勇者vs魔王

 フィアフルの街は海に面した辺境の街だ。

 街といっても規模的にはほとんど村に近い。塩や海藻、魚といった海由来の資源の売買で成り立っている漁村である。


 街の教会から生えてきた俺たち三人は適当に買い物を終えてから早々に街を出た。物流経路はある程度舗装された道になっているが、俺たちが往くのは荒れ果てた無人の荒野である。


 不毛の地を超え、魔力溜まりのある大渓谷を超え、魔物とはまた違った凶悪な原生生物が棲む地を超え、天候や環境が大胆に破綻した地を超え……その先にあるのが魔王の住処である。


 魔王は破綻した地の中心でひたすら魔力を世界に巡らせている。使用済みの濁った魔力を清め、在るべきところへと返す。そんな気の遠くなる作業を云千年と継続してるってんだから驚きだ。


 この世は魔王がいなければ成り立たない。国の上層部連中もそれくらい把握しているだろう。つまるところ、今回の命令の本旨は『魔王を討伐してこい』ではなく『持ち場に戻るよう誘導してこい』だ。


 勇者ぶつけて『こっち来んな』という意思表示をすれば大人しく帰ってくれると思ってるのかね。……まぁ、打つ手なんてそれくらいしかねぇか。国の上層部も既に色々と諦めてるのかもしれんな。ままならねぇ世界だ。


「剣は持った?」


 隣ではピクニックに行く前の持ち物チェックみたいなノリで姉上二人が殺意を高めている。


「『天壌軌一』、『不知鞘さやしらず』、『輪廻絶こときれ』。そっちは?」


 愛用の剣の鍔を鳴らした下の姉が上の姉へと問い掛けた。魔力が渦を巻く。暴発すれば周辺一帯に大穴が空きそうなほどの魔力を完璧に御してみせた上の姉がキリッと顔を引き締めて呟く。


「……うん、大丈夫」


 おっかねぇ二人だ。世界でも滅ぼしに行くんですか? ってな気合の入りようである。今の二人を前にしたら竜が十匹出てきたとしても二秒で片が付きそうだ。


 でも、なぁ……。


「無駄だと思うぞー。やめとけやめとけ」


 相手が悪すぎるんだよなぁ。

 魔王ってのは、言うなれば人格を持った魔力そのものだからな。殺すとか倒すとかっていう発想でどうにかなる相手じゃねぇんだわ。空気を殺せるか、って話よ。

 そう諭すと下の姉にポカリと頭を叩かれた。あんだよ。


「ガルは馬鹿だな。死ぬまで斬れば相手は死ぬ。常識だぞ」


「馬鹿はおめーだよ」


 こいつはなんでこんなおめでたい頭になっちまったんだろうな?

 竜が出現してない時は山に籠もってひたすら素振りに明け暮れてると聞くし、野猿と同じような暮らしをしていたら知能も猿になったのかもしれん。


「ガル、心配しないで。……魔王は、私たちが絶対に倒すから」


「聞き分けねぇなー」


 もう何回も敗北を喫してるってのによくやるよ。そろそろ無駄だって理解してもいいと思うんだがな。


 ……俺のため、なのかね。

 俺に【洗脳】を施したのは魔王だ。これはほぼ間違いない。死後も継続するほどの魔法を掛けられるのはあいつくらいしかいないからな。


 だとすれば。姉上二人の『俺が魔王に敗れた途端に変になった』という話は戯言じゃない可能性がある。掛けられた本人は全くの無自覚であるというのが【洗脳】の怖いところだ。事実、俺はあいつに一部の魔法を封じられてたわけだからな。


 封じられていた魔法は使えるようになったが、記憶の一部は未だに判然としない。どんな記憶をどう捻じ曲げられたか、なんて知りようがないからな。

 あいつのことだから、どうせ俺のためとかそんな理由なんだろう。だが……それを察してしまった以上は無視できない。そこら辺はきっちり問い質さねばならん。筋は通してもらうぜ魔王さんよ。


 そうと決まればやることは一つ。俺は戦意を滾らせている姉上二人に向かって言った。


「引く気がないのは理解した。なら……もう死ぬ準備は出来てるってことでいいんだな?」


 内密な話になる。あいつとは二人きりで話がしたい。

 ということで、姉上二人には悪いが死んでもらうことになるだろう。帰れって言って素直に帰ってくれる雰囲気じゃなさそうだしな。

 俺は根っからの純粋な優しさから姉上二人に問い掛けた。そこには翻意を促すちょっとした思いやりなんかもあったわけだが、弟の心姉知らずといったところか、上手いこと伝わらなかったらしい。


「……? 唐突に何を言い出すんだ? 馬鹿か?」


「ガル、頭大丈夫?」


 よし、死ね。俺は【伝心ホットライン】を飛ばした。


(うーっす。久し振り)


(ん、おひさ。元気?)


 魔王である。

 魔境みたいな地に俺の魔力が届かないので普段は連絡が取れないが、こちら側に出てきてくれたのなら【伝心ホットライン】が届く。わざわざ会いに行くなんてめんどくせぇ。向こうから出向いて貰おう。


(ちょいちょい死ぬけど元気だぞー。今から来れる? なるはやで)


(すぐ行く)


 とのことである。話が分かるね。


「ッ!? これは……!」


「まさか……!」


 魔力がぶわりと膨れ上がって目の前の空間を侵す。蜃気楼を数倍豪華にしたみたいな歪みが収まった時、そこには魔王がいた。

 魔力を煮詰めたらこんな色になるんだろうなと思わせる黒髪と黒目。目に留まるのはその二つくらいで、その他は普通の人間と見分けがつかない外見だ。人と交信するための姿なのか、自然とそうなったのかは知らない。聞いても答えないだろう。


 世界を循環させる者。意思持つ魔力。そんな大層な存在は、そこらの人混みに紛れていても違和感の無い外見をしていた。

 片手を上げて応じる。


「ういーす」


 感動の再会、ってわけでもないが随分と久々だ。軽く挨拶でもかわそうと思ったのだが。


「魔王ぉぉぉォッッ!!」


「死ぃぃィィねぇぇぇッッ!!」


 テンションぶち上がった姉上二人に遮られてしまった。

 大気が震える。最上級雷魔法【女神の怒り】と『天壌軌一』による挟撃。王城ですら塵一つ残らなさそうな絶望的な一撃は。


「ご挨拶だね」


 唐突に、忽然と、泡が弾けるように霧散した。

 だから言ったろ。無駄だって。相手は世界の魔力を司る魔王だぞ。魔力の扱いで勝てるわけがねぇ。


「チッ……ガルっ! 補助を!」


「二人とも離れて! 圧し潰す……!」


 勇者が並んで戦う時は個々の連携を重視しない。死の克服という要素が味方への配慮を根っこから奪っているのだ。味方が死んでも敵が死んだら実質勝ちというおぞましさ。嫌になるね。

 しかしそのおかげで各々が至高の業を好き放題ぶっ放すという最高に頭の悪い作戦が成り立つ。


 上の姉が地を踏み鳴らした。最上級地魔法【抜山】。地を割って隆起した大地がトラバサミのように標的を包み込んだ。


「まだ、まだっ!」


 淵源踏破の勇者様は身振り手振りだけで千の群を一掃する魔法を行使して見せる。

 大地の棺を灼熱の業火が取り囲んだ。最上級火魔法【千年焔】。戦略に用いる魔法だ。個に対して放つモンじゃねぇぞ。


「まだ足りないっ!」


 姉上が手を払う。生じた風が瞬間的に勢いを増して膨れ上がる。最上級風魔法【竜哭き】。天を擦るような暴風が火を吸い上げて極太の火柱を形成した。もはや天災である。


「これで……トドメっ!!」


 高らかに宣言した後に姉上が片手を振り上げた。遥か頭上に荒ぶる波濤の渦が集う。最上級水魔法【自然淘汰】。なんかもう、最上級魔法の大安売りだな。


「ガルっ! 退くぞ!」


「ぐえっ」


 この世の終わりみたいな光景をボケっと見ていたら下の姉上に首根っこを掴まれた。飛び退く衝撃で首が締まる。魔法の余波じゃなくて物理的に死ぬわこの馬鹿力め。


 と思ったが……実際助かったわ。

 大洪水の素が火柱に突っ込んだ瞬間、世界がひっくり返ったんじゃないかと錯覚するほどの大爆発が起きた。轟音と熱波が全身を貫いて抜けていく。

 おいおい何してくれてんの……いくらなんでもやり過ぎだろ。耳が痛ぇ。


「レアの本気は久々に見たな……あれなら、やったか?」


「……いやぁ、無理だろ」


 あの程度でやれたらむしろ驚くっての。

 爆発の余波が、音が、熱が、嘘のように消えてなくなる。喩えようのない感覚だ。体験に連続性がない。時でも飛ばされたんじゃないかと錯覚してしまうほどだ。魔力操作の深奥を極めれば世界を塗り替えるような御業すら思いのままなのだろう。


「色々できるようになったね。シンクレア」


「っ!?」


 ふっ、と。まるで幽霊のように現れた魔王が慈しむような仕草で姉上の頭を撫でた。姉上は光となって消えた。


「レアっ!! クソっ……ガル、補助を寄越せ! 全部乗せだ!」


「おいおい、いいのか? トラウマなんじゃねぇの?」


「いいから早くしろ!」


「そっちがいいってんなら構わねぇよ。【全能透徹オールクリア】」


 俺が創り出した【全能透徹オールクリア】は……ぶっちゃけ不完全な魔法だ。全ての身体、感覚強化の補助を数倍の効果で与える魔法なのだが……いかんせん副作用が強すぎる。

 効果が切れた後、強烈な効果の帳尻を合わせるように堪え難い痛苦が肉体を蝕んでいく。しかもこの副作用、死んでも治らないらしいから驚きだ。姉上が酷く怯えるわけである。


「……! この感覚ッ!」


 カッと目を見開いた姉上が熱い呼気を漏らしてご自慢の剣を二本抜いた。

不知鞘さやしらず』。ルークの持つ剣の切れ味を更に凶悪にしたような剣だ。少しでも刀身が揺れると鞘を断ち切ってしまうことからその名がついたとか。

 刃を下にして落とすと地面にストンと鍔まで埋まるという馬鹿げた剣である。色々な法則を無視しているとしか思えない。本来なら城の宝物庫に保管しておかなければならないほどの劇物だ。


 そしてもう一振り。『輪廻絶こときれ』。俺が本能的にヤバいと感じたのはこの剣くらいである。

 効果は斬った対象の消滅だ。厳密には分解らしいが詳しいことは知らん。知りたくもない。あれは多分この世にあっちゃならんものだ。スライが嗅いだら悶死するんじゃねぇかな。


 すこぶる物騒な剣を二対構えた姉上が言った。


「魔王、ガルを解放しろ。さもなくば、斬る」


 一般人が浴びたら卒倒して失禁しそうなほどにおっかない気を姉上が放つも魔王はどこ吹く風といった調子だ。うーん、と間延びした声を出して申し訳無さそうに一言。


「今はちょっと無理かな」


「そうか」


 先程まで隣りにいた姉上が消える。もはや速いなどという段階にない。既存の物差しでは測れない領域に足を踏み入れている。次の瞬間には姉上が魔王に向けて両の剣を振り下ろしていた。


 何人も登り詰めること能わぬ至高天に坐する勇者。その全身全霊が神器を伴にして振るわれし時、あらゆる災禍は瞬く間の内に虚無へと転ずるであろう。


 そんな詩劇の一節もこの光景を前にしたら形無しだな。


「……まだ、届かないのかッ!!」


 アウグストを千人纏めてぶった斬れそうな双撃は、魔王の両の手で難なく受け止められていた。姉上が勢いのままに圧し斬ろうとするもののびくともしていない。

 そこら辺にいそうな女が宝剣の刃を五指で受け止めているというのは少々現実離れした光景だ。……あれは厳密には実体じゃないのかもしれんな。


「んー、これは返す」


 魔王はおもちゃを放り投げるような気軽さで『不知鞘さやしらず』から手を離した。


「でもこれは没収」


 どうやら『輪廻絶こときれ』は許されなかったらしい。

 魔王の五指が刀身を握り潰す。刃が砕けると同事、剣は光の粒となって魔王に吸い込まれていった。


 ……呪装を取り込んだ?

 致命的な損傷を迎えた呪装は世界を巡り、いつか何処かで再び結実する。その流れを堰き止めたのか。『輪廻絶こときれ』はそれほどまでに物騒な代物だったってことだろう。


「クソっ! クソッ!! ガル、逃げろーッ!」


「姉弟思いのいい子になったね。レイチェル」


 魔王が姉上の頭をそっと撫でた。姉上は光となって消えた。これにて死合終了である。

 二人合わせて二分も持たなかったな……やっぱ勝つとか倒すっていう次元にねぇや。世界そのものを相手にしているような気分だ。


「さて」


 姉上二人は魔王にやられた。おそらくすぐには復活しないだろう。こいつはそういう器用な真似ができる。これで邪魔は入らない。


 俺がゆっくりと歩を進めると、向こうも合わせるようにこちらへと歩いてきた。

 遮るものが何もない荒野。目と鼻の先にやつがいる。勇者と魔王。希望と絶望の象徴が二人、向かい合う。


 俺は魔法を発動した。


「【隔離庫インベントリ】」


 俺は干し魚と酒を取り出した。


「さっきそこの街で買ってきたんだ。一杯やろうぜ」


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