ペンは妨害工作よりも強し

 名もなき市民の一人に成りすまし、量と価格を売りにしている酒場で腹を満たしていると、横合いのテーブルで飲んだくれてる冒険者連中が周りを憚らない大声で騒ぎ始めた。


「おい、今日の石ゴル見たか? 初めての魔物討伐……手に汗握ったよなぁー!」

「な! 普段はちっとばかし余裕ふかしてるゴールドが臨戦態勢に入ったときの、こう、覚悟ってぇの? 石級時代を思い出したわー」

「懐かしいねぇ……あたしもなんで街の雑用とか力仕事なんてしなきゃならないんだいって腐ってた時もあったけど、戦場に出て初めてその意味を理解したよね。下積みがなきゃ死んでたな、って」


 塩味のきいた炒り豆をガリガリと噛み砕き、潤いを求める喉に安酒を流し込む。口内を満たす酒精を追い出すように長く息を吐き出してから話の続きを聞く。酔った勢いが存分に乗った大声は耳をそばだてるという手間を省いてくれた。


「力仕事なー! 建材運搬とかクソほどキツかったけどあれで足腰鍛えられたんだよなー」

「作物の収穫の手伝いとかな。石ゴルはそこら辺をしっかり描いてて……すげぇ良い」

「動かない植物にすら刃筋を立てられんヤツが魔物なんぞを斬れるもんか! って農家のジジイに説教食らった時はこなくそって思ったけどねぇ……全くの事実だったんだよねぇ……。そういう描写がしっかりしてるから大したもんだよ、この漫画ってやつは!」


 店員を呼びつけて干し肉と酒のお代わりを注文する。上唇についた安酒の残滓を舐め取り、手慰みに炒り豆を握りながら酒場を見渡す。

 市民や商人、冒険者など幅広い客層が集まり、老若男女問わずごった返している店内。それらは全くの無秩序に見えて、しかしある一つの共通点を有していた。


「ほら、ここ! この店って大通りから少し逸れたところにある職人街の一角でしょ? 何気ないところで私達の街がモデルになってるんだよねー」

「……抽象的な戯画の側面を持ちつつも細部の書き込みにこだわっているな。小規模の絵を連続させるという手法……よく考えたものだ。寝物語用の絵本と違って動きが生まれる。これは是が非でも真似したいが……転写魔法の使い手の確保がネックになるか」

「このさー、次回予告っつーのがニクいよねー。ついつい気になって買っちゃうよ」

「な。毎日の楽しみになりつつあるわ。早く明日になんねーかな!」


 漫画ブームである。

 店の中にいるどの客もテーブルの中央に紙の束を置いてガキどもが発行した新商品について語り合っていた。


 石級冒険者ゴールドの冒険譚……略して石ゴルなんて呼ばれ始めたそれは、地道な努力と地味でキツい仕事の経験が戦場で実を結ぶという冒険者稼業の実状に焦点を当てている。寝物語に聞かされる勇者の活劇や王都で開かれる詩劇のような華々しさはないものの、現実味と泥臭さの漂う雰囲気が妙な人気を博しているらしい。


 俺はテーブルに両肘をついて指を絡ませ、両の親指で額を揉みほぐしながらため息を吐いた。ふと思う。


 どうしてこうなった……?

 純粋な善意からガキどもに挫折を経験させてやろうと思い立った俺は、凡人顔に化けた後に各所で漫画のことを扱き下ろす妨害工作に熱を上げた。

 冒険者連中が集まる酒場では『夢見がちなガキの妄想以下だな』と冷水を浴びせ、商人の集まる通りでは『児童の落書きだな、まるで洗練されていない』と商品価値に難癖をつけ、市民の集まる井戸端では『毎日買うほどのものでもないよなー』とさり気なく購買意欲を削ぐ発言を繰り返す。


 印象操作は完璧だったはずだ。手抜かりはない。

 自慢じゃないが、俺は裏工作には自信がある。さり気なく集団の輪に紛れ込んで民意を誘導することにかけては他の追随を許さないと言っても過言ではない。【偽面フェイクライフ】はそういう使い方ができる。


 加えて、俺と同意見のやつにちょいと【魅了アトラクト】を掛けてやれば流れはこっちのもんだ。数の多さと声のでかさで派閥を作れる。

 物事に評価を下す際に他人の顔を伺うやつってのは案外多い。皆が言うならそうなんだろう、ってな具合だ。そいつらを味方につければ漫画事業はあえなく失敗の末路を辿る。そうしてガキどもは俺の偉大さを再認識する……って筋書きだったんだが。


「ここの剣の構えがさー、なかなか様になってんだよなー」

「握りとか股の開き具合もこだわってんね」

「革鎧の細部とかもな。これ実際に見て描いてんのかね?」


 誰も彼も新しい娯楽に傾倒してやがる。チッ……俺の真摯な試みが上手く運ばなかったってのかよ。

 酒場で一番声のデカい連中をぼんやりと眺めていると、一人の男がアホみたいにニヤけたツラを引っ提げて会話に乱入した。


「ふっふっふ……お前ら、石ゴルが妙に現実味を帯びている理由を知りたいか?」

「あぁ? 秘密なんてあんのか?」

「勿体ぶってねぇでさっさと吐けや」

「くくっ……実はな……あの漫画のモデルになってるのは俺なんだよ!」


 酒場がにわかに騒々しさを増す。興味深い話題に耳を傾けていた連中が椅子を鳴らして立ち上がり冒険者連中のテーブルへと殺到した。


「おい、おいっ! 今の話マジかよっ!」

「ちょっと、その件もっと詳しく教えなさいよ」

「まぁ待て! 待てって! 今のはちと語弊があったかもしれねぇな。俺もモデルの一人、って言いたかったんだよ」


 乱入した男が両手を押し出す身振りをして寄ってきた客を下がらせ、懐から銀級の身分証を取り出した。なかなかのやり手であることを認めた周囲の連中がおぉと感嘆の息を漏らす。

 その反応を見て鷹揚に頷いた男が得意げな声色で続けた。


「新聞社のチビたちから取材を受けてな、漫画の参考にしたいってんでちょっとした経験談を教えてやったのよ。あとは構えとか狩りに持っていく荷物の詳細とか、ギルドの制度なんかをちょろっとな。他のやつらにも聞いてたみたいだぜ? だから細かいところで現実味があるんだよ。この構えなんかは俺が披露してやったやつだぜ?」

「そういうことかよ! うーわ、すげぇ手間かかってんな!」

「いいねぇ……あたしもモデルにしてくんないかねぇ。ゴールドの意中の相手役とかさっ」

「あ? 敵に出てくる鬼役の間違いだろ?」

「んだとォー?」

「がっはっはっは!」


 ったく、揃いも揃って漫画漫画ときた。腑抜けにさせられやがって全く。

 俺は自席に届いた酒のお代わりを一息に嚥下した。ジョッキをテーブルにガンと叩きつけて注目を促す。今すぐその目を覚まさせてやるぜ。俺はバッと両手を広げて高らかに水を差した。


「そこの銀級のおめぇさんよぉ、随分と誇らしげに自慢しくさってるが……ほんとにそれでいいのか?」


 一定の実力を有する冒険者連中は高みから物を言われることを嫌う。自らの力で今日まで生き抜いてきたという自負心が己を低く見積もられることを許さないんだろう。だから俺はあえて挑発的に問い掛けた。


「……おい、何が言いてぇんだよ」


 この反応を引きずり出すために。

 唇を湿らせ、酒精とともに気炎を吐く。突っつくアラは決めてある。


「おめぇさんはよぉー、その銀級って地位を安く買い叩かれたんだぜ? モデルになった、なんて誇れるもんじゃねぇだろ。そりゃつまり、銀級の技術がぽっと出の石級でも真似できるようなもんだって言われちまったようなもんだぞ?」


 反論の隙は与えない。銀級の男が口を開く前に続ける。


「もちろん、向こうさんにゃそんな気は微塵もないかもしれねぇ。ただ事実としてそうなっちまってるのさ。おめぇさんがこれまでに培ってきた知識も、技術も、或いは心構えすらも石級同然だと、そう言われちまったに等しい。おめぇさんは喜ぶんじゃなく、むしろ怒りを露わにするべきだった。ナメるな、とね」


 ここで俺は挑発するような表情をサッと霧散させ、へらと媚びるような笑みを浮かべた。下げ過ぎると怒りの矛先が俺に向きかねない。立場を明確にするためフォローを入れる。


「俺はおめぇさんの実力ってもんを正しく把握してるぜ。見りゃ分かる。銀級ってのはそこらの野郎が至れる身分じゃねぇ。許せねぇんだよ。この街を守ってくれてる冒険者が、ガキのお遊びついでに貶められてるって事実がっ!」


 俺は嘘偽りの義憤を胸に宿して高らかに主張した。場の流れを掌握したところで不買を促す。


「目を覚まそうぜ。その漫画とやらは……冒険者の覚悟と貢献を蔑ろにした異端の書だ。そんなモンに金を出すなんてどうかしてる。なぁ、そう思わねぇか?」


 俺は酒場に集まった面々をぐるりと見回して問い掛けた。

 そうだ、という声が上がれば儲けもんだ。俺に賛同したやつ全員に【魅了アトラクト】をかけ、勢いのままに他のやつらも漫画反対派に塗り替えてやる。この酒場こそ、漫画ブームに終止符を打つ決起会場となるのだ。


 一瞬の静寂。真っ先に声を上げたのは銀級の男だった。


「いや、つってもなぁ、これただの創作物だし……」


 おい。おい……。お前なぁ、それを言っちまったらおしまいだろうが。


「別にさ、面白ければよくね?」

「てかあの子たちそこまで考えてないと思う」

「一読に値する商品を生み出した功績を認めるべきではないのかね?」

「新聞よりも安いしなぁ」


 反対の声はついぞ上がらなかった。むしろ俺を批判する輩が現れる始末だ。

 こいつら……既に手遅れなほどにガキどもの漫画にハマってやがる……。


「お前が嫌なら読まなければいいだけの話だろ」

「誰かが不幸になってるわけでもないしねー」

「ボウズ、もしかして悪酔いしてんのか?」

「ほら、あれじゃない? 俺は皆とは違うんだってやつ」


 ぐ……ぐっ……! 言いたい放題言いやがってクソどもめ……!

 俺は即座に反論しようと試みた。しかし二の句が出てこない。当然だった。俺は嘘偽りの義憤の熱量を最大に保ち続けられるほど器用じゃない。


 長時間放置した安酒よりもぬるい視線が注がれる。クソがっ! クソがーっ! 俺は料理の代金をテーブルに叩きつけてから店を後にした。


 ▷


 等間隔に配置された魔石灯と仄かな月明かりが街をぼんやりと照らしている。


 酒場は何処もかしこも漫画の話ばかりだった。静かに飲み直せる場所を探していたら酒場通りを外れちまったらしい。いつの間にかぽつぽつと人影がある程度の通りに差し掛かっていた。


 チッ……いい気分じゃねぇな。今日は定宿に戻って飲んでから寝るかね。

 言い得ぬ敗北感を頭の中から追い出して歩を進める。程なくして若い冒険者の集団とすれ違った。【聴覚透徹ヒアクリア】を使わずとも偶然会話が耳に届く。


「痛っつー……さすがに、魔物討伐は早かったか……」

「今は時期も悪いらしいしね……」

「命があっただけマシだと思いましょうよ」

「石ゴルみてぇにはいかねぇか……くそっ」


 また石ゴルか。チッ、どんだけ売れてるんだよあの漫画。

 どうやらこのペーペー御一行は無茶して魔物討伐へと向かって返り討ちにあったらしい。近接戦闘役と思われる男二人が足を引きずっている。ありゃしばらくは使い物にならなさそうだな。


「明日からどうするよ……建材運搬も収穫手伝いも厳しいぞ」

「……下水掃除?」

「うぇー……あれ肉体より精神に来るんだよなぁ」

「文句言ってらんないでしょ。今は少しでもお金を貯めておかないと」

「あーあ、俺らも漫画で一儲けできねぇかなー」

「紙もインクも買う金無いだろ。それに転写魔法なんて使えねーよ」


 ぶつくさと文句を垂れながらペーペー御一行が俺の隣を通り過ぎていく。なんというか、模範的な石級集団だったな。

 金欠で夢見がち。仕事を選べぬ苦境にぶー垂れるというのは見習いであれば誰もが通る道だ。


 あの様子から察するにスラム上がりの集団ってとこかね。実戦経験が希薄なまま戦場に赴いて痛い目を見たのだろう。これまた駆け出しにありがちな流れである。


 んでもって戦闘以外の才を活かして儲けてる連中に羨望の眼差しを向けるまでがお約束だ。商人とか高級飯屋とかな。今は漫画を描いてるガキが対象らしい。


 まぁ今のペーペー御一行じゃ絶対にガキどもの真似事はできんだろう。少なくとも鉄級になって冒険者割引が利く雑貨店に通えないことには始まらない。

 その後は転写魔法の才能を持ってるやつを探すという高すぎるハードルが待っているがな。んな魔法が使えるやつはエンデなんて辺境くんだりまで足を運ばねぇよ。王都に行けば手厚い歓迎を受けた後に重用されるしな。


 つまり一から才能の原石を探さなきゃならんわけだ。現実的とは言えねぇよな。もはや一種の逃避だ。そんな都合のいい話なんてあるわけねーよ。

 そんな、冒険者割引が利く店を利用できて、なおかつ転写魔法を使えるようなやつなんて――


 ――――!


 その時、天啓が舞い降りた。なるほど、なるほどね?


 俺は速やかに路地裏へと引っ込んでから【偽面フェイクライフ】を発動した。

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