらいつまで経っても凡俗止まりだ。イカれた思考ってのは世俗の常識を有難がるやつらからは目の敵にされるが、見方を変えれば他者の一歩先を進んでいるということに他ならない。


 未知へと踏み出すのは相応の危険が伴う。厄介な脅威を呼び寄せることもある。だから凡俗は一塊になって保守を叫ぶのだ。馬鹿な真似はよせ、と。


 その流れに逆らえるやつってのはほんの一握りしかいねぇ。だから俺はお前を贔屓してやってたんだぜ?

 だってのに……まさか俺を嵌めるとはな。毒を売るんならまだしも、毒を盛られちゃ看過できねぇ。相応の灸を据えてやらなければな?


「あ、の……エイトさ」


膂力透徹パワークリア】。

 沈黙に耐えかねて口を開いたアーチェの言葉を遮り、薬棚を拳でブン殴る。綺麗な木目調の引き出しが弾け、取っ手の金具が宙を舞った。


「ひ、ぃ……!」


 俺がここまで怒りを露わにするとは思ってなかったのだろう。アーチェはひしゃげた薬棚の一部を見て細く息を呑んだ。見開かれた目を驚愕と恐怖で潤ませるアーチェを見下しながら、ふと思う。



 痛ってぇ……。予想以上に痛かった。血出てんじゃん。ここで外傷治癒ポーションねだったら駄目だよな……。幾つか持ってたんだが、星喰を相手にした時に全部消費したから今に限って在庫がない。

 あんまり勢いに任せてバカなことやるんじゃなかったわ。【痛覚曇化ペインジャム】。すっと顔を整えて言う。


「アーチェ……テメェは俺を裏切った」


「え、エイトさん……」


「俺がせっかく入手困難な禁制品を融通してやってたってのに……テメェは俺の好意に甘え続けたくせして、いざとなったら俺にクスリを盛った。俺の好意を無碍にする……酷く醜い裏切りだ。この落とし前はどうつけるつもりなんだ? あ?」


 俺は内心を悟られないよう努めて低い声を出してアーチェを脅した。イメージするのはルーブスの野郎の話法だ。仕草や声色に暴力の影をちらつかせることで相手を萎縮させるやり口。荒事とは無縁のアーチェには格段に効くはずだ。


「あっ、あの……」


「テメェは超えちゃならん一線を超えた。俺はな……俺を裏切ったやつを絶対に」

「あのッ!」


 俺の口上を大声で遮ったアーチェがグッと拳を握る。そして指をピンと立て、スッと地面を指差した。心配そうな声色で言う。


「その血、大丈夫なんですか……?」


 気付いてはいた。見ないふりをしていただけだ。

 金具でパックリいったのか、木片でざっくり切ったのか。俺の右手からドクドクと流れた血が床にちょっとした血溜まりを作っている。勢いでごまかせるかと思ったけど無理だったみたいだ。そりゃそうよね。血の匂い凄いし。


「エイトさん……」


「…………」


「外傷治癒ポーション、いります……?」


「…………頼む」


 ▷


 人は冷静に話し合えるから人なのだ。俺はそう思う。


 手を治療した後、店の奥にあるアーチェの私室で言葉を交わし合う。議題は勿論今回の騒動についてである。


「いやぁ、まさかあんなに様変わりするとは思わないじゃないですか……私としては、私の食い扶持を荒らさない仲間思いで優しい性格になってくれればいいなぁーって思っただけなんですよ? 本当に」


 お前のせいでギルドに知られたくない情報が漏れた。どう責任取るつもりだ。そう問うと、アーチェは身体を縮こませて答えた。


「そもそも……エイトさん、この前『俺とギルドは裏で繋がってる』って言ってたじゃないですか。だからそこまで影響ないと思ったんですけど……」


 あぁ……確かに言ったな。俺は舌打ちした。即席で作った言い訳が足を引っ張ってやがる。

 サーディン処刑事件とエイト生存の整合性を図るため、俺はアーチェに対しあることもないことも吹き込んだ。その中の一つが『エイトとギルドは癒着している説』である。


 それをまるっと信じ込んだこいつは俺とギルドが実は睨み合いしているなんて露ほども思っていなかったそうな。そりゃそうだろう。俺がそう誘導したしな。外界とあまり交友を持たないこいつなら適当をでっち上げてもごまかせると思っていた。それが裏目に出ている。


 だが俺が悪かったで引き下がる気は毛頭ない。


「その話はもういい。そもそもの話をするならば、だ。お前が俺にクスリを盛らなければ話がここまで拗れることはなかった。違うか?」


 俺は豪快に話を反らした。どれだけ自分の正当性を担保できる状況下で話を進められるかってのが舌戦を制する鍵だ。不都合な点は無視するのが正着。イニシアチブはこちらが握る。

 だが向こうもそんなことは百も承知であるらしい。


「いやいや、そもそもの話をするならエイトさんが私の食い扶持を強引に奪おうとしたんじゃないですかー。私の稼ぎが減ったらエイトさんに薬を提供することも難しくなるんですよ? そのへん理解してました?」


 チッ。面倒なところを突っつきやがってこいつめ。俺はゆったりと手を上下させて冷静に返した。


「そもそもだ。お前は俺が提示した条件に賛同しただろ? 俺が完璧な薬を作れたらレシピを教えるってよぉ。それを強引に奪うなんて表現をするのは頂けねぇな」


「いやいや。今の話の焦点はレシピを教える教えないじゃなくて、そもそも食い扶持を奪い合うことはお互いにメリットがないってところを論ずるべきじゃないですか?」


 駄目だな、話にならねぇ。俺は嘆息した。

 互いが互いにマウントを取れる立場を頑として譲ろうとしないから論点の挿げ替えを目的としたそもそも論が横行する。話の平行線で綱引きをやっている気分だ。話を混ぜっ返すだけのクズと対話を試みるとこうなるという見本市みたいな光景だった。不毛に過ぎる。


 しゃあねぇな。俺が大人になるしかねぇか。俺はガリガリと頭を掻き、やれやれと肩を竦めて言った。


「わーったよ、わーった。ならもうこの間の避妊薬のレシピだけで勘弁してやる。前に使った材料のメモと器材の発注を頼むわ。今回の件はこれで手打ちにしてやる」


「えっ……結局私のレシピ持ってかれちゃうんですか……?」


「いいから従え。じゃなきゃ今後お前には毒を融通しねぇぞ? あんまり頼りたくはないが、お前の代わりならいるんだからな」


 アーチェという人間を切り捨てたところで俺にはまだイカれエルフという札がある。ゆえに致命的な損失にはなり得ない。

 もっとも、やつらは森から出ないせいで得られる材料に限りがある。知識の豊富さと応用力を鑑みた場合、薬の扱いという部分に関してはアーチェに軍配が上がるだろう。だが従わないならそれまでよ。切り捨てることは躊躇わない。


 俺の言葉が本気であると察したのだろう。アーチェは顔のパーツを中心に寄せてぐぅとうめいた。

 話題でマウントを取れないなら立場でマウントを取る。これが最適解ってやつだ。俺とお前は対等な取引をする仲間ではあったが、けして立場が対等だったわけではない。非情な現実ってやつをこの機会に噛みしめるといいさ。


 事実上の取引断絶ということになる。アーチェとしては望まない結果のはずだ。何としてでも縋り付いてくるだろう。

 ふるふると睫毛を震わせたアーチェが眉間に皺を刻んで唸る。錬金術師としてのプライドと打算がせめぎ合っている様が見て取れた。そしてやつは答えを出した。酷く掠れた声で言う。


「ど……どうしても、レシピじゃなきゃだめなんですか……? お金は今まで以上に払うので、それだけは……ねぇ?」


 どうやら錬金術師としてのプライドが勝ったらしい。俺の要求をやんわりと突っぱね、しかし金銭面で譲歩することで場を収めようとする。まぁ妥協点だろう。これが普通の取引ならばの話であるが。


「アーチェ。今の俺が欲しいのは……食い扶持なんだ。手に職ってやつだよ。なら、分かるだろ?」


 クロードがどれだけ自活できるかを探るには俺がカネを与えていては駄目だ。自発的に稼がせなければならん。今はその手段が欲しいのだ。


「うぅ……っ! で、でしたらっ!」


 ハッとした表情を浮かべたアーチェが椅子を鳴らして立ち上がり、部屋の隅にあった大袋の紐をほどいて中身を取り出した。伺うような視線を寄越しながらすっと差し出してくる。それは独特な光沢を放つ金属だった。


「薬を作る時に素材として使った後のアンブレイ鋼です。溶け出した成分と結合したせいで融点が恐ろしく高くなっちゃって鍛冶師でも扱えないんですよ。すっごい硬いから研磨するのも大変なんですけど、とても丈夫なので何かに使えないかなぁって思って取っておいたんです。その、エイトさんのコネがあるならこれで一儲けできるんじゃないかなーって、思うんですけど……ダメですか?」


 ほう。アンブレイ鋼と言えばそれなりに有名な鉱石だ。硬く、靭やかで、錆びにくい。加工の難度が高いらしいが、同時に人気も高いのでアンブレイ鋼製の武器や防具は値段が張る。商材としては……アリだな。


「私の見立てではっ! この錬金後のアンブレイ鋼は加工法を見つけるだけで途端に化けると思うんですよねっ! 大儲けできるチャンスかもですよ?」


 俺の顔色を見たアーチェがここぞとばかりに畳み掛けてくる。ふむ。現金な態度に腹は立つが……これは案外掘り出しモンかもしれんな?

六感透徹センスクリア】。額にチリっとした感覚が走る。これは吉兆だ。イケる。イケるぞ。俺はにこやかに笑って応えた。


「よし、いいだろう。錬金術のレシピは諦めてやる。ただし」


 俺はたっぷりと中身を詰め込んで膨れ上がった大袋を指差して言った。


「そこにある鉱石は全て貰う。そして今後もこの錬金済み鉱石を定期的に提供しろ。それで今回は手打ちとしようや」


 アーチェがブンブンと首を縦に振る。

 きっと錬金の過程で溜まった使い道のないゴミを処分できたと思ってるんだろうが……くくっ、無知ってのは怖いねぇ。俺のセンスが言ってるぜ。これは錬金術以上の飯の種になってくれるってな。


 大量の鉱石を頂いた俺はしめやかに路地裏へと入り込み【偽面フェイクライフ】を発動した。

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