きれいなエイト
内心を表情に出すと相手は付け上がる。冷静沈着を心掛けたまえ。多少無愛想に映るくらいが良い塩梅さ。
ギルドマスターからそう薫陶を受け、いっそ従順過ぎるほどに冷徹さを押し出して職務を全うしてきたシスリーであったが、不意にもたらされた衝撃が彼女の平静をいとも容易く剥ぎ取った。
ガタリと音を立てて椅子から立ち上がり、赤子のようにぽかんと大口を開け、ぱちぱちと目を
この世ならざる物を見た者が出すような声色でシスリーが問う。
「いま……何と仰ったんですか……?」
聞こえていた。一言一句聞き漏らさなかった。故に信じられなかったのだ。目の前に立っている男の発言が。
濃い茶髪に茶色の瞳。薄い無精髭を生やし、どこか軽薄そうに見える顔が、しかし柔和な笑みを浮かべて答える。普段とはまるで違う穏やかな声。
「討伐任務に向かおうと思いまして。多少危険な内容でも構いません。何か手頃な依頼はありますか?」
聞き間違いではない。その事実が冒険者ギルドの受付嬢シスリーを尚の事混乱させた。
鉄級のエイト。およそ二年半程前に冒険者ギルドの門を叩いた男。その第一評価は――恐ろしいほどの才能を持つ原石。
シスリーはその日を忘れたことはない。
若くして銀級の一線で活躍していたミラ。当代最強の名を
冒険者エイトがエンデの要となるであろうことは想像に難くなかった。
大方の予想通り、彼は順調に石級の任務をこなしていく。無尽蔵と錯覚するような体力を発揮して連日力仕事をこなし、力自慢が音を上げる下水掃除を文句一つ言わずに片付け、精神修養を兼ねた鬼教官との模擬戦を粛々と済ませ――エイトは最速に近い早さで鉄級の身分証を獲得した。
そして、見るも無残に錆び付いた。
エイトが鉄級になった翌日。
さてどんな依頼を紹介しようかと身構えていたシスリーの前についぞエイトが現れることはなかった。
なるほど、彼も人間だ。英雄にも休息が必要な時はあるだろう。明日か明後日、もしくは一週間後か。その時に改めて依頼を紹介するとしよう。
そしてエイトは現れた。約一ヶ月後――身分証が失効する前日だった。
……何か用事があったに違いない。
シスリーはそう己を納得させ、努めて平静を保ちつつ討伐任務を紹介しようとした。
しかし返ってきたのは覇気のない溜め息にボリボリとダルそうに頭をかく音、そして素っ気ない一言だった。
――いや、薬草納品で。
鉄級以上の身分証を所有しているとエンデにある様々な店で割引が利く。中には鉄級以上の冒険者でないと利用できない店もある。良質なインセンティブを与えることでこの街を支えてくれる冒険者を確保するのはエンデの基幹政策の一つであった。
冒険者エイトはその上澄みを啜る目的で鉄級へと昇格したのだ。けして認めたくない事実であったが、冒険者としての活動を最低限に減らし、街での喧嘩に明け暮れ、割引の利く店に入り浸るエイトの姿が散見されたことで状況証拠が揃ってしまった。
彼は冒険者として活躍するつもりなど微塵もなかったのだ、と。
「えーと……どうされました?」
「っ!」
そう声をかけられて初めてシスリーは自分が勢いのままに立ち上がっていたことを自覚した。
んん、とわざとらしく咳払いしてから椅子に座り直し、無表情を装備し直してから目の前の男の顔を見上げる。
――本物だ。間違いない。
シスリーはその眩しさにすぅと目を細めた。同時に平静を取り戻す。
――どうせタチの悪い冗談でしょ。なんなら少しふっかけてやろう。そうすればすぐに馬脚を現すはず。
「そうですね……」
勿体ぶった溜めを作ったシスリーが意地の悪い提案をする。
「現在、各所の魔物が妙に活性化しています。特に溶岩地帯と砂漠地帯が荒れていて……予断を許さない状態です。ですので、エイトさんは砂漠の異変調査の元を探って貰えないでしょうか。斥候及び調査、接敵時には戦闘をこなしてもらうことになります。……危険を伴う任務ですが、いかがですか?」
間違っても鉄級に課すような任務ではない。目をひん剥いて反論してくるはずだ。
シスリーは澄まし顔を保ちながら来たる罵倒に備え――
「分かりました!」
「!?」
大きく目をひん剥いた。
「き、危険な任務ですよ……?」
「そんなの望むところですよ!」
「!?」
「それに、そろそろ銅級に昇格しなくちゃカッコ付きませんからね! この程度はこなしてみせますよ!」
「!?」
鉄級のエイトは、普段浮かべている眉をひん曲げた挑発的なそれとは似ても似つかない笑みを浮かべた。死線を潜った経験のない石級が浮かべるような屈託のない笑顔。
あり得ないと、そう直感したシスリーは鉄級のエイトに尋ねた。
「エイト、さん……いったい何を拾い食いしたんですか……?」
「えっ……?」
得も言われぬ空気が広がり、ギルド内に一瞬の静寂が訪れる。
沈黙を破ったのは乾いた衝突音だった。
ギルドの奥へと通じる扉が蹴破ったような勢いで開かれる。息せき切って現れたのは冒険者ギルドを総轄するギルドマスター、ルーブスであった。
突然の騒音にギルド内の注目が集まる。しかしルーブスは周りの視線など知ったことかと脇目も振らずにエイトのもとへと歩みを進めた。カツカツと靴音が鳴るほどの早歩きは、現役時代に『人狼』と呼ばれ恐れられた男のものとは思えないほどに荒れていた。
接触寸前。口火を切ったのはエイトだった。
「おお、これはこれはギルドマスター殿! 日々のお勤めお疲れ様です!」
エイトは溌剌とした声でルーブスを敬う言葉を述べた。そして披露されるは折り目正しい最敬礼。腰を直角に曲げた美しいそれは所作の端々に誤魔化しではない"敬意"が込められたものであった。
ルーブスの目が驚愕に見開かれる。凶悪な魔物と相対した時も、死が目前に迫った時ですらも歪むことのなかった獰猛な眉目はみっともなく崩れていた。
ルーブスがぐわと首を巡らせてシスリーを睨む。シスリーはふるふると小刻みに首を横に振った。ルーブスはガッとエイトの両肩に手を添え、腰を折っているエイトの上体をぐぐっと力任せに戻して問うた。
「どうした……鉄級のエイト……何を拾い食いした? 毒キノコか?」
「えっ……?」
「まさか、また
ルーブスはエイトの肩を掴んでいる手にギリギリと力を込め、威圧的な声色と視線でエイトに待機を促した。
魔物が謎の活性化を見せたことで負傷者が増えている。装備を新調するまで戦線に復帰できない者も多い。治安維持担当を戦場へと回したことで空いた警備の穴を埋める作業や、危険地帯に派遣する戦力の振り分け、調査担当の編成など早急に片付けなければならない問題が山積しているのだ。今のルーブスにはエイトの奇行にかかずらっている余裕は無い。
「ギルドマスター……!」
半ば恫喝のような待機命令を受け、エイトはキッと眦を決した。使命を帯びた戦士の如き瞳がルーブスを射抜く。己を鼓舞するようにどんと胸を叩いたエイトが高らかに告げた。
「でしたらこの命をお使い下さい! 不肖、鉄級のエイト! エンデの街の礎になる覚悟はとうに決まっておりますゆえ!」
奇策を弄する魔物がいた。熟達した技で翻弄してくる魔物がいた。厄介な呪装を運良く手にした悪辣な魔物がいた。
その全てを精確に見切って降してきた練達であるルーブスは、目の前の男の奇行の一切を測りかねていた。
ギルド内に再び訪れた得も言われぬ静寂。それを破ったのは、未だ若干の幼さを感じさせる男の声だった。
「エイトさん! ならっ、僕も同行させて下さい!」
石級のルーク。勤勉で真っ直ぐな心根を宿し、破格の性能を有する呪装と偶然にも巡り合った有望株の一人である。
随行を叫ぶ声を聞いたエイトは「おお」と感嘆の息を漏らし、ばっと両手を広げて歓呼の声を上げた。
「来てくれるか、ルーク! 頼もしいな……! 砂漠は初めてだろう? 実地で色々と教えてやる。付いて来い!」
「……! はいっ!」
「ちょ、ちょっと……ルーク、ねぇ、あれ……誰?」
先程から繰り広げられている仰々しいやり取りを唖然とした表情で眺めていたニュイが小声でルークに尋ねた。対するルークの顔には微塵の動揺もない。清々しい笑顔を浮かべて言う。
「誰って、エイトさんに決まってるじゃないか!」
「…………えぇ、誰ぇ?」
エイトはきりと表情を引き締めて椅子に腰を下ろし、晴れやかな笑顔を浮かべたルークおよび怪訝そうな表情を貼り付けたニュイと共に作戦会議を開き始めた。どうやら、彼らは既に砂漠へと斥候に出かけるつもりでいるらしい。大人しくしていろの一言で止まる段階にないことは明白であった。
「シスリー……単刀直入に聞く。アレは……なんだ?」
受付に力なく肘を置いたルーブスが周囲に聞こえない程度の小声で尋ねる。
今のエイトの振る舞いは普段の態度からかけ離れてすぎていた。故にルーブスは問いかけたのだ。アレは本物なのか、と。
シスリーは人の才能の多寡を光として認識することができる。目の前の人物の光と体格を照らし合わせれば、それが本物か否かの判別がつく。
故に彼女は冒険者ギルドの受付嬢として登用された。厄介な補助魔法を用いた潜入工作や力持つ不穏分子の混入をいち早く看破するために。シスリーの働きで未然に防げた事件は幾つもある。その目を今更疑う余地はない。
しかし現在、その目の精度を最も疑っているのはシスリー本人であった。
距離が離れていてなお届く才能の光。間違いない。あれは鉄級のエイトだ。
有り余る才能を活かして鉄級に上り詰め、しかしそこでぴたりと歩みを止め、私欲のためにコソコソと隠れて狼藉を働き、冒険者としての権利のみを享受している不義理な男。
「……間違いありません、本物です」
「……そうか。いよいよ動き出したと見るべきか? ……暴くぞ」
ルーブスは鉄級のエイトを常に危険視してきた。金級以上の才能を持った不穏分子というだけで疑心を抱き続けるには十分である。
すぅ、と。魔物を前にした練達のように表情を整えたルーブスが威圧するように低い声を出した。
「待ち給え、鉄級のエイト。威力偵察へ向かうのに君たちだけでは荷が勝ちすぎる。……銀級を二名つけよう。それでいいな?」
お前は監視させてもらうぞ。
どんな鈍い人間でも察せられる意図。その発言を受けたエイトは――
「おぉ……これは頼もしい! 有難うございますギルドマスター殿! 若輩なる我が身を気遣って頂き感激の至り……! 名将の采配に応えるは兵の務め。必ずや期待に沿う結果を持ち帰ると誓いましょう!」
いっそ馬鹿にしているのではないかと勘繰ってしまうほどの台詞で応えた。
言葉の意味を理解していないのか。それとも理解した上で挑発しているのか。
鉄級のエイトの奇行に思考を焼かれたルーブスは鼻から短く息を漏らし、よろよろと力なく受付台に平手をついてシスリーに告げた。
「…………ノーマンとメイをつける。連絡を。それから……いつもの錬金術師に胃薬を手配してくれ。強いやつを頼む」
「……身体、壊しますよ?」
「このままだと精神が先に壊れてしまう」
吐き捨てるように呟いたルーブスは力無く身を翻し、重そうに足を引きずってギルドの奥へと消えていった。
――相変わらず気苦労の絶えない人ですね……。
多忙を極めるギルドマスターを気遣うように瞑目したシスリーは、しかしどこか晴れやかな気分で瞳を開いた。
その目には背に後輩を引き連れてギルドを後にする鉄級のエイトの姿が映っている。ピンと背筋を伸ばし力強い足取りで歩く姿からは、この間ギルド内で唐突に体調を崩して後輩の肩を借りていた不甲斐なさは微塵も感じられなかった。
もしかしたら。あの時の体調不良で"何か"が変わったのではないか?
いや、寧ろ……今までがおかしかったのかもしれない。今の彼の有り様が本来の姿だとしたら。溢れる才能を前向きに活かす決意を固めた彼がいてくれたなら。此度の騒動も難なく乗り越えられるかもしれない。
そうだ。今までだって、彼は全くの無法者というわけではなかった。
パーティメンバーを逃がすために命を張った件は記憶に新しい。一部の後輩からは慕われているし、孤児やスライに食べ物を恵んでいたという目撃情報もある。鉄級のエイトは、変わろうとしているのかもしれない。
――新たな英雄が誕生する日はそう遠くないのかもしれませんね。
夢想に耽るシスリーの口元は、本人が気付かないほどささやかに笑みの形を作っていた。
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