灰被りの金剛石

 両替商に幾ばくかの手数料を取られたとて、銀の鈍い光が金の眩い光に変わる瞬間の心地よさは微塵も損なわれることはない。


 これ以上ないほどの環境を整えた俺は、広場の熱狂が冷めやらぬうちに一山いくらで買い付けた処分品を銀貨一枚という強気な価格で売り切った。それも全て。全てだ。


 よくわからん小物にリストバンド、耳飾りに帽子など、一見して安物だと分かるそれらは『スピカに縁のある品』という箔をまぶしただけで飛ぶように売れた。まぁ目論見通りである。

 王都でも勇者の冒険活劇のすぐそばで売られている剣や杖の小物なんかが馬鹿売れしてたからな。流されやすいこの街の住人なら簡単に食いついてくれると半ば確信していた。


 計四百点。銀貨四百枚。金貨四枚。

 上出来。上出来だ。買付費用や荷物の運び出しを手伝わせた連中に報酬を払ったとしても金貨三枚は手元に残る。急拵えの舞台でこれだぜ。万全の状態で商戦を仕掛けたらどうなっちまうんだろうな?


「あのっ、セイン座長! 私……こんなに、お金を頂くわけにはいきません……」


 最高級の宿の一室。スピカは声を震わせて俺におひねり入れを差し出した。

 そこまで大きくないカゴだ。入っている硬貨は百と少しだろう。銀貨二十、銅貨八十といったところか。


 くくっ。端金よ。そんな金に怯えるなんて馬鹿な話もあったもんたぜ。いまお前が着てるドレスの裾を踏んづけでもしたら消えて無くなる金額だってのにな。


「スピカ。それは貴女のものだ。才能には価値がある。言ったでしょう。それは当然の権利だ」


「でも、こんな……私は何もしてないのに」


「歌ったでしょう。スピカ。あまり自分を貶めるものではないよ。謙遜も過ぎれば歌を生業とする者たちへの侮蔑となる。貴女は胸を張るべきだ」


「…………はい」


 さてさて、目下の問題はこの歌姫様だ。

 ウジウジしてんじゃねぇと一喝したくなるが、それが原因で計画がご破算になったら伝説はタチの悪い喜劇ファルスにまで落ちぶれる。手は抜かない。

 俺は柔和な笑みを浮かべた。


「前向きな話をしましょう。スピカ、他に歌いたい歌はありますか?」


「……そこまで、考えてなかったです」


「ならば知り合いの吟遊詩人バードに歌詞を用立てるよう依頼を出しておきます。スピカ、貴女ならばもっと多くの者に希望をもたらすことができるでしょう」


「本当ですか……?」


 ほう。表情から多少陰がとれたスピカを見て俺は目を細めた。攻めるべきはコッチ方面だったか。

 貢献感。与えられる側ではなくて与える側になりたい、と。よろしい。ならばその方向で調整しよう。


「えぇ、えぇ。スピカ、自分を信じなさい。聴衆の沸き立つ様を見たでしょう。あれ程の熱を呼び覚ませる者が、この世界にどれほどいるでしょうか。あらゆる土地を巡り、あらゆる才を目の当たりにしてきた私が保証しましょう。貴女の歌には――――力がある」


 ▷


 金を集める力だけどな。


「その腕輪と足飾り、それと発光魔石入りのライトを二本くれ!」

「おい、買いすぎだ馬鹿! 他のやつらの分も考えろッ!」

「サインが書かれた色紙を一つ下さーい!」

「俺の分も残しておけよーっ!」

「座長殿! ワシは銀貨を五枚払うぞ! だから早くワシに買わせろッ!」


 繁盛繁盛。売り出す品のグレードを上げたことで儲けも右肩上がりを続けている。

 舞台の開催は二日おきだ。連日歌わせるとその分だけ希少価値が下がる。冷却期間という間を設けることでスピカという商材はこの上ない火種として活躍してくれた。


 王都の吟遊詩人バードに金を握らせて編曲させた歌も上々の盛り上がりを見せている。スピカの歌は相変わらず下手くそだが、【魅了アトラクト】の後押しを受けた歌は素人のそれを一流のものと錯覚させる。

 正直効果が強すぎてビビってるくらいだ。お前らちょっと熱狂的すぎん? 俺がやってもこうはならなかっただろう。やはりうら若き乙女ってシチュエーションが映えるのかね。


「売り切れだ! もう品はねぇ! 売り切れだっつってんだろ!」

「早く散れ! 身動き取れねぇだろ」

「スピカさん上がりまーす!」


 暇してる冒険者連中に屋台の売り子や周辺警備、スピカの護衛などの依頼もしてある。トラブルなど起きようはずもない。

 今日も今日とて用意した物品は完売だ。単純な儲けは金貨十枚近くまで伸びている。大手商会への大量発注も済ませてあるし、次回のタネも用意した。全て順調だ。まったく、芸術ってのはこうでなくちゃあな?


「お疲れ様です。スピカ」


「座長……お疲れ様です。あの、これからお時間取れますか……?」


「すまないね。私はこれから紡績と魔道具を扱う商会と面談があるんだ。何か急ぎの話かね?」


「……はい。できれば、急ぎで」


 ふむ。さてどうしたもんかね。

 商売は順調だ。それは取りも直さずスピカの目標も達せられているということ。住民がこれだけ馬鹿騒ぎしてスピカスピカと騒ぎ立て、物品を買う金を稼ぐためにすこぶる気合を入れて魔物をブチ殺しに出張っているというのに……当のスピカは一向に元気にならなかった。


 今はまだ憂いを帯びた儚さが売りだなんて喧伝文句で誤魔化しちゃいるが、このままだとボロが出かねない。一体何が不満なんだか。


「では明日の夜に宿へと伺います。積もる話はその時に」


「えっと……今夜では駄目ですか?」


「スピカ。私はこれから欠かせない予定があるのです。貴女の夢を叶えるために必要な手続きだ。宿で待っていてくれるね?」


「…………はい」


「よろしい。では護衛を頼むよ」


 俺が声と視線で促すと金で雇った冒険者の女が威勢よく返事をした。


「はい! ではいきましょう、スピカ様」


「様だなんて、そんな……」


「さぁ。血迷った暴漢が何処で牙を鳴らしているか分かりませんからね。あまり長く衆目に姿を晒すべきではありません」


「……はい」


 スピカが宿へと戻ったのを確認した俺は売上金が入った背嚢のもとへと歩み寄った。軽く掴んで持ち上げるとズシンとした重さが腕を通して伝わってくる。

 銀貨一千枚超。至福の重みである。


 俺は背嚢から銀貨五枚を摘み上げ、微動だにせず警護をしていた銀級冒険者の胸ポケットにねじ込んだ。出来るやつには報酬を。それが座長セインの流儀だ。シルクハットを被り直して言う。


「君、依頼の延長を頼みたい。荷物持ちと、あとは商談時の護衛です。いかがでしょうか?」


「引き受けました」


「それは重畳。ではいきましょうか」


 さぁ、デカい商談が待ってるぞ。紛うことなき好機。この機会さえモノにすりゃ、今度の舞台の最高売上は今日の二倍は目指せる。そうなりゃエンデを牛耳ったも同然よ。


 風が吹いてきたぜ……いい気分だ。なにより、今回は治安維持担当に目をつけられる心配がねぇ。腹を探られても痛くない状況ってのは素晴らしいな。

 むしろ冒険者どもは俺の味方に近い。太っ腹で金払いのいい依頼者だと思われているはずだ。心証が悪くなるはずもない。勝った。今度こそ勝ったぞ……! 


 おっと、慢心するにはまだ早いな。穴があるとすれば今日の商談か。相手は海千山千の商会代表。心してかからなきゃな。俺はにっこりと笑みを浮かべて気合を入れ直した。


 ▷


「いや、いや! セイン殿の辣腕の冴えはまさに見事の一言! 長いこと商会を任されている私でもこうまで商売の神に愛されている者には会ったことがない! その慧眼に適ったこと、光栄の至りです。おぉっと、もう杯が空いているではありませんか! ささ、もう一杯呑みましょうぞ」


 穴なんて無かったわ。


「はは。あまり乗せられると困りますよ。若輩が真に受けて勘違いしてしまいます」


 稼ぎ頭の冒険者や大店の経営者が利用する高級店にて、振る舞われた酒を水のように飲み干す。キリッとした辛口。喉の奥に心地良い熱が走り、吐き出した呼気に濃密な酒精の香りが宿る。旨く、強い酒だ。酔わせに来ているな。


「勘違いなどと。私がセイン殿の年の頃は金貨の重みすら知りませんでしたぞ。一歩踏み外せば終わりのこの街で一夜にして名を挙げたその才気、疑う者などおりますまい」


 交渉のやり方は三通りある。上からいくか、対等に立つか、下からいくか。

 そして目の前の男は下から攻めることに決めたようだ。小さい商会じゃない。この街で手広くやっている成功者の一人。それが年下の人間にへりくだっている。見ようによってはおかしな光景だろう。


 全部予定通りなんだよなぁ!


 芸術の価値は分かる人間にしか分からない。そしてそれは身に纏うモノでも同じことが言える。


 俺が着ている服、そしてスピカに着せたドレスを見たこの街の人間は『なんか立派だなぁ』くらいにしか思わなかっただろうが、見る人間が見れば一目置く品だ。間違ってもそこらの凡愚が着れるもんじゃない。


 セインという男が何者かは見当もつかないが、気分を害することは利に繋がらない。

 そう思わせるだけの事前準備は整えていた。いつか何処かで役に立つだろうと思い、高い金を払ってそれなりの服を仕入れておいたのが功を奏した。先見の明というやつだな。

 身分を高く見せた後は直接ツラを合わせた際にガキの頃に仕込まれた礼儀作法を披露してやるだけだ。そうすりゃ相手は勝手に勘違いしてくれる。やんごとなき身分の御方だ、とな。


 予定通りも予定通り。杯を傾ける手にも勢いが乗るってもんよ。

 宴もたけなわ。全力のヨイショと社交辞令の弾を打ち切った商会長はスッと表情を整えて言った。


「……して、セイン殿。我々の商会への発注書……あれに間違いはないのですな?」


「ええ、勿論です。金貨十五枚を頭金とした長期契約。内容に変更はありません」


 ハキハキとした受け答えを返してやると、思ったよりも酔っていないことに焦ったのか、店主の頬がヒクと震え……そしてニヤリと笑みの形を作った。それは交渉即決の安堵を歓ぶ顔であった。値切り交渉の一つでも飛んでくると身構えていたのだろう。


 甘い甘い。そんなちゃちな真似するかよ。伝説の仕掛け人がコソコソと値切りに精を出していたなんて知られたら後世までの笑いもんだ。景気よく行こうぜ。


「良い関係を築いていきましょう、会長殿」


 俺が手を差し出すと、程よい肉付きの手がグッと力強く握り返してきた。


「ええ、ええ! 我々は良きパートナーになれる! 歌姫ディーバ伝説、是が非でも真実にしてみせましょうぞ!」


 貸し切った店内には俺と会長殿の景気良い高笑いが響いていた。そして無礼講とばかりに互いの護衛を巻き込んで呑み明かし、明け方近くに別室のベッドで泥のように眠り、日が沈む頃に再度軽く酒を入れてから店を出て、スピカの居る宿へと顔を出した。スピカから歌姫を辞めたいと打ち明けられたのは、まさにその時だった。

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