獣の価値観と知識を知る術はなく
何か上等な飯の種でも転がってねぇかなと思いながら目抜き通りを練り歩いていたところ、血相を変えたスライにうるせぇ声でギャンギャンと吠え立てられた。【
(オマエ、クサイ! スゴク、クサイ!)
この犬畜生の第一声ときたらどうだ。身綺麗さでは他の追随を許さない俺を捕まえてこれだぜ。眼の前ですかしっ屁でも握ってやりたくなるね。
ったく、こいつらは誰のおかげでエンデに馴染めたのかってのをまるで理解していないらしい。畜生たる
(テメェでテメェのケツも拭けねぇ欠陥生物が言うに事欠いてクセェとはどういうことだ? えぇおい。テメェのクソが付いた尻尾の臭いよりかは幾らかマシだろーが)
(フザケルナ! オソロシイニオイ! オマエ、ダレダ! グルルルルゥゥ……)
今の時刻は昼過ぎだ。混雑しているとまでは言えないが、それなりに人通りのある時間帯。必然、スライが騒げばいらん注目が集まる。
「なんだなんだ?」
「騒がしいぞ、どうした!」
「またこの前みたいなアレか?」
スライの吠え声につられて街のやつらが騒ぎ出す。
通行人が振り返り、串焼き屋台の親父が煙を浴びながら顔を突き出し、治安維持担当の冒険者がいかめしい表情を携えて大股で歩いてくる。チッ。面倒だな。
「なんだよ? 肉でも欲しいのか? しゃーねーな。おら食え」
俺はついさっき買った串焼きを差し出しながら意思を飛ばした。
俺だよ俺。あんまり騒ぐな犬畜生が。高ぇ肉を食わせてやった恩を忘れたのか?
そう諭したところスライは鼻をヒクつかせて黙り込み、少しの間を置いてから肉に齧り付いた。
騒ぐのをやめたスライを見て野次馬連中が去っていく。……なんとか場を収めたか。
例の呪装盗難事件の折に派手にやりすぎたせいか、スライはエンデの街の民衆から妙な注目を浴びている。なので少しこいつらが騒ぐだけであっという間に耳目を集めてしまう。厄介な状況だ。まあ俺のせいなんだがね。
街全体を巻き込んで騒ぎ散らしたあの一件は尋常なものではなく、ただの悪ふざけとは思えない規模であったため、それっぽい理由を用意してやる必要があったのだ。
スライは凶兆を察知することに長けた警鐘の鳴らし手である。
俺の指示でそれっぽい記事を新聞に掲載させた結果、民衆は勝手に納得を済ませてくれた挙げ句、各々で好き放題考えた憶測をしたり顔で飛ばし始めた。そして真実は闇の中って寸法よ。
スライ鳴く所に事件の火種あり。
なんとも滑稽な結論に着地したもんだ。こいつらは徹頭徹尾俺の手のひらの上で踊っていただけだというのに。
だがその滑稽な結論がいま俺の足を引っ張っている。スライに絡まれて要らん注目を浴びるのは避けたいところだ。
……お前は誰だ。恐ろしい臭い、ねぇ。
まぁ十中八九魔王のせいだろう。つか洗脳だな。間違いない。書き置きもあったし。
魔王のところへ顔を出す直前。記憶を改ざんされる前の俺は、今現在の俺に対して書き置きを遺した。
『魔王に洗脳されてるぞ。エクスは使うな。悟られる』
簡潔な文章の走り書き。だがそれだけである程度の事情は察せるというもの。自分が置かれている状況も大体分かった。今はもう忘れちまってるが、『エクス』とやらを使った俺は魔王に目をつけられ、洗脳を施されて記憶を封じられた、ってとこだろう。
そうなる未来を悟った過去の俺は、未来の俺に向けて書き置きを遺し、その後【
スライに吠え立てられる理由も説明がつくしな。こいつらは恐ろしいモンに対して鼻が利く。魔力の根源たる魔王直々に強烈な洗脳を施された直後の俺はさぞ香ばしい匂いがすることだろう。元の臭いが分からなくなるほどに。
道端を我が物顔で歩いていたスライがハッとして俺を見て吠え散らかした。これで三度目だクソめ。おちおち街も歩けねぇじゃねぇか。
吠えるクソに意思を飛ばして黙らせてからリーダー格の元へと案内させる。複数の路地裏を抜けた先の空き家にリーダーは居た。
……なんか随分といい暮らししてやがるなこいつ。寝心地が良さそうな絨毯に食器、刻まれた果物にカットされた野菜まで揃っている。
最近のこいつらは商売人連中に媚びてエサを得ることまで覚えたからな……他のスライからの献上品だろうか。
(なんぞ物騒な臭いを漂わせおって……何をどうしたらそうなるんじゃワレ)
【
(まぁ色々あってな。魔王に……あー、魔力そのもの? みたいなやつにちょっとカチコミしてきた。多分な。詳しくは覚えてねぇ。臭いが変わったってのはその影響だろ。ちょっとお前の方で下っ端連中を説得しといてくれよ。さっきから歩いてるだけで吠えられてたまったもんじゃねぇ)
(何一つとして分からんが……まァ、危険じゃねェってことが分かれば、それでいい)
リーダーが俺をここまで連れてきたスライに向かってバウと吠える。それだけで色々と伝わったのだろう。案内役は了承の意を示すように一つ吠え返して走り去っていった。
これで無駄な注目を浴びることもなくなるかね。
出ていったスライの後ろ姿をぼうっと眺めていたところ、ひどく端的な意思が飛んできた。
(で?)
で、とは?
そう返す前に追加の意思が飛んでくる。報酬の請求……チッ、この畜生……俺にタカろうとしてやがるな?
(不満でもあるンか? モノを頼むんなら報酬を用意する。ワシらとの関係はそういうモンじゃろう)
スライという生物は頭が回る。学習能力に長けていると言うべきか。
己にとっての最適なポジションを、まるで悪賢いガキのように自然体で理解し、流れるように滑り込んでいく。動物が水場を探るのと全く同じ感覚で人の善意に寄生する。良い根性してやがるぜ。俺は残りの串焼きを皿に乗せてやった。
(おらよ。満足か?)
故に使える。
すっかり街に馴染んだこいつらは民衆の目を欺ける。この前みたいにいつかどこかで役に立つことがあるだろう。
ハメられて殺されたという過去を水に流し、個人的な感情を殺してスライという生物を精査した場合、肉を渡すだけでそれなりの働きをする便利な駒という側面が浮き彫りになる。こいつを利用しない手はない。
要領よくいこうぜ。お互いにな?
(……安モンの肉じゃのう。こんなんしかないんか? なんなら銀貨でもいいぞ?)
(あんま図に乗んなよ? 畜生風情がカネ手に入れてどうしようってんだ)
(ハッ! ワシらはのう、既にカネの価値を理解しとるんじゃ)
俺を小馬鹿にしたように吠えたリーダーは転がっている野菜と果物を器用に爪で刺して木の深皿に乗せていく。
(前までは食えもしないモンに執着するなぞ理解できんと思っとったが……なるほど、腐らない交換手段というだけで価値はある)
酷く動物的な観点から物を述べながらリーダーが野菜と果物を爪で微塵に刻み、前脚で圧搾していく。
(ワシらは既に売買っちゅうモンを把握しとる。落ちとるカネを咥えて渡すだけで食いもんが手に入るとは便利なモンじゃ。肝心なのはカネの色と枚数じゃろ?)
(色ってよりは希少性だな)
(ほぉう)
思ってた以上に人の社会に馴染みつつあるスライに感心しながら――俺は【
くくっ……賢しらぶっても所詮は獣だな。
やつが作ってる野菜と果物の混ぜものモドキ……人様を真似て料理にでも手を出したつもりなのか知らんが、ありゃ最悪だ。
洒落にならんほど腹を下すから絶対に混ぜて食うなと子供の頃から口酸っぱく言い聞かされる食い合わせが含まれてやがる。ありゃもはや毒だぜ。いやはや、無知ってのは怖いねぇ?
リーダーが自分の作った料理モドキを見つめ、鼻をヒクヒクと動かした後、革袋を器用に口で持ち上げて中に入っていた液体を投入した。あれは……酒か。そして塩と思われる粉末を入れてひたすら混ぜる。混ぜる。
……なんかいい匂いしてきたな。こう、肉に合いそうないい匂いが。自然と口内に涎が溢れる。あれは……美味いのか? いや、もし仮に美味かったとしてもあれは……。
俺の葛藤をよそにリーダーが作業を続ける。そして出来上がった謎物体に串焼きの肉を放り込み――フタをしてそのまま放置した。リーダーは手についた残滓をペロペロと舐め取っている。……あの肉は食わないのか? 意思を飛ばす。
(おいおい、そんなモンに入れておいたら腐っちまうぞ?)
(腐らせるために放置しとるんじゃ。ワレが美味い美味い言うて飲んどる酒だって腐らせて作ってるようなモンじゃろう)
そうなのか? 詳しくは知らない。
酒造は国が許可した専門の業者にのみ許された特権だからだ。過剰な流通を避けることで確実に利益を出すためだろう。
密造に手を出す輩もいるが、無知な連中の作った酒は総じて不味い。美味い酒の作り方ってのは秘匿されていて世間一般には出回らないのである。
しかし……長い年月寝かせたワインは美味いという話は常識だ。あれは腐らせている、ということなのか?
寝かせるという曖昧な表現で製法をはぐらかす……ありそうな話だ。そしてその実態をリーダーはよく利く鼻で嗅ぎ当てた、と。なるほどね。
(その、腐らせた肉は……美味いのか?)
(二晩漬けた肉がこれじゃ)
リーダーはさっきのとは違う深皿を前脚で器用にずいっと押し出してきた。フタを取る。そこにあったのはお世辞にも美味そうとは言えない色をした液体と、しかし酷く食欲をそそる匂いを漂わせる大振りの漬け肉であった。
う、美味そうだな……。鼻を心地よく抜けていく香りに思わず喉を鳴らしてしまう。
いや待て。冷静になれよ。あんな犬畜生が素足でこねた液体に漬けた肉だぞ……なんか毛とか混じってるし……いくら美味くてもこんなのを口に入れるのは……。
……酒が入ってるなら消毒されてるんじゃないか? 塩も入ってるし。火を通せば大体の肉は食えるし、なんなら屋台のオヤジとか額の汗と脂を拭いた手で肉を掴んでるしな……それに比べたら、イケるか? イケなかったら死ねばいいしな。よし。俺はリーダーと交渉した。
(この肉一枚くれよ。銀貨一枚でどうだ?)
(二枚)
(……一枚でいいだろ?)
(二枚)
ガメついクソ犬だぜ。頑として譲りやしねぇ。ペットは飼い主に似るというが、飼い主の居ないこいつは一体誰に似たんだか。俺は二枚の銀貨をピンっと弾いた。リーダーがそれをパクっと受け取る。交渉成立。
漬け肉は生だったので【
(おう、ワシのも焼かんかい!)
(手間賃として銀貨一枚な)
(……ガメついクソ野郎じゃのう)
互いに互いを罵倒しながら肉を焼くこと数分。程よい焦げ目が付いた肉は芳醇な香りを遺憾なく振りまいていた。
これは……なかなかに期待できそうだな。短剣で食いやすいサイズに切り分ければ食事の準備は完了だ。酒で喉を潤してから肉を頬張る。
こ、これは……! 俺は酷くショックを受けた。片手で頭を抱えてゆっくりと俯く。
まさか……こんな事があって良いのか……。悔しさに似た感情に突き動かされて絞るように呟く。
「今まで食った肉の中で……一番美味ぇ……」
干し肉や燻製肉など言うに及ばず、上等な肉と貴重な香辛料をふんだんに使用した高級店の肉よりも美味かった。ガツンとした旨味があるのに口当たりは柔らかで、香辛料だけに頼り切ったものでは出せない深みがある。
クソっ! 酒が進む……! 俺はただただショックに打ちのめされていた。こんな犬畜生の適当料理モドキに人間様が敗れるとは露ほども思っていなかった。
積み重ねてきた文化の壁をヒョイと飛び越されたような気分だ。腹を壊すから混ぜるなと伝わる食材を組み合わせ、敢えて腐らせるという手法で以って味の熟成を促す。獣の発想。饐えたやり口。それがこんなにも効果的とは……。
しかも。俺は自分の腹を撫でた。
いまのところ腹を下す様子はない。おそらく、身体に良くない効果を調理の過程で中和したのだ。劇物を薬へと昇華させる錬金術師の如く。
酒か、塩か、それとも腐らせるという工程か。混ぜ合わせた食材に秘訣があったのかも知れない。どこで中和されたのかは定かではないが、こいつらの鼻をもってすれば、人の誤った学びのその先へと辿り着くことができる。
無知は……俺たちの方だったのか? 再びのショックが俺を襲う。一杯食わされた。そんな言葉がまさしく相応しい。これじゃあ高い金を払ってこの肉に劣る味のメシを食ってる俺が馬鹿みたいじゃないか……。
――――!
その時、天啓が舞い降りた。なるほど、なるほどね?
「おいお前……さっきのタレのレシピを教えろ」
「グルゥ?」
「くくっ……やっぱ転がってるじゃねぇか……上等なメシの種がよぉ……!」
俺は間抜け面を晒すリーダーの前で商売の算段を組み立てながら【
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます