戦う理由

 スピカの人気が止まらない。

 ハキハキとしない下手くそな歌声の女という第一印象のせいで見向きもされなかった存在が、座長セインによる歌姫伝説という茶番劇を経て異なる見方をされている。


 誉れ高き栄達を辞してエンデに残ることを決めた歌女。

 尽きせぬ感謝の念を謳う薄幸の乙女。


 御大層な評価を下されたもんである。ことのあらましの細部を抜粋するとあながち間違いとも言えないのでタチが悪い。


 極めつけのエピソードもある。

 座長セインとの訣別を果たした後のしょぼい舞台でスピカは金貨を受け取った。まぁ、俺の金だ。その金貨をいつまでも使わない様子を疑問に思った一人の男がこう尋ねたらしい。


『いつ飢えるとも知れないのになぜ金貨を後生大事に抱えているのか。なぜ見窄らしい服を着てあばら家で蹲っているのか』


 それに対しスピカは大衆の前でこう答えたそうな。


『これは私が道を、信念を違えぬようにと託された暗夜の灯。お金ではないのです。たとえ飢えて死のうとも、看取られることなく朽ち果てようとも、この金貨が副葬品として側にあればそれでいい』


 重い重い。重いよ。そんなつもりで渡したんじゃねーから。使えよ。今すぐ。金貨はお金だろ、なに言ってんだ。


 何より滑稽なのは街の連中だ。スピカの発言に並々ならぬ仁義と覚悟を認めた連中は甚く感銘を受けたらしく、余計なお世話にならない程度に彼女の保護に努めている。

 主な内容は身辺警護だ。昼はスピカの金貨を狙う不届き者がいたら即ひっ捕らえるために練達が影のように付き従い、夜はボロ家の前に猛者が居座り侵入を許さぬ布陣を敷く。どこかの要人かよってくらいの過保護っぷりである。


 この街のやつらは芸術を解さない。だから歌というものの表面的な部分だけを都合の良いように解釈した。


 半ば広場の名物となったスピカの歌を毎日のように聴いていた連中は、歌の巧拙ではなく歌詞に目を注いだ。理解できるのがそこだけしかなかったのだろう。だがこれは予想以上に大きな影響を生み出した。


 スピカは感謝を歌う。私を、この街を守ってくれてありがとう。私にとってはあなた達が勇者です。そんな、面と向かって言うのが小っ恥ずかしくなるような想いを歌に乗せて。

 その言葉を額面通りに受け取った連中は、照れや含羞よりも誇りや矜持を刺激されたらしい。スピカのどこまでも純粋無垢な言葉は、この街の連中に新たな価値観を形成させるに足る威力を内包していた。


 何かを守るために生きるって良いよな。そんなヌルい考えのブームがエンデの街に吹き荒れていた。


「あぁ! 僕は君を守るためにこの命を全うすると誓うよ! ……この戦いが終わったら、結婚しよう」


「本当に!? ……嬉しいっ!」


 街の片隅ではやっすいやっすいメロドラマが繰り広げられていた。

 人の往来も気にせずガシッと抱き合った二人が周囲からひゅーひゅーと声援を浴びている。


「おっ、そこのボウズ! ちょっとコッチ来い! 腹減ってねぇか? うめぇ串焼き食ってけよ!」


「え? いいんですか……?」


「ガキがいっちょ前に遠慮すんなって! ほら、お仲間さんの分まで持っていけ。熱いうちに食うんだぞ?」


「ありがとう! おっさん!」


「がっはっは! お兄さんと呼べよ〜?」


 串焼き屋の店主が慣れていない不細工な笑みを浮かべて商品を奢っている。スラムのガキのことなんて食べ物に集る虫としか思ってなかったくせによくやるぜ。その気味の悪い猫撫で声はなんなんだ。ちょっとしたことですーぐ手のひら返して、みっともないったらありゃしねぇ。


「ぬぅおおおおおオオオォォォッッ!! 俺はッ!! この街の欲望を一身に受け止めてくれるッッ!! 艶やかなる乙女たちを守るために生まれて来たッッ!! この筋肉をッッ!! 捧げるッッ!!」


 頭のおかしいやつもいる。

 そもそもあいつはなんでこの街に帰って来たんだよ。危険地帯に縛り付けられてたはずなんだがな。まさか模擬戦のためだけに呼び出されたのか? ……どうでもいいな。どうせすぐ溶岩地帯とか氷雪地帯みたいな危険域に飛ばされるだろ。


「…………」

「ハァ……」


 市民、冒険者問わず皆して景気よくパァになっちまったエンデだが、中にはブームに対して冷たい視線を注ぐ者たちもいる。強いの冒険者が主な層だ。


 この街では強さこそが絶対の指標だった。一日で金貨を一枚稼ぐ商人よりも、一日で銀貨一枚稼ぐのがやっとなペーペー冒険者のほうが持て囃される。常日頃から魔物という脅威に晒されているこの街では、暴力は生きる術そのものであり、安寧をもたらす生活基盤であり、尊ばれる才能である。


 だが、その価値観は唐突に終わりを告げた。いや、新たな色が足されて変化したとでも言おうか。


『誰かを守るために』強くなったやつっていいよな。


 強さだけでは尊ばれなくなってしまった時代の到来である。


 いやはや、スピカという少女はつくづく罪なことをしてくれたもんである。見ろよあの冒険者の顔。愚直に強さのみを追い求めてきて、それなりの高みへと上り詰めて一目を置かれていたのに、この風潮にあてられていざ己の歩んできた道を顧みたら、誰かのために戦ってきたっていう事実が一欠片も無いことに気付いて絶望してるって顔だ。

 筋骨隆々のおっさんが膝を抱えて路地裏に座り込んでるとかさぁ、見てるこっちが居た堪れなくなるっつの。


「な、なぁ……お前、お前は何を守るために戦ってるんだ……?」


「俺は……ペットのチューちゃんを守って戦うことにした」


 このブームに乗り遅れまいと意気込み、なんとかして戦う理由を見つけようとしている連中もいる。盤石な地の上に立っていると思っていたはずなのに、思わぬ落とし穴にハマっちまってそこから抜け出そうと足掻いている連中だ。


「いやお前……それドブネズミじゃねーか」


「ばっ! バカにすんじゃねぇー! 俺とチューちゃんは固い絆で――」


 ペットのチューちゃんとやらは飼い主の掌中からヒョイと飛び降りると暗く湿った路地裏へと一目散に駆けていった。すこぶる開放感に溢れた疾駆であった。あれはもう戻ってくるまい。


「…………」

「…………」


 とまぁ、ひょんなことから始まった訳の分からないブームが街を席巻している。相変わらずどこから火が付いて燃え上るか予測のできない街だ。山火事みてぇだな。


 だがこの街のやつらは同時に冷めやすい一面も持っている。どうせあと数日もすれば浮ついた雰囲気も霧散するに違いない。よしんば長続きしたとしても、魔物が大量発生して冒険者どもが命懸けの奮戦をすりゃ暴力が正義の風潮は元通りになる。所詮は一過性の病だ。


 それすら見越せず、悔しさのあまりドブネズミを捕まえてペットにしようなんて思い立った冒険者には哀れみの念を禁じ得ないね。哀れすぎて酒が進む進む。


 しかしあれだな。よくペットなんていう他種族の生き物を飼うことで淋しさを紛らわそうと考えるもんだよな。生まれた時から調教を施された家畜ならともかく、動物なんて人に対して何の感情も抱いてないってのに。あるのは『どうすれば餌を差し出すようになるか』という打算的行動だ。それを勝手に愛情だなんだと解釈するんだから楽なもんだよな。


 それにしたってドブネズミはねぇだろ……。まぁ、エンデはその性質上ペットを飼うのに向かない土地だ。魔力が濃すぎるせいでこの地に適合できる生物が少なすぎる。屈強な馬車馬すら長居を嫌がる魔の地域だからな。そこらの土地からペットを無理やり連れてきても早死するのがオチだ。結果、目ぼしいのは魔力に強い抵抗を獲得したネズミくらいだったってとこか。


 流行りに乗せられたやつってのはどうしようもねぇな。流行りってのは作るもんだ。もしくは利用するものだな。それを理解してないから無様を晒す。救えないもんだぜ。


 商売上手な色街の娼婦連中は、今ごろ甘い言葉を餌にして野郎連中から金を搾り取っていることだろう。羨ましいね。是非とも肖りたいもんだ。

 しかしどうにもテーマが悪い。直接的な商売に結びつき辛い問題なんだよな。守るもの、ねぇ。……ドブネズミに調教を施して売るか?

 ……無理だな。流石にドブネズミは血迷い過ぎだ。そもそもやつらには【伝心ホットライン】が効かない。効いたとしても売れる要素がねぇよな。臭いし汚い。人に媚びることもない。飼う理由がねぇ。


 どっかに余ってねぇかな。【伝心ホットライン】が効くくらいに我が強く、人に媚びる知恵を持ち、魔力に高い適性を持つ便利な動物は。


 ――――!


 その時、天啓が舞い降りた。なるほど、なるほどね?


 俺は速やかに路地裏に引っ込んでから首を掻き斬った。

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