勇者ガルド

 串に刺した干し魚を焚き火で焼いて食う。そして舌が塩気を訴えている内に程よい甘さの酒を呑み下す。贅沢な一時だ。


「あの馬鹿姉二人はよー、どうかしてるぜ」


 大口を開けて干し魚にかぶりつく。それを見た魔王が同じように干し魚にかぶりついた。


「俺が何を言ってもまともに聞きやしねぇ。上の馬鹿は底抜けのお人好しで貴族連中に良いように使われてるし、下の馬鹿は頭がパーになったとしか思えん。あれじゃ身体だけでっかくなったガキだぞ。やだ! じゃねぇんだわ」


「うんうん」


 俺は干し魚の背骨を歯で挟んでペキッとへし折った。それを見た魔王が俺の真似をして背骨をペキッとへし折る。


「呼び方もよー、ガル、ガルってしつけぇんだ。やめろっての。年を考えろって話よ。オイとかお前とかで十分だろってのに、そう呼ぶと機嫌悪くなるんだよあいつら。レア姉、レイ姉なんて呼べるかよ。鳥肌もんだわ」


「愛されてるね」


 俺は口の中に残った魚の骨をプッと吐き出した。魔王も骨をプッと吐き出す。


「自殺するときもよー、わざわざ腹掻っ捌いたり無駄に高度な魔法使ってんの。見た目がカッコいいとか、綺麗に死ねるとか、そんな訳わかんねぇ理由でだぜ? アホかと。普通は首だろ。効率がちげぇよ」


「うん……うん?」


 俺は木のジョッキに注いだ酒をゴッゴッと喉を鳴らして呑み下し、プハァと息を吐いた。魔王も喉を鳴らして酒を飲み、わざとらしくぷはぁと息を吐いた。


「どっか抜けてるアホの子なんじゃねぇかと思ったら、さっきみたいに殺意全開で魔法ぶっ放したり剣を振るったりするしな。怖えよ。アレどういうことなんだ?」


「勇者っていうのは、そういうふうにできてる。魔物が特定の形質を持つ存在を襲うようにできてるのと同じ」


「はぁ。そりゃなんでまた?」


「怖かったんじゃないかな。人の制御の手を離れた、魔王っていう存在が」


 こいつは自分の知っている情報をそのまま吐き出している。何も知らんやつに噛み砕いて説明してやるという気がない。ふむ。


「勇者は魔王を殺すために作られた存在だ、と」


「……そういうこと言わない」


 この反応は正解を引いちまったかな。まー薄々察してたがね。

 魔王を前にした時の姉上二人の豹変っぷりは異常だ。あれは理屈で説明できるもんじゃない。口でどんなに言い含めても魔王倒す魔王倒すって言って聞かねぇからな。さすがにおかしいと思ってたんだ。


 魔物ってのはとかく人類に対して暴力をふるいたがる。それが存在理由だと言わんばかりに。立場を勇者と魔王に入れ替えてもその法則が成り立つという、それだけのこと。チッ。やっぱり女神なんていねぇじゃねぇか。ふざけやがって。


「なら、俺がいまこうしてお前と酒を酌み交わしていられるのはどうしてだ?」


「……今のガルドが、特別なだけ。昔は違った」


 明言を避けたな?

 あえて突っ込まず話に乗る。


「そうなのか? どうも最近その辺の記憶があやふやでな」


「…………」


「俺は昔お前んとこにカチコミに行ったら何だかんだで意気投合した、って流れだったと記憶してるんだがな」


「……ガルド」


「なぁ、何で俺に洗脳を掛けた?」


 焚べた薪がパキリと弾けた。揺らめく火と煙が対面に座る魔王の輪郭をあやふやにする。説教を受けている子供のようにまんじりと俯いた様は、巷で恐怖の象徴として恐れられている存在の影も形もなかった。


「魔法を封じてた理由は薄々と察せられるよ。俺の作った魔法は異質なんだろ? お前でも清められないくらいに魔力が破綻する。特に【三折エクス】だ。あれは相当無茶やってんなーって自覚があるよ」


 俺は【隔離庫インベントリ】から取り出した薪を焚き火に放り投げた。火勢が強まり、炭化しかけの薪がボロリと崩れる。


「お前は、だからこっちまで出張ってきたんだろ? 異常な魔力を感知して、俺が記憶を取り戻したんじゃないかと察した。俺の前に直接現れなかったのは国が混乱するからか?」


「…………」


「ま、お察しの通り魔法は使えるようになったよ。記憶の方は完全に戻ってねぇがな。だが栓は緩んでる。ふとした瞬間に自分の知らねぇ記憶が流れ込んでくるんだよ。気持ち悪くて仕方ねぇ」


 世界に巡る魔力をズタズタに引き裂くという外法でもって魔王を殺しかけた俺。

 魔王という存在が思いの外話せるやつだと認識して意気投合し、何もせずに魔王の住処を後にした俺。


 おそらく、真実は前者だ。しかし実感として脳裏に刻まれているのは後者である。かと思えば無意識下で前者の記憶が顔を出すこともある。洗脳の箍が緩んでいるんだろうな。


「姉上からよー、『前』みたいに素直になれとか『昔』は強かったとか言われる度に疑問だったんだ。そんな記憶を持ってない『今』の俺はなんなんだ? ってな」


 今なら分かる。俺は少し前まで姉上と同じ教育を施されて国の道具として働いていたのだろう。役割的には姉上の補助といったところか。俺の魔法があれば輜重しちょう兵站へいたんの管理には事欠かない。


 ……自分の代わりに誰かを死地へと向かわせることしかできない能力が嫌いだった。それが、俺の中で最も古い記憶だ。加えて始発点でもある。ここで俺と国は方針を違えた。


 そして、最終的に魔王が記憶を封じなければならないような結末に着地したんだろう。


「別に責めてるつもりはねぇよ。必要だったんだろ? 知らんけど。ならもっと上手いことやれよ。整合性が取れてないんだからいずれどっかでボロが出るって分かりきってんじゃねぇか」


「いくら矛盾があっても簡単には解けないはずだった。そういうふうに書き換えた」


「書き換えた、ねぇ」


 俺は洗脳の補助魔法が使えない。自力で洗脳を解除しないように魔王が細工を施したんだろう。

 ……補助の枠が一つ少ないのもそのせいか。こいつなら死後も刻まれ続けるほどの強烈な洗脳をかけるくらい訳ないはずだ。そうして事態の収束を試みた。後は俺が封を破らなければ完璧だったと。

 それにしちゃ杜撰な点が多すぎる。


「そもそも矛盾を生まないよう細工しておけよ。姉上らも巻き込んで意識を統一しておけばもっと長持ちしたんじゃねぇの?」


「……ガルドはそれを望まないと思った」


 …………なるほど。確かに。一理ある。


「だったら徹底的に書き換えろ。姉上たちと同じように、俺が魔王を死ぬほど憎んでるって設定にしとけば矛盾なんて」

「そんなことッ!」


 世界が割れた。

 膨大な魔力が空を侵食して破滅の音を奏でる。ジリジリとした、石を焼く音を数千束ねたような不吉な音。見上げれば、そこには破滅的な規模の亀裂があった。世界の終わりと言って、これほど相応しい光景もそうあるまい。


「っ……」


 思わず、といった勢いで立ち上がった魔王がハッとして魔力を巡らせる。穴の空いた服に布を縫い付けるように。十秒もすれば世界はまるっと元通りだ。相変わらずとんでもねぇ存在だよ。この世はこいつのさじ加減ひとつで簡単に傾く。そら恐れられるわけだわな。


「……そんなこと、言わないで欲しい」


 魔王は今にも泣き出しそうなガキみたいな表情をすっと整えてゆっくりと座り直した。感情に蓋をしたような無表情と抑揚のない声。極限まで自分というものを閉じ込めているんだろう。


 情緒を乱せば魔力が暴走する。魔王には感情を持つことは許されていない。

 勇者よりもクソッタレな仕事があるとすればそれは国王で、それよりも更にクソッタレな仕事なのが魔王だ。


 過去の負債を極一部に押し付けやがって。どうして世界ってのはこんなに歪に出来てやがる。


「……ガルド。話を、聞かせて。最近楽しい?」


 今の俺がコイツにしてやれるのは飯を奢ることと土産話に花を咲かせることくらいだ。望むならいくらでも聞かせてやるさ。


 おー、楽しいぞ。

 最近はエンデって街をホームにしてんだ。そこで不用心なやつの財布を拝借したり商売したりしながら冒険者ってのを副業でこなしたりな。冒険者ってのは危険を冒す者どもの総称だな。主に魔物をぶち殺すのが仕事だ。俺は積極的に狩りには行かんがね。あくまで副業だからな。


 本業? 色々だ。俺には補助魔法の才能があるからな。やろうと思えばなんだってできるわけよ。

 最近は鑑定屋なんてのも経験したぞ。呪装を鑑定して冒険者連中から金を巻き上げるんだよ。ありゃボロい商売だったなぁ。

 今? いやまぁ、鑑定屋はちょっとな。まぁちょっとドジ踏んでな。ちょっとね。首落とされたんだわ。いや辛くはねぇな。ギロチンって意外と楽なのよ。あー死ぬって感じで。収支で言えば普通にプラスだな。頭おかしい? どこがだよ。


 他にはまぁ、色々だな。飯屋を経営したり、賭けを仕切る胴元になったり。手広くやってるよ。今の業績? まぁ、まぁ。廃業したんだわ。いや業績不振っていうんじゃなくて……首落とされてな。またって言うのやめろ。お前な、知らないだろうけど冒険者ギルドのやつらは意外と抜け目ねぇんだよ。


 まずトップの性根が腐ってやがる。あいつはひでぇぞ。ネチネチと嫌味ったらしく突っ掛かってくるんだ。んでそいつの薫陶を受けた治安維持担当ってのが厄介でな。あいつらはいつも俺の邪魔をする……いつか絶対に出し抜いて吠え面かかせてやろうと思ってる。絶対にな。


 殺伐とした関係しか築けないのかって? んなこたねーよ。俺のことを慕ってるのか知らんが、馴れ馴れしくしてくるやつらもいるしな。チビとかガキとか。ま、あいつらはまだ甘ちゃんだな。俺が世間の酸い苦いを叩き込んでやる必要がある。手が焼けるやつらだよ。


 ガキ以外の知り合いはいないのかって? いやそれくらいいるわ。王都の闇市とか俺の庭みたいなもんよ。そこで買った葉っぱを知り合いのイカれ錬金術師に横流ししたりな。あとはエルフ連中に渡して薬を作ってもらったりとか。


 エルフ? あぁ、元気だよ。元気過ぎるくらいだぞあいつら……人の身体を掻っ捌くことに熱を上げてやがるよ。え? あぁ、まぁね。臓器持ってかれてるんよ。何でって……経済だよ。要はカネだな。頭おかしい? いやいやそれはお前が世間知らずなだけだから。人ってのは多かれ少なかれ身体を売って生きてるわけよ。その究極形っていうの? そんなところよ。突き詰めたらこうなるっていう一種の袋小路っていうかね。理解しろ。理解したな? よし。

 何のために臓器をって……俺が知るかよ。出自が関係してんのかね? 遥か昔の人間を魔力で強化した末の姿なんだろ、あれ。犬がスライに進化した的なさ。そういう実験的な何かに本能が惹かれてんのかね。知らんけど。


 手に入れた金? 美味い飯と酒に変える。これだね。これをキメてる時が一番生を実感できるぞ。エンデの街の隣にアホみたいに広い放牧地があるんだがな、ここで育った家畜の肉がめちゃくちゃ美味いんだこれが。霜降りの肉を肴にして飲むワインの美味いこと美味いこと。

 食いたい? なら今度適当な店にでも行こうぜ。国王のオッサンなんかも誘ってさ。どうやってって、そりゃ二人で城に乗り込めばいいんじゃね? ちーっすって。魔王でーすって。


 怖がられる、ねぇ。なんでお前が気を遣ってんだよ。逆だろ。連中が勝手に都合いいようにお前の悪口言ってんだぜ? 謝意とカネを要求するくらいの気概で行けや。文句つけてくるやつが居たら俺が黙らせてやる。だからそんな顔するんじゃねぇ。


「ガルド」


 魔王がゆっくりと立ち上がり、焚かれた火を意に介することなくまっすぐに俺の下へ来て、頭に手を添える。


「また、洗脳するのか?」


「ガルドが、楽しそうで良かった。それはあなたが望んだ生き方。普通の人間みたいに、自由に生きたいって」


 望んだ、ねぇ。そんな高尚なもんじゃねぇだろ。


「ガルド。誰よりも優しかった勇者。何もかもを守ろうとして、苦しんで、どれか一つを切り捨てることを選べなかった」


「俺に、他のやつらと同じように、お前を切り捨てろっていうのか?」


「ガルド。……あんまり、期待させないでほしい」


 自分が全てを諦めればそれで丸く済む。そんな醜い自己犠牲の笑みを浮かべて、魔王は魔法を行使した。


「【追憶】」


 大雨の翌日の河川のように記憶が溢れる。俺ではない、勇者ガルドが壊れるまでの軌跡。


『レア姉とレイ姉が苦しんでるんだ。恨みは無いけど、死んでもらうよ。【全能消去オールクリア】』


 魔王を瀕死まで追い詰めた瞬間、世界の崩壊を感じ取って。


『世界を救うには、どうすればいい?』


 歪な世界の在りようを知って。何もかもを救う手立てが見つからなくて。


『どうして僕は……勇者なんかに生まれたんだッ! 人間でよかった……人間がよかったよ……』


 誰よりも苦しんでる女の前で泣き言を漏らして消えようとした。自分自身に【全能消去オールクリア】を使用して。

 背負い込んだ全てを放り捨てて一人消えようとした。自分だけが不幸みたいな顔して逃げようとしたんだ。クズめ。お前なんかが勇者であってたまるかよ。


「今度は解けないように書き換える。原因を、探らないと」


 肉体は既に動かない。五感と精神だけがぼんやりと存在している。魔王のつぶやきが辛うじて聞こえた。


「感応……酷い拒否反応。ここで緩んだ。ガルド、あなたには、人間がとても醜く見えていたんだね」


 混濁する意識の中で、あやすような魔王の声だけが聞こえる。


「記憶を連続で消すって……バカなの? もう……こんなの予想できるわけない」


 呆れたような声とため息が前髪を撫ぜた。


三折エクスを思い出した理由は…………………………なに、これ? ガルド、随分愉快な体験をしてるね?」


 頭の中に思い出すのもおぞましくなる光景が流れ込んで来る。やめろやめろ。その記憶は消しといてくれ。頼む。


「ダメ。下手にいじるとまた綻びになる」


 融通が利かねぇやつだ。頭が固ぇんだよ。前からそうだったな。自分が背負い込めばいいんだって言って聞かねぇ。姉上や国王と一緒だ。高潔な自己犠牲だこと。反吐が出る。


「…………ガルド、今度はもう大丈夫。明日からまた元通り。あなたは、自由に生きて」


 数年前、魔王は勇者ガルドに洗脳を掛けた。全ては俺を救うために。情けない話だ。どデカい借りを作っちまった。


 恩は押し付けるもの。借りは踏み倒すもの。

 それは【偽面フェイクライフ】を使った別人格の信条だ。『今』の俺の信条は貸しも借りも作らねぇ、だ。

 もし借りを作っちまったってんなら、その時は。


「この借りは、必ず返す……」


 明日からはまた元通り。魔王が言うからにはそうなのだろう。

 洗脳は洗脳されているという自覚が抱けないのが恐ろしいところだ。明日の今頃、俺はスマートな金儲けの手段を思いついてエンデのやつらを金づるにしているだろう。あるいは酒場で飲んだくれているか。


 だが。それでもだ。

 いつか絶対にお前を救ってやる。姉上もおっさんも。お前が俺を救ったのと同じようにな。全てを捨てて逃げ出したクズの代わりを俺が全うしてやるよ。ついでにこのクソッタレな世界も直してやりゃあ万々歳だ。

 そん時を、せいぜい期待して待ってろ。今の俺はちっとばかし諦めが悪いんだぜ?


「…………【洗脳リライト】」


 そこで俺の意識は途切れた。

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