全能透徹

 勇者に必要なものは何か。

 勇気。正義。博愛の心。


 全部ゴミだ。もちろんあれば色々と都合がいいんだろうが、最も必要とされるのは力だ。他を圧倒する暴力。極論、これさえあれば他には何もいらない。


 勇者に課される役割ってのは、つまるところ害獣駆除だ。どれだけ人間性に問題があろうと構わない。世間への風聞操作なんて国の連中に投げておけばどうとでもなる。


 勇者の活躍は政策の一環だ。華々しい戦績を大々的に発表し、心にもない美辞麗句を添えれば思想を誘導、統一できる。そうして今日の平和は成り立っている。


 勝てば官軍。女神様から強大な力を授かった敗北知らずの勇者は、国威発揚のネタにうってつけで、担ぐ神輿としてはこの上ない逸材だ。

 駒としてはこの上ない優秀さだろうな。万が一にも国に牙を向かないよう、幼少の頃から念入りな調教を施すのも納得がいく。


 エンデの街が勇者を必要としないのは力があるからだ。冒険者ギルドという暴力装置が堂々と敷かれ、そこに属する荒くれどもは魔物もかくやの凶暴性で屍を築く。

 エンデの住人からすれば、見たこともないご立派な噂ばかりが目立つ神の使徒よりも、酒場で馬鹿騒ぎするはた迷惑な連中のほうがよっぽど勇者に見えるだろう。


 そりゃそうだ。本質的には何も変わらない。両者ともやっていることはごく原始的な生存競争だ。

 勝って、勝って、勝ち続ける。それが勇者に求められた役割であり、勇者足りうる資質だ。


 だから今、敗北の可能性を取り払われたお前は勇者になれる。


「エイト、さん……これは……!」


「お前の今の体力だと……もっても五分だ。それまでにケリをつけろ。出来るだろ?」


 出来ないなんて言わせないがな。

 鉄級並の実力の俺でも、補助を一つ二つ掛けるだけで銀級の足元くらいには手が届く。ならば全ての身体、感覚強化の補助を数倍にして掛けたらどうなるか。


 素材が十五過ぎくらいの年齢の駆け出し冒険者? 関係ない。遥か格上も、歴戦の猛者も、金級冒険者だろうと捻じ伏せる。これはそうあるべく作られた魔法なのだから。


 嵐鬼が残った片腕を力任せに振るい、生えていた大木を薙ぎ払った。

 ミシミシという破砕音と、幾千もの葉が掠れて奏でる音が静寂に包まれていた森を震わせる。八つ当たりかと思ったが……違う。なるほどね。近付かずに殺そうというわけだ。


 嵐鬼が中途半端にへし折れた大木を再度殴りつけた。木こりが数時間かけて切り倒すような大木が、僅か二撃で半ばからブチ割れた。


 ぎぎぎと悲鳴のような音を立てて頭を垂れる大木。その先にいるのは誰あろう俺達だ。

 退避しなければ圧死は必定。当然逃げることになる。隙だらけのそこを突く。単純な力技が策として機能する。なるほど魔物らしく強引なやり方であり、しかして魔物らしからぬ賢しさを含んだ戦法だ。


 だが残念。こちらにはいま、それ以上の力技を可能にするバケモノがいるんでね。


 ルークが剣を左から右へと振るった。そうとしか表現出来ない。少なくとも、俺はそう認識した。


 大木が木っ端になって爆散する。その現象は、およそ剣で斬りつけて発生するようなものではなかった。巨大な鉄塊を豪速でぶつけた際に起きるような現象だ。それは人外に身を置く者の業だった。


 轟音と衝撃を伴って暴風が吹き荒れる。敵のお株を奪う嵐のような一撃。圧倒的な暴力が目の前で炸裂しているというのに、俺の方にはその衝撃が一切届いてこなかった。理の底が知れない。こいつ……まさか才能の原石だったりするのか?


 砂埃が晴れる。魔物とは思えない知性を持つ嵐鬼は、これまた魔物とは思えないほどの間抜けな面をしていた。見開かれた目と半開きになった口が驚きを物語っている。口腔から覗く牙が、どこか頼りなく見えた。


 隙だらけだな。今なら首を取れる。

 そう思ってルークを見たら、ルークは嵐鬼以上に間抜けなツラで目の前の光景を眺めていた。自分がやらかしたことが信じられないらしい。


「なに呆けてんだ馬鹿。時間は限られてるんだぞ」


 呆れ混じりに吐き出した俺の言葉を聞き、ルークよりも先に嵐鬼が我に返った。よく響く声で遠吠えを上げる。苛立ちを発散させる咆哮とは違う……これはもしや仲間を呼ばれたか。もたもたしてるからそうなるんだよ。


 上位の魔物は下位の魔物を隷属させる。今まで待機を命じられていたのであろう魔物が押し寄せて来ているのか、森の四方から地鳴りが響く。合流されたら面倒だ。


「ルーク、今のうちにそいつだけでも片付けろ」


「はい!」


 呆けていたルークが剣を構える。ルークが踏み込むと同時、嵐鬼も動いた。足元に落ちていた石を蹴り飛ばす。その先にいるのはルークじゃない、俺だ。


 つくづく頭がいい。相手の性格を的確に分析している。

 この甘ちゃんは味方を狙われたら攻めより守りを優先する。義理堅さを逆手に取った戦法。見てて感嘆するほど弱点を突いてくる。今は時間稼ぎに徹し、仲間が合流したら数の差で押し潰すつもりなのだろう。


 まぁ無駄なことだ。そんなこすっからい戦法は雑魚にしか通用しない。どうやら土壇場で読み違えたようだな?


「シッ!」


 疾走しながら片手間に剣を振るう。それだけで、俺を殺めるに足る威力で迫ってきていた石が塵になった。小手先の技など暴力の前には無力。起死回生の布石が詰みへの一手であったと悟ったときの嵐鬼の絶望感はいかばかりか。


 だが諦めの悪い嵐鬼は投了をしないようだ。迫る化け物を迎え撃つべく腰を落とした。残った片腕を腰溜めに構えて迎撃を狙っている。滾る戦意が可視化されて見えてくるようだった。そして、それがやつの弱点になる。


 感覚強化。極限まで研ぎ澄まされた五感が敵の落とした情報を精査する。

 聞こえるはずだ。筋肉の軋みが。見えるはずだ。敵の一挙手一投足が。


 鋭敏になった嗅覚と味覚が脳を覚醒に導く。カッと見開いた目が興奮で光る。

 剣を握りしめた手と、大地を踏みしめた足から伝わる感覚はどうだ。感じる風は。熱は。

 得物は既に手足の延長の域にある。世界の全てがお前の背を押すために存在するかのような全能感が有るはずだ。


 そして満を持して発動する六感。けつの青いガキに、齢を重ねた練達の戦闘勘が備わる。流動的な戦場の中での最適解を直感で手繰り寄せるセンス。それはもはや予測を超え、予知の域に足を踏み入れる。


 ルークが何もない空間を斬り付けた。踊るように流麗で柔らかな剣閃。嵐鬼の胴が真っ二つになった。


 ルークが斬ったのではない。嵐鬼が斬られにいったのだ。そんな、馬鹿げた感想しか出てこない一撃。

 その凶暴さ故に嵐の名で呼ばれる魔物は、驚くほど静かにその生涯に幕を下ろした。


 ズルリと上半身が落ちる。憤怒の表情で固まっている顔からは苦痛の色がうかがえない。おそらく、自分が死んだことにすら気付いていないのだろう。


 ルークが献花をするように柔らかく切っ先を落とす。それだけで上半身が分割され、魔石が零れ落ちて死体が消滅する。


 赤子の手をひねるように災厄を祓ったルークがそっと顔を上げた。木々の隙間からいくつもの影が飛び出してくる。

 狂い鬼が二匹。大鬼が五匹。豪華な顔ぶれだな。どうやら嵐鬼に統率されて森の奥深くに潜んでいたらしい。

 こいつらが一堂に会したとなったら、銀級が総動員されてもおかしくない数だ。まぁ、つまり烏合の衆だな。


「はァッ!」


 裂帛とともに一駆け。彼我の距離を一歩で潰したルークが、威嚇するように牙を鳴らしていた狂い鬼の首を刎ねた。時が飛んだと錯覚するような早業。鬼どもは動きを追うどころか反応すら出来ていなかった。


 死体と化した狂い鬼を足蹴にしてルークが跳ぶ。黒と金の装飾があしらわれた剣の柄が凶星のように閃く。もう一匹の狂い鬼が遅れて手を振り上げたが、既に心臓を穿たれていることに気づいた途端に力なく倒れ込んだ。


 残った大鬼が五匹掛かりで迫る。策も連携もない突撃は、小鬼がそのまま大きくなっただけのような低レベルなもの。それはまさしく斬られにいっているようなものであった。


 ゆらりと視線を誘うように踊っていた剣先が消える。ルークは既に剣を振り終えていた。斬り捨てた確信があったのだろう、ルークは残心せずに振り返り、そのまま俺の元へと足を進めた。

 剣をブンと一振りし、鞘に収める。背後で大鬼がどしゃりと崩れ落ちた。駆除完了。三分と少しってとこか。まぁ、上出来なんじゃねぇの?


 神妙な顔をしているルークに右手を挙げて応じる。痛覚カットの魔法を掛け直したので痛みはなかったが、治ったわけではないので腕は肩より上には挙がらなかった。


「おう、お疲れ」


「あっ、はい。……あの、エイトさん……これは」

「おっと詮索は無しだ。お前は何も見てない聞いてない。もちろん俺もな。そういうことにしようや」


「……それを、エイトさんが望むなら」


 賢いやつだ。余計な問答がないのは助かる。


「っ、と……」


 ひとまず安心したら気が抜けたのかふらついた。いや、抜けたのは血か。そろそろ限界が近いみたいだ。


「ッ!? エイトさん、大丈夫ですか!?」


「心配すんな。もう大丈夫だ」


 立ちながら木の幹に背を預け、そのままずるずると座り込む。はぁ……疲れた。柄にもなくはしゃぎすぎた。やっぱ魔物狩りなんてするもんじゃねーわ。首斬って薬草納品する方がうん倍もマシだ。


「エイトさん! くつろいでる場合じゃありませんよ! 小鬼が来ます、かなりの数だ……! 時間がありません。逃げましょう!」


「いや無理だろ」


「なにを……ぁ、ッ!?」


 言い終えるよりも先にルークが膝からどしゃりと崩れ落ちた。糸繰り人形の糸をバッサリと切ったような倒れ方。あんまりにも綺麗に倒れるもんだから、突然死したと言われても納得してしまいそうだった。


「が……ぁ……ギ……!」


「おーおー辛そうだな。ま、あれだけの反則技を反動なしに使うなんてのは虫のいい話だ。ちょっとした英雄になれたんだし、その程度安いもんだろ?」


「ぃ……ッ……!」


 魔法が得意な姉上は、一気に二百歳くらい年を取ったような身体で三日三晩走り続けるような感覚だと言った。

 剣が好きな姉上は、世界の全てに見捨てられたかのような感覚だと言った。


 想像を絶するような苦痛なんだろうな。全能感を唐突に取り上げられる反動ってのは。


 まぁなんだ、作ったはいいが副作用が強すぎて使い所が限られるんだよな、この魔法。多分数時間は苦しみ悶え続けることになるだろう。

 鬼の形相が霞むほど顔をぐちゃぐちゃにしたルークを見て少し溜飲が下がる。チビめ。よくも俺の完璧な計画を邪魔してくれやがったな。これはその罰だ。


「ぇ……ぃ……とさ……こ、ぉ……に……が……」


 小鬼? あぁ、もういい。もう手遅れだから。

 俺は最終手段を切ったんだ。使いたくない手だった。お前は、言ってしまえば前座だ。死なずに時間を稼いでくれればそれだけで良かった。


「ルーク。他言無用なのはここまでだ。この後のことはギルドや酒の席で存分に言い触らすがいい。お前は誰に助けられたのかを、な」


「な……に……を?」


伝心ホットライン】。事前に登録しておいた相手に念話を飛ばす魔法だ。どうにもならないと悟った瞬間、俺は即座にパスを繋ぎ、助けろと要請しておいた。


 あぁ。もう手遅れだ。既に場所が分かるほど近くにいる。それはつまり、向こうもこちらを捕捉しているということ。


 目を覆いたくなるような閃光が闇を掻き消す。とっさに瞼を閉ざしたものの、強烈に焼き付いた光が脳裏を苛むようだった。


 数瞬遅れて轟音が響く。大気はヒビ割れ、大地が泣いているかの如く鳴動する。まるで世界の終わりのような光景だ。


 後に残ったのは耳が痛くなるような静寂。体内を流れる血潮の音が嫌に大きく聞こえた。俺はこんなに血の気が引いてるってのにな。あぁ、めんどくせぇことになった。


「ガル! ガルっ! 無事なのっ!? ガル!!」


 淵源踏破の勇者。攻撃魔法と回復魔法を極めた化け物。

 小鬼の軍勢を一秒とかからず殲滅した暴力の化身は、目に涙なんぞを溜めた情けない顔で俺たちの前に姿を表した。


 こんな事でいちいち泣くなよな……死んでも生き返るんだから別にいいだろ。


 そのチビを頼む。俺はそれだけ言って、なんかもう疲れたので意識を手放した。


 んじゃ、あとはよろしく。姉上。

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