脅威来る

 定宿のベッドで不貞寝している。


 俺は自分のことをそれなりにできるやつだと思っていた。それは単なる自惚れや根拠のない自信ではない。積み上げてきた実績を冷静に、そして客観的に分析して算出した答えだ。


 補助魔法を高いレベルで扱える。俺が生まれ持った才能だ。

 俺はこの才能に甘えることなく、自らの権能を深く理解するとともに技の根幹から細部に至るまでを研ぎ澄ませ続けた。ガキの頃はひたむきに。ある程度成長してからは頭を使って。


 そうして磨き上げた技は、戦闘にこそ不向きだったものの、様々な局面で堅実な働きを見せてくれた。戦闘馬鹿の姉上二人と比べたら派手さはないが、手札の多さという点では俺が勝っていると断言していい。


 俺は地味ながらも優秀な能力を駆使して時に一財産を築き、時に派手に豪遊し、時に王都のスラムの要人の一人にまで成り上がった。


 例えば。

 俺とそっくり同じ才能を授かったとして、俺と同じことをできるやつがどれほどいるだろうか。


 そりゃいるにはいるだろう。俺以外にはできないなどとうそぶくつもりは毛頭ない。むしろ俺よりも上手くやれるやつなんてそこら中にいると思っている。


 だが。だがしかし、だ。

 それでも俺はかなり上手くやっている方なのではないかという自負があった。


 この街のやつらを見るたびにそう思う。そこらの冒険者が俺と同じ才能を手にしたとて、やることは精々が力と脚を強化したゴリ押しの力仕事くらいなもんだろ。馬鹿だし。頭を使った商売も、手札の多さを活かした柔軟な戦法も適うまい。


 平和ボケしたそこらの街の連中にしたって同じだ。精々が存在感を消して盗みを働くくらいしか思いつかないだろう。上手いこと知恵を働かせて小銭を稼げるやつもいるだろうが、大抵のやつはそこ止まりだ。一日に金貨数枚を稼ぐ飯の種にありつけるやつがどれ程いるものか。


 驕りや増長とは違う自信があった。経験に裏打ちされた矜持である。俺も中々にやるじゃねぇのっていう前向きな姿勢。


 それにちょっとしたヒビが入っている。


「あんな犬畜生なんかにいいようにされるなんて……情けねぇ……」


 金級に捕まるのはいい。あれはもう頭おかしいから。

 だが多少賢い程度のスライ風情にハメられたという事実が俺の肚の内に例えようもないモヤモヤをもたらしていた。


「あぁ゛ー……」


 スライなんぞに手玉に取られやがってあいつら馬鹿だな〜、って冒険者連中を笑っていたら自分もその一員だったというこのやるせなさよ。俺は瓶のコルクをキュポンと取ってグビグビとワインを呷った。飲まんとやってられんわ。


 ぶっちゃけ俺の正体がバレたことはどうでもいい。街の連中ならともかく、人語が喋れない畜生に弱みを握られたところで痛くも痒くもない。少々驚きはしたが、まぁそれだけだ。

 そもそもあのリーダーが勇者という概念を正しく理解してるかも分からんし。獣の意思を完璧に汲み取る【伝心ホットライン】使いが存在するとも思えない。


 勇者。勇者か。犬っころにハメられる勇者かぁ……。


「はぁ……寝よ」


 気分が晴れない時はひたすら飲んで寝るに限る。今は酒の力を借りて思考をリセットしよう。それがいい。

 ワインを一瓶丸々腹の奥に突っ込んだので酔いの回りは上々。二日か三日はのんべんだらりと過ごすとするかね。


無響サイレンス】。これで不愉快な声も気にならない。存分に惰眠を貪るとしよう。


『勇者様、勇者様。聞こえておりますでしょうか』


 唯一俺の邪魔をするのはこの鬱陶しい救援要請だけだ。何処其処で魔物が出たから駆除してこいというパシリ要請である。

 唐突に頭の中に声が響くというのはすこぶる不快なのだが、なんというか、もう慣れた。慣れってのは大事だ。俺に言わせりゃ勇者は首を掻っ斬ることに慣れてからが始まりよ。今さら救援要請ごときで騒ぎ立てる気にもならん。


 意識が完全に内向きになっていた。深い酔いも手伝って警戒の糸を張り巡らせることを放棄していた。


『勇者様……凍てつく嵐を纏う竜の顕現を確認いたしました』


 ぽつぽつと浮かんでくる思考は膨らむことなく泡のように弾けていく。

 へぇ、竜ね。まぁ珍しいことじゃない。一年もありゃ二、三回は出るしな。どうでもいい。眠ぃ。


『不躾を承知で申し上げます。私どもを救っていただけないでしょうか』


 意識が落ちかけていく。

 どこぞの街の危機なんて知ったことか。どうせ一時間とせず騒ぎは収まるんだからよ。ことさら騒ぎ立てることでもなんでもねぇ。


 四肢を放りだして微睡む。いーい気分だ。真っ当な人間があくせく働いてる真っ昼間に酔っ払って寝る。これぞ雅趣に富んだ生き方そのものってやつよ。


『勇者様……私どもはエンデの街にてお待ちしております。辺境くんだりまでご足労願うのは大変心苦しいのですが、何卒ご容赦下さい』


 俺は既に夢心地だった。頭の中に直接響く声を意識せずとも無視できている。だから気付くのが馬鹿みたいに遅れた。


 エンデの街。エンデ。エンデ……?


「はぁッ!?」


 思わず跳ね起きて飛び出す。脳の奥を甘く痺れさせていた酔いは瞬間的に消えていた。

 軽装のまま宿の扉を突き破るようにして部屋を飛び出す。俺は転がりそうになりながら階段を駆け降りて宿の出口を開け放ち。


「っ……うぉ!」


 昨日とは打って変わって冷たさを帯びた外気に身を震わせた。


 マジかよ。本当にいるじゃねぇか……。

 見上げた彼方。魔力溜まりの影響で氷雪地帯が広がっている方角は灰をぶちまけたような分厚い雲が空を覆い尽くしており、世界を撹拌するかのように渦を巻く氷の嵐が吹き荒れていた。


 そして嵐の中を悠々と飛び回る規格外の巨体の姿がそこにある。遠く離れた街からでもはっきりと目視できる威容。


 竜。災厄を齎す魔物の中でも別格の強さを誇る人類の天敵にして……最も哀れな魔物だ。

 今はまだ発生して間もないので大人しくしているが、あと一日二日もすればこの街へと襲撃を仕掛けてくるだろう。


「おい……あれ、ヤバくねぇか?」

「こんなところまで冷気が侵食してくるなんて……」

「冒険者ギルドが特例として勇者に助力を要請するとかって噂よ」


 市民の会話を聞いて我に返る。ヤバい。ヤバいな。完全に油断してた。この街に勇者が……姉上が呼び出されるなんて思っても見なかったから反応が遅れた。クソっ! もう来てやがる!


 俺は路地裏に駆け込んだ。人の目は……無い。よし。いつもの短剣を取り出す。俺は首を掻き斬――


「久しいな、ガル」


 ふわりと、花でも摘むかのような優しい手付きで短剣の刃が止められた。

 疾すぎる。ほんの少しの音も、僅かな衝撃すらも漏らさず、その女はそこにいた。世界に痕跡を残さない歩法。理外の技を呼吸のように御する勇者バケモノ


「レアが愚痴を漏らしていたぞ。随分とやんちゃしているようじゃないか」


 武芸百般を極めた才媛。個として完成してなお弛まぬ努力と研鑽を積み続ける求道者。特大の災禍をその身一つで超克する希望の使徒。


「再会を祝する前に逃げようとするなんて……随分と悪い子に育ったな? 反抗期にしては遅すぎるぞ」


「悪い子って……何歳だと思ってんだ。勘弁してくれよ姉上」


「レイねぇだ」


「…………」


「レイ姉と呼べ」


「…………」


 至高天坐の勇者。市井が面白がって囃し立てるその名は、目の前で埒外の体捌きを披露して見せた女に付けられた称号だ。


 この王国にいる勇者三姉弟の次姉、レイチェル。直接的な戦闘力は長姉シンクレアを凌ぐほどの化物だ。そして過保護で脳筋で馬鹿で頭おかしいやつでもある。何がレイ姉だ。年を考えろ。


 ▷


「おい、本当に来たぞ……」

「もう一人の男って、確かこの前も……」

「あの女の人が勇者? 本当に? なんか、格好が……」

「剣を佩いてるけど、あの細腕で振るえるのか……?」

「大して強そうに見えない……」

「馬鹿だなお前……まるで勝てる気がしねぇぞ……」


 脳筋な方の姉上に自殺を阻止されて捕まった俺は渋々ギルドの頭を張っているルーブスの元へと向かっている。非常事態ということもあり、冒険者連中の殆どが徴発されて街の出口に駆り出されているが、中には街中が混乱に包まれないよう居残っている連中もいた。そいつらが俺たちのことを見て何やら言いたい放題言ってくれている。


 あの馬鹿どもは声を潜めているつもりなんだろうが……まるで声量を落とせてないから普通に聞こえるんだよ。【聴覚透徹ヒアクリア】を使わなくてもこれだ。当然隣りにいる姉上にも聞こえているだろう。

 だというのに姉上はどこ吹く風である。良い意味でも悪い意味でも奔放なやつなのだ。俺は溜め息を一つ吐いてから言った。


「なぁ、周りから馬鹿か痴女かなんかだと思われてんぞ。いつになったらまともな服を着るようになるんだよ」


 姉上は最低限の局部さえ隠せてればそれでいいという思い切った格好をしていた。腕も腹も大きく露出した上衣に、無理やり引きちぎって丈を短くした股下ギリギリの下衣という奇天烈スタイルである。靴は履いてすらいない。場末の踊り子でももう少し恥じらいを持つぞ。


「レアと同じ小言はやめろ。服なんてどうでもいいだろう。第一、魔物は殆どが素っ裸なんだぞ? 礼を欠くとは思わないのか」


「欠けてんのは知性だろ」


 この姉上は感性が致命的にズレている。魔物を殺しすぎてどっかしらの情緒がぶっ壊れたとしか思えない。

 なんで思考のレベルを魔物側に合わせてるんだよ。昔はこんなんじゃなかった気がするんだがな……。ほんと、国は担ぐ神輿を選べよな。


 いいからまともな服を着ろ、絶対に嫌だ、という聞く人間が聞いたら卒倒しそうなほどに勇者らしからぬ会話をしつつ歩を進める。

 辿り着いた街の出口は冒険者どもでごった返していた。勇者へと救援要請を飛ばしたことは周知されてるだろうに、どいつもこいつも深刻な顔をしていた。まるで死期を悟ったかのように口を固く結んでいるやつもいる。これから女神様の家にでもお邪魔しに行くのかって具合だ。


 いいね。やっぱこうでなくちゃあな。このくらいの緊張感ってのがあって然るべきだ。


「おい、アレ……」

「……勇者、か」


 そしてこの懐疑的な視線の心地良さよ。

 街の出口に集った冒険者連中の大半は勇者の活躍を目の当たりにしたことがない。百聞は一見に如かずなんて言葉があるが、裏を返せば又聞きの情報なんて鵜呑みにできたもんじゃないということ。


 ルークというチビを救ったらしい。でも実際に戦ってるところ見てねぇんだよな。ほんとに強いのか?

 そんな声が聞こえてくるようだ。


「姉上よ」


「ん?」


「こうも野郎どもがひしめき合ってたら通り道がなくて不便でしょうがねぇよな」


 無駄に持て囃されなくて心地良いのは確かだが、軽んじられるとなると話が変わる。勇者なんて肩書に誇りはない。だが、何かと便利な威光が翳るのだけは看過できんな。


「割れ」


「是非もなし」


 獲物を前に神経が昂っているのだろう。魔物よりもいくらか獰猛な笑みを浮かべた姉上が愛用の剣の柄に手を掛けた。周囲の気配が一変する。膨れ上がった剣呑な空気を真っ向から受け止めた姉上が剣をほんの少しだけ引き抜き、そして鞘へと収めた。鍔鳴り。その動作だけで、俺たちの目の前にいた荒くれどもが青い顔をしてバッと飛び退った。


 相変わらずおっかねぇ気を放ちやがる。斬られて死んだと錯覚してるやつも何人かいそうだ。腰砕けになってるやつもいるじゃねぇか。可哀想に。

 今ここに集っている連中はそれなりに腕が立つやつばっかりだ。彼我の力量差くらい肌で感じ取ってくれただろう。格付けは必要だ。竜に恐れをなしているくせにこのバケモンを軽んじるなんて有り得ねぇよ。ま、これで少しは勇者の威光も保てたかね。


 割れた人垣を我が物顔で歩く。群れの先頭にいたのは『遍在』と『柱石』、そして我らがルーブス殿だ。軽く引き攣った表情を浮かべる三人に近寄り向こうより先に口を開く。


「単刀直入に聞こう。今回の要請にはどういう意図がある?」


 エンデは自助努力を是として掲げる街だ。危険を冒すことを生業とする者たちが集まり、冒険者ギルドなる暴力装置が堂々と敷かれている野蛮な辺境都市。そこに勇者という存在が入り込む余地はない。


「お前たちは毒杯を仰いだ。言ってる意味は分かるな?」


 勇者という存在はむしろ良くない影響を与えかねない。強大な戦力に甘えることを覚えたらこの街は忽ち瓦解する。荒くれ連中の存在意義がまるっと消失するからだ。

 いざとなったら勇者が助けてくれるという意識が芽生えるのも望ましくない。この次も、なんてぬるい希望が頭の片隅に根を下ろしたら最後、あとは緩やかに腐っていくだけだ。


「何か理由があるんだろう? 包み隠さず全て吐け。秘匿はギルドの、ひいてはこの街の為にならないぞ?」


 事後処理と焚き付け方を間違えたらこの街は死ぬぞ。そう念押しの意味を込めてルーブスを睨みつける。

 ルーブスがゴクリと唾を飲み込む。どうやら勇者の威光は翳っていないらしい。ったく、折角人が心地良く惰眠を貪ってたってのに水を差しやがって。何を思って救援要請なんて飛ばしたのか、洗いざらい吐いてもらうとするぜ? ルーブスさんよ。


「ガル、そんな悪い顔をするんじゃない」


 怨敵をネチネチと苛めて悦に入ろうとしたところ、俺は後ろから姉上に頭を引っ叩かれて首がぐりゃってなった。


「痛っっってぇなバカがッ!! 首が取れたらどうしてくれんだ! 自分の馬鹿力を自覚しろって言ってンだろッ! クソゴリラ女がッ!!」


「ガルがそんな嫌らしい笑みを浮かべるのが悪い。昔の可愛さと従順さはどこにいったんだ」


「死ね! 五回くらい死ねッ!」


 俺はお前らバケモノ二人と違って繊細なんだよ。クソが。こいつも昔っからなんにも変わってねぇ……。ちょっと気に入らないことがあるとすぐに手を出してきやがる。脳筋が。


「その……勇者ガルド殿、勇者レイチェル殿。此度の要請には訳が」

「あぁ、そんな挨拶はいらない。難しい話は嫌いなんだ。要はアレを倒せば良いのだろう? それで済む話をうだうだと続けるのは性に合わない」


 この馬鹿姉……! 折角ルーブスを強請る機会を得られたかもしれないってのに余計なことを言いやがって……!


「んっ、んっ。ガル、力と脚。あとは、そうだな、耐久かな」


 身体を見せ付けるように伸びをして身体をほぐした姉上が補助を要求する。

 何処で足が付くか分からんから手の内をバラしたくねぇってのに……言っても詮無きことか。俺がこの馬鹿姉の手綱を握れたことはあまりにも少ない。奔放で考え無し。それが誰よりも高みに御座す至高天坐の勇者様なのだから。


「ったく……あの竜にやられて死ねばいいのに。【膂力曇化パワージャム】、【敏捷曇化アジルジャム】、【耐久曇化バイタルジャム】」


「……!? あの……それ、補助というより妨害では……?」


 おお、さしもの『遍在』といえどこの光景には引いているようだ。

 おかしいと思うよな。なんで味方に対してこんな魔法掛けてるんだってなるよな。


 でも、全くなんの問題もねぇんだな、これが。


「ふむ。よし! だいぶ鈍ったな。これなら


 手をグッと握りしめた姉上が強風に煽られた白金色の髪を撫で付けた。軽く頭を振り一呼吸。閉じていた目をすぅと開いた時、先程までの緩い空気は霧散していた。


「これァ……マジかよ」


 人並み外れた体格を有する『柱石』が、寒風吹きすさぶ中で冷や汗をかいて後退った。格の違いを感じ取ったのだろう。

 アウグストは最強だ。動かしがたい事実である。だがそれはあくまで『人』という括りを前提とした場合の話だ。


 普通に戦ったらあっさりと終わってしまうから弱体の補助を掛けてくれ。


 竜を相手取るに際して言う台詞がこれだぜ。笑っちまうよな。馬鹿じゃねぇのって。


 姉上の周りの景色が歪んでいた。体内から発される魔力の圧が空気を、世界を歪めている。凍てつく嵐の余波は既に姉上の髪を揺らしていなかった。研ぎ澄まされた刃のような気を発した姉上が言う。


「勝負に身分の貴賎無し! 誇りに人魔の隔て無し! さぁ、存分に死合うぞッ!!」


 暴力の愉悦に顔を歪ませた姉上が轟音と砂塵を引き連れて空へと飛んだ。あーあ。もう止まらねぇぞアレ。


 竜ってのは本当に哀れな魔物だ。なまじ強いばっかりに、生まれて間もないってのにあんな化物に目をつけられちまう。


 視認が困難な速度で凍てつく嵐の中に突っ込んでいった姉上は、安全圏で悠々と泳いでいた竜のドタマに盛大な踵落としをブチ込んだ。

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