広がる節穴

 得た記憶の全てが否定している。

 目の前の人物は鉄級のエイト――そして勇者ガルドではない、と。


 だが同時に記憶が囁いている。

 どうせまたなんかやらかした結果なんだろうな、と。


「待たせて悪かったよ、クロード。ギルドでの話が少し長引いてしまったんだ。退屈だったろ? 適当な書物でも渡しておくべきだったかな……」


 クロードはエイトの言いつけを守り、指定された定宿のロビーにある椅子に座って三、四時間ほど待機していた。

 エイトが考えた段取りによると、自分はこの宿で女将と接触して宿泊を申し出ることになる。その後はここを拠点に据えて様々な活動をしていく予定だった。


 その活動とやらの子細は知らされていないが、別れ際の言葉から察するにエイトは錬金術の知識を仕入れに行ったはずである。恐らく、倫理観が大胆に破綻したあの錬金術師の女性のもとへと向かったのだろう。


 では何故ギルドで話などしていたのだろうか。そもそも何があったらここまで愉快な心変わりを果たすのだろうか。

 クロードは諸々の疑問を表に出すことなく答えた。


「退屈ではありませんでした。補助魔法を鍛えていたので」


 彼は自分が補助魔法を使いこなすことを望んでいる。ならば研鑽を絶やしてはならない。少なくとも記憶の中のガルドのような戦いができるまで技を磨かなければ。


 クロードはガルドの企みの全容を寸分違わず把握していた。

 自分がどういう目的で使われているのか。

 自分がどういう存在へと成ればいいのか。

 記憶を共有したその瞬間から、全て。


「おお、そうか。真面目だな……少し休んだほうがいいぞ。ずっと座ってるのも疲れるだろ? 気分転換に街をぶらついてきたらどうだ」


 ――数時間前とまるで逆の指示を出してる……。


 クロードは思考を巡らせた。どちらがより優先される指示なのか。

 今後の展望を見越した上で細部まで練られた以前の指示。明らかに頭がパァになっている状態で下された最新の指示。


 彼は自分が従順であることを望んでいる。ならば最新の指示に従うべきだろうか。しかし明らかに普通じゃない状態の彼に従っていいものなのか。


 ――こんな難題を押し付けないで欲しい。


「あぁ、そんな深く考えなくていい」


 むっつりとして黙り込むクロードを見たエイトが朗らかに告げる。


「別に強制してるわけじゃないからさ。疲れたならちょっと気分転換してもいいんじゃないかって、それだけだよ。命令じゃないから自由にしてくれていい」


 自由。ありえない。彼はそれを望んでいないはずだ。


 クロードは躊躇いがちに口を開こうとして。


「っと、こうしてる場合じゃなかったな……悪いクロード。俺は今から任務に出かけるんだ。自室で荷を拵えたらすぐに発つ。メンバーを待たせる訳にはいかないからな。じゃあ、そういうことだから!」


 エイトは言いたいことを一方的に告げると自室に駆け込み、そして二分もしない内に装備を整えて勢いよく宿を飛び出していった。残されたのはクロードただ一人である。


 やはり違う。あれは……エイトでもガルドでもない。彼が自分に自由を許可するなど。彼はただエルフが生み出したクローン……肉の器の性能テストをしているに過ぎないのだから。


 クロードは己の手のひらをじっと見つめた。掌中に奔る線、血潮の巡る管、五指の長さ、その全てが記憶の中のガルドと一致する。

 しかし記憶の中のガルドと比べて出来ることがあまりにも少ない。経験の差だと彼は言っていた。それを埋めなければならない。それが己の存在理由であるならば。


 クロードは補助魔法を行使した。身体能力の向上と五感の強化くらいは彼並みに扱えるようにならなければ。


「…………」


 補助魔法を行使し続ければ相応のエネルギーを消費する。

 ぐぅ、と。まるで抗議をするかのように腹の虫が空腹を訴えた。


 買った串焼きの殆どをあの時の孤児に与えてしまったのでろくな食事を摂れていない。喉も乾いた。宿の女将が戻ってくるまではあと数時間ほどかかるだろう。


 ――生命維持は自由裁量の範囲内だろうか。


 クロードは腰に下げていた革袋の中身を確認し、予算内で最もコストパフォーマンスに優れた店は何処かを頭の中で思い浮かべ、ゆっくりと椅子から立ち上がり、そして外へと向かう扉を開いた。


 ▷


「よろしくお願いします、先輩!」


 誰だこいつ。

 銀級のメイが抱いた第一印象であった。


「えっ、キモ……」


 銀級のメイが抱いた第二印象であった。


「ちょ、メイさん……さすがに失礼じゃ」


 挨拶への返礼を罵倒で返すことはないだろう。ルークにそう窘められたが、メイの意見は変わらなかった。


「いやでも見てよこの笑顔……しかも先輩って……えっ、キモっ。なに? アンタまさかトボケ茸でも拾い食いしたの?」


「えっ……」


 銀級のメイが任務を授かったのはちょうど一時間ほど前のことだった。


『砂漠地帯への威力偵察。同行者四。ギルドマスター指名。可否の返答求む』


 ギルドに常駐している【伝心ホットライン】使いの職員からの連絡に対し、メイは迷うことなく可を返した。連日の稼働で少々の疲労が蓄積していたが、ギルドマスター直々の依頼とあっては断れない。

 何か逼迫した事情があるのだろう。死地になることも覚悟しなければならない。そう気合を入れて待ち合わせ場所の門へと向かったところ、出迎えたのがである。


 これは一体何の冗談なの?

 そうルークに問い掛けると。


「え、何がですか? 彼はいつものエイトさんですよ?」


「目が節穴でできてたりする?」


 ルークはたまに話にならないことがある。

 メイはルークを無視してニュイへと視線を移した。どこか抜けたところがあるルークを影で支えているのはこの少女だ。意外な強かさを備えているニュイはうーんと小さく唸ってから答えた。


「私の予想はパッパラ草ですね。一株じゃなくて束でいったんじゃないですか?」


「あー、その線もあるわね……」


「いや二人とも……さすがに失礼でしょう」


 無知な素人が野草を拾い食いした結果、毒性にやられて頭をパァにしてしまう事件は後を絶たない。転じて、冒険者界隈では『拾い食いでもしたのか』という言葉は『気でも触れたのか?』と同義の言葉として扱われる。


 浮薄な態度に飄々とした言葉遣い、そして謎の底知れなさ。メイは鉄級のエイトをそう評価していた。少なくとも凡愚ではない。ギルドマスターが警戒の必要ありと判ずるのも腑に落ちる。


 だが、今のエイトは……。


「ルーク……俺、なんで行く先々で皆から馬鹿にされてるんだ……?」


「エイトさん、まだ皆エイトさんのことを誤解してるんですよ!」


 石級に慰められるこの姿ときたらどうだ。

 皮肉と詭弁を弄するためだけにあるような口が、溌剌とした挨拶と弱音を吐いている? あり得ない。

 やはり毒か、もしくは怪しいクスリでも飲んだのだろう。つい最近石級の冒険者六人組が出所不明のクスリで頭をパァにされたばっかりだ。


 彼らは既に正気を取り戻して活動を再開している。後遺症もないらしい。もしもエイトが似たようなクスリを服用していたならば、二日か三日もすれば元通りになるだろう。問題は原因がクスリであるとは限らないことなのだが。


「解毒魔法は試した?」


「はい。ですがお酒の類ではないみたいで……」


「そう……じゃあもう手の施しようがないわね」


 解毒魔法は肉体そのものに影響を及ぼす毒には効果を発揮するが、精神に異常をきたす類の毒には効力を発揮しない。時間が解決してくれるのを待つか、もしくは高位の錬金術師が調合したクスリを飲ませるしかない。


 ――蓄えをいくらか切り崩せば買えるかしら?


 鉄級のエイトは命の恩人だ。

 森での事件の折、メイは街の平和と安寧のために命を焚べる覚悟を決め、しかし未だに生き永らえている。飄々とした一人の男に運命を捻じ曲げられて。


 借りは返す。恩には報いるのがメイの信条だ。

 黙っていてくれと言われたエイトの魔法技術の一端はギルドマスターにも報告していない。討伐ノルマに手を焼いているなら協力くらいは申し出よう。もちろんギルドの忠誠に反しない範囲での話だが。


 この任務が終わったらギルドの伝手を頼って解毒薬を融通してもらおうか。そう思案するメイの肩に衝撃が走る。不意に乗せられた手に力が込められた。耳元で一言。


「余計なことは考えるなよ? ヤツは暫く泳がせる」


 聞き覚えのある声だった。銀級、ノーマン。【六感透徹センスクリア】という希少な魔法を扱うルーブスの腹心。今回の調査に同行するもう一人のメンバーであった。


 厚い忠誠と確かな実績、そして稀有な才能を有していることもあり、次期ギルドマスターの座を嘱望される上澄みの一人。


 メイはこの男の見透かすような目が苦手だった。

 エイトが見せた魔法の才を報告せず、秘して語っていないということは十中八九悟られている。それでも見逃されているのはギルドへの背信を抱いていないからだ。

 裏の裏まで見透かされている。それがエンデの街の平穏のためであると理解しているので嫌悪感はないが、しかし苦手なものは苦手であった。


「…………」


 メイは小さく頷いた。

 恐らく、ギルドマスター及びノーマンは不慮の事故(?)によってパァになったエイトから何かしらの情報を得るつもりなのだろう。不穏分子であるのかを見定めようとしているのかもしれない。


 だが……。


「おお! もう一人の銀級はノーマン先輩でしたか! 心強い限りだ……。よろしくお願いします!」


「………………………………あぁ、よろしく頼む」


 満面の笑みを浮かべるエイトと、苦虫を百匹くらい口の中に放り込んだような表情をしているノーマンを見てふと思う。


 ――あいつに後ろ暗い背後関係なんて無いと思うんだけどね。


 思い返すのは嵐鬼との遭遇時の出来事だ。

 恐るべき強敵を前にして、彼は慌てることも臆することもなく最善を果たした。自分と石級二人に逃走用の補助を掛け、一人果敢に絶望的な戦いに身を投じる。彼のことを馬鹿にしている内の何人が同じ判断を下せるだろうか。


 たった一つの命を仲間のために費やせる人物に悪人はいない。それがメイの見解であった。


 彼は言葉も態度も悪い。

 だけど、死んでも生き返るという理由だけで腹と首を掻き斬る勇者なんて存在よりもよほど信頼が置ける。


 なぜあんな愉快な態度になっているのかは知らないけど。なぜ周囲の人間に力を隠しているのかは知らないけど。まぁ、最低限のフォローはしてあげようか。


 意気揚々と門を出ていくエイトとルーク、その後に続く怪訝な表情のニュイとノーマンを見て、メイは静かにそう決意した。

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