金の卵を産む鳥の歌
なんか治安が上向いているらしい。ここ最近で鑑定詐欺や違法賭博、違法薬物の提供や孤児への犯罪教唆など、断頭台に掛けられるような重罪を犯すヤツが立て続けに現れたおかげだそうだ。
街に不利益をもたらす輩が容赦なく首を落とされる様を見て悪事を働こうとした者は萎縮しているとか。更に治安維持担当がなにやら強烈に叱咤されたらしく使命に燃えている。
『金目当てで組織に潜り込んだ犯罪者よりも低い働きしかできないようなら減給と罷免を覚悟してもらわなければならない』
実に痛烈な警告だ。
この一言により、慣れてきたことで気が緩んでいた連中の眼光は鋭さを取り戻した。定点での監視ではなく、街を巡回している連中の身の入り方も一味違う。ふと視線を巡らせると路地裏の陰から人混みを睨んでいるやつと目が合うのだ。
自分が突っ立ってれば犯罪を起こす輩なんて現れないだろうと舐め腐っていた連中が、なんとかして己の価値を示そうと躍起になっている。結果、犯罪者がすごすごと引き下がる環境の出来上がりというわけだ。残るのは食うに困って店先の食いもんを掻っ払うその日暮らしのクズくらいか。
要はこうだ。道楽者シグという人間はその命を以って治安維持のなんたるかを高らかに示し、平和と安寧のための礎になった。
クソが! 納得いかねぇ!
苛立ち混じりに肉を噛み串を引き抜く。もっちゃもっちゃと食い進めながら目抜き通りを歩いていると治安維持担当の男と偶然目が合った。ムッとした顔で近寄ってくる。
「おい、お前……いまこっちを睨んだだろう。何か良からぬことを企んでるんじゃないだろうな?」
「この目は生まれつきだっつの!」
「ふん……俺たちの目があるこの街で妙な気は起こすなよ?」
なに気取ってやがる。お前は少し前まで俺の中の
串を放り捨てて目抜き通りを進む。人の熱気で汗が吹き出しそうだ。呼び込みなんだか怒声なんだか判断に困る喧騒の中を、時に素早く、時に緩やかに、時に店の前で立ち止まりながら進んでいく。
適当に目をつけた店の安酒で喉を潤す。
酒を飲むと上手く魔法が発動できなくなるというやつは多い。酒精を取り込んだ時特有の感覚の変化が邪魔になるのだろう。そんな事情もあってか酒を毛嫌いする魔法使いはそれなりに居る。パーティーメンバーが酒を嗜むことすら許せないなんてやつもいるとか。
しかし俺は逆だ。少しばかり酒精が入ってるくらいが丁度いい。感覚が冴える。
商売っ気が盛んな目抜き通りを抜けた。いくらか人の波が落ち着く区画。俺は安酒のカップを肩越しに放り捨てた。上唇の酒を舌で舐め取り魔法を発動する。【
カッ、と紙製のカップが地を叩いた。
音は闇の中で輝きを放つ光に似ている。発生と同時に全方位へとその痕跡を飛ばす。俺はそれを波として捉えていた。
感覚を絞る。足元に広がる音の波。イメージするのは蜘蛛の巣だ。感覚の糸の揺れ方から、どんな体格のやつがどんな歩幅で歩いているのかを探る。
……女だな。体幹は安定している。冒険者であることは確定か。
俺を苛立たせるもう一つの理由がこれだ。宿を出たあたりから後を尾けられているという感覚があった。邪魔くせぇな……ルーブスの野郎の差し金と見るべきか。
療養から戻ってきた途端にこれだぜ。手厚い歓迎に涙と反吐が止まらねぇな。
体重は軽い。斥候か、もしくは魔法使いか。
……斥候にしちゃお粗末な尾行だ。いや、むしろそれが狙いか? 遠回しな警告。もしくはどの程度の尾行で俺が感付くのか確かめている?
俺の実力を測る試金石として派遣された練度の低い刺客。そう考えれば全て辻褄が合う。
全く、ナメられたもんだな。こんな厄ネタは放置安定だが……四六時中監視されてるとなると動きが制限されるな。高級な店への出入りは控えなければ怪しまれるし、別人格で長いこと行動していると冒険者エイトはどこで何をしているのかという疑問を抱かれる。だるいな。俺は行動に枷をはめられるのが大っ嫌いなんだよ。
さてどうするか。波風立てない解決法は無視一択だが、そうするとこの監視がいつまでも続く可能性がある。何よりも、生意気に俺を尾けているやつの顔を拝んでおかなければ枕を高くして寝れたもんじゃない。
しかし馬鹿正直にとっ捕まえようもんなら『お前やっぱり実力隠してたんじゃないか! 明日から銅級な!』とか言われかねない。
ならばこうする。俺は通りの角を曲がり、すぐそこにある屋台で安酒を注文した。カップを受け取ると同時に踵を返す。偶然鉢合わせるという体裁を整えるためだ。
俺がこちらに曲がったのは酒を買うためであって、本来向かう目的地は反対側である。そういう設定で後ろを振り返れば、一定の距離を保ちながら付いてくるネズミのご尊顔を拝めるって寸法よ。
……あいつか。黒い外套。長めの黒髪。杖を持ってるってことは魔法使いだな。外見は黒ローブ……銀級のメイに似ている。
いや黒ローブじゃねぇか。俺は気付かないふりをした。安酒を傾けながら視線をさり気なく空に向ける。いい天気だな。こんな日は食べ歩きしつつ夕刻まで街をブラついてから帰って寝るに限る。そんな雰囲気を出す。表情は自然体をキープ。
「……久し振りね、鉄級のエイト」
うへ。話しかけてくんのかよ。お前はいつもそうだな。読めよ。空気を。話しかけるなと全身で表現してる俺の空気を読め。
「ん? んー」
声を掛けられて初めて気が付いたという風を装い視線を落とす。酒のカップを口に含みながら間抜けな声を出す演出も欠かさない。
次に軽く目を開いて反応を示す。この微細な反応がコツだ。さも偶然鉢合わせたという体を装える。
そして『なんだ、コイツか』と言わんばかりの間延びした声を出し、緩く手を振って退場。
完璧だ。間の置き方まで計算に入れた偶然の鉢合わせ現場である。
「え、ちょ! 待ちなさいよ!」
チッ。そのままおさらばって訳にはいかないか。
「あんだよ。いま忙しいんだが」
「真っ昼間から酒飲んでおいて何言ってるの?」
「俺は酒精の分だけ力が出るんだよ。じゃあな」
俺は強引に話を切り上げて歩き出した。
……ルーブスの差し金確定じゃねぇか。討伐ノルマとかいう訳のわからない制度が作られた折に俺が突っ込まれたパーティーのリーダーがこいつだ。十中八九ギルドマスター殿の息がかかってる。付き合ってられっかよ。
「待ちなさいっての! 相変わらずの態度ね……。せっかく、心配して見に来たってのに……」
「は? 心配?」
「なんか……療養するためにツベートまで行ったって聞いたから……」
あぁ、その話か。普通にデタラメなんだけどな。加えて今の俺は死にたてほやほや。絶好調もいいところである。
「メンバーの負傷はリーダーの責任だから、その、調子はどうなのかなって……」
なるほど。
……ということは、なんだ? 俺は勝手にアレコレ深読みしてたってわけか?
なんだよ。それを早く言えや。そも尾行なんて紛らわしい真似すんじゃねぇよ。後ろめたさで声をかけるのを躊躇うようなタマじゃねぇだろうに。心配すんなら金をくれっての。
いや待て。それだ。俺は眉根を寄せて腹に手を添えた。
「あぁ……少し肋をヤっちまってたみたいでな……お前らと飯を食った後に痛みだしたんだ。治療してもらったから今は治ったんだが、予想外の出費だったなぁ。おかげで懐が寒くていけねぇ。ま、俺の頑張りのお陰で救われた銀級の魔法使い様が居るからな。文句は言わねぇよ。治療費が高くついたけどな」
「…………いくら掛かったのよ」
「銀貨十五枚」
もちろん真っ赤な嘘である。
すっと目を細めた黒ローブは財布を取り出して中身の銀貨を取り出した。【
へっへっ……こいつぁいい金づるだ。
いや、そういう言い方はよくないな。己の失態で負傷したメンバーに対してキッチリと筋を通す立派なリーダー様だぜ。(都合の)いい女じゃァねぇの。
黒ローブがおずおずと銀貨を握った拳を差し出してくる。俺は手のひらを上にして差し出した。
「もしも治療費の話がウソだったらギルドマスターに色々チクるから」
俺はくるっと手のひらを返し、黒ローブの握り拳を優しく押し返した。
「やめろよリーダー。まるで俺が金をせびったように見えるじゃねぇか。そんな気ぃ遣うなって。一日とはいえ肩を並べて戦った仲だろ?」
「うわっ。こんなに綺麗な手のひら返し初めて見た」
やかましいわ。チッ。金にならんやつなんぞに用はない。とんだ無駄足踏ませやがって。
「んなわけで療養は済んだから心配なんていらねーよ。じゃあな」
ギルドの寄越した監視じゃないということが分かっただけでも儲けもんだ。気を張る必要もなくなった。予定通り街をブラつくとするかね。
「ねぇ、あんた今日の予定は?」
なんで付いてくんだよ。
「ちょっと人と会う約束をしてるんだ。もう帰っていいぞ」
「ふーん。あんたさえ空いてれば今月の討伐ノルマの手伝いをしてあげても良かったんだけどね」
「よし今すぐギルドに行こうぜ」
「……人と会う約束は?」
「気心の知れたやつだからな。約束をすっぽかしたくらいじゃ怒らないからへーきへーき」
俺は存在しない知人との約束をすっぽかした。くるっと反転してギルドに向かう。
銀級の補佐さえありゃ鉄級の討伐ノルマを満たすのなんてあっという間よ。おまけに銀級の力に頼り切っているのだと周りが勝手に勘違いする。評価が上がらない。つまり昇級が遠のく。いいね。俺は黒ローブを使えるやつリストに放り込んだ。
ちょうど今は治安維持担当が気合を入れて警備にあたってるからな。副業の冒険者稼業に専念するのもいいかもしれない。
シグの分の儲けはミラに没収されたが、運び屋フィーブルの分の儲けはまだ少し残っている。焦る必要はない。
訝しむ視線を向ける黒ローブの背を叩き、付いてくるよう促す。療養中は何をしてたなんてくっそどうでもいい会話をしながら一路ギルドへ。
「ん……? 何か人だかりができてない?」
「おっ、処刑か?」
「そんな雰囲気じゃなさそうね」
冒険者ギルド前の広場にはぽつぽつとした渋滞が発生していた。何かを目的として集まったというよりは思わず足を止めたといった風情だ。
【
「誰かが歌ってるみたいだな」
「へぇー。珍しい。ちょっと行ってみない?」
「あんま期待すんなよー」
足繁く王都に通っている俺は激戦区で活躍する
自らの歌声一つで生計を立てる芸達者のそれは、芸術に疎い俺をしてほぅと唸らせるものがある。一流の歌手の歌声は感覚器官を通して琴線を心地よく、そして時に激しく掻き立てるのだ。
それに比べてしまったら、広場で歌ってる女の喉はいいとこ三流だな。
「……行こっか」
黒ローブが足を止めた時間は十秒あったかどうか。正直な反応だな。まるで響くものを感じねぇ。
傷んだ果物を買うかどうか悩むやつはこの街には居ない。珍しい果物が並んでいたら足を止めて眺めるくらいはするが、それだけだ。
去り際にチラとおひねり入れのカゴを見たところ、入っていたのはたったの銅貨二枚だった。ありゃ遠くないうちに廃業だな。食っていける未来がねぇ。
せめて歌手が痩せっぽちのガキだったら同情で貰えるカネもあるだろうが、見たところ十五は超えている。十七、八といったところか。同情は誘えそうにない。
顔はそれなりだが、あのくらいなら色街に足を運べば手頃な価格で抱ける。一般人でも頑張れば手が届くような料金でだ。
総じて成功する要素がない。銅貨を投げるよりも厳しい言葉を投げてやった方が本人のためになるんじゃないか。そういうレベルだ。
視線を切って黒ローブの後に続く。俺らがギルドから出てくる頃にはもう居なくなってるかもしれないな。
この世にはどうしようもないことがある。【
人には……まるであらかじめ求められる役割が決まっているかのように才能の壁ってのが立ちはだかっているのだ。
持たざる者の努力や研鑽は、持っている者の片手間にすら劣る。進むべき道を端っから間違えているやつは悲惨だ。無い物ねだりをするクソガキを眺めているような気分になる。
補助魔法では襲い来る魔物の群れを単身で蹴散らすことなど出来ない。つまりはそういうことだ。
補助魔法、か。
あれと比べたら、俺が自分に【
王都にだって【
――――!
その時、天啓が舞い降りた。なるほど、なるほどね?
俺は黒ローブがギルド入口のスイングドアの向こうへ消えたのを確認してからダッシュで離脱して路地裏に駆け込み【
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