勇者とは
自分の代わりに誰かを死地へと向かわせることしかできない能力が嫌いだった。それが、俺の中で最も古い記憶だ。
▷
「なんでッ……逃げなかった……」
「僕は、誰かを見捨てるために冒険者になったんじゃ無い!」
こりゃすげぇな。親が子供に読み聞かせる勇者の物語の主人公が吐きそうなセリフだ。
情に厚く、義に
惜しむらくは、これが夢物語の世界ではなく世知辛い現実であるということ。ルークの行動理念は高潔と評されるものなんだろうが、それに従った結果が屍を一つ増やしただけとなれば嘲笑の的に早変わりだ。
さらに救えないのは、それが全くもって無意味どころか悪い方向へしか働かない愚かな行動であるということだな。
尻尾を巻いて逃げておけば大団円の一員として馬鹿みたいに笑っていられたというのに、いらぬ義を通したせいでルークは死ぬ。ニュイと二人の同期は取り残されて、黒ローブは無能の烙印を捺される。笑えるくらいに悲惨だな。こんなの一周回って道化の所業だろ。
「俺は平気だ。逃げろ」
「嫌だ! ここで逃げたら、僕はこれから先も逃げることを選ぶようになる……それは、嫌だ!」
行き過ぎた英雄症候群はもはや呪いだな。彼我の戦力差も損得勘定もかなぐり捨て、勇者の影を追い求めた末に抜擢されたのは悲劇の主人公としての役回りだ。こんなの道化以外の何だというのか。
嵐鬼が唸る。右腕を半ばから断たれたからか、警戒するように距離を取っている。鋭い眼光が油断なくルークの剣を見据えていた。
やはり賢いやつだ。何が脅威なのかを瞬時に判断する頭がある。片腕を切り落とされても逆上して動きを乱すどころか、ますます冷静になるクレバーさ。厄介にもほどがある。
おそらく、二度目はない。俺にコケにされて頭に血が上っていたあの瞬間、あれが最初で最後のチャンスだった。腕ではなく頭蓋に剣を突き入れるべきだった。
強力な魔物は片腕を切り落とした程度では死なない。首を落とすか、心臓を穿つか、四肢を斬り落として生命活動を停止させるか。そのくらい徹底しないとしぶとく生にしがみつき、一つでも多くの屍を築かんと暴れ回る。迷惑この上ない。
威勢よく気炎を上げてみせたルークの足がふらつく。無理もない。敵集落からの撤退からここまでほぼ走り通しだ。肉体的にも精神的にも限界だろう。いまこうして立っていられるのが不思議なくらいだ。
舌打ちしながらちっぽけな背中に手を伸ばして魔法を発動する。
「【
術者の気力や生命力を分け与える魔法。消費に対して還元率が悪いので非常に使い勝手が悪い魔法だ。
痛覚カットの魔法を切ったせいで身を削るような苦痛が再燃する。じんじんと痺れるような頭痛に、焼きごてを当てられたかのような熱が左手を蝕む。
こふと咳をすれば鉄臭い味が口内と鼻孔を犯すように広がった。不快極まりない。口の端に溜まった血を吐き捨てて言う。
「ルーク……最後の忠告だ。帰れ。ニュイが泣くぞ」
足取りに力が戻ったルークはこちらを振り返り、何かをこらえるように口元を引き結んでいたが、やがて複雑な感情を煮詰めてぶちまけた泣き笑いのような汚い顔をして言った。
「あはは……もう泣かれました」
「馬鹿が」
めんどくせぇ。心の底からめんどくせぇ。
この後どうなる。決まってる。冒険者エイトは廃業だ。のこのこ死に戻ってギルドに顔を見せようもんなら最後、ガキを見捨てて逃げ帰ってきた腰抜けの謗りは免れない。ルーブスからの圧力は今までの比じゃなくなるだろう。ボロを出さないようにギルドからは手を引くしかない。
また新しい人格を作って雑用から始めるか? それもいいが、エイトがいなくなった途端に似たようなやつが出てきたら関係性を疑われる。俺はどうあっても真面目な冒険者稼業なんてやるつもりはないからな。
そうしたらやっぱり似たようなことをすることになる。疑われて【
冒険者を諦めるということは、エンデでの快適な生活を諦めるということだ。身分証が無いから行きつけの店には入れず、贔屓にしてた宿も追い出される。ダリぃなおい。
エンデ以外に居を構える? 論外だ。ちょくちょく勇者が訪れる街だと姉上達に見つかるのは時間の問題。他にも勇者の助けを必要としない村はあるが、魔物に襲われない代わりに娯楽も飯の種もない寒村くらいだ。エンデ以上の隠れ蓑を俺は知らない。
何のせいでこうなったのかね。
この事態を見越せなかったギルドの落ち度か。ルークが勇者の幻影に囚われているせいか。華美な幻影を見せつけてくれた姉上のせいか。勇者に討伐を要請したルークの街の責任者のせいか。
「……ああ、めんどくせぇ」
そんなの決まってる。目の前のクソ鬼のせいだ。
魔物。旧世代の負の遺産。過去の亡霊風情が、いつまで人様に迷惑かけてんだよクソが。
「エイト、さん……?」
やめだやめだ。なんでこんなうじうじと頭を悩ませなければならんのか。もういい。もうヤケだ。最終手段を切る。
――あぁ。俺を、助けろ。
「チビ。これから見聞きしたことを……一生口にしないと誓え」
ふらつく足で立ち上がり、右手で額についた血を拭う。べっとりと血のついた手の甲を見てげんなりする。結構ぱっくりイってやがるな。早くしないと手遅れになるかもしれん。
「エイトさん、何を」
「黙れ。誓え。お前を勇者にしてやるって言ってんだよ」
焦点がうまく定まらない視界の中、嵐鬼がジリと間合いを詰めるのが見えた。
【
【
嵐鬼が消えた。そう認識したときには既に右手を振り抜いていた。金貨六枚もしたそれを散布する。毒も何も入っちゃいないが、そんなことを知っているのは俺だけだ。
嵐鬼が急制動し、大げさに跳んで間合いを離した。どうやらさっきの毒がえらく効いたらしいな? なまじ賢いせいでこういうところで後れを取る。
馬鹿め。しばらくそこで大人しくしてろ。そしたらきっちり殺してやる。ルークがな。
「誓うって、何を……」
「今から起きることを誰にも言うな。胸に抱えたまま女神の元まで持っていけ。何度も言わせんなよ。意思と言葉が必要なんだ、早くしろ!」
「ッ、僕は、今から起きることを誰にも言いません!」
「誓いは守れよ。でなきゃ死ぬぞ。【
誓約の魔法。誓いの破棄を、その者の命で贖わせる邪法。誓約なんて言い方をしているが……要は口封じの魔法だ。
これは両者の間で交わされるものなので、俺もこの後に起きたことを誰かに言えば死ぬ。苦しんで死ぬ。だから使いたくねぇんだよこの魔法。
魔法が発動する。ルークも直感的に分かったはずだ。ここから先の一切は他言無用。誓いを破ったその時は惨たらしく死ぬことになる。
顔を引き攣らせたルークを見て、俺は逆に笑みを浮かべた。そんな顔をしても今更おせぇよ。お前は今から俺のために働け。死ぬほど辛いだろうが、犬死にしなくて済むんだからそれくらい許容しろや。
俺は【
濃い茶髪と無精髭、目つきが悪くうだつの上がらない冒険者エイトは、くすんだ金色の短髪、目つきの悪い勇者ガルドへと戻った。
「っ!? あ、なたは……!」
運命って言葉が嫌いだった。それは、人にはどうすることもできない流れなのだという。
女神の使徒、勇者。人間を導く運命を背負った救世主。だというのに、俺に許されたのは補助魔法だけだ。ただでさえ化け物のような強さの姉上達を更なる化け物に仕立て上げ、俺はその陰で見守るだけ。笑える話だ。
だから作った。俺だけが扱える魔法。凡夫を英雄へと押し上げる反則のような魔法。
人が同時に許容できる補助魔法は三つまでだが、その魔法は一つで全部の枠を使う。俺は補助魔法を同時に二つまでしか許容できないので、開発者である俺自身には掛けることが出来ない。
結局、俺は英雄にはなれないってことかね? ふざけた話だ。
だがここにはその魔法を掛けるに相応しいやつがいる。
くさいセリフを平然と吐き、敵うはずがない相手に命を賭して立ち向かう。偶然にも国宝級の剣との出会いまで果たしている。
足りていないのは実力だけだ。ルークはその未熟さ故に死ぬはずだったが、ここにいるのは勇者である俺。全くもって出来すぎだ。運命に愛されてやがるのかね。
呆けているルークに手をかざす。これより授けるは存在の格を引き上げる祝福。人の域を外れんとした狂気の副産物。反動が死ぬほどきついらしいが……そこは気合でがんばれ。
「【
全ての身体、感覚強化の補助を、数倍の効果で付与する魔法。その破壊力は姉上達で実証済みだ。
おめでとうルーク。これでお前も
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