歌姫伝説
その歌は静謐な月夜の下で淡い想いを人知れず打ち明けるようなものだった。
恋ではない。感謝か、或いは尊敬か。
直接伝えることが叶わないならば、せめて歌となって貴方の元へと届きますように。そんなことを歌っているのだろう。
まるで駄目だな。見向きもされない理由ってもんをこれっぽっちも理解していない。
まず一つ。選曲が酷い。
血の気の多い住民で溢れてるこの街で、眠たい曲調の歌に耳を傾けるやつなんて極々僅かだ。喧嘩の罵声だって子守唄にしちまうやつらだぞ。繊細な歌声、なんて言葉は蚊の鳴くような声という表現に取って代わられる。
王都では大繁盛を記録した飯屋がエンデでは閑古鳥を鳴かせるなんてことは珍しくもなんともない。住人の気質の差異は受け入れられる趣味嗜好と直結する。土地の気風に合わせて売り出すネタを臨機応変に変えられる者だけがこの地に根を下ろすことを許され、末永く愛顧されるのだ。
次に二つ。華がない。
どんな名画でも見窄らしい額縁で飾られていたら形無しも良いところだ。孤児が使うような木切れの皿に特上の肉を乗っけたらそれだけで不味そうに見える。城に飾られているお高そうな壺が路地裏に打ち捨てられていたら、それはもはやガラクタだ。
芸術ってのはそれ単体では成り立たない。環境有りきだ。調和と言い換えてもいい。それを取り巻く環境に不純物が混じるだけで審査の対象から外れていき、一定の基準を下回った瞬間に眼中から消え失せる。
パッと見ただけじゃ、どこか垢抜けない風貌の女が
そして三つ。単純に歌が下手だ。
こりゃもうどうしようもねぇな。身体を売るのは嫌で、何か手はないかと頭を捻った末の悪足掻きにしか見えない。
身一つで栄達を遂げる成り上がり奇譚は市井で人気の高い芝居の一つだが、これを現実でとなると話は大きく変わる。
人はそんな都合好く伝説級の呪装に巡り合わないし、高貴な身分の令嬢に見初められないし、ある日突然強力な魔法の才に目覚めたりしない。何処かの誰かがたまたま起こした奇跡を、じゃあ自分でもと意気込んだところで残るのは物言わぬ屍だろう。正に身一つってわけだ。
この女の場合だと、ファン一号の応援の声と色街からの誘いの声、さてどっちが早く掛けられるかという話だ。歌なんぞ歌ってたら口が干上がっちまって色街からの誘いに乗った結果、そっちの鳴き声は思ったよりも良くて人気になった、なんてオチがついたら場末の酒場の下世話にはなるかもな。
消える前の灯火がせめてもの抵抗として強く輝いた。後は消えゆくのみ。
古今東西にありふれた、劇にもならない日常の一つ。
だったら俺が劇的にしてやるよ。
「素晴らしい!」
【
無駄にきらびやかな燕尾のコートに黒のロングブーツ、わざとらしいシルクハットを頭に乗せた白髪の男。芸の肥やしに辺境の地を訪れた演芸一座の長セインと成った俺はギルド前の広場で声を張り上げた。
「吉瑞の光、見つけたり! 天啓である! 研磨せずとも煌めく宝石よ! 天の恩寵授かりし
王都では有名な劇の一節。後に国随一の
手垢に塗れた言葉だ。王都で口にしようものなら馬鹿な詐欺師か何かかと疑われるだろう。しかし、その手の知識に疎い者たちの面前で使えば三文芝居も伝説の序章に早変わりってわけだ。
「斯様な
この街で注目を集めたいのならば、下手に頭を捻るよりも愚直に大声を出す方がいいということを俺は喧嘩売られ商売の経験から学んでいた。
大仰な身振り手振りと迂遠な言い回しは粗野な輩には半分ほども伝わらないだろう。だがそれでいい。むしろそれが良い。それは価値を測りかねているということだ。埃の被ったクズ石と見向きもせずにいたら、実は中身は金塊だった。そういう演出が狙える。
俺は目を丸くして立ち竦んでいる女の前に歩み出た。恭しく膝を付き、所々にあかぎれができている手をそっと取って言う。
「麗しき声の乙女よ。名を伺っても?」
「え……? ぁ……スピカ、です」
「スピカ。素晴らしい名だ。福音である! その名はこの街に、否、王国史に刻まれるであろう!」
天を仰いで立ち上がる。コツは恥を捨てることだ。
一流の芸達者はみんなそうしている。盛りに盛った勇者の英雄譚でしか聞かないような台詞を迫真の演技とともに言い放つ。まるで在天の英霊をその身に降ろすが如く。
俺は周囲に見せつけるようにシルクハットを取り、流麗な貴族の辞儀を披露した。観る者を酔わせ、何よりも自己に陶酔することを是とするセインであるが故に。
「未来永劫語り継がれるであろう不朽の
▷
俺がしたことは単純明快である。打ち捨てられたガラクタにありえないほど高い値札を貼り付けた。それだけだ。
俺は陶器の目利きが利かない。その手の知識に疎いため、壺なんて誰がろくろを回したって変わらんだろうと思ってしまう。
実際は熟練の技なんかがあるのだろうが、はっきり言ってどこがどう優れているのか見分けがつかない。そんなよく分からんものに高い金を払うやつらを見下しているといっても過言ではない。
だがもしそのお高い壺を貰えると言われたら?
俺は素直に喜ぶ。高い値札が付いているからだ。自分で使おうなどとは露ほども思わないが、売れば儲かるものを貰えるのだから、喜びこそすれ気分を害することはないだろう。その壺が、実はなんの価値もないクズ品だったとしても。
要はそういうことだ。
歌なんぞ酔っ払いのエセ歌しか耳にしたことのないやつらは本物を知らない。そんなところにご立派な服装の男が『この歌は本物だ!』と大声で騒ぎ立てたとなれば『ああ、そういうものなのか』と頭ん中にすり込むことがてきる。あとはちょいと背中を押すだけだ。
『まぁ、俺はあの歌が本物だって知ってたけどな』
【
『そんなの俺も知ってたけどな』
チョロすぎんだろ!
本当によく踊ってくれるやつらだぜ。少し前までスピカのことを嘲笑ってた口で慌てたように美辞麗句を並べ立てるんだからよぉ!
「あの……本当に、こんな、よろしいのでしょうか……」
「何も心配することはありませんよ、スピカ。宝石が灰に塗れるなどあってはならない。これは当然の権利なのです」
「でもこれ、相当高いんじゃ……」
「貴女の輝きに比べたらなんてことはありませんよ。むしろ安いくらいだ」
俺はスピカという商品の価値を高めていた。
広場のほど近くにある最高級の宿へとスピカを連れ込んだのは、それほどの価値がある人物なのだという誤解を招くための演出の一つだ。
スピカに待機を命じた俺はちょっと首を斬って王都まで買い物に行き、仕立てのいい純白のドレスや化粧品の数々、その他諸々を買い漁ってとんぼ返りしてきた。
馬子にも衣装。深窓の令嬢が着るようなドレスを纏ったスピカはボロのローブを着ていた時とは比べ物にならないほど見栄え良くなっていた。
いいモノを食わせたおかげか血色も悪くない。唐突に振る舞われたお仕着せに顔を青くしてはいるが……まぁ、さほど問題ではないだろう。
ドレスは確かに高かった。運び屋として儲けた金の残りでは足りず、以前の儲けを切り崩すことになってしまった。
だがこれは必要経費よ。言わば先行投資。すぐに元を取る、どころか金の山を築いてみせるさ。王都の一流劇団は一夜で金貨を百枚単位で稼ぎ切る。それに近しいことをお前がやるんだ、スピカ。
「喉の調子は?」
「喉は問題ないんですけど、その……き、緊張してきて……」
スピカは窓の外にズラリと並んだ聴衆の群れを見下ろし、ぶると背筋を震わせた。
気合い入れて宣伝したからな。これくらいカモが来てくれなきゃ困る。そしてカモを前にそんな怯えた顔をされるのも困る。
香油を塗り込んでツヤを浮かばせた髪が崩れないようそっと頭を撫でる。【
「貴女はただいつも通り歌えばいい。想いを声に乗せて、ひたむきに。出来ますね?」
「……はい、やれます」
それでいい。緊張なんてすることねぇさ。仕込みは済んでいる。あとは俺の腕でどうとでもしてみせるさ。
出来損ないの陶器だって宝石を散りばめれば価値は天井知らずよ。下駄を履こうぜ。金剛石製のな。
▷
むせ返るほどの熱を裂いてスピカが進む。汚れ一つない無垢な白を纏った姿は荒くれ者どもの目を釘付けにした。
こんな辺境の危険地帯には高貴な身分の人間は近寄らない。見たこともない『上流』の装束は強い感銘を与えたことだろう。あれが本物か、と。
環境有りきだ。
貴族連中が口に含んだら吐き捨てるような肉も、この街では旨い旨いと称賛される。知識と体験の上限がそこ止まりだからな。俺がやったことはつまるところ上限の撤廃だ。上流階級や王都の民衆しか嗜むことのない芸術という分野の裾野を広げた。あとはもうのめり込ませるだけである。
「光る刃の煌めきを 私は今も夢に見る 終わる命を済われて 私は今も此処に在る」
【
「血に塗れ 風雨にうたれ 傷の絶えない険しき道を あなたは今も旅しているのか」
【
「血潮の熱が巡っている 胸の鼓動が鳴っている 遠き明日へと旅するあなたよ 追い縋ること叶わぬのなら」
【
「夜よ 夜よ その静けさを震わせて せめて一言伝えてほしい」
そして俺が発動する【
「私は今も生きている 私は今も歩んでいる あなたの拓いた道の跡を ありがとう ただその一言を――」
一曲歌い終えたスピカは俺の指示通りにドレスの端を摘んで軽く辞儀をした。ここだな。俺は広範囲に展開した【
おおおおおおぉぉぉぉぉ――――
まるで地鳴りだ。爆発のように押し寄せた歓声が広場を、街を強かに震わせた。
処刑の騒ぎとは比較にならないほどの熱狂ぶりは数千の魔物の行軍をも彷彿とさせる。これだよこれ。やはりこの街には王都には無いパワーがある。この街の住人は籠もった熱を発散する場所を求めてやまない。油を敷いた鍋のような街だ。火がつけば忽ちのうちに燃え上る。
チラとスピカを見る。どうやらこの熱気の前では【
商品価値が下がるから堂々としていてほしいのだが……まぁそれは高望みというやつか。むしろ路傍の石がこんだけ輝ければ上等というもの。そこら辺はおいおい仕込めばいいか。
おひねり入れには大量の銅貨と銀貨が投げ込まれていた。飛び交う銀貨を着服している不届きな輩もいるみたいだが……まぁいい。端金だ。俺は広場の一角に設置されている屋台に被せておいた布をバッと剥ぎ取った。【
「さぁさぁお立ち合い!! 今しがた目にしたのは王国全土に名を轟かすことになる
俺は優雅な所作で屋台の椅子に腰掛けた。背後に積み上げられたモノの数々を前にして言う。
「さて、人は国史に刻まれる歌を歌えずとも、伝説の一端をしたり顔で語る口は持ち合わせている。嘘や冗談ともなればそこらの孤児でも口にするでしょう。幸運にもこの場に居合わせた貴方がたが、十年、または二十年後、我が子や知人に対して『私は伝説の序幕に居合わせたのだ』と語ったとて……駄法螺の類と笑われるのが関の山」
俺は王都で売れ残っていた場末の劇団の関連雑貨を取り出した。両手を大きく広げて言う。劇的に行こうじゃないか。
「生き証人になるには……形あるモノが必要だ。確たる証拠が手元にあって初めて伝説の立ち合い人になれる。さぁお立ち合い。ここに並ぶは世紀の
おひねり程度じゃ満足できんね。劇は物品販売あってこそだ。
数瞬の後、熱に浮かされた観客どもが爆発したかのように俺の屋台に殺到した。
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