陽に追われ闇に溶ける

 小さい農村。

 その教会の告解室から生えてきた俺は目の前にいた神父の腹に拳を叩き込んだ。


 目を白黒させている神父の頭を掴み【寸遡リノベート】を発動。この顔を見た者の記憶は問答無用で消させてもらう。どこでどう話が拗れて厄介事に発展するかなんてのは予想できるもんじゃないからな。鬼胎を抱き続けるくらいが丁度いい。


 平民の服に着替えてからいつもの魔法を使う。【偽面フェイクライフ】、【隠匿インビジブル】。

 印象に残らないような凡人顔に化けた俺は、念のため存在感も消したうえで村の中を散策する。目的は特に無い。強いて言えば時間稼ぎだ。


 まんまと俺に出し抜かれた姉上は憤慨した勢いのままに教会へ向かうだろう。もしかしたら王へと一言断りを入れてからかもしれない。細かなブレを勘案したとしてもおよそ五分から十分。そして俺を探しに教会巡りを始めるはずだ。


 まずはエンデに飛ぶだろう。間違いない。人の悪意に鈍感なあいつは『逃げる側の人間がどう立ち回るか』という細部にまで頭が回らない。つい先日俺がエンデにいたからという理由だけで目的地を定める。そして盛大に空振るはずだ。


 その後は俺が世間話にそれとなく混ぜた主要都市を馬鹿正直に巡るだろう。間抜けめ。それは布石だ。俺はハナっから逃げおおせた後のことまで考えながら会話を組み立ててたんだよ。相変わらず気持ちいいくらいに手のひらの上で転がってくれる。


 そしてこうも思っているに違いない。あれだけのことをやらかしたらもう王都には戻ってこれないだろう、と。


 逆なんだよなぁ。俺は適当なタイミングを見計らって首を掻き斬り王都へと舞い戻った。裏通りにひっそりと建つうらぶれた教会を出て少し角を曲がれば熱気と喧騒が俺を出迎えた。


 王都の目抜き通りは人の往来に溢れていて活気がある。何といっても王都だからな。人は多いし流通も盛んとくれば景気も上向くというもの。エンデのように無秩序な馬鹿騒ぎとは違った騒々しさに紛れながら適当にブラつく。


 どっかの街から勇者への救援要請が飛んでくるまではこの辺りで暇を潰すとしよう。救援要請さえ来れば姉上は俺のことを探してる場合じゃなくなる。そっから勇者が寄り付かないエンデに戻れば晴れて自由の身ってわけだ。ぬるいミッションだったな。


「号外! 号外だ〜! 勇者様のご活躍が届いたぞ〜!」


 その一言に往来の連中が振り返り、ワッと大声を上げる。

 王都でも指折りのブン屋だ。景気のいい声を張り上げた男は一抱えほどの紙の束を持っていた。随分多いな。転写魔法の使い手を総動員でもしたのか。


 勇者様の華々しい活躍を市井に知らしめるのは国の役割であり、帰するところ国の手足となって働く諸々の機関の仕事である。

 ブン屋の男は衆目が十分に集まったのを確認したところで紙の束を豪勢にバラ撒いた。短い詠唱。のち、大きく吹いた風がビラを四方へと撒き散らす。


 どうやらロハでくれるらしい。ま、棒に振った売り上げ分以上の金を国から貰ってるんだろうがな。


 ちょうど目の前に飛んできたビラを掴む。どれどれ……おう、こりゃあ酷ぇな。飯の量で売ってるエンデの店でもこんなに盛らねぇぞってくらいにカサ増しされた戦果。女神を称えるどこぞの教典から引っ張ってきたのかってくらいの美辞麗句。最後にゃお決まりの勇者様万歳ときた。お手本のようなクソ記事だ。


「おいアンタ! 読み終わったなら俺にも見せてくれよ!」


「あいよ」


「どうもな!」


 ケツ拭く紙にお似合いなビラを手渡し歩を進める。ブン屋から離れたところにはまた別の人集りができていた。唄声が聴こえてくるってことは……吟遊詩人バードか。これまたなんとも手が早い。


「天を覆うは逆徒の群れ。千は下らぬ悪意の影は陽の光をすら遮り、さながら夜天の如く。おお、女神よ! 我らを見捨て給うたか! 敬虔な祈りは天へと通ず。ああ、とくと見遣れ! 夜天を裂くは金糸の髪を靡かせる女神の杖! 闇を払う鮮烈な閃きはさながら流星の如し……」


 キタラを上り調子で爪弾きながら朗々と声を張り上げる吟遊詩人。きっとビラを見て練った即興演奏だったのだろう。物珍しい展開に聴衆は沸き立ち気前よくおひねりを放っている。


 まったく、何が面白いやら。明日は我が身って言葉を知らんのかね?


 馬鹿騒ぎの隣では勇者様を象った人形やら杖の小物なんかが売られている。個人が勝手に売ってるだけの縁もゆかりもない品のくせして飛ぶように売れてるんだから驚きだ。散財極まれりってなもんよ。


 喧騒に背を向け、人の居ない方へと流れるように足を進める。屋台で買った串焼きは、エンデよりもいい値段がするくせしてどうにも不味く感じた。


 ▷


 大通りから外れ、雑然とした区画を抜け、建て直すよりも遺棄したほうが効率がいいという理由で見捨てられた区画の更に奥。

 廃墟と瓦礫、下草とガラクタの楽園。日陰者のために誂えられたかのような区画は、脛に人には見せられないような傷を持つ連中が寄り集まるのに最適で、水が高きから低きへと流れるようにスラムを形成した。


 漆黒の外套と無造作に伸びた髪、そして周囲を威圧するような風貌。ウラの売人シクスに成った俺は、見栄えだけは良いナマクラの剣を携え我が物顔でスラムを進む。


 足音から獲物の気配を察知したのであろう男が建物の陰から顔を覗かせるも、俺の存在を認めた瞬間にギョッとして引っ込んでいく。賢いやつだ。


 スラムには安易に関わるべきではないとされる者の名と姿が広く知れ渡っていて、シクスはその中でも割と上位に位置している。


 なんせ動かす金の量が違うからな。購入する品も物騒な物ばっかりだ。

 検問を抜けるにも一苦労な品をポンポン仕入れて何処かへ売り捌き、確かな儲けとともに何事もなくフラッと戻ってくる。明らかに異常だ。その特異性が俺の背後に繋がる厄介なパイプをスラムの住人に幻視させた。

 それとなく探られた言葉に曖昧な笑みを返し、意味ありげに肩を竦めてやれば仕込みは完了。手を出すべきではない一廉の人物の出来上がりである。


 威光というものはあらゆる場面で潰しが効くということを俺は勇者としての経験から知っていた。コツは味方面を崩さないことだ。

 死んでも蘇る恐ろしい殺戮兵器も、それが味方なら希望の象徴になる。厄介な力を持っている得体のしれない人物も、それが仲間であるならば心強い防波堤として機能する。俺の心象を損ねない限り俺の背後に控える厄介なパイプが動くことはなく、俺が足繁く通う闇市の安全性は担保されるのだ。後に残るのは金払いの良い上客が一人って寸法よ。


 面白いのは、俺の背後には権力を有する貴族なんて影も形もないってことだな。


「旦那ぁ、いいの入ってるよ!」


 そして闇市の住人はとことんまで強かだ。隙あらば俺のことをハメて金貨をせしめようとする。


「それは……酒か?」


夢魔の口吻メア・ブリンガ。飲むと一発でキマる一品ですぜ! これをキメながら一発ヤるのは男の夢ってもんでしょう!」


 例によって例の如く禁制品だ。強い幻覚作用と性的興奮、そして快楽を倍するという堕落を呼ぶ酒。服用量を間違えれば一発で廃人になるシロモノだ。ビン一本分しか無いようだが、末端価格は金貨十枚を下ることはないだろう。


 本物だったら、の話だがな。


「またの機会にな」


「そりゃねぇぜ旦那ぁ。旦那のために取っておいたんだぜ〜?」


「そんなに良いブツなら自分で愉しむといい」


六感透徹センスクリア】。冴えた勘が、このわざとらしい売人の言葉が全くのデタラメであることを告げている。入ってるのはどんな安酒か知れたもんじゃない。もしくは度数が高いだけの酒とは言えない何かか。これだから闇市巡りはやめられないんだ。一歩間違えれば金貨がゴミになるという、薄氷を全力で踏み抜くような危うさ。たまんねぇなおい。


聴覚透徹ヒアクリア】で店主の舌打ちを聞くまでが一連の流れだ。カモを仕留め損ねたやつの苛立ちは酒よりも心地よく気分を満たしてくれる。


 だがあんまり【六感透徹センスクリア】に頼るのもあれだな。それが当たり前になりすぎると地力が腐る。精神に影響を与える魔法もそうだ。

 転ばぬ先の杖はあったほうがいいが、杖無しで歩けなくなっちまうんじゃ世話がない。


 俺は【六感透徹センスクリア】を切った。たまにはこうして素の感覚を研ぎ澄ますのも悪くない。


「シクスの旦那! ちょいと!」


 数歩も歩けばすぐにお声が掛かる。交流が活発で大変結構なこったな。


「どうした?」


 俺を呼びつけたのは贔屓にしている故買商の店主だ。単純所持でしょっ引かれる草やキノコを扱う顔ツヤの良いオヤジは、いつもとは違う様子で左右を見渡してから声を潜めた。


「不躾なんだが、腕のいい運び屋を斡旋しちゃくれないかい? ちょいと大口の依頼が入ったもんでしてね……」


「ふむ、お抱えの運び屋はどうした?」


「ちぃと辺境まで運ばなければならなくてね。道中の検問を潜る伝手がねぇんでさ」


 そりゃお誂え向きな仕事だ。俺はちょいと首を掻き斬るだけで距離を無視した転移ができる。【隔離庫インベントリ】に物を突っ込んでおけば検問なんて無いも同然。目的のブツを速やかにお届けできるって寸法よ。


「場所は?」


「依頼成立と受け取っても?」


「報酬は弾めよ」


「さすが頼りになるぜ旦那。場所はエンデだ。検問をやってるグリードってやつに引き渡す話になってる。ブツは……言わなくても分かるだろ?」


 おいおい、まるで用意したみてぇな都合の良さだな。俺の本拠地じゃねぇか。ブツは決まってる。


「ハッパか」


「へへ……冒険者稼業ってやつも楽じゃないらしいですからね。こういう楽しみもあって然るべき、と」


「なるほどな」


 魔物相手に命のやり取りをするのが日常のやつらにはクスリの力が必要な時もあらぁな。ルーブスの野郎も治安が乱れない程度には目溢ししてると聞く。過度な締付けは反発の元だ。そういう塩梅の調整がうまくなければあの椅子に腰を下ろせまい。


「報酬は?」


「掛かった日数により前後しやす。詳しくは四つ辻通りにいるやつからブツを受け取った際に聞いてくだせぇ」


「仲介人の特徴は?」


「見りゃわかりやすよ。へへ……」


 ふざけた回答だ。試されていると前向きに解釈しよう。それじゃ分からんと返したら格が落ちそうだ。だが釘は刺しておく。


「取り違えても文句を言うなよ」


「いやほんと、見りゃ分かるんで」


 慌てたように取り繕うオヤジを無視して四つ辻通りに……向かわない。俺が直接運び屋をやっているという事実は隠すべきだ。手抜かりはない。


 俺は適当な路地裏に入り、誰も後をつけていないことを確認してから【偽面フェイクライフ】を発動した。

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