嵐の前の静けさ

 魔物が作る集落は種族や環境によって内容が異なる。

 小鬼の場合は周辺の木を切り倒し、開けた広場を作って溜まり場を形成するというものだった。上位種による入れ知恵か、切り出した木に石を括り付けた槍のような武器を持っている個体までいる。


 少し離れたところからざっと見回しただけで二百匹超。周囲に出払っている小鬼が合流したら三百に届く可能性がある。

 これは予想以上だな。おぞましい光景におののいたのか、ニュイがごくりと喉を鳴らした。


「上位種は見当たらないな。出払ってる可能性が高い」


「そうね。早めに片付けて撤退しましょう」


 この数を一匹残らず殲滅するのは無理だ。俺たちの役目はあくまで足止め。この集団を半数以上削れば進行を先送りに出来るだろう。その後はギルドにぶん投げて俺たちの仕事は終わり。

 俺の補助を活かし、生存を最優先に考えれば追っ手を振り払って逃げ切るのは可能だろう。


「緋々灰帰を使うわ」


「魔力は平気なのか?」


「馬鹿にしないで。銀級よ?」


 広範に灼熱の炎を発生させる魔法だ。うまくいけば屯している小鬼の八割ほどを消し飛ばすことが出来るだろう。意外とやるなこいつ。


「魔法を放ったら即座に撤退するわ。合図をしたら敏捷透徹アジルクリアを全員に掛けて。ルークくんとエイトは殿しんがりをお願い。ニュイちゃんは二人が怪我したときの回復を担当。いいわね?」


「はい」


「わかりました」


「ん」


 深呼吸を挟んだ黒ローブが目を瞑って集中する。杖の先端の紅い魔石が渦のような光を帯びる。魔力が奔流となって吹き荒れ、腰まで伸ばした黒髪がふわりと舞った。


 ぼうと見入っているチビ二人の頭に手を添える。補助の指示が飛んだら即座に発動出来るようにするためだ。一緒に緊張もほぐせりゃ上等だ。


「撃つわ」


 黒ローブが煌々とした光を湛えた杖の先端を魔物の集落へと突き付けて呟く。眩い光が鬱蒼とした森を灼くかのように閃いた。今更気が付いた小鬼たちがギャアギャアと騒ぎだしたが、時既に遅し。


 杖に宿っていた光が消える。目に焼き付くような光は、それがまるで夢であったかのように忽然と姿を消した。しかしそれは消失を意味しない。灼熱を内包した光は再び姿を表した。小鬼どもの集落、そのド真ん中で。


「補助を!」


「【敏捷透徹アジルクリア】」


 チビ二人に補助を掛ける。結果を見届けることなくこちらへ駆け寄ってきた黒ローブと俺自身にも補助を掛ける。

 身体のキレが増したことを確認した黒ローブが叫ぶ。


「撤退!」


 視界を塗りつぶすような閃光が迸る。巻き起こった轟音と熱風に背を押されたように俺たちは駆け出した。


 業火に焼かれた小鬼どもの阿鼻叫喚の声が響くなか、地獄の底から響くような怨嗟の声が喧騒を切り裂いて轟いた。


 ▷


「チビ! 足を止めるな! 死にてぇのか!」


「っ! はい!」


 敏捷性強化の補助を掛けたとはいえ、追っ手を一方的に振り切れるわけではない。木の根が絨毯のように敷き詰められた足場は速度を奪うし、槍衾やりぶすまのように突き出た枝は勢いのままに突っ込めば痛手を負いかねない。


 それに比べて小鬼どもは怪我も倒れた味方も気にせずに突撃してくる。追い付いてきた小鬼を律儀に相手していたら差は縮まる一方だ。そうして手間取っているうちに囲まれれば袋叩きにあう。片手間に斬り捨てて撤退優先、それが生き残る唯一の道だ。


 茂みから飛び出してきた小鬼を身を屈めて躱す。木の幹に激突した小鬼は、打ちどころが悪かったのか追ってくることはなかった。


 ある程度の追っ手を始末したところ、追撃が散発的になってきた。どうやらある程度カタが付いたらしい。

 小鬼が粗末な槍を突き出してきたので体を躱して柄を掴み取り、引き寄せて体勢を崩したところに剣を突き刺す。死体を踏んづけて強引に剣を引き抜き、脇目も振らず駆ける。


 やがて追撃が止んだ。どうやら山は越えたらしい。しかしルーキー二人はバテかけている。黒ローブも辛そうに汗を拭っている。正直俺もそろそろキツい。心臓がバクバクと悲鳴を上げている。ここまで来ればひとまずは安心だろう。


「少し休もう。無理をすれば後に響く」


「いえ……まだ、いけますっ」


 ルークが肩で息をしながら強がるが、玉のような汗に塗れた顔からは平気な様子はうかがえない。

 なにより相方の疲れが深刻だ。返事をするのもきつそうだし、足取りも限界が近い。このままだとぶっ倒れて文字通りお荷物になる。


「少し休むわ。息が整ったらすぐに発つ」


 黒ローブの後押しを受けてしばし休息の時間が設けられることとなった。へろへろと座り込んだ二人。ニュイが背嚢から水を取り出し、ごくごくと喉を潤している。


 ……いま奇襲されたら面倒だな。【隠匿インビジブル】を周囲に展開する。これで余程のことがない限りは捕捉されないだろう。


「ほら、あなたも飲んでおきなさい」


 黒ローブが立ったまま警戒するふりをしている俺に水筒を手渡してきた。貰えるもんは貰っておこう。ありがたく受け取って喉を潤していると、鋭い目をした黒ローブが小声で問い掛けてくる。


「……いま、何をしたの?」


 バレたか。鋭いやつだ。

 正直に言ってもいいが、その情報はルーブスの知るところとなるだろう。あいつには情報を落としたくない。

 かと言ってすっとぼけても警戒されそうだ。どうあってもいい方に転がりそうもない。


 少し悩み、俺は黒ローブの良心に付け込むことにした。


「悪いようにはしねぇって。知られたくない手の内の一つや二つはあるもんだろ。助かったと思ってるなら目溢ししてくれや」


「…………」


 黒ローブはじっとりと粘着くような視線を寄越していたが、結局何も言わずに戻っていった。それでいい。お前は何も見なかったし聞かなかった。事はそれで収まる。


「逃げ切れ、たんですかね」


「今のところはね。だけど油断はできないわ。魔法を放った直後に聞こえた咆哮は……強力な魔物のそれよ。もしかしたら狂い鬼でも出たのかもしれない」


 狂い鬼。小鬼の上位種である大鬼の、更に上。筋骨隆々の体躯と極めて高い凶暴性を持ち、筋力に任せた一撃は人間を軽く粉砕する。討伐には銀級のパーティーが必要になるだろう。いま出くわせば潰走は必至だ。


 魔物の知識は仕入れていたのか、思わぬ大物の名前が飛び出してきて顔面を蒼白にするルーキー二人。臆病とは言うまい。戦力差を把握できているだけ上等だ。


 必要以上に警戒するルーキー二人を安心させるように黒ローブが笑った。


「でも安心して。狂い鬼が近付いてきたとしたらすぐに分かるから。周囲の物を薙ぎ倒して進むし、常に吠え散らかしてるから逃げるだけならどうとでもなるわ」


「そう、なんですね……良かった」


 堵に安んずるルーキー二人を見て、俺は何故だか不安になった。言霊とは逆の現象とでも言えばいいのか……こういう状況で一般的な常識に沿った発言をした場合、得てして事態が悪い方向へ転がり落ちる気がするのだ。


六感透徹センスクリア】は使っていない。【隠匿インビジブル】の維持が必要だからだ。つまり、この嫌な予感は俺のひねくれた性格からくる邪推と言い換えてもいい。


 だがしかし、勘なんてのは本来そういうモンだと思う。五感を超えた察知能力。それは言い換えれば究極の邪推なんじゃないか。


六感透徹センスクリア】を扱うには何かを疑うことから始まる。こいつは嘘をついてるんじゃないか。こいつは実はギルドの回し者なんじゃないのか。この先へ進んでいいのだろうか。

 そういう疑問を持ち続けることがコツだ。


偽面フェイクライフ】が看破されにくいのはそこに理由がある。道行く人々を、こいつは擬態している他人なのではないかと疑いながら過ごす人間ってのは少ない。ひねくれてる俺だってそこまで疑いながら生活なんてしていない。


 勘の精度を引き上げるということは、つまり良くない流れを察知できる下地はあるということだ。危機感を持ち合わせていなかったり、人を疑うことを知らないやつはそもそも扱える魔法ではない。


 つまり、これは安心だと言われても素直に納得できないつむじ曲がりの俺が感じた虫の知らせだ。ほんとに安心していいのかよ、実は危機が迫ってたりするんじゃないのか、とまぁそんな感じだ。

 斜に構えていた。だから俺は俺の倍近くの体型を有する鬼が音も無く近くを通り過ぎても声一つ上げずに済んだ。


 ふっと息を吐いて反転する。座り込んでいる三人のもとにゆっくりと近寄り、人差し指を口の前に立てて沈黙を促した。

 すわ敵襲かと立ち上がったルークと黒ローブに両手のひらを見せつけたジェスチャーをする。落ち着け。慌てるな。座れ。


 尋常ならざる気配を察したのか、二人は軽く頷いてゆっくりと腰を下ろした。つばを飲み込む音がやけに大きく聞こえる。さてどう説明するか。


隠匿インビジブル】は強烈な認識阻害の効果を持つが、それは何をしても気付かれないような万能なものではない。

 相手に話しかければ効果は無くなるし、大きな音を立てれば効果は薄まる。静かに、かつ迅速にこの場を離れる必要がある。あの鬼にはまず勝てない。


 嵐鬼。物音一つ立てずに移動する静けさと、狂い鬼を上回る身体力で敵を吹き飛ばす怪物。鬼にあるまじき冷徹さを備えており、半端な冒険者の命など風前の灯のように吹き散らされる。

 銀級のパーティーが複数駆り出される魔物だ。金級が出てもおかしくない。


 正直に説明したらどうなる。なぜ気付かれなかったのかと疑問に思われるだろうか。ルーキー二人がパニックを起こして捕捉されるだろうか。

 俺はこんな状況の時に最善の選択をとれるほど経験豊富じゃない。クソっ。最悪だ。


 いっそこのままやり過ごしてギルドの援護が来るのを待つか。そんなことを考えていたら事態が動いた。

 ニュイが目を見開いて仰け反る。震える口が開く。まずい。【隠匿インビジブル】が展開されていて、静かにしていれば問題ないことなどこいつらは知らない。


 迫る危機を知らせようとしたのだろう。だがその行為は逆に窮地を招くことになった。情報共有を疎かにしたのは悪手だったか。……今更言っても詮無きことか。


 鬼がいる。

 恐怖に染まり震えた声。抑えが利かなかったのだろう、その声は本人が意図した以上に静寂の中を走り抜けた。


 バッと背後を振り返る俺とルークと黒ローブ。ゆっくりとこちらを振り返った鬼の金眼とばっちり目が合った。


 ▷


 無用の長物と化した【隠匿インビジブル】を解き、呆けた三人と自分に【敏捷透徹アジルクリア】を掛けて飛び出す。


 注意を引く。牽制のために振るったショートソードの一撃は、不気味なほどに音一つ立てない後方への跳躍で躱された。その巨体のどこに繊細な動きをする機能があるというのか。


 軽い調子で跳んだくせして間合いを大きく離された。それは取りも直さず間合いを詰めてくるのも一瞬であることを意味する。油断などしようものならあっという間に全身をバラバラにされるだろう。


「エイトさん!」


「馬鹿が! 来るんじゃねぇ! 足手まといだ!」


 身の程をわきまえずに駆けつけて来ようとしたルークを怒鳴りつける。こっちは自分の身を守るので手一杯だっつの。

 こちらを観察するように睨めつける嵐鬼。幸いなのは、やつが無闇やたらと暴れ回るタイプじゃないことだ。攻めるに難い敵ではあるが、そのおかげで会話をする程度の余裕は稼げる。


「逃げろ! 勝てる相手じゃねぇ!」


「でも!」


「でもじゃ、ッ!」


 隙と見たのか、嵐鬼が無音を従えて迫る。さっきまで遠かった姿がいつの間にかすぐそこにある。

 振るわれた剛腕は受けきれるようなものじゃない。避けなければ死ぬ。極まった暴力に対し、ひ弱な人間がなす術は無い。


 俺の上半身を抉り取るような軌道で振るわれた腕を無様に這いつくばって躱し、バネのように身体を跳ね上げて反撃の剣を腹に見舞うも届かない。一撃即離脱。理性なき鬼とは思えないほどの冷徹さ。全く嫌になる。


 威圧するようにじりじりと距離を詰めてくる嵐鬼。確実に殺せる間合いを測っているのだろう。


 一瞬で背後を確認する。泣きそうな顔をしているニュイ。歯を食いしばってこちらを見ている黒ローブ。剣の柄をつかんで今にも飛び出してきそうなルーク。

 何をもたもたしてるんだ馬鹿が。逃げろって言ってんのが聞こえねぇのか。


「チビ共! 言うことを聞け! そこにいられるだけで足手まといなんだよッ! とっとと消えろ!」


「アンタはッ、私に死ぬななんて言っておきながら自分は死ぬ気なの!?」


「あァ!? 勘違いしてんじゃねぇよ! メシを奢ってもらうまでは死ぬわけねェだろ! 分かったら早く行け!」


 義に絆されやすいやつらだ。黒ローブと共に死地へ赴いたことからそれは分かる。だから今もなお加勢するか逃げるかで揺れているのだろう。


 だがあの時とは状況が違う。これは救うための選択じゃない。自分たちが死なないための選択だ。

 勇気を出して仲間と共に生を拾おうとしたのが以前の選択。いま勇気を出したらどうあがいても仲良く屍を晒すことになる。そのくらいの隔絶した差がある。

 それは蛮勇と呼ばれる類の頭の悪い選択だ。見捨てるという勇気がこいつらには無いらしい。手が焼けることこの上ない。


「銀級なら今なにをすべきか分かるだろッ! 敵戦力の正確な報告は急務だ! 二次災害を引き起こす気か!?」


「私は、リーダーよ! その役目は、私が」

「銀級のメイ! その位は飾りなのか! うだうだ言わずに早く退け! ルーク! ニュイ! てめぇらもだ! 美味いメシ屋を予約して待ってろッ!」


 息を呑む音が聞こえた。そのまま反論も飲み込んでくれるとありがたい。

 そんな祈りが通じたのか、ザッと地を蹴る音が連続する。どうやらようやく退いたようだ。手間かけさせやがって馬鹿どもが。めんどくせぇ。


 まるで今生の別れみたいな演出になったが……残念だったな。俺は女神様から出禁処分を下されてるから泣き別れの演出は茶番に成り下がるのよ。


 あいつらの中では、俺は身を挺して仲間を逃した勇気ある人間みたいになってるだろうが……安心しろや。後でたんまりと美味いメシを奢らせてやる。

 メシを用意して待ってろってのは何も逃がすための方便じゃねぇ。俺の命の心配よりも手前の財布事情の心配をしとけよ、くくっ。


「よう、待ってくれるなんて意外と律儀なんだな? 三文芝居が好きだったりするのか?」


 逃げる三人を目で追っていた嵐鬼に声を掛ける。言葉の意味がわかっているはず無いのだが、挑発されていることくらいは感じ取ったらしい。物騒な光を放つ金の瞳が俺を真っ直ぐ射抜いた。


 こりゃ好都合。注意が逸れるならもっと誘ってやるか。俺は突き付けたショートソードをくいくいと動かして挑発を重ねた。


「鬼ごっこしようぜ。景品は俺のやっすい命だ」


 鬼さんこちらってね。

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