勇者ってのは頭がおかしい

 曇天の下、姉上による暴虐ショーが行われている。


 自然現象すら統べるほどに発達し、個として完成した魔物である竜が為す術なく蹂躙されていく。その光景は、勇者という存在を目の当たりにしたことのない連中にとって劇薬に等しく感じられたことだろう。


「……は?」

「夢でも見てんのか、こりゃ……」

「勇者の噂は嘘じゃなかったのね……」

「竜って、あんなふうに吹き飛ぶものなのか……?」


 数限りないほどの魔物を屠り続けてきた歴戦の猛者たちは、えぐい私刑よりもなお惨い光景を前にして呆気にとられていた。


 竜を地面へと叩き落とした姉上は空を蹴って追従、竜の土手っ腹を踏み付けにした。地鳴りのような衝撃が一帯を駆けていく。これじゃどっちが災害なんだか分かったもんじゃねぇな。


 だが腐っても魔物の頂点の座を戴く竜といったところか。その程度では致命傷たり得なかったらしく、大口を開けて赫怒の咆哮を撒き散らした。聞く者の心をあっさりと挫く絶望の波は、しかし姉上にとってはそよ風程度にしか感じなかったのだろう。

 いいところに取っ手が現れたと言わんばかりに口蓋へと貫手を繰り出し肉を突き穿つ。そして片足を軸に一回転。馬鹿げた巨体を玩具のように振り回して空へとぶん投げた。えげつねぇなぁ。


「至高天坐の勇者……なるほど、得心がいきました。あの方は我々の抱く強さの尺度から、あまりにも逸脱している……」


 目を疑う光景を前にしてルーブスが独り言つ。

 まあ竜を投げ飛ばすとか意味分からんよな。しかも動きを阻害する魔法を掛けてアレだから笑えねぇ。強化の魔法を掛けてたら接敵直後の一撃で血の嵐が舞っていたことだろう。


 骨の髄まで凍てつきそうな氷柱混じりブレスを平然とした顔で突き抜けた姉上が、迎撃に振るわれた爪を裏拳で弾く。流石に無傷とはいかなかったようだが、それでも戦闘に支障は無いらしい。

 前脚を弾かれて姿勢を崩した竜の腹に正拳突き。衝撃を外に逃さず体内に反響させる一打は肉体を内側から殺す。並の魔物が受けたら血肉撒き散らして爆散するぞあんなの。


 顔を仰け反らせて苦悶の咆哮を上げる竜の左頸部に姉上の蹴りがめり込む。麦を刈る鎌のような一撃。青味がかった白色をしていた竜の鱗に赤の斑が散っていた。もうとっとと殺してやれよ。かわいそうに。


「うわぁ……」

「なん……えぇ?」

「……………………」


 おーおー、集まった連中がドン引きしていらっしゃる。まぁ、勇者の物語ってのは脚色ありきだからな。それもこんな辺境まで届く噂となると、千の群を一瞬で消し飛ばしたとか、竜を一刀のもとに斬り伏せたとか、華々しさを前面に押し出したものになる。

 そんな噂を吹き込まれてたら、まさかステゴロでタイマン張るなんて思わねぇよな。未開の蛮族だろうと狩りをする時は石の武器くらい用立てるぞ。脳筋め。


 しかし……これはあまり宜しくない流れだな。俺は首だけで振り返って冒険者連中の顔を見渡した。

 高すぎる才能というのは、時に他人の心を諦めに染め上げる。俺はこいつらが挫折しようが剣を置こうが構いやしない。だが、それでエンデが回らなくなったら非常に困る。この街は俺の貯金箱であるべきなんだ。食い扶持が潰れるのは本意ではない。俺は言った。


「さて、邪魔者が消えたところでさっきの話の続きといこうか」


 俺は【六感透徹センスクリア】を発動した。


「どうして勇者なんか呼んだんだ? この街が竜の脅威に見舞われたのは一度や二度じゃない。だが、今までその全てをお前らだけで乗り越えてきたんだ。今回はなぜそうしなかったのか。聞かせてもらえるんだよな?」


 やはりこの話題はルーブス殿にとって避けたいものであるらしい。俺はルーブス殿のこめかみがヒクと痙攣したのを見逃さなかった。

 くく……いいねぇ。気に食わんやつの探られたくない腹に手を突っ込むのは楽しくて仕方がない。おら、なんとか言えよ。勇者様に隠し事でもする気か? おん?


「……今回は、少し巡り合わせが悪かったのです。このままですと多くの死者を出すことになっていました。言い訳がましくなるのは承知の上です。しかし、慣習を尊び身を滅ぼしては本末転倒。此度の件は全て私の一存で決定致しました。戒告は甘んじて受け入れます」


 違うなぁ。そうじゃないだろ? 俺はそうなった原因を聞いてるんだよ。

 こちらの意図を察した上で誤魔化そうとするってことは……結構な厄ネタと見たぜ。こりゃ何としてでも暴かなくちゃな? 駄目だよルーブスくぅん。隠蔽体質は改善しようぜ?


「巡り合わせが悪かった。なるほど。なるほどね。今までそんな理由で勇者の助力を乞うた歴史は無かったと思うがな。当代の責任者は無能と謗られても文句が言えないぞ?」


「……面目次第も御座いません」


「それにお前が持っている伝家の宝刀を使えばあの竜くらい倒せるだろう。まさか、十全に扱うこともできないのか?」


「……それ、は」


 んあああぁぁぁっっ!! 勇者という身分を盾にして反論できない状況を誂えてから気に食わないやつの急所を針で刺すように咎めるの気持ちイイッッ!!

 強化した勘が焦燥と動揺、そして少しの苛立ちを感知する。んん? どうしたのかな? ここが痛い腹なのかな?

 どうやら勇者を呼び付けた核心には触れてほしくなさそうだ。でも駄目だね。駄目。皆が耳をそばだてている今、ここで洗いざらい吐いてもらう。ネチネチされたらネチネチで返す。それが俺の流儀よ。


「いま伝家の宝刀と言ったな?」


「うおっ! お前、急に現れんなよ……」


「聞いたぞ。伝家の宝刀……それはどんな能力を有している? 斬れ味はどれ程だ。あの竜を倒せるか? 魔王には通用するのか? いや間怠い真似はよそう。くれ。いいだろ? なぁ」


 うわ……持病が出たよ。俺は溜め息を吐いた。

 有用な剣型呪装の蒐集癖は姉上の悪い癖の一つだ。強い剣とみれば血相を変えて飛び付き、力尽くで自らの所有物にしようと駄々をこねる。タチの悪いことこの上ない。


「勇者レイチェル殿……あの剣はこの街の要でして……」


「そうか。なら困ったら私を呼べ。だが剣は貰う。これで問題はないな?」


 問題大アリだわ馬鹿が! 俺は思わず口を挟んだ。


「やめろアホ。街の防衛力を削いでどうすんだ」


「だから何かあれば私が救ってやると言ってるだろう」


「それじゃ色々と回らねーんだよ! 経済とか街の人間の生活とか! いいから諦めろ!」


「やだ!」


「ガキかッ!」


 やだじゃねーよ。年を考えろ。どうしてこう、姉上二人は変なところでポンコツなのかね。ちっとは俺を見習って演技することを覚えろよ。


 こいつどうしてやろうか。奥の手を切るかと考えを巡らせていたところ、心胆を撫でるような大音声の咆哮が駆け抜けていった。

 遠くの空を見上げると、随分と見窄らしくなった姿の竜がこちらを睨めつけていた。死に瀕しても殺意に一切の陰りなし。これだから魔物ってやつは嫌いなんだ。勇者も大概だが、やつらも生物として限りなく破綻している。


「ったく、やるならキッチリやれよ」


「伝家の宝刀なんて言葉が聞こえたからつい、な。すぐ片付ける」


 姉上はステゴロでの殴り合いに飽きたのか、腰に佩いている剣をスラリと抜いた。

 特にこれといった装飾はない剣だ。見てくれは一山いくらの剣と変わらない。だが、分かるやつにはその異質さが分かるのだろう。金級二人とルーブス、そして一部の冒険者どもが顔色を変えた。


「空気が……変わりました……」


「なんだ、あれァ……『空縫からぬい』以上に……悍ましいな」


 至高天坐の勇者様の活劇には必ずと言っていいほどに登場する呪装。千を超す大群も、千の人間が束になっても敵わない強大な竜も、ただの一振りで等しく斬り捨てる伝説級の剣。


「名もなき竜よ。私の糧となれ」


 淀みない仕草で剣を腰の横に構えた姉上が一歩踏み込む。同時、身の毛もよだつような魔力の渦が刀身へと収束した。ギチギチと不吉な音を奏でながら暴れる刀身を純粋な暴力で抑え込んだ姉上が裂帛の気合とともに鋒を振るう。横一閃。遥か彼方の空で竜が真っ二つになって絶命した。


 地平の剣『天壌軌一』。有効射程、全視界内。相変わらずふざけた剣だ。もうそれ剣って言っていい代物なのかもわからんよ。


 解き放たれた剣の圧が竜を両断するだけでは飽き足らず、凍てつく嵐を吹き飛ばし、蓋のように広がっていた分厚い雲を霧散させた。なんつーか、最初からそれ使えよ。


「これは、これは……聞きしに勝る」


 常に余裕の表情を崩さないルーブス殿もこれには肝を抜かれたようだ。ギルド総出であたる難敵を一振りでブチ殺すんだからそういう反応にもならぁな。

 堂に入った仕草で剣を鞘に収めた姉上が物騒な気配を霧散させてルーブスに詰め寄った。


「あの竜から採れた魔石はやる。だから伝家の宝刀とやらを寄越せ」


 まだ言うのかこのアホ。もはやただのカツアゲじゃねぇか。それは勇者がやっちまったら洒落にならねぇよ。断ったら国家反逆に問われかねないからな。

 ったく……不本意だが助け舟を出してやるとするかね。ルーブスが追い詰められてタジタジなのは気味がいいのだが、このまま剣をパクられちまったら街が死ぬ。それは御免被るね。


「あー、姉上よ。伝家の宝刀っつってもそこまで立派なもんじゃねぇよ。蒐集してる剣と比べたら二つか三つは格が落ちる。そこまで拘るモンでもねぇ」


「む……そうなのか?」


「ああ。物騒な呪装は国が管理するからな。こんな辺境に寄越されるのは、姉上のコレクションに比べたら格落ちもいいところのナマクラだよ。な?」


 俺は即座に嘘をでっち上げてルーブスに話を振った。水を得た魚のように語りだす。


「お恥ずかしい話ですが、勇者ガルド殿の仰る通りです。この地に下賜された剣は勇者レイチェル殿の宝剣と比べてしまうと駄作もいいところ。御眼鏡に適う、どころかむしろお目汚しになるかと愚考致します」


 こいつほんと息をするように嘘つくよな。常識ねぇのかよ。


「そっか……それは、残念だ」


 姉上は心底残念そうに肩を落とした。よしよし。この姉上の美点は変なところで素直なところである。


「でもやっぱりひと目見ておこう!」


 そして欠点は思い通りに動いてくれないところである。クソが。ひと目見たら絶対パクるだろ!


「いえ、それは……」


「なんだ? ひと目見るくらいならいいだろう」


 ルーブスが助けてほしそうにこちらを見ている。クソっ、ままならねぇな……。やむなしか。奥の手を使うとしようかね。

 ギルドマスター殿をカツアゲしている姉上の後頭部に平手を添える。恨むなよ。聞き分けの悪いお前のせいだ。そうして俺は魔法を発動――――


『勇者様! 勇者レイチェル様! ウィークの街に竜が、竜が出現しましたッ!!』


 する寸前、頭の中に救援要請が響いた。


『雷をっ、黒雲を曳く山のような巨体の竜ですっ!! 嗚呼! どうか私どもをお救い下さい! 勇者様ッ!!』


 救援要請を聞き届けた姉上が端整な顔をにいっと歪めた。ガキのようにはしゃぐ。


「ほう! 聞いたか、ガル!? 雷とは珍しいな! さっきの竜は弱かったが、今回のは期待ができそうだな! 腕が鳴るぞ!」


 竜ってのはつくづく哀れな魔物だ。何処からともなく化物がすっ飛んできて、そいつに玩具にされちまうんだからよ。


「ウィークの街だな。よし。ガル! 付いて来いっ!」


 新しい玩具が与えられて上機嫌になった姉上は『天壌軌一』を勢いよく抜き放ち。


「ぐッ……っあああぁぁぁッッ!!」


 自分の腹へとブッ刺した。やめろやめろ。ほんとに、この馬鹿姉は……見てて痛々しいっつうの。

 俺の自殺転移を真似するのは構わないが……いくらなんでも絵面が酷すぎる。クソみてぇな痛さだろうによくやるよホント。


「ぅ……あッ……ガル……早く、お前も……」


 姉上は死んだ。死体が、撒き散らした血が光となって天へと昇っていく。相変わらず嵐みたいなやつだったな。


「……?? …………!?」

「え……?」

「し、死んだ……?」


 ほら見ろ。冒険者連中が信じられないものを見たって顔してんぞ。いきなり腹切るとか正気の沙汰じゃねえ……。奇行に走って勇者の評判を狂わせんなよ。俺は大事になるのを防ぐため周りの連中に向けて解説した。


「あー、なんだ。知らんやつがほとんどだと思うが、俺らは他の街からの救援要請を受け取れるんだ。この街にもそれで呼ばれてきた」


 頭をガリガリと掻きながら続ける。勇者についての悪い風評が広まったらダルいことになるからな。誤解は解いておかねばなるまいて。


「で、今ちょうど他の街から救援を受け取った。雷を操る竜が現れたんだとよ。戦闘狂のあの馬鹿が喜び勇んで自殺したのはそのせいだ。死ぬことで件の街へと飛んだってわけ」


 誤解を解くためにはまず勇者というものの生態から説明してやる必要があった。ポカンと口を開いてる連中に向けて言う。


「お前らの言いたいことは……分かる。いきなり腹を掻っ捌く馬鹿が何処にいるんだ、って話だよな。理解しろとは言わんが……まあ、納得してくれ。あいつはちょっと頭がおかしいんだ」


 俺は懐からいつもの短剣を取り出した。


「普通、斬るなら首だよな?」


 俺は短剣で首を掻き斬った。


「こっちのほうが……スムーズに死ねる。そういう計算とかが……苦手なやつなんだ……無駄に内蔵を傷つけて苦しんでるんだから見てられねぇよな……」


 おっ……と。フラつきながらも言葉を紡ぐ。


「だが……まぁ……あいつは、あいつなりに、やれることを……やってんだ……あんまり変な目で見るのは……あっ、死ぬ」


 俺は死んだ。


 まだフォローの最中だったんだがな。ま、やらないよりはマシだったろ。俺はエンデの教会に転移した。一難去ったことだし寝直すとするか。


 ったく、頭のおかしい姉上を持つと苦労するね。

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