一件落着……?
千の大群を消し去る力よりも。
強大な竜を圧倒する力よりも。
今の俺には補助魔法が性に合っている。
▷
状況を整理しよう。
俺、謎の攻撃により両脚の自由が利かない。恐らく、局所的に効く神経毒を塗布した刃物で足を切られたと思われる。腱を切られなかったのは、利用価値があった場合に生かしておくことを考えていたのか。何にせよ、立てない。
そして相手。元銀級の冒険者、現犯罪者崩れのリベル。
『隠者の外套』を失ったヤツは俺の上から飛び退り、軽く離れた場所から俺を睨みつけている。斥候だからといって戦闘能力が低いわけではないだろう。元金級候補、ってことは相応に腕が立つ。
その腕は一本失い、加えて軽い酩酊状態だが、立てることすらできない野郎相手に負けるほど落ちぶれちゃいないはずだ。今だって盗人連中を纏め上げるくらいの実力は持っている。銀級下位か中位程度の能力と推定するべきだろう。
つまるところ、勝ち目はない。多分一分もありゃ殺されるだろうな。
だが、まあ、そんなことはどうだっていい。分かりきっていたことだ。むしろ俺は達成感に打ち震えている。『隠者の外套』などという規格外の呪装持ちを相手にこれだけ巧く立ち回り、そして運び屋フィーブルとしての失態を速やかに隠蔽できたこと。これだけで俺の仕事は終わったと言える。
『隠者の外套』の効果だけが未知数だったが、さすがに攻撃を受け付けなくなる、なんてイカれた効果を持ってなくて助かった。……いや、その気になればやれたのかもしれないな。『人や物との接触』を嫌っていれば或いは、ってとこか。
何にせよ、既に砕いた。俺の勝ちだ。
「何だ、貴様はッ! 誰の差し金だ……!」
既に勝った心地でいるからだろうか。元金級候補という相手を前にして俺はまるで平然としていた。むしろリベルという男が小物に見えてしょうがない。敗残の兵というのはかくも哀れか。
「んなどうでもいい話をしてていいのか?」
【
「そこに"居る"ぞ」
「なっ!?」
リベルがバッと背後を振り返る。
ばぁーか! 嘘だよ嘘! ちょっと言葉に色を持たせるだけでこんな古典的な罠に引っ掛かってくれる。全く、補助魔法ってやつは最高だな。
そしてまだ終わりじゃない。俺は懐からもう一つの呼び笛を取り出した。
腰に吊るしてたあれはフェイクである。いちいち笛を触ってアピールしていたのもこちらの策だ。その笛さえ奪えば増援が来ないとでも思ったか? お生憎様だな。それは調教師エイディとして受け取ったやつよ。運び屋フィーブルとして
二の矢三の矢の警戒を怠るなんて、それでもホントに元金級候補か? リベルさんよぉ。
背中を晒すアホを見ながらほくそ笑み、そして思い切り笛を吹く。音は鳴らなかった。そういう説明を受けていたから驚きはない。さて、後は任せるぞ。金級。
「……! クソ野郎がッ!」
コケにされたことに気付いたリベルがこちらを向いた。そして俺が咥えている笛に気付き顔を歪める。いちいち手ぬるい野郎だ。戦場を離れて勘が鈍った、ってのもあながち間違いじゃないみたいだな。ミラのような冷徹さが著しく欠けている。それじゃ俺の首は獲れねぇぞ。
「……っ! …………!?」
リベルが左腕を右腰へと添え、そして呆気にとられたような息を漏らす。おいおい、まるで大事な剣を失くしちまったみたいな顔だな? 気付くの遅ぇってんだよボケ。
「捜し物はコイツかい?」
俺は【
リベルが空縫いを所持していると踏んだ時点で俺は常に気を巡らせていた。『隠者の外套』を右手に持ったナイフで切り裂き、やつの姿が露見したその一瞬で俺は魔法を発動していた。右腰に佩いていた剣に左手で触れ、そして【
「コツを教えてやる。視線は前方に固定、そして表情は自然体をキープだ」
「っ……! キサマぁッ!!」
激昂したリベルが懐から短剣を取り出して突っ込んでくる。甘い、甘すぎる。目を曇らせ過ぎだ。お前は最後のチャンスを不意にしたぞ? 今の一瞬で、お前は恥も外聞もなく逃走を選択するべきだった。
ま、そうさせないように言葉を吐き出したのは俺なんだがね。俺は空縫いに魔力を注ぎ込んだ。力を開放しろ!
「凍りつけッ!!」
その剣によって氷像へと変えられた国は、まるで時の流れからも切り離されたようであったと云う。
停滞の剣。空間すら凍てつかせる、まさに厄災そのもの。俺はその力の一端をほんの少しだけ引き出した。氷嵐が空を裂いて顕現する。爆ぜる氷柱は空を縫う針の如く。極寒の垂れ幕が天に漲れば世界はその活動を停める。
「ぐ……オォッ!!」
しかし腐っても銀級。瞬時に飛び退いたリベルは氷嵐の圏外へと離脱し、迫る氷柱を持ち前の体捌きで躱しきってみせた。
チッ。この剣……じゃじゃ馬ってのはホントだな。想定の威力の三割も出せてねぇ。脚の一本は凍り付かせる予定だったってのにリベルの野郎は未だにピンピンしてやがる。
だが。
「時間切れだぜ?」
俺はちょいと後ろを指差した。今度はハッタリじゃない。ヤツだってそれくらい分かってるはずだ。
気付いたらそこにいる。どこにだっている。呼べば来る。悪党の背後には常に処刑者の影があるのだ。
「ミラ……!」
「……二度と、会うことはないと思っていたのですがね」
感動の再会……ってよりは、因縁の再会って感じだな。
師と弟子。しかし事ここに至っては犯罪者と断罪者。重く、粘着くような空気を轟音と砂煙が吹き飛ばした。
「ヌゥぅぅンンッッ!!」
空から降ってきた『柱石』である。
こいつは……本当に何なんだ。ちっとはさぁ、空気を読めよ。なんかいまそれっぽい雰囲気だったじゃねぇか。走って来いよ。跳ぶな。
「…………なるほど」
ギルドの宝剣を持って倒れ伏す俺、ミラと睨み合うリベル。状況を把握したアウグストは、珍しいことに空気を読んだ。
「ミラ、俺様がやってもいいぞ」
それはアウグストなりの気遣いだったのだろう。師を手に掛けることへの忌避があるなら自分が請け負ってもいい。そんな優しい提案は。
「いえ、私がやります」
非情の覚悟を決めたミラに跳ね除けられた。
短剣を構え直したリベルが吠える。
「クソガキが……てめぇに俺がヤれんのかッ! 誰がてめぇに技を仕込んだと思ってやがるッ!」
「感謝はしています。でも、それ以上に、今の貴方は見ていられない。……何処かの街で、ひっそりと生きていてくれれば良かったのに」
「ギルドはッ! 俺という人間を軽んじた報いを受けるべきなんだ! 俺がっ! どれだけあの街に貢献したと思ってやがる! それを、未熟なガキ一人の呪装を取り上げたくらいでっ、放逐だぁ!? 順序がチゲぇーだろォがよッ!」
「醜い自己弁護ですね。そこまで、堕ちたのですか」
「クソガキがァァッ!!」
リベルが消える。林立する木の影から影へと跳び移る撹乱の戦法。【
「遅い」
木と木の間を跳び回るリベルをミラの蹴りが打ち抜いた。吹き飛ぶリベルに追い打ちが見舞われる。
「弱い」
体勢を整えた直後の側頭部を刈りとる蹴り。脳が揺れたのだろう。反撃に突き出された短剣の突きは切っ先の鋭さに見合わないほどお粗末なものだった。
「どうしてっ、こんなに弱くなったっ!」
腕を捻り上げ、リベルを地に転がしたミラが取り乱したように叫ぶ。見たことのない表情をしている。心胆を冷やすような鉄面皮を一枚剝いだら出てきた姿は、今にも泣き出しそうなガキみたいな顔だった。
「酒臭い。……お酒、やめろって言ったじゃないですか」
「これは、そこの商人にハメられたんだッ!」
「商人にハメられるほど、堕ちましたか。……私は、貴方の助命を嘆願するべきではなかったのかもしれませんね」
「……!」
リベルの顔が歪む。
やつは……ミラはリベルの罪の擁護をしなかったと言っていた。違ったのだ。むしろ逆。ミラが裏で助命を嘆願したからリベルは片腕一本と引き換えに命を拾った。本人に知らせなかったのは師としての矜持を尊重したからか。それは推し量れるもんじゃない。だが、良い方向に転ばなかったのは事実のようである。
リベルの顔が醜悪に歪む。やつはミラの中に甘さを見出した。
「ミラ! ミラっ! 強盗に両親を殺され、路頭に迷ったお前を拾い、育ててやったのは誰だ!」
命乞いってのはこんなにも醜く映るのか。俺はそんなことをぼんやりと考えていた。
「見逃してくれよぉ……なぁ、頼むよ……ほんの出来心だったんだ……今、俺は俺の罪をはっきりと自覚した。エンデにはもう関わらない! 望むならエンデのためにこの身を捧げてもいい! なんだってやるから、殺さないでくれよぉ……」
人間ってのは生き足掻いてこそだと俺は思う。しかし……これはねぇな。
醜悪に歪んだ顔、握った短剣を力強く握りしめる手、機を見出そうと最適な位置を探る両の脚。その全てが、どうにも無駄な足掻きに見えてならなかった。
「『柱石』さんよ。あいつ……もういいだろ」
「あァ……奇遇だな。俺様も、ちょうどそう思ってたところだ」
俺の持つ剣を警戒して俺の側を離れなかったアウグストが未だに喚いているリベルの元へと向かう。
「リベルよォ……あんまりガキを虐めてやんなよな。跡を濁すな。テメェは、もう潔く死ね」
アウグストが震えるミラを石塊のような手でそっと押しのけた。リベルの拘束が解かれる。待ってましたと言わんばかりに跳ね起きたリベルが短剣の刃を閃かせた。凶刃がミラの喉元を切り裂く寸前。
「だからテメェは銀級止まりなんだッての」
いとも容易くアウグストの手に弾かれた。
「ッ! オアアァァァッッ!!」
首を締められた怪鳥のような叫びは断末魔にも似ていた。
最期の足掻きとして振るわれた腕はアウグストの五指に掴まれ。柱のような脚に蹴りを入れるも微塵も揺るがず。
リベルの腕を掴んだアウグストはくるっと半回転してミラに背中を見せた。岩塊のような巨体が哀れな男の最期の姿を隠す。リベルはアウグストに首を捻られて死んだ。
光の粒が空へと溶けていく。二十秒もすれば、リベルという男が生きていた痕跡はどこにも無くなっていた。魔石を落とさない魔物みたいなヤツだったな。ふと、そんなことを思った。
「…………お手数を、お掛けしました」
「構わねェよ」
瞑目して立ち尽くすミラを一瞥したアウグストは軽く息を吐き、そしてこちらへと向かってくる。規格外の巨体の大股は一歩の距離が驚くほど長い。錯覚を起こすほどデタラメに距離を詰められる。思わず身体を強張らせる俺に対し、アウグストは地鳴りのように低い声で俺に問い掛けた。
「で、お前はギルドの敵か?」
俺は空縫いを両の手のひらで抱え、献上するように差し出した。これにて一件落着である。
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