随意ならざる自作自演

 大量の毒をエルフから購入してアーチェに引き渡したが、それでもまだまだ懐は暖かかった。


 新聞社での儲けに加え、イカれエルフどもから受け取った金もある。イカれエルフどもに…………うっ、脳裏にあの光景が……! クソっ……【寸遡リノベート】ッ! 


 はぁー……はぁー……お、俺は今、一体何を……? 開いた手で額を覆う。

 酷く冷や汗をかいていた。喉がカラカラに乾いている。くそっ……なんで、なんで俺は泣きそうになってるんだ……!


 頬を叩いて気を取り直す。

 今の俺は王都の闇市を散策しに来た裏の売人シクスだ。無様な姿を晒すんじゃない。俺はこの闇市で何か心の傷を埋めてくれるナニカを探しに来たんだ。金なら……ある。


 肺の中の空気を絞り出すように息を吐き、二、三深呼吸を繰り返せば傲岸不遜なシクスの完成だ。周りのやつらなど眼中に無いと言わんばかりの迷いなき足取りで陽の当たらない区域を練り歩く。

 さてさて、珍しそうな呪装でも冷やかしに行くかね。我が物顔でスラムを闊歩していたところ、ドタドタとみっともない足音が後方から聞こえてきた。


「旦那! シクスの旦那ぁ!」


 名前を呼ばれた程度では振り向かないのがシクスである。話があるなら自分からツラを見せろ。そんな居丈高の姿勢も貫き通せば悪のカリスマとなる。

 掛けられた声を敢えて無視して歩いていたところ、俺の眼前に一人の男が転がるように躍り出た。俺の来訪を聞いて慌てて駆けつけたらしく肩で息をしている。コイツは……故買商のオヤジじゃねぇか。


「おう、この前は」


 いいカモを紹介してくれてありがとうな。そう気さくに挨拶しようと思ったのだが。


「旦那! あっしが悪かったよ! 旦那の気を損ねようなんて気はこれっぽっちも無かったんだ!」


 ガバっと頭を下げたオヤジの勢いに押されて二の句が継げなかった。


「……あ?」


 代わりに出てきた気の抜けた一言は、しかしオヤジにとって脅しのように聞こえたらしい。ぐっと身体を縮こませたオヤジがくしゃくしゃに歪めた顔でへつらうような声を出す。


「見れば分かるってのは、ちょっとした冗談のつもりだったんでさ! けして旦那のことを馬鹿にしたわけじゃなかったんですよ……! だからあっしのことを切らないでくだせぇ!」


 なんだ? このオヤジは一体何を言っている? この言いようだと、俺がオヤジとの取引をすっぽかして無視を決め込んだみたいじゃないか。

 俺は確かにオヤジからの注文を届けたはずだ。ハッパを、エンデのグリードまで。あの件では随分といい思いをさせてもらったよ。ボロい商売だとほくそ笑んでいたことを昨日のことのように思い出せる。たかがハッパの密輸とは思えないほどの儲けを――



 ――まさか。嫌な閃きを得る。俺は……何か致命的なところでボタンを掛け違えたのでは?


「仲介人は見りゃ分かるってのはあっしの持ちネタみたいなもんだったんですよ……。仲介人はあっしとそっくりな弟だから、空気を和ませるためのちょいとした冗談のつもりだったというかね……?」


 取り違えた。確信する。

 このオヤジは……俺が機嫌を損ねて取引をブッチしたと勘違いしてやがるのか。だからここまで卑屈になって俺のご機嫌取りと弁明に必死になっている。


 それはいい。どうでもいい。許すとか許さないとか、そんなこと今は捨て置く。


 俺は……一体何をエンデに運んだ?


「オヤジ。聞かれたことだけ答えろ」


無響サイレンス】を展開する。この失態を外部に知られるわけにはいかなかった。

 まだ……誰にもバレていないはず。運び屋フィーブルはこのオヤジとの取引をするために作り出した人格だ。しかし、運び屋フィーブルはこのオヤジの弟とやらと会っていない。


 つまり、だ。フィーブルを遣わしたのがシクスであるという設定はまだ誰も知らない。シクスはオヤジの態度が気に入らなかったから運び屋を寄越さなかった。そういう設定でまだ誤魔化せる。


 問題はフィーブルだ。宙ぶらりんになった人格が、何かよくわからないものをエンデまで届けていたという事実だけが俺の中で浮き彫りになっている。

俺は何かをエンデに届けてしまった。金貨を惜しみなく積んで検問を突破させたくなる程の何かを。俺は……それを特定しなければならない。


「ここ最近で、何か盗難事件はあったか? 厄介なブツが盗まれたという情報は?」


「は? シクスさん、何を」

「いいから答えろッ!」


 冷徹非情が常の仮面にヒビが入っていた。だがしかし、ここで足踏みをしていたら何か大変なことになる。そんな予感があった。

 故買商のオヤジは情報通としても知られている。盗品を好んで扱うようなやつのもとには後ろ暗い情報も転がり込んでくるのだろう。オヤジはそれを商売に活かすくらいには強かで、有用だ。


「ええと……まあ、旦那なら存じてると思いますが……大きな騒ぎといえばやっぱり王城に運ばれる最中の呪装が盗まれた件じゃないですかね……?」


 オヤジが語った件は、俺が荷物を取り違えた日に王城で聞かされた件と同一のものだろう。王都の内部で手練れの連中に呪装が盗まれた。脳裏を嫌な予感が掠めていく。

 王城に集められる呪装は危険なものはもちろん、厄介な効力を持つものや争いの火種になりかねないものまで含まれる。厳重な管理が必要な代物だ。厳重な管理……。俺が受け取った荷物にはご立派な錠前が付けられていた。


 まさか。いや、もう疑うのはやめよう。俺は……盗まれた呪装をエンデに持ち込んでしまった。組織的な犯行に及んだ連中の手助けをしてしまったことになる。

 何故今の今まで気付かなかったのか。それは……窃盗組織の目的地もエンデだったからだ。俺がエンデのグリードまで荷物を届けると言った途端にやつらはブツを差し出した。そこで俺はあの荷物がハッパであると信じ込んでしまったのだ。クソが! 偶然にしてはタチが悪すぎるだろ!


「……盗まれた呪装の効果は判明してるのか?」


「へっへっ……本来なら情報料を頂くところですが、旦那になら特別に――」


 俺は革袋から金貨を三枚取り出して押し付けた。


「早く言え。知る限りを吐け」


「っ! え、えぇ……。盗まれたのは『隠者の外套』。羽織った者は世界からズレるなんて言われてるシロモノでさ」


「ズレる……?」


「ええ。そこに居るのに、そこに居ない。まさに世界を一つ跨ぐようなもんなんだとか。足音や体臭、気配なんてもんを断つっていう、盗っ人垂涎の品らしいんでさ」


 無駄な装飾が施された情報を排して効果だけを精査する。それはつまり……。


「【隠匿インビジブル】って魔法に似てるな」


「それだけじゃありやせんぜ」


 オヤジがピンと指を立てる。


「自分が『嫌だ』って思うモンを受け付けなくなる効果もあるんだとか。暑さや寒さなんてもんから、毒や雨粒、果ては人の視線まで。外界を疎んだ偏屈な老人が作り出した呪装。それが隠者の外套って噂です。それを盗み出した連中の頭目が見つからないのも、十中八九それを既に羽織っちまってるからなんじゃないかって話でさ。しみったれたコソ泥すら神出鬼没の怪盗に押し上げる。そんな呪装だって話ですぜ」


 ……まずい。まずいな。

 そうか。そうかっ! そういう、ことだったのか……! だからかッ! だからあんなに厳重な警戒を敷いていたのか! 空き巣被害が増え続けていたのも! アウグストが招集されたのもッ!! 全部その呪装のせいだったのかっ!!


「クソがぁッ!!」


「だ、旦那? どうしたんで……まさか、旦那、例の呪装を……かはっ!?」


 俺はオヤジの腹に拳を叩き込んだ。【無響サイレンス】を解き【寸遡リノベート】を掛け記憶を飛ばす。


 まずい。まずいことになった。俺は即座に踵を返してスラムを駆けた。同時に【六感透徹センスクリア】を発動する。焦げ付くような衝撃が首筋から脳裏を走り抜けていく。

 最悪だ。未だ経験したことのない最悪の感覚がじわりと精神を蝕んでいく。


 違和感はあった。厳戒態勢の中で連続する空き巣被害は恐らく犯人からの挑発だ。アウグストが招集されたのは、魔物よりもたちの悪い脅威が街に迫っていたため。


「あぁ、あの犬畜生は……既に気づいてたのかッ! クソっ! 俺は、あの意思を聞き捨てるべきじゃなかったっ!!」


 寂れた区画を走り抜けながら思考する。散らばった違和感を繋ぎ合わせれば見逃していた真実が見えてきて、あまりの状況の悪さに苛立ちが口を衝いて出てくる。


「そりゃ、勇者を呼ぶわけだ……なんで、なんで気づかなかったんだ俺はッ!? 剣を見せる見せないなんて、あんな馬鹿みたいな応酬が起きた時点で、十分察せただろうがッ!!」


 今になって思い出せば自分の鈍感さに腹が立つ。おかしいだろう。なんで竜なんて脅威を前にあの男は丸腰だったんだ? そこに疑問を持つべきだった。


「『竜殺し』ってのは、隠語かよ! クソっ! クソがッ!! まんまの意味じゃねぇか! 屠龍酒ドラグ・スレイなんて何の関係もなかった!!」


 ルーブスの野郎が狼狽えるわけだ。そりゃあ持ってこれねぇし見せられねぇよな。護国のために振るわれる刃は既に手許を離れてんだからよぉ……!


「盗まれたのかッ! 『空縫い』がッ!」


 恐らく……いや、確実に俺が運んだ『隠者の外套』のせいだ。世界からズレる呪装。国が率先して回収するくらいだ。その効果の程は折り紙付きだろう。手練れが羽織れば冒険者ギルドの至宝を盗むくらいはやってのけるはずだ。


 エンデの街が、国が未だに滅んでいないのは盗人があの剣を十全に扱えないってこともあるだろうが……主な理由は復讐、か。ことは既に冒険者ギルドの責任問題である。盗人野郎はそれが狙いだ。或いは、エンデの街が滅びようとも構わないくらいに思っているかもしれない。全ては屈辱と恨みを雪ぐために。冗談じゃねぇぞ……。


「そこまでやられたら、こっちにとってもいい迷惑なんだよッ!」


 ことは急を要する。俺は冒険者ギルドが真相に気づく前に、このクソみたいな事件を収めなければならない。

 もしも国家基盤を揺るがすほどの事件の発端が俺だと……勇者ガルドだと知られたら、勇者の威光は地に落ちる。姉上二人の顔に泥を塗るも同然。それは何としてでも避けなければならない。


 姉上の手を借りるか。……いや、無理だ。上の姉は真相を知ったら素直に冒険者ギルドに詫びを入れかねない。俺のミスであの馬鹿が頭を下げる? そんなのゴメンだ。

 下の姉に協力を依頼したら迅速に事態を収束させられるだろうが、取り返した剣をそのままパクるに決まっている。なんの解決にもなりゃしねぇ。クソかよ!


「やるしかねぇ……俺一人で」


 冒険者ギルドは馬鹿じゃない。そう遠くないうちに各地から情報を仕入れて事の経緯を把握し、運び屋フィーブルの尻尾を掴むだろう。【六感透徹センスクリア】使いや特殊な能力持ちが総力を上げたら勇者ガルドの影を掴むかもしれない。その前に全てを丸く収めるんだ。俺一人で。


「やってやるさ……王都の衛兵がやらかした失態も、冒険者ギルドが撒いた種のツケも全部、俺がてめぇのケツを拭くついでに纏めてキレイにしてやらぁ……」


 エンデは俺の貯金箱なんだよ。それを無秩序に荒らそうってやつは容赦しねぇ。

 世界からズレる? 上等だ。呪装頼りの陰険な野郎なんざ身包み剥いで断頭台に差し出してやるよ。

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