えっ

「空き巣に入られたぁ!?」


「そうなの。……ごめんね? 鍵は掛けておいたんだけど……」


 馬車に揺られてエンデに到着し、運び屋フィーブルとしての仕事を完遂してから常宿に戻ってきた俺に対して、宿の女将はお帰りの言葉よりも先に空き巣被害の報告を寄越した。ちょうど俺が戻る前の昨晩に金目のものを根こそぎ盗まれたらしい。その中には俺の所有物も含まれている。

 一儲けしようと思って意気揚々と帰ってきたらこれかよ。出鼻を挫かれた上で鼻面を引き回された気分だ。クソが。


「しっかしなんでこんな絞りカスみてぇな宿を狙ったんだよ」


「そういうことは思っても口にしないでちょうだい?」


「常客なんて俺一人しかいない正真正銘のクソ宿だろ」


「それはまぁ……立地がねぇ?」


 俺が贔屓にしている宿は……忌憚ない意見を述べるとクソの一言に集約される。

 飯は自前で用意する必要があるし、部屋も大して広くない。宿泊料が安めなのが唯一の救いだが……泊まると後悔することになるというのが酷い。なにせ目と鼻の先に色街がある。隣の家屋は勿論そういう店なので……普通に声が聞こえるんだよな。寝れるかっていう。


 その点は俺なら【無響サイレンス】を使えるので問題ない。不快な音をシャットアウトすりゃ安上がりの小綺麗な宿に早変わりってわけだ。長期契約で更に値下げも利くので、俺は二部屋取って物置きと寝る部屋を確保していた。


隔離庫インベントリ】は便利だが、使えることが知られてはならない魔法の一つ。不審に思われないためには冒険者エイトとして購入したものを保管する場所を確保しておく必要があったのだ。


 しかしそこを狙われたんじゃ世話がねぇ。


「ったく……空き巣なんて馬鹿げたことしやがるなぁ。焼きでも回ったのか。命が惜しくないのかね?」


「冒険者ギルドにはもう連絡済みだからそのうち捕まるとは思うけど……心配ねぇ」


 女将は娼婦特有の艶めかしい仕草で頬に手を当て、物憂げに息を吐き出した。

 冒険者ギルドには連絡済みか。ならそのうち犯人は断頭台送りにされるだろう。


 空き巣ってのは俺ですらやらない大博打だ。施錠されている他人の家に侵入するってのは『自分は何時でも他人の寝首を掻ける存在だ』という強烈なアピールにほかならない。

 深刻な治安紊乱びんらん行為である。治安維持担当が血眼になって犯人確保に動き、そして見せしめと警告も兼ねて盛大に首を飛ばすだろう。空き巣行為は最も割に合わない犯罪の一つだ。


「なら後は治安維持担当にでも任せるかね。ったく、はた迷惑なことしやがる。俺は盗まれたモノをリストアップしとく」


「ええ……ごめんね? 盗まれた物が全部返ってこないかもしれないし、予定外の出費を強いることになっちゃうけど……」


 階段を上って自分の部屋に向かっていた俺は女将の一言で足を止めた。耳を疑う。出費を強いる……? なんだそりゃ。どういうことだ?


「ほら、スリ被害に遭った人は犯人が捕まったあとに謝礼金として盗まれた金額の一部をギルドに渡すっていう決まりがあるでしょ? あれってどうやら空き巣被害にも適用されるらしくてねー?」


 ……そういうことかよ。

 治安維持担当は働きによって報酬を貰える。スリの摘発や暴力沙汰への介入を成し遂げた彼らは、犯罪者から金の一部を巻き上げる権利を持つのだ。


 しかしスリなんてするやつが金を潤沢に保有しているはずもない。となるとターゲットは財布をスられた側に向かう。


『俺はお前の金を取り戻してやったんだからちょっとばかり礼を尽くしてくれよ。素寒貧の状態から救ってやったんだからいいだろ?』


 ってな具合だ。

 まあ理屈は分かる。犯人が捕まらなかったら手元には銅貨一枚すら残らなかったわけだからな。それは空き巣被害も同じだ。謝礼として幾ばくかの金を寄越せってのは、分からなくはない。


 納得できるかどうかは別だがな……!


「冗談じゃねぇぞ……治安維持担当に謝礼だぁ……? ざけんな。銅貨一枚だって渡すもんかよ!」


「エイトちゃんって一応は冒険者なのよね……? なんでお仲間同士でいがみ合ってるの?」


 仲間じゃねぇからだよ。俺は言わなくてもいいことは胸に秘めた。

 努めて真面目な顔を作り、困惑顔の女将に向かって言う。


「俺の物が盗まれたのは……この宿の防犯対策が徹底されてなかったからなのではないか。俺はそう思う」


「エイトちゃん、私もこの宿の売上を盗まれちゃったのよ?」


「本を正せば俺の金だろ」


「そうなんだけどねぇ……」


 暗に俺の分の謝礼金も払えと伝えたところ、女将は科を作って胸元をはだけさせた。飴を含んだような甘ったるい声で囁く。


「迷惑料は身体で払うから……ダメ?」


 俺はため息を吐いた。毒気を抜くのが上手いこって。


「俺は無闇に種を撒かねぇって言ってんだろ」


「見た目にそぐわずお堅いんだから」


 荒くれどもを手玉に取ってきた女将は自分に不都合な話題をはぐらかすのが上手い。チッ。仕方ねぇな……有用な人物とは適切な距離感を保つのが肝要だ。これ以上は心象を損ねる。客が俺以外に居ない安宿という絶好の隠れ蓑を潰すのは賢い選択とは言えない。ここは退くとしようか。


「ありがとうね?」


「そう思ってんなら宿泊料を下げてくれや」


「ふふっ」


 軽口を叩きながら自室に戻る。

 おーおー、酒やら保存食やら目ぼしいものは全部持ってかれてんじゃねぇか。サイドチェストの引き出しの裏に貼り付けておいたヘソクリまでイカれてやがる。被害額は金貨一枚分に届くかどうかってとこか。


 となると……銀貨二十枚は持っていかれるな。安い金額じゃねぇぞ。呪装の鑑定代である銀貨十枚ですらパーティー決裂の種になる。二十枚ともなりゃ大事だ。それを大人しく謝礼として治安維持担当に渡す?


 有り得ねぇ。呆れが宙返りするってもんよ。


 だったらどうするか。決まってる。やつらよりも早く、はらわたの腐った空き巣野郎をとっ捕まえるまで。


 誰のモノを奪ったのか身を以って思い知らせてやる。俺は唇をひと舐めしてから補助魔法を発動した。


 ▷


 補助魔法の中で最も基本的なものは五感の強化だ。冒険者をやっていたら目と耳の強化は持っておいて損はない。触覚は使いこなせば得物を手足のように扱うことができる。味覚は……まぁ、旨いものをよく味わえるかな。


 では嗅覚は。答えは……まぁ、ハズレだ。

 人の嗅覚ってのはどうにも細かい臭いを嗅ぎ分けるには向かないらしい。あんまり強化すると鼻がバカになったりする。融通の利かない魔法だ。


 正直、俺もあまり使いこなせる気がしない。そもそも人間には向かない分野なのだろう。肉汁の匂いが充満した目抜き通りを突っ切ろうもんなら嗅ぎ分けるどころじゃない。

 だが、己に強く染み付いた匂いくらいなら辿れる自信がある。


 俺は新たな人格シグを作った。犯人は盗みに入った部屋の主である俺の顔を把握している可能性がある。鉢合わせた途端にコソコソ逃げられたら面倒だからな。念を入れておくに越したことはない。


 フード付きの濃茶の外套を羽織れば準備完了。満を持して補助魔法を発動する。


「【嗅覚透徹スメルクリア】」


 馬鹿になりそうな嗅覚を意識して調整する。辿るのは自分の匂いだ。常に嗅いでいて、もはや順応しきっていて意識の外にある匂い。そいつなら全力で感知しても鼻がバカにならなくて済む。


 くくっ……分かるぞ。何がどう移動したかまで。


「色街に面した路地裏の窓から出ていったな。恐らく侵入経路もそこか」


 夜の色街の路地裏なんて悪酔いして吐瀉物をぶち撒けに来たやつくらいしか寄り付かない。そこをついた、と。


 俺は自らの匂いを辿って窓から降りた。二階程度なら【耐久透徹バイタルクリア】を使うまでもない。残飯にたかるネズミを蹴散らして進む。


「大通りに出るのは路地裏間の移動のみ。随分と迷いのないルート選択だな。手慣れてやがる」


 人混みが発する熱を孕んだ臭気を意図的に排し、己の臭いだけを辿る。路地裏から路地裏へ。行き止まりになっている塀を超え、人ん家の屋根をつたって別の路地裏に降り立つ。これは……夜に巡回してる治安維持担当の目を欺くためのルートか。随分と本気じゃねぇの。


 いくつかの通りを突っ切り、寂れた区画を抜け、スラムに差し掛かる一歩手前。その路地裏を曲がれば、あるのはちょっとした細い一本道と人気のない朽ちかけた一軒家だ。


「ここだな」


 俺の匂いはこの一軒家の中へと続いている。十中八九間違いないだろう。どうやら治安維持担当よりも早くヤサを特定できたようだ。


聴覚透徹ヒアクリア】。強化した聴覚が一人の人物の寝息を捕捉した。おーおー随分な高いびきじゃねぇの。人のものをパクっておきながら随分と枕を高くしてるようだな。その迂闊さが命取りだぜ。


 俺は音を立てないようにスッと膝を持ち上げた。【膂力透徹パワークリア】。

 下肢に力が漲っていく。筋肉が撚った鋼のように張り詰め、力の解放を待ち侘びるようにググッと撓む。悪くない感触だ。


 さぁて、おいたが過ぎたクソ野郎に目覚ましの鐘を聞かせてやるとしますかね。

 俺は溜めに溜めた抑圧を十全に解き放った。建て付けの悪そうなドアを蹴りつけ、錆びた蝶番ごと吹き飛ばす。邪魔すんぞ。


「んぁ!? あっ!? くそ、もうバレ――かはっ!」


「おはようございまぁぁぁす!!」


 小汚い野郎が事態を理解して逃走する前に腹へと蹴りをブチ込む。盗品を保管していたのであろう木箱へと背をしたたかに打ち付けた男は咳き込みながら崩れ落ちた。ざまぁねぇな。


「かふっ……」


「よぉーコソ泥さんよぉ。くすねた物に囲まれながら見る夢ってのは心地良かったか? お?」


「あ……が……助け……これは、違……命、令」


「往生際の悪ぃ野郎だな。おら、盗んだモンを全部出せ。全部だ。なぁ、お前どこに盜みに入ったんだ? 全部で何軒? それも全部出せよ。オラッ!」


 盗まれたものをただ取り返すだけなんて面白くもなんともねぇ。迷惑料をたっぷりと上乗せして弁済してもらわなきゃな? なぁに、罪は全部この小汚い男が被ってくれる。空き巣なんて血の迷いを起こしたコイツにゃお似合いの末路だぜ。くく……。


「驚きました。まさか先を越されるとは」


 っ!? この、人間味に欠けた抑揚のない声……!


「ギルドの人間では……ないようですね」


『遍在』のミラ。金級冒険者。治安維持担当の頭。

偽面フェイクライフ】で顔を変え、街に潜む不穏分子の尽くを断頭台へと送る処刑者。

 気付いたらそこにいる。どこにだっている。悪党が高笑いしているその背後には常に処刑者の影がある。

 そんな逸話からつけられた通り名が『遍在』だ。


「あの、これはですね……」


 俺は即座に言い訳をした。一人の男がドアを蹴破って家屋に侵入し、住人に怪我を負わせた挙げ句に金品をせしめている。そういう構図に見えてしまったのではないかという恐れがあった。

 ミラは俺の言葉を意にも介さない。ただ感情の読めない瞳だけがある。


「犯人探しで遅きに失したのは随分と久しぶりです」


 埃の舞うボロ屋に入ってきたミラが倒れ伏す男を一瞥し、そして昆虫じみた動きで俺の顔を見上げた。

 喉が凍り付く。そう錯覚するほどの鋭い重圧。擬態することを放棄したこの女の放つプレッシャーは筋骨隆々の銀級が放つそれよりも重く、苦しい。


 ど、どうする……逃げるか……いや、だが……。


 採光用の天窓から降り注ぐ光が室内の埃と、俺の姿を照らしている。顔はバレてしまった。シグとかいう人格は捨てなければならない。生後一時間も経ってねぇ。最速記録である。


 そもそも逃げ切れるか……。寝っ転がってる犯人をダシにして気を逸らしたあとならイケるか……?

 クソっ! 無理だ! 逃げ切れるビジョンが浮かばねぇ! どうすればいい……どうすれば……。

 俺の心の動揺をよそに処刑者が口を開く。


「あなた、治安維持担当の第一幹部になりませんか?」


「えっ?」

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