潜入捜査

 なんの因果が巡ってきたのか、治安維持担当の幹部候補として実地での任務に就いている。


「夕刻は見張りの集中力が切れ始めます。商人と市民の警戒が疎かになる時間でもありますね。つまり、狼藉者が湧いてくる」


 講師役はまさかの『遍在』である。

 どうやらマジになったミラよりも早く犯人を確保したという実績は相当なものであると評価されたようだ。

 冒険者ギルドには有用な人材を遊ばせておくなという理念がある。ミラに素質ありと目された俺は異例のスカウトを受け、重要ポストに就任する機会を得たというわけだ。


 俺はとっさに『シグという男は安くて質もいいと噂の色街を堪能しに来た道楽者』という設定を練り上げた。色街の散策をしていたところで空き巣被害にあった宿があると小耳に挟み、義憤を胸に色街を荒らすクズの確保に踏み切った。そんな流れで話が進んでいる。


「……あそこ、見えますか?」


 言葉少ななミラの問いかけ。俺がどこまでやれるのかを見極めようとしているのだろう。

 なぜ犯人のヤサを突き止められたのかという疑問に対し、俺はつい馬鹿正直に匂いを追ってきたと返してしまった。明らかな失策だが、それ以外の返しを思いつかなかったのもまた事実。


 稀有な能力の持ち主を逃すまいと思ったのだろう。ミラは矢を継ぐような早さで治安維持担当幹部へと就任することのメリットを説き、シグという男を囲い込むべく動いたのだ。

『どうしますか?』という問いかけに対し、俺は素直に頷きを返した。


 断るの怖かったし。

『そうですか。冒険者ギルドに反目するのですね。じゃあ死んで下さい』

 とか言いかねない。殺されることはないにしろ、目をつけられるのは避けられないだろう。だったら素直に懐へと飛び込んでしまおうと考えたわけだ。


 何よりも。俺は目だけを動かして隣を歩くミラを見下ろした。


 情報が手に入る。門外不出、値千金の情報だ。


 この神出鬼没な『遍在』は何を基準に街を巡っているのか。ルート選択は。ローテーションは。立ち寄る飯処が分かるだけでも儲けもんだ。この街で手広く事を起こすにあたって障害となる連中の行動パターンを把握できるってのは動かしがたいアドバンテージとなる。


 ならばやることは一つ。無能だと思われないことだ。

 見限られた瞬間に絶好機を逸することになる。そこらの治安維持担当よりも秀でている様を怪しまれない程度には見せつけておく必要があった。


 ミラの顔の先には人混みが広がっている。売れ残ったら鮮度が落ちる食い物の投げ売り場。やつはそこに何か不穏な影を見たらしい。


視覚透徹サイトクリア】。……なるほど、一人だけ怪しい動きをしてるやつが居るな。


「茶色のローブのあいつのことか」


「……見えるのですか。驚きですね。ちなみに判断理由は?」


「ローブのサイズが一回りデカい。袖口を覆って手の動きを隠す腹積もりだ。サイズが合ってないもんだからフードを被ると顔の大半が隠れてる。あれじゃ前が見にくいだろうが……問題ねぇわな。財布しか見てねぇんだからよ」


「いい着眼点です」


 俺が通ってきた道だからな。


「周りの冒険者は……気付いていないようですね」


「図体は立派だが、目は節穴だな。人ってのは自分に都合の良い解釈をしがちだ。こんな大柄な自分がいる前で犯罪なんて行うやつは居ないとでも思い上がっちまってんだろう。そこに付け込まれたな」


「そうですね。分かってやっているあたり犯人も狡猾です。私たちはああいう下衆を――」


 声が遠ざかっていく。不審に思って隣を見るとミラの姿は既に無かった。影を追うように視線を戻す。そこには下手くそなスリを働こうとした茶ローブの腕を捻り上げるミラがいた。

 疾い。風の波すら立てない影のような奇襲。最前線で魔物を狩り続け、濃密な魔力に晒され続けた肉体は理の外へとその身を置く。補助魔法で敏捷性を強化しただけでは真似できない、まさに人外の技。


「――駆除するのが役目です」


「っ! なんだよテメェ! 離せッ! チクショウがッ!」


 財布を握る右手を捻り上げられた男は、相手が小柄な女と見るや腕を振り払って逃げようとした。が、まるでビクともしない。

 そうなんだよな。掴まれたら詰みなんだよ。あの矮躯のどこにそんなエネルギーがあるというのか。


「てん、めぇっ! オラッ!」


 あんなバレバレのみっともないスリに手を染めるようなやつが彼我の実力差を感じ取れるはずもなく。

 空いた左の拳を邪魔な小娘に叩きつけようとする茶ローブ。しかしミラは羽虫を払うかのような気軽さでこれを弾く。返す手のひらで顎をピンっとされた茶ローブは死んだんじゃないかと思ってしまうほど綺麗に膝から崩れ落ちた。


「留置所まで」


 そしてミラは遅れて駆けつけた治安維持担当にゴミを放るような気軽さで茶ローブをぶん投げた。


「それと、減点1です」


「……すみ、ません」


 治安維持担当は犯罪の抑止のため、常に眼光を光らせておく必要がある。長時間にわたって集中力を使う仕事だ。犯罪者は陽の光と腕の立つ人間の眼光を何よりも嫌う。

 そして犯罪者は暇に耐え切れず目を曇らせた人間の近くに好んで近付く。ボケっと突っ立ってるだけのやつがいたら死地は一転して穴場スポットと化すのだ。

 俺も使治安維持担当をよくリストアップしてたしな。目端が利かないやつは減点処分を下されるらしい。


「あの、ありがとうございます!」


「いえ。こちらでも可能な限り網を張っていますが、自衛は徹底していただければと」


 奪われた財布は持ち主のもとへと戻り、スリを働いた犯罪者は留置所送り。一件落着というわけだ。

 ……やはりこの女は危うい。この短い一幕で改めて痛感させられた。故にこそ好機。爪を隠して懐へと飛び込み、門外不出の手の内を丸裸にする必要がある。今後のためにもな。


 すぅ、と、そよ風のように重さを感じさせない足取りで戻ってきたミラが言う。


「あなたにはこの街の目になって貰う予定です。エンデは特質上、人の来往に大きな制限を設けていませんが……それをいいことに流れ着いてくる狼藉者が後を絶たない。最近は断頭台送りにしなければならないほどの大罪人も増えています。あなたにはなるべく早く私の後釜になるべく邁進して頂きたいのです」


 その言葉を聞いて俺は内心で首を傾げた。

 ぽっと出の俺が治安維持の頭に? ……キナ臭ぇな。確かに鼻が利くという能力は珍しい。ミラの先を越したことで評価されているということも分かる。だがそこまでのことか……?


「それは少しばかり性急に過ぎると思うがね。腕を見込まれるのは光栄だが、裏があるように見えてならないな」


 あまり素直だと逆に怪しまれるかもしれない。かつてのルーブスの言葉が頭を過る。


『金級という地位に飛びついてくれる愚物ならこちらとしても扱いやすかったんだがね』


 餌をぶら下げて反応を見る。それがギルドの用いる選別手段であるならば、こちらも言葉を選別しなければならない。無能と断ぜられて重要ポストから外されたら機を失するも同義。

 俺は肩を竦めて冗談めかしながら、しかし眼光鋭くミラを睨みつけた。己の享楽を妨げる者に鼻が利く道楽者シグであるが故に。


「……全てを秘するのは誠意に欠きますね。いいでしょう」


 ほんの一瞬瞑目したミラが懐から木製の小箱を取り出した。中に入っていたのは純白の布に包まれた身分証だ。


 差し出されたそれを布ごと手に取り軽く検める。

 銀級、リベル。それが刻まれた名前だった。


「鼻は利きますか?」


 ……なるほど。手掛かりが少ない犯人を探してるってわけか。やばいな。そこまで鼻が利かないってバレたらどうしよう。

 だがそこはどうとでも誤魔化してみせる。ハッタリだけで闇市で顔を売った俺の実力を見くびるなよ。


 目を閉じ、あえて声に出して魔法を発動する。


「【嗅覚透徹スメルクリア】」


 生地の匂い、金属の匂い、そこかしこから流れてくる食い物の匂いを意図して排除する。そうして残ったのは人の脂とほんの少しの血の匂いだった。


 え? これで個人を特定する? 無理無理。やっべ……どうしよ。俺はキリッと表情を整えて言った。


「血臭いな。相当な猛者か?」


「実力は金級並でした。忠誠心が厚かったならば、私ではなくその男が治安維持の指揮を執っていたでしょう。ですが……許されざる罪を犯した。酒に弱いくせして酒好きで、酔った勢いのままに特技の解錠技術を悪用して同業者の家屋へ侵入し、有用な呪装を強奪した。馬鹿な男です」


「ギルドはそいつを取り逃がしたのか?」


「いえ。それまでの貢献の一切を無視して死罪とするのは憚られました。功罪を勘案した結果、腕一本の切除とエンデからの放逐という処分を下しました。一生を過ごすのに苦労しないほどの金銭を与えれば下手な騒ぎは起こさないだろうと、そう思っていたのですがね」


「放逐処分を無視してこの街に戻ってきたと?」


「つい先日、目撃情報がありました。総力を挙げて追っていますが未だ確保には至ってません」


「……あんたほどの実力者でも捕まえられないのか?」


「私に技を授けたのはその男なので」


 おいおいミラの師匠かよ。するってぇと、なんだ、とびきり厄介な斥候がこの街に紛れてる状態ってわけか?

 なるほど、そりゃぽっと出の人間だろうと有用ならば引き入れるわけだ。


 納得したところで頭を切り替える。どう誤魔化すか。

 重要なのはそれっぽい理由を用意することだ。一から十まで説明する必要はない。もっともらしい説を唱え、結論への着地は向こうへ委ねる。人ってのは自分から考えを進めて納得した事柄には疑問を抱きにくい。俺はそこに至るまでの導線を引くまでだ。


 見せつけるように鼻で大きく息を吸い、そして口からため息を吐く。視線を宙に溶かしてそれっぽく言う。


「……厳しい。何しろ比較対象が昔だからな。生活習慣が変われば匂いってのは変わるもんなんだ。食うもの、寝る時間、陽に当たる時間、そして血を浴びる頻度。多少の誤差を考慮するとしても……この近くには居ない、と思う。すまんな、断言はできねぇ」


 身分証を返しながら形だけ詫びる。

 ……どうだ? イケたか? クソっ。こいつ表情変化に乏しすぎるんだよ。市民のフリしてる時はやたらと演技の幅が豊富なくせして素顔はこれだ。


 ……もう一押しいるか。俺は不敵に笑ってみせた。


「だが、匂いは覚えたぜ」


「……そうですか。では引き続き明日からも哨戒任務にあたって下さい。あと、これを渡しておきます」


 努力とハッタリの甲斐あってか、どうやら使える人物と見做されたらしい。ミラから手渡されたものを受け取る。これは……連絡手段か。


「共鳴の式が刻まれた笛です。吹いても音は鳴りませんが、私の持つ魔石が震えるようになっています。匂いを知覚したら鳴らして下さい」


「了解」


 こうして俺はミラから一定の信頼を勝ち取ることに成功した。巡回ルートや勤務時間などの詳細を聞きながら治安維持担当の詰め所に堂々と立ち寄る。


 街に散って警備をしている冒険者の中でも上澄みに近い連中とも軽く顔合わせを済ませた。諸々の手続きをすっ飛ばし、特例で幹部候補として迎え入れられた俺はこいつらと同等の権利を有するらしい。

 随分とガバガバな管理体制だなおい。実力主義の悪い側面出てるぜ。ま、そのほうがこっちとしてはやりやすくていいんだけどな?


 今後の警備体制、人員配置、巡回ルートといった役に立つ情報を全力で脳内に叩き込む。こりゃいい。俺の仕事も随分とやりやすくなる。

 冒険者としての地位を上げて治安維持担当の棲家に潜り込む策を考えたこともあったが、それをすると討伐任務に駆り出されるからな。特例での就任という立場は俺にとって実に都合が良かった。


 そしてなにより。俺はお仲間たちにバレないように唇を湿らせた。


 報酬が出る。これが素晴らしい。

 クソ面倒な輩の情報をすっぱ抜いた上で金まで貰えるってマジ? おいおい最高かよ治安維持担当。至れり尽くせりだな?


 幹部候補。国の危機を最前線で食い止める要所の治安を守る組織の幹部候補だ。肩に掛かる重圧は並大抵じゃない。それ相応の見返りというものがあって然るべきだろう。


 なぁ、ミラさんよ? 俺はにこやかな笑顔を浮かべて本日の報酬を受け取った。


「銀貨二枚です」


 俺は笑顔のまま硬直した。掛けられた言葉が耳の中を反響する。


 銀貨二枚です。銀貨二枚。銀貨、二枚。


 やっっっっす!! はぁ!? おま、なん……はぁ!?


「……何か不満でも?」


「不満なんてあるわけないじゃないですか」


 俺はとっさに嘘をついた。内心を悟られないように穏やかな笑みを貼り付ける。ミラは昆虫じみた動きで首を傾げた。それやめろ。トラウマになるわ。


「それでは明日から任務にあたらせて頂きますんで」


 そう言い残し、視線を切って帰路につく。背後に感じる視線が失せたところで大きく息を吐き出す。


 銀貨二枚て。責任とまるで釣り合いが取れてねぇじゃねぇか。


 それなりのランクの店で飯を食い、適当な宿へと泊まる。冒険者エイトとして活動していない時は定宿には泊まらない。どこで足が付くかわからないからだ。


 そして翌朝。

 宿のチェックアウトをすませると、報酬として受け取った銀貨二枚は幾ばくかの銅貨に姿を変えていた。

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