腹の切れ目は縁の繋ぎ目

「おーう、アーチェいるかー。毒作ってくれ毒。前に作ってもらった粉末式の劇毒な」


 暗く湿った路地裏にひっそりと建つ工房。ひと目見ただけじゃ店だと判断できない建物の扉を開け、来客が居ないことを確認してから声を上げる。


 俺は『柱石』との模擬戦の折、毒の使用を盾にして追及を逃れた。その説得力を補強するため、再度毒を仕入れに来たというわけだ。嵐鬼の抵抗を貫くほどの劇毒を自作するのは難しい。そこでイカれ錬金術師の出番というわけである。


 部屋の奥で何かしらの作業をしていたのであろうアーチェが恐る恐るといった足取りで姿を現す。まるで死人を見たかのように目を見開き、そしてすうっと目を細めた。こわごわとした声を出す。


「あのー…………エイトさん? なんで生きてるのかって聞いたら、ダメなやつですかね……?」


 アーチェはイカれているが馬鹿ではない。串焼き屋の店主サーディンが俺の変装した姿であると瞬時に見抜いたし、己にとって有用な人物との距離の測り方を心得ている。豊富な知識と悪賢さにイカれた思想を錬金したら出来上がるのがこの女だ。


 しかしその悪質な頭脳を以ってしても死者の蘇りという現象には頭を抱えるらしい。

 サーディンが処刑されたという話くらいは耳に挟んでいるだろう。それすなわち冒険者エイトの死亡と同義。だがそれはあくまでアーチェの頭の中での話である。


 コイツは俺が処刑された瞬間に居合わせていなかった。ならばいくらでも誤魔化しが効く。俺は唇を湿らせてから言った。


「俺は【偽面フェイクライフ】を使える。そしてアーチェ、お前は知らんだろうがな……俺ぁギルドにわりと太いパイプを持ってんだよ。俺が有用な人間だってのはお前も知ってんだろ? 貴重な素材をいくつも恵んでやった経験から理解してるはずだ。ギルドは……俺を殺せない」


 俺はそこで一旦言葉を切った。考えを巡らせる猶予を与えるためだ。

 一から十まで説明したら嘘だと思われる。故に思い浮かべた可能性の一つを肯定する形で話を進めるのだ。【六感透徹センスクリア】使いを相手取る時と同じ。中途半端に賢しいやつにはこの手法が覿面に効く。


「……まさか」


 目元をヒクと震わせたアーチェが何かおぞましい物を見たかのように声を震わせる。俺はバッと両手を広げ、にこやかな笑みを浮かべて言い放った。


「そう! 俺とギルドは……裏で繋がっている」


 握り拳を作る。右手と左手、計二つ。それをちょいちょいと交互に動かしながら言った。


「ここに断頭台送りの首が二つある。一つは何かと役に立つ冒険者エイト。もう一つは名も知らぬクソのような重罪人。アーチェ、俺が真っ先に何と言ったか覚えてるか? 復唱しよう。俺は【偽面フェイクライフ】を使える。後は分かるな?」


 端正な顔を歪めたアーチェがジリと一歩後退り、手を胸の前に構えた。


「罪を……なすり、つけたんですか……?」


 俺はすっと左手を引き、そして右腕を突き出した。軽く持ち上げ、勘定台の上に平手を落とす。ピシャリという音は飛散する血液のようにも聞こえた。


「もう一人の重罪人にこう尋ねたんだ。拷問されて苦しんでから死ぬか。それともサーディンとして演技をした後にスッパリと首を落とされて死ぬか。二択を与えたんだよ。断頭台行きは免れないが、せめてもの恩赦ってやつだな。やっこさんはなんの迷いもなく後者を選んだよ。なかなか堂に入った演技をしてくれたぜ?」


「うへぇ……悪辣ぅ……」


 俺はギルドの悪評を吹聴することで事なきを得た。頭が良くても騙し騙されの経験が少ないコイツは俺の発言を嘘だと疑わない。処刑されたはずの俺が今こうして生きていることの辻褄を合わせるとしたら、語って聞かせた話が最も説得力を持っているからだ。ちょろいちょろい。

 この件について探ったらギルドから消されるぞ、と口止めをしてから交渉を開始する。


「さてさて。アーチェ、俺はお前の調合ミスで事業に失敗したあげく、ギルドに対して借りを作っちまった。お前の調合ミスのせいで、な。この落とし前は……どうつけてくれる気だ? ん?」


 上から圧をかけるように睨みながらアーチェへと問いかける。例の件を質に取って強気な値下げ交渉に踏み切るつもりだった。つもりだったのだが……返ってきたのは思いのほか強い怒りの視線だった。ムッと頬を膨らませたアーチェが吠える。


「私が既存のレシピの調合ミスなんてするわけないじゃないですかーっ! エイトさんが希釈前の原液を私に黙ってくすねていったのが悪いんですよっ!」


「は……? 希釈前?」


「そうですよ! 一晩寝かせて馴染ませてからじっくりと希釈する必要があったのに……エイトさんはそれを私に黙って持っていったあげく自爆したんですよ。もう! 事件の後、あれは私の作った毒なんじゃないかってギルドに疑われて大変だったんですからねっ!」


 俺の自爆……? マジかよ。それは……頭になかった。

 錬金術師ってやつは自分の作品を貶められることに強い憤りを感じることが多い。腕の立つやつなら尚更だ。

 まずいな……完全なやぶ蛇だった。へそを曲げられて取引を辞めるなんて言われたら食い扶持を一つ潰すことになりかねん。俺は脅すような雰囲気をパッと霧散させて笑みを浮かべた。


「いや、すまんすまん。悪かったって」


「前にも言いましたけどねー! エイトさんは錬金術ってものを根本的に見下してるんですよ! 素材を渡して終わりってだけの考えだからそうやってヘラヘラして――」


 チッ。俺は内心で舌打ちした。先の件はアーチェにとってよほど腹に据えかねる事件であったらしい。

 俺には錬金術師ってやつの腹の中は理解できんが、発想を変えることでそれがどれ程に屈辱的であるかを予想することはできる。


 厨房に踏み入って味付け前の料理をつまみ食いしたあげく不味いと騒ぎ立てるようなもの。もしくは、鍛造中の剣をかっぱらって石に叩きつけてボロボロにした後にナマクラだと騒ぎ立てるようなもの。

 職人からしたらブチ切れ案件だな。責められても何の文句も言えねぇなこりゃ。


 有用な人物とは適切な距離感を保つのが肝要だ。それが俺の哲学。

 口を尖らせ、眉間に皺を刻み、敵愾心を露わにして俺を見上げるアーチェに対し、俺は警戒心を解くような笑みを浮かべた。


「欲しい毒を何でも仕入れてやる。だからそう睨むなよ〜」


 俺とアーチェを繋ぐものは純然たる利益である。互いが互いの急所を抑えているという負の信頼関係は中々に心地が良い。それは向こうだって同じはずだ。俺を最大限利用しようと画策している。一時の激情に流されて関係を御破算にするのは賢くないと頭では理解していて、しかし心が納得しないという状況。ならばちょいと譲歩して心の熱を冷ましてやればいい。効果のほどは劇的だった。


「……何でも? いま何でもって言いましたよね?」


「おう。だからまぁ、今後もよろしく頼むよ。な?」


「ふーーん……。まっ、いいでしょう。全くもう、エイトさんもようやく私の価値ってやつに気付いたんですね? そこまで言うなら、今後とも宜しくしてあげますよっ!」


 チョロいなこいつ。いい金づるだよほんと。

 ふんすと鼻を鳴らしたアーチェからは既に怒りの色は失せていた。興奮を隠しきれない様子で紙に羽ペンを走らせて目録を作成している。


「……では、これをお願いしますね」


 差し出された目録を受け取る。チッ。チョロいけどガメついなコイツ。結構な量だ。常識知らずめ。

 しかし……イカれエルフと交渉すれば何とかなるな。俺は目録を懐に突っ込んだ。


「オーケー、任された。つーことで俺の毒の調合も頼むわ」


「いいでしょう、任されました」


 交渉成立。そのまま踵を返して店から出ていこうとしたところ、背後から躊躇いを含んだ声が掛けられる。


「……それ、自分でもわりと無茶を言ったつもりなんですけど……即決なんですね。私が言うのも変ですけど、よくギルドにしょっ引かれませんよね」


 何度かしょっ引かれて首を落とされてるんだけどな。

 俺は内心をおくびにも出さず振り返った。口の端を歪めて言う。


「有用だからしょっ引かれねぇんだよ。俺も、お前もな」


 俺はまた一つギルドの評判を落とした。


 ▷


 やって来たるはイカれエルフどもが住まう大森林である。

 女神像から生えてきた俺は犬小屋から這い出してぱっぱと土を払った。気合を入れ直す。ここから先は腹を括らねばならない。やがていつもみたいに頭のタガが緩んだやつらが俺を玩具にしようと擦り寄ってくるだろう。


 そう思っていたのだが……。


「……来ねぇな?」


 やつらは魔力の揺らぎに敏感だ。俺がこの地を訪れたことにいち早く気付いているはず。だとしたら、なぜ? 何か……嫌な予感がする。【聴覚透徹ヒアクリア】。


「……なんだよ、いるじゃねぇか」


 一際デカい建物……『解剖所』の方角からきゃいきゃいとはしゃぐような声が聞こえてくる。……行きたくねぇなぁ。あそこの扉の音を聞くたびに心が軋むんだよ。また来ちまった……てな具合に。心の端っこから目の粗いヤスリで削られるような感覚は思い出すだけで手が震えるほどだ。


「くそっ……でも、行くしかねぇよな」


 震える脚を叱咤して解剖所へと向かう。バクバクと脈打つ胸を抑えながら呼吸を整えつつ歩く。【鎮静レスト】は使わなかった。精神に干渉する魔法を多用するのは強い忌避感を覚える。魔法は"その時"のために温存しておく必要があったのだ。


 覚悟を決めて施設前に顔を出した俺を出迎えたのは一人のちびっこエルフであった。手でバツを作って言う。


「勇者さまー! ここはいま立入禁止ーっ!」


「あぁ? どういうことだ?」


「んとねー。身体のさんぷる? が十分集まったから、勇者さまはもういーんだって! 今は大事なけんきゅーをしてるから、誰も入れちゃダメだって言われてるの! 勇者さま、今日はもう帰っていいよー」


 は? なんだそりゃ。俺は頭が真っ白になるという言葉の真の意味を理解して、そしてしばらく立ち尽くしていた。


 勇者さまはもういい。もう、いい? 要らない? 俺が?

 あれだけ俺の身体を激しく求めていたというのに……嫌だと言っても離してくれなかったくせに……満足したら要らないってのは、そりゃどういう料簡だ? 道理じゃねぇだろ。俺を捨てると、そう言いたいのか? お前らは……!


敏捷透徹アジルクリア】。俺は走った。ここからそう遠くない族長の家に向かって。【膂力透徹パワークリア】。下肢に漲った力を躍動させて跳ぶ。

 デカい樹の上に作られた家は周囲の物よりもほんの少し立派な造りをしていた。族長の家の扉を破るように開け放つ。鍵は掛かっていない。こいつらには必要ないからだ。のほほんと茶を啜っている族長に向かって叫ぶ。


「おい……なんだよ、俺がもう要らないって……どういうことだっ! 答えろッ!」


 エルフにしては大人びた風貌の族長は、俺のがなり立てるような声を聞いても涼しい顔を崩さなかった。こいつは……何時だってそうだ。嫌味なほどの澄まし顔で俺の身体を弄ぶ。いっそ馬鹿にしてるとしか思えないほどあざとい仕草で首を傾げた族長が言う。


「どういうことと言われましても、言葉通りの意味です。保存の次の段階……複製に成功したので、もう新しいサンプルは必要ないんですよ」


「複製……? なんだそりゃあ。ワケのわからんことはいい……答えろ! 俺との取引をやめると、そう言っているのか!?」


「まぁ、そうなっちゃいますかね」


「ッ……! 俺が持ち込んだ金貨はどうする気だ!? 俺との取引に使わなかったらただのガラクタに成り下がるんだぞッ!」


「一応取っておきます。私たちの集落には金貨なんて必要ありませんが、それでも交渉の手札として使えることに変わりはないので。いつか使うかもしれませんし」


 この集落に経済の概念を持ち込んだのは俺だ。稼いだ金貨と有用な毒物を引き換えにして、向こうが俺の身体を欲した時に金貨を払う。俺が稼いだ金で全てが回っていた。その連鎖を、唐突に向こうから断ち切られたことになる。そりゃねぇだろ。おい。


「俺はもう、用済みってわけか……?」


「うーん……まぁ、はい」


 カッと肚の内で熱が発生した。吐き出す呼気が熱い。俺は怒りに震えていた。散々っぱら俺を弄んだやつらが、興味を失くした玩具のように俺のことを打ち捨てようとしている。許さねぇぞ……! 俺は族長に一歩詰め寄った。眠たそうな表情をしている女に言う。


「俺の身体の制限を解く」


「……!」


 族長の目が大きく見開かれる。空の青より澄んだ瞳。千の金貨に値する宝石に喩えられるそれを覗き込む。覚悟を示すためだ。


「ほ、本当ですか……? 今まで、絶対に許してくれなかったのに……!」


「お前らが悪いんだぜ。俺を捨てるなんて、馬鹿なことを言うからだ」


「っ……! 人としてのプライドがあるから、絶対に駄目って言って切除させてくれなかったのに……」


「その禁を解いてやるって言ってんだよ」


 俺は人としての矜持を捨てることを選んだ。俺のことをゴミのように捨てたエルフを許せなかった。理由なんてそれで十分だった。抱えた矜持が重荷になるなら、欲しがるやつにくれてやる。だから、俺を見ろ。


「そんな……そんなこと言われたら……私たち、我慢できなくなっちゃいますよ……?」


 頬を上気させた族長が立ち上がり、俺の服を掴んで壁に押し付けてくる。力一杯握りしめられた服の繊維がみちみちと悲鳴を上げていた。だが俺には一分の恐怖もなかった。コイツらが俺に傷をつけるのは……寝台の上でだけだ。


 まつげの本数が数えられるほど近くに顔を寄せて呟く。


「我慢しなくていいって言ってんだよ」


 絹糸のように滑らかな髪を手櫛で梳きながら額を合わせる。分からせなくてはならない。お前らには、俺が必要なのだと。俺だけがお前らを満足させてやれる。だから。


「二度と要らないなんて言わせねぇからな?」


 俺は族長にお持ち帰りされた。俺のことを力強く担ぎ上げた族長は本能の赴くままに森を走破。驚くべき早さで『解剖所』へと俺を連れてきた。


 最終確認される。本当にいいのか、と。俺は優しく微笑んだ。『解剖所』の重く、分厚い扉が開く。ぎぎっという耳障りな音を聞いて、俺は温もりに身を委ねるようにそっと目を閉じた。ガチャリと、扉が閉まる……。

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