VSスラムのガキ
「串焼き三つ」
「あいよ! 銅貨十五枚ね!」
俺は愛想のいいオヤジから串焼きを受け取り、噛み付いて串から引き抜きもっちゃもっちゃと食い進める。やっぱこれだね。安い、早い、それなりの味。庶民の味方だ。
旨い肉もいいが、そればっかりだと飽きてくる。舌が肥えるといえば聞こえは良いが、実際のところは舌が馬鹿になってくるといったほうが正しい。
その味が自分の中で当たり前になった瞬間、食に楽しみを見出だせなくなる。人ってのは良くも悪くも順応する生き物だ。贅沢に慣れ親しんで感覚が馬鹿になっちまったらそこが終着点。定期的に美味くない飯を楽しむってのも必要だと思うね。
これはけして店の資本金を取り押さえられて文無しになったので安いメシしか食えなくなってしまった負け惜しみなどではない。酸いも甘いもってやつよ。
普段から美味い肉を食ってる奴が感じる幸せと、くせぇメシしか食ってこなかった奴が美味い肉を食ったときに感じる幸せはどっちが大きいか、っていう問題だ。
下限を知ることで上を見上げることが出来るし、そこへ上り詰めたときの感動も増す。つまり、そういうこと。負け惜しみではないのだ。
無理やり自分を納得させて目抜き通りを歩く。空が茜に染まりつつある時間帯。ぼちぼち店をたたむ露店が増え、治安維持担当が大幅に減り始める。
そこから少し経てば酔い潰れた冒険者や無用心な連中が出歩き出す。ちょいと勉強代を拝借するのに最適な時間になるってわけよ。寒い懐を温めるにはスリが手っ取り早い。
夜に出歩くようなアホの面倒は見きれない。治安維持を一手に担うギルドの方針だ。
自己責任。実に素晴らしい。俺はその恩恵に浴するのみ。当たりを引いたら旨い肉でも食いに行こう。
頭の中で皮算用をしていると、目の前に人影が立ち塞がった。
十歳前後の薄汚れた外見。着ている服は端が擦り切れ、ところどころに穴が空いた
「あっ……す、すみません……」
スラムのガキだ。そいつは俺にぶつかりそうになるとびくりと震えてすくみ上がり、俺の顔を見上げて弱々しくかすれた謝罪の言葉を口にした。
その視線が俺の持っている串焼きを捉えた。半開きだった目が大きく見開かれる。中空を泳いでいた焦点ががっちりと定まる。はぁと吐息を漏らし、ゴクリとつばを飲み込んだ。口が半開きになっているのは、それを食べろと本能が命令しているからだろうか。まあどうでもいい。俺は無視した。
「っ!」
脇を抜けて立ち去ろうとしたところ、ガシと脚を掴まれる。スラムのガキの仕業だ。
首だけで振り返って睨むように見下ろす。びくりと震えたガキの視線があちこち泳ぐ。そして眉を八の字にして弱々しい声で絞り出すように言った。
「あっ……その、すみません……つい……」
けっ。なぁにがつい、だ。
まあいい。そっちがその気ならこっちもちょっとばかり付き合ってやろう。ガキに教育を施すのも大人の役目だ。俺は紙袋の中から新しい串焼きを取り出した。
「なんだボウズ。串焼きが欲しいのか?」
優しい声色を作って安心させるよう問いかける。ぱぁと笑顔になったガキがコクコクと首を縦に振った。
そうかそうか。そんなに串焼きが欲しいのか。俺は手に持った串焼きで後方の屋台をビシと指し示した。
「あの店で買えるぞ。一本銅貨五枚だ。店主のオヤジは愛想がいいし、味もまあそれなりだ。オススメの店だぞ」
ガキの笑顔が曇っていく。笑みで細められた目が見開かれ、わざとらしく上がっていた口角が下がっていく。笑みで孤の形をしていた口はポカンとした丸いものへと変わっていった。アホ面のいっちょ上がり。満足した俺は脚を掴む手を強引に振り払って歩き出した。
「ッ……! ちっ!」
後方から響くのは舌打ち一つ。ざっと地を蹴る音が聞こえたので俺は左手で持っていた紙袋をひょいと上げた。串焼きを奪わんと振るわれた小振りな手が空を切る。ガキめ。本性を顕しやがったな?
ひったくったらそのまま逃走するつもりだったのだろう。勢いそのままに俺の前方へ躍り出たガキは、バカにされた事に腹を立てたのかキッと俺を睨めつけた。そこに先程までの餓死寸前の雰囲気は無い。
「おーおー。さっきまでフラフラだったってのに随分元気いいじゃねーの? んー? まさかとは思うが、演技だったなんてこたぁねぇよなぁ?」
「っ!」
分かりやすい反応だ。ま、初めから分かってたがな。
俺だって鬼じゃない。本当に餓死一歩手前のガキだったなら肉の一欠片くらい奢ってやるさ。
だが、俺を
善人ぶっても腹は膨れない。そんなことは、お前らが一番分かってんだろう?
ニヤニヤと神経を逆撫でする笑みを浮かべてやると、分かりやすく不快に顔を歪めたガキが無策で突っ込んでくる。感情に任せた突撃。読み合いの妙をかなぐり捨てたそれは知能の低い魔物の一撃とさして違いはない。
腹を狙って放たれた拳を手のひらで受け止め、ちょいとひねって道端に放り投げる。ゴロゴロと転がったガキはめげずに立ち上がり、親の仇を見るような目で俺を睨みつけた。完全にやる気じゃねぇの。そんなに癪に触っちまったか?
「シッ……!」
馬鹿の一つ覚えのような突貫。エンデの街の住民は馬鹿が多い。そんな馬鹿の背を見て育つガキもまた馬鹿ってことかね?
拳を振るう、と見せかけた脚への蹴り。避ける必要すらないな。俺は蹴りを受け止め、軸足をちょいと払ってやった。すってんと尻餅をつくガキ。まったく、弱いやつを片手間にあしらうのは楽しいぜ。
「無駄な努力はよせって。余計お腹が空いちまうぞぉ?」
自慢じゃないが、俺は補助魔法を使わなくても鉄級上位程度の力はある。魔物を倒したこともなく、専門の訓練も受けていないガキに後れを取るほど落ちぶれちゃいない。
ムキになったガキが俺の優しい忠告を無視していきり立つ。憎々しげに牙を剥いた様はまるで飢えた獣だ。ふむ、コイツは意外とまともな冒険者になりそうだ。
冒険者として活躍する奴らの中にはスラム出身である者も多い。相手が盗みを行うスラムのガキであっても過度な制裁を禁じているのは、ひとえに未来の労働力として期待されているからである。
飢えを凌ぐために鍛えた諸々の能力は、そのまま狩りに活かせることも多い。スリのために気配や足音を殺す技術は斥候に流用できるし、屋台から物を盗んで逃げる生活を繰り返していたら最低限のスタミナも付く。
そして、このガキのように格上に噛みつけるのも資質の一つだ。死が影のように付きまとう冒険者稼業では、狩り場で怖気づいた瞬間、その闇に呑まれる。死地に直面したときに足を止めるのではなく、活路を見出さんと足掻くものだけが明日の朝日を拝めるのだ。
どれ、有望株にちょいと稽古でもつけてやるかね。五指を揃えて手のひらを上に向け、クイクイと動かし挑発する。
こんなありきたりな挑発を真に受けたガキは目をひん剥き、待てを解除された犬っころのように勢いよく向かってくる。
感情に突き動かされた愚直な軌道。それが急激に加速した。
「なっ!」
目測を見誤った俺はガキの拳を受け止めそこねた。固く握りしめられた拳が腹に直撃する。ガキの拳とはいえ、鳩尾は人体の急所。まともに受けたら死なないまでも膝を折っていたかも知れない。
まともに受けたら、であるが。
「どうだオッサン! ……え?」
「オッサンだぁ? 戯れてんじゃねぇぞクソガキ。お兄さんと呼べ」
【
「くそ、こンのっ!」
ポコポコと腹を殴り、それでもまだ足りないのか蹴りまで寄越すガキ。人様を何だと思ってやがるんだこいつ。
しかし……ふむ、遅いな。さっきのはまぐれか? いや、強い感情に付随して補助魔法が発現するのはよくあることだ。ちょっと調べてみるか。
「ッ! おい、やめろ! 離せよオッサン!」
「学ばねぇガキだな。お兄さんと呼べや。ちょっと付き合え。知りたいことがある」
俺は【
「おいお前! 孤児への過度な制裁は禁止だ! それ以上は見過ごせねぇぞ!」
何を勘違いしているのか、今にも剣を抜き放ちそうな剣幕でガラの悪い男が大声を上げた。この様子……こいつもスラム上がりか? ガキに仲間意識でも持ってやがるのか。めんどくせぇ。
「おう、勘違いすんなや。別にこんなひょろガキをどうこうしようとなんて」
「助けてお兄さん! 変なオッサンに殺される!」
おいおいおいゴキゲンなクソガキだな。くれてやった串焼きの恩はねぇってのか? 育ちの悪さがにじみ出てやがるな。
治安維持担当が剣の柄に手を掛けた。騒ぎを大きくするんじゃねぇよ。俺はそっとガキに耳打ちした。
「串焼き三つやるから大人しくしろ」
「五つ」
現金なガキめ。嫌いじゃない。
「いいだろう」
「あ、冒険者のお兄さん、ボクこの人と知り合いなんで大丈夫ですよ。ちょっとふざけてただけですから!」
このたくましさよ。大物になるぜこいつ。
不承不承といった顔で持ち場に戻った治安維持担当を尻目に俺は串焼き屋に向かった。ガキは俺が買ってやった串焼きの袋をひったくって路地裏に逃げ込んだ。活きのいいガキだ。そうこなくっちゃな。
【
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます