VS『柱石』

 人は魔物を狩り続けることでその性質を変容させる。簡単に言えば強くなる。

 動植物が程よい魔力濃度の土地ですくすくと育つのと同じだ。濃密な魔力が満ちている土地で魔物を相手に命のやり取りを続けていると、人は生存本能の赴くままに成長する。


 まるで別の生き物だ。魔物だと自己紹介されても驚かない。


 金級、アウグスト。その生命を『魔物を殺す』という一点に研ぎ澄ませた果てに生まれた闘争の化身。生まれついてのナチュラルボーン戦闘狂バーサーカー


 俺はそんな怪物とギルド地下の訓練所で向き合っていた。これは一体何の嫌がらせなんだ?


「得物はぁ……自由だ。全力で打ち込んでこい」


 低く、地鳴りのように響く声でアウグストが告げる。同時、岩石の塊のように角張った両の拳をガンと打ち付けた。それだけで熱波のような圧が放射される。何なんだよこいつ。もう人間じゃねーだろ。


 相手になるわけがない。ギルドは何を考えてるのか。

 ……まぁ、狙いは十中八九能力の査定だろうがな。俺は訓練所の端で壁に背を預けてこちらを注視している男をチラと見た。


六感透徹センスクリア】使いの銀級。名前は……何だったか。ルーブスの腰巾着みたいなことをやっているやつだ。


「ノーマンのことならぁ……気にしなくていい。ただの見学だ」


 あぁ、確かそんな名前だったわ。俺はため息を漏らした。


 アウグストに弱点があるとすれば、それはオツムの弱さだ。

 ただの見学ってなんだよ。そんな理由で納得するわけねーだろ。俺が手抜きをしないか見張るために配置された駒の一つと見るのが妥当なところか。めんどくせぇ。


 得物が突っ込まれている樽から適当なショートソードを取り出して軽く振る。刃引きされたこれなら思いっきり打ち付けても骨折程度で済むだろう。……あの巨体に通じるかは知らんが。


「なんなら自前の剣でも……いいんだぞ?」


「あれは買い直したばっかなんだよ。模擬戦なんかで使い潰すわけにはいかねぇだ、ろッ!」


敏捷透徹アジルクリア】。使えることがバレているであろう補助魔法をかけ、俺は奇襲を仕掛けた。

 まともにやり合ったら万に一つも勝ち目はない。千回やったら千回負ける。そういう相手だ。だったらまともにやり合わなければいい。


 適当に終わらせようと思っていた模擬戦だが、金級やルーブスの腰巾着が出てきたことで事情が変わった。俺はこの戦いで説得力を示さなければならないのだ。

 酔っているとはいえ、銀級相手に勝てた理由。嵐鬼から逃げ切れた理由。ギルド側が納得するまで俺にかけられた嫌疑が晴れることはない。俺はその理由として脚を採用した。


 一歩目で飛び出し、二歩目で急加速。三歩目で最高速へ。常人では知覚不可能な速度で刃圏に滑り込み、勢いのままに刃を振るう。剣は全体を駆使して振れ、などと姉上からよく言われたが、俺はそんな理屈は知らんので振りやすいように振り抜く。


 狙いはスネだ。冗談のような筋肉の鎧を有するアウグストだが、身体構造上どうしても守りが薄くなる部分ができる。そこを突く。


 姿勢を低くして駆け、すれ違いざまに一閃。


「ぐ……ッ!」


 思わず呻いてしまう。俺は今、何を斬ったんだ……? 岩石の塊に剣を振り下ろした気分だ。


 指先から腕の付け根まで走った鋭い痺れに耐えかねて、俺は思わず剣を取り落とした。人を斬った反動じゃねぇ……。


 だが、これで少しは応えたんじゃないか。

 反撃を警戒して飛び退いてから振り向く。アウグストは腕組みをしたまま微動だにしていなかった。

 ゆっくりと、いっそ優雅にすら見える所作でアウグストが振り返る。スネに痛みを感じている様子は無かった。ふん、と鼻を鳴らし、ほんの僅かに首を傾げて言う。


「それで?」


 ……冗談きついぜオイ。


 ▷


 アウグストは防具を纏わない。動きを阻害する重りにしかならないからだ。

 アウグストは武器を使わない。己の肉体こそが至上の武器足り得るからだ。


「ぬぅぅぅゥゥンッ!!」


 グッと腰を落としたアウグストが正拳突きを繰り出す。

 破裂音。耳をつんざくそれは大気の悲鳴だ。数瞬遅れて大嵐のような風の奔流が叩きつけられる。耐えようがない。両足が浮き上がり、樽に入っていた武器と一緒に吹き飛んで訓練所の壁に叩きつけられる。

 数秒後。呼吸すらままならない暴圧が止み、俺はそこでようやく呼気を吐き出した。


「かっ! ハッ!」


「どうしたァ……鉄級のエイトォ……。一泡吹かせる策とやら、そろそろ見せてくれてもいいんだぞ……?」


 ねぇよんなもん! くっそ、あの野郎分かってて遊んでやがる!


「おい! もういいだろ! こんなの模擬戦の名を借りたシゴキじゃねぇか!」


「まだだ……まだ貴様の筋肉は悲鳴を上げていないではないかァ……」


「筋肉ダルマがッ!」


 足元に転がっていたナイフを左手に、ショートソードを右手に握って駆け出す。

 スネは通じなかった。なら、次はもっと致命的な部分を狙うしかない。俺は左手のナイフをアウグストの目に向けて投擲した。


 投げナイフなんて使ったことなかったが、どうやらうまい具合に飛んでくれたようだ。ナイフの切っ先は狙い過たずアウグストの目へと飛んでいき――


「むん!」


 閉じたまぶたに防がれた。どういうことだよ。まぶたって鍛えられる部分じゃねぇだろ!


 だがいい。目は閉ざした。

 狙うは首だ。脛が駄目で、目も駄目ならもうここしかない。駆け抜ける速度に全体重を乗せて刺突を繰り出す。

 このデカブツが。飛ばなきゃ首に剣が届かないってどういうことなんだよ!


 苛立ち混じりの一突き。刃引きの得物だろうと、並の冒険者なら絶命させるに足る威力の一撃は。


「ぬるいッ!」


 剣の切っ先を顎と胸板に挟まれていとも簡単に防がれてしまった。おまえ……もう何でもありかよ。ぬるいじゃねぇんだわ。


 全体重を乗せた突きをいなされて身体が宙を泳ぐ。無防備になった俺の足をアウグストがむんずと掴み、乱暴なガキが人形を振り回すみたいにして放り投げた。千切れたらどうすんだクソが!


 打ち捨てられたゴミのようにゴロゴロと転がる。なんとか受け身は取ったが、逃がしきれなかったダメージが蓄積して各部が痛んだ。

 息が荒れていく。身体の痛みに呻きながら目を開くと、すぐそこにこちらを見下すようにして控えるノーマンがいた。


「アウグストさん。これ以上は……無駄らしい」


「そうか……じゃあ」


 俺の腹を足で踏みつけたアウグストが言う。


「殺すか」


「ッ!? はぁ!? どういうこと、グッ……」


 黙れ。そう脅すかのようにアウグストのつま先が腹へと食い込んだ。


「ギルドマスター殿は……貴様を警戒しているらしくてなァ。手の内を晒さないようなら殺していい。そう言伝を預かってる」


「なんだ、そりゃ!? いくらなんでもそれはねぇだろ! そんな横暴が通るかッ!」


「忠誠心の欠如には……報いが要る。これから死ぬ貴様には関係ないことだが……ギルドはいま、少々立て込んでいてな。不穏分子はァ……片っ端から消していく」


 物騒な宣言をしたアウグストがグッと拳を引いた。膨張した筋肉がギチギチと悲鳴を上げている。あれが振り下ろされたら……俺の頭は木端微塵に砕け散るだろう。


 こいつ、本気だ。本気で俺を殺そうとしている。嘘だろ……? こんなあっさり鉄級のエイトは終わるのか……? あまりにも唐突過ぎる。そんなことがあってたまるかッ!


「待てっ!」


「待たねェ」


 圧が膨らむ。首を締められたみたいに視界が霞んでいく。薄れゆく意識の中で、俺は俺の頭蓋に向けて拳が振り下ろされるのを捉えた。


 死ぬ――――




 ▷


「はっ……!」


 心臓に楔を打ち込まれたような圧が霧散する。あまり掻きたくない類の汗がどっと吹き出して全身を濡らした。

 ここは……教会じゃない。俺は……死んでないのか?


「そら、俺様の言った通りじゃあねェか。コイツはいま『死』を自覚した。ノーマンも見ただろ? だってェのに、隠し持ってる奥の手とやらを出さなかった……。警戒の必要なんか無ェ。俺様ァそう判断するね」


「……自分の勘も、まだまだってことですかね」


「呑んべぇ相手にやんちゃしてた若造、ってとこだな」


「……ですか」


 朧げな意識の中で聞こえてきた会話を精査する。

 死。警戒。奥の手。……なるほど、一杯食わされたか。死の危機に瀕したら俺が本気を出すと思って一芝居打ったと。ざけんなボケ。心臓に悪いわ。


「だがなァ……解せないこともある」


 身体が無理やり持ち上げられる。首根っこを掴まれているらしい。無理やり顔の角度を調整される。眼の前にいるノーマンと目があった。【六感透徹センスクリア】か。


「やり合って分かった。貴様は……弱い。筋肉に魂が宿っていない」


 なんで判断基準が筋肉なんだよこいつ。


「貴様が嵐鬼とやり合ったら……よくて五発避けるのがやっとだろう。やつは鬼だが馬鹿じゃない。戦闘巧者だ。奥の手、とは言わずとも何か隠していることがあるのだろう? さて、どうやって凌ぎ切ったのか……吐いてもらおうか」


 どうやら戦闘の次は尋問が始まるらしい。戦闘狂ならではの嗅覚で俺の隠し玉に当たりをつけたようだ。頭は悪くても、こと戦闘に関しては勘が冴えている。厄介なやつめ。


 知られたくないことは二つある。

 俺が勇者であり、あらゆる補助魔法を使えること。そしてルークに【全能透徹オールクリア】を使用したこと。この二つだ。

 勇者到着まで時間を稼いだのは俺じゃない。ルークである。しかし俺はそれを馬鹿正直に話す訳にはいかない。【奉命オース】の効果がある。他言無用の誓いを破れば俺はのたうち回りながら苦しんで死ぬ。それはごめんだ。


 かといって……嘘はつけない。ここでノーマンの【六感透徹センスクリア】に引っ掛かったら……次は本当に不穏分子と断定されて殺されかねない。冒険者エイトという便利な人格は失いたくないのだ。


 ならば嘘をつかなければいい。俺は時間稼ぎも兼ねて訥々と言葉を紡いだ。


「……知られたくない、手を使ったんだ……ギルドマスターにチク……報告しないなら話すと誓う」


 眉を顰めたノーマンが恫喝するように言う。


「条件を選べる立場だと思うなよ? ルーブスさんには全て報告する。早く吐け」


「なら……事情を知っても罪に問わないことを誓ってくれ」


「それは後ろめたい手を使ったという自白か?」


「そうだ」


「……へえ」


 嘘がバレるという状況を逆手に取る。事実の断片を繋ぎ合わせて全く異なる真実をでっち上げればいいのだ。そのためには多少危険な橋を渡らなくてはならない。


「俺の犯した罪に一切の言及をしないこと。それが口を割る条件だ」


「そりゃ程度によるな。保証はしかねる」


「なら俺は一切の情報を落とさん。殺すなら……殺せばいい」


 死んでも生き返ることができる俺は自らの命を投げ捨てる強気な交渉が可能になる。

 先程の戦闘のように何の覚悟もできていない状態で殺されかけたら相応にビビるが、腹さえ決まっていれば本気になれる。嘘じゃない。


「……そこまで口にすることを拒むってことは、相応に重い罪ってことか?」


 来た。この質問を待ってたんだよ。俺はわざとらしくならない程度に口の端を歪めて答えた。


「まぁ、な。融通の利かない法はそれを罪だと断じてる。俺は悪用していないと誓えるがね。そしてその件には俺の知り合いが一枚噛んでる。仲間は売れない。理由なんてそれで十分だろ?」


 情報は落としてやったぞ。お前は馬鹿じゃないだろう。自力で答えに辿り着け。そうすれば疑うという濾過機能が曇る。勘の向上を欺ける。


「…………毒か」


 わざと頬をヒクリと痙攣させ、目を逸らして黙り込む。沈黙は肯定。さぁ、存分に勘違いしてくれよ。


「そうか。そういうことだったか……クソっ、とんだ見当違いだ!」


 よし。俺は内心でほくそ笑んだ。

 俺は何一つ嘘をついちゃいない。アーチェに作らせた毒で嵐鬼を弱らせたのは紛れもない事実だからな。一を聞かせて十を誤認させる。それが【六感透徹センスクリア】の対処法だ。


 そしてなにより……俺は毒の単純所持程度でギルドにしょっ引かれることはないと確信していた。

 表立って所持していると公言するやつはいないが、武器の一つとして携帯しているやつらは少なからずいる。人に使えば一発でブタ箱行きだが、魔物に使えば強力な手札の一つと化す。

 ギルドは余程のことがなければ冒険者の飯の種を奪うことはしない。自分たちの首を絞めることに繋がるからだ。


 極めつけは俺がさり気なく漏らした『悪用していないと誓える』という言葉。これが潔白の証明として機能する。

 なぁノーマンさんよ。嘘が分かるってのは便利だよなぁ? だがコッチにとっても便利なんだぜ? 与える情報を絞るだけで勝手に勘違いして赦しを与えてくれるんだからよ。


「……アウグストさん、そいつを離してやってくれ」


「……俺はお咎め無し、なのか?」


「……同業を助けるために使ったんだろうが。それを罪だと断定したら暴動が起きる」


 そうだろう、そうだろう。

 功罪は相償うもの。剣で人を斬ったら犯罪者だが、魔物をぶち殺せば英雄だ。究極的にはそれと同じことよ。


 殺されかけたときはどうなるかと思ったが、どうやら厄介事を丸く収めることができたようだ。


 首根っこを掴んでいた圧が消え、両足で確りと地に立つ。金級との戦闘とルーブスの差し金からの尋問という一仕事を終え気を抜いたところ、丸太のようにぶっとい腕が肩に巻き付いてきた。怪物が言う。


「よぉし、エイトォ! 色街に行くぞっ!」


 急にどうしたコイツ。


「全く……俺様はなァ、最初っからこんな回りくどいやり方は反対だったんだ……! 男は色街で女を抱きッ! 性癖を晒し合うことで簡単に理解り合えるッッ!! 貴様も……そう思うだろう?」


「いや、思わね……っ、おい触んな!」


 俺は無理やりアウグストの脇に抱えられた。人を俵みたいに扱うんじゃねぇ!


「間怠い真似はもう止めだッ! 行くぞ色街ッ! これより我ら大門を打つ!! 俺様の奢りだッ!! 総出でイクぞッ!! 俺様に続け! ノーマンッ!!」


「お供致しますっ!」


「やめろバカ! 離せっての! 俺は色街なんて行く気はねぇぞ!」


「クックッ……聞いているぞ……エイトォ……貴様はわざと色街の隣の宿に泊まって情事を盗み聞きするのが無二の愉しみだそうだなァ?」


 ねーよボケ! 誰だそんなウワサ流してるクソは! 宿泊料が安いから贔屓にしてるだけだって言ってんだろッ!


「恥じることは……ない。性癖はロマンだ。俺様は……エグいヒールで腹を穿たれることにどうしようもない悦びを感じる……ッ!」


「知らねーよッ!」


「むぅぅン! 滾ってきたぞ! 今宵、俺様の『柱石』が天を差すッ!」


「お前最低なこと言ってんな!? クッソがッ! 離せッ! 離せーッ!」


 金級のアウグスト。民衆から圧倒的な支持を得ているが、極一部からはあまり好かれていない男。その意味が、今日ようやくわかった気がする。何だこいつ。筋肉と下半身でしかモノを考えてねぇのかよ。


 結局アウグストは冒険者ギルドに屯していた野郎の大半を引き連れて色街へと繰り出した。良くわからない凱旋パレードみたいになった集団はなだれ込むようにして真っ昼間っから色街に突入。とんでもない騒ぎになったとかなんとか。

 俺は途中で脱走して首を斬って逃げた。しち面倒なやつに目を付けられちまったな……クソが。

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