パンデミック

「オーナー、こちら本日の売上になります」


「うむ、ご苦労。ちょっと待ってろ」


「はい!」


 俺は従業員の責任者……串焼き屋を始めた初日に難癖をつけてきた若い冒険者から袋詰にされた金を受け取った。奴はもうすっかりウチの店の忠実な下僕だ。精力的に働いてくれる素晴らしい部下である。


 俺は革張りのチェアに足を組んで腰掛け、本日の成果を確かめる。ふむ。金貨六枚と銀貨が……五十枚。素晴らしい売上だ。


「客の入りはどうだった?」


「昼前から夕方過ぎまでずっと盛況でした。閉店の時間まで行列が出来ていて全員に提供することは出来ませんでした。客の一部から夜も営業してくれと要望が上がっております。営業時間を伸ばせば売上も伸ばせそうですが、いかが致しますか?」


「いや、夜は営業しない。仕事を終えた冒険者の溜まり場になるのは避けたいからな。店内の治安が悪化する恐れがある。それに夜の酒場の客までさらったら面倒な輩が邪魔しに来るだろう。揉め事の種は持ち込まないのが成功の秘訣だ」


「参考になります」


 なにより夜は俺が飲み歩きたいからな。朝は仕入れのために市場に赴く必要があるし、遅くまで店の面倒なんて見てられんよ。

 ま、あと数日もすりゃ従業員たちに店を任せられるようになるだろう。そうしたら俺は指示だけ振ってあとは遊んでいよう。盤石な下地を用意してやったんだ、どうやったって失敗しないだろう。


 しかし、まだ伸びしろがあるとはな。閉店の時間まで並んでるとかどんだけだよ。

 ホリックは用法用量さえ守れば理性の強いやつであれば抗える程度の依存性であるとアーチェは言っていた。この状況はつまり、街の住人の頭のタガが外れちまってることの証明に他ならない。知ってた。


 となると、この勢いがあるうちに稼いでおくのも手か。営業時間を伸ばさずに儲けを増やすとなれば……まあ、策は一つだな。


「新店舗を用意しよう」


「もう、ですか? この店がオープンしてからまだ三日目ですが……」


「商機をモノにするために必要なのは冷徹な判断力と大胆な行動力だ。わかるね?」


 俺は今思いついた商売哲学をしたり顔で披露した。本当に必要なのは頭のタガが外れた錬金術師へのツテと禁制品だけどな。


「はい、それはオーナーの普段の行いから学ばせて頂いてます」


 どうやら俺の商売のセンスは無自覚のうちに発揮されていたらしい。天職かよ。俺もとうとう腰を落ち着ける場所を見つけちまったようだ。こりゃもう冒険者エイトは廃業するかもしれねぇな。


 やはり食。冒険者なんて腐るほどいるんだし、人々の生活に色を添えるサービスの提供を生業にするのも悪くない。

 まあその過程でこっちもちょっとばかりオイシイ思いをしてもバチは当たらないだろ。役得ってやつね。


 さてさて、そうと決まれば話は早い。早速新規開店にふさわしい店や機材の調達を……と、思ったが……めんどくせぇな。

 明日の朝も早いし、これから飯を食いに行きたいし、昼は店にいる必要があるしで時間がない。店舗経営者って意外と不自由か?


 いや、考えを変えよう。俺がいなきゃ回らないって状況がおかしいんだ。従業員の教育は上の立場の人間の役割。俺が遊んでても万事安泰なのが本来の姿。ならばやることは一つ。


「そこで、だ。君に二号店開店に際しての全権を委ねたい。どうかな?」


 丸投げだ。どうやっても成功するんだから後は頑張れ。


「全権……ですか? それは、雇われて数日の身分である私には少々荷が勝つかと」


 勝たない勝たない。適当にやった俺がこんだけやれてるんだから誰がやったって一緒だっつの。


 まあそんなこと口に出せるはずもなく。俺は大仰にため息を吐き、デスクに両肘をついて指を絡ませて口に添える。刺すような視線。イメージするのはあの憎きギルドマスターの姿だ。人を自然体で従わせるカリスマの体裁。


 冒険者の男が息を飲んだ。真一文字に結ばれた口が緊張の程を物語っている。いい傾向だ。精神に揺さぶりをかけ、開いた突破口に致命の毒を流し込む、それが効果的なやり方。

 俺はフッと軽い笑みを浮かべた。緊張と緩和。男の強張った表情が安堵でほぐれる。張り詰めた糸が緩んだ瞬間、俺は仕掛けた。


「給料十倍」


「やります」


 くっっそちょろ!


 ▷


 二日後には新店オープンの目処が立った。あの冒険者の男、意外とやり手であった。

 冒険者時代のツテで人員を確保し、屋台で商売していた人間を引っこ抜き、これはと思う物件を迅速に見繕って開店にこぎつけた。俺が見込んだだけはある。開店資金として渡した金貨二十枚で十二分の成果を上げてくれた。


 もうあいつが経営者でいいんじゃないかな。そう思った俺は資本金を全て彼に委ね、実務面を任せることにした。俺は禁制品とホリックの確保に注力する。適材適所ってやつよ。


 このままの業績を維持できれば三号店のオープン日も近そうだし、ストックはあればあるほどいい。

 アーチェのやつはノルマがきついだの文句を垂れていたが、俺の商売が軌道に乗れば潤沢な資金を活用してもっと珍しい毒を提供してやれる。両得ってやつだ。死ぬほど頑張ってもらおう。


「おーう、クスリ貰いに来たぞー」


 景気のいい挨拶で店に乗り込んだってのに返事がない。どうした? ほんとに死んだか?


 と思ったらアーチェは勘定台に突っ伏していびきをかいていた。おいおい不用心だな。路地裏というクソみたいな立地で客が滅多に来ないから油断してるんじゃねぇのか? 泥棒のいい的だぞ。


「おら、起きろ。ブツの受け取りに来たぞ」


「やぁ……もうデドリースコルプの毒は飲めませんよぅ」


 飲んだら死ぬわ。どんな寝言だよ。


「起きろっての。仕事の成果をよこせ、おら」


「ぅぁ……ゃめ……」


 チッ。話にならねぇ。よだれなんぞ垂らして夢の中だ。

 夜通し調合でもしてたのか? 体調管理がなってねぇなぁ。仕事ってのは適度に手を抜くもんだぜ。気を張り詰めて倒れるなんて愚の骨頂よ。


 ん? なんだよモノは出来てるじゃねぇか。しかしあれだけ渡してたった二瓶かよ。素材ちょろまかしてねぇだろうな?

 いや、まだ作り終わってないだけか。忙しいらしいし、少しくらいは大目に見てやるか。とりあえず二号店用に一瓶だけ貰っておこう。後で来て事情を説明すればいいだろ。


「また来るぞー」


 俺はぺちぺちとアーチェの頬を叩いた。アーチェはほんの少しうめいた後、気持ちよさそうにいびきをかいて眠りこけてしまった。だめだこりゃ。


 ま、ブツさえ手に入りゃこっちとしては何も問題はない。おいとましますかね。


 と、思ったが……。俺はふと思い立ちアーチェのローブに手を突っ込んだ。


「んぅ……」


 そしてポケットにしまってあった鍵束を取り出す。そして店の外に出てから入り口の鍵を閉め、窓から鍵を店内に放り投げておいた。

 万が一あんな状態でギルドの連中なんかが来たらボロが出かねない。まだまだあいつには働いてもらわないと困るのだ。それはもう馬車馬のようにな。


 んー、良いことをすると気分が良い! 一つ伸びをして身体をほぐした俺は、足取り軽く店を後にした。


 ▷


「ん……ふわあぁ……。あれ、寝てしまいましたか……。……ん? 瓶が一つ減ってる……? いや、作ったのって一つだけだったかな? うーん……寝ぼけてたのかも。さて、じゃあ希釈作業をしましょうか。このままだと依存性が強すぎますしね」


 ▷


 二号店の首尾は上々だ。本店に収まりきらなかった客が分散して訪れたので開店から閉店まで客がひっきりなしだった。

 かといって本店の売上も落ちていない。売上が単純に二倍近くに増えたわけだ。このまま行けば鑑定屋の儲けを追い越すかもしれない。ボロい商売だな!


「お疲れ様でした、オーナー」


「うむ、ご苦労。大成功だったじゃないか。やはり俺が見込んだ男だ」


「はい! ありがとうございます!」


 適当な言葉で労ってやれば心底嬉しそうな笑顔を浮かべる優秀な部下もいる。従業員も問題を起こしそうな奴はいないし、万事快調だ。ケチを付ける箇所がない。


「では本日の給金だ。これで少し遊んでくるといい。くれぐれも、明日の営業に支障がない程度に、な」


「ありがとうございます! 明日も頑張らせて頂きます!」


 男は小気味よい返事をすると同時に優雅な所作で最敬礼をした。銀貨十枚。俺はかなり儲けているので金銭感覚が狂ってきているが、一日の稼ぎとしては破格だ。


 こんな金をポンと払うなんて普通はありえない。気前がいいにも程がある。この男は最大限の敬意を払うことで俺にアピールし、今の地位から降ろされまいとしているのだろう。

 降って湧いた幸運。それに縋り付こうと必死な様は俺の優越感を心地良く刺激する。


 俺は一日でお前の数十倍儲けてるんだぜ? くくっ。


「それでは失礼します!」


「ああ、また明日も頼むよ」


 にこやかな笑顔で出ていった男を尻目に、俺はインベントリからワインを取り出す。一本で金貨五枚もする超高級品だ。安酒で満足するような庶民では一生手の届かない代物。俺はそれを一息に呑み干す。


「ん〜。勝ち組の味だ」


 酔えればそれでいいと言わんばかりの雑な味の安酒と違い、産地から製法まで選別された上物のワインは飲むものに安らぎを与えてくれる。愉悦。何よりも酒に合う肴だ。


「最近は仕事しっぱなしで疲れたな。アーチェみたいにだらしない姿を晒したくねぇし、今日は出掛けずにここで寝るかね」


 この店を立ち上げたのはあの冒険者の男……名前なんだったっけ? まあいいや。立ち上げたのはあいつだが、所有権は当然オーナーの俺にある。私物化しても文句を言うやつなんていない。


 ほろ酔い気分の俺はふわと一つ欠伸をし、革張りのソファに寝っ転がった。明日はどれほど売上を伸ばせるか。今から楽しみでならない。


 ▷


「……ろ! ……せ!!」


「お……! はや……ろ!」


「……らぁ! ……ぇぞ!!」


 あぁ? うるせぇなぁ。どっかの馬鹿が喧嘩でもしてんのか?

 尋常ではない騒ぎが聞こえたので、俺はイラつきながら身体を起こした。


 窓から見える空はまだ真っ暗だ。こんな深夜に騒いでる馬鹿はどこのどいつなんだよ。もう少し心にゆとりを持ったらどうなんだ。貧乏人はこれだから……。


 水が飲みたくなったので事務所を出る。と、そこで違和感を覚えた。喧騒がすぐ近くで聞こえる。この方角……店の入り口の方だ。

 まさか……めんどくさい連中に目を付けられたか? 内心を過ぎった不安は、しかし意外な形で裏切られることとなった。


「早く店を開けろ! 肉を食わせろッ!」


「おらッ! いつまで寝てんだボケがッ! 酒を出せ!!」


「早く! もう待ち切れないの! ああああああああッッ!!」


 俺は絶句した。なんだ、これは……。

 俺の店の前では暴言と叫喚が飛び交っており、入り口や店の壁を叩きつける音が鳴り響いている。人の皮を被った魔物が押し寄せてきたと言われても信じてしまいそうな光景だ。


 なんだ、なんだこれは? 俺は悪夢でも見てるのか?


「肉を食わせろおぉぉォォッ!」


「酒を出せッ! オラッ! 早くしろクソがッ!」


「いいいいイイいいぃぃぃィィィッッ!!」


 呼吸が荒れる。暴徒と化した住民たちは今にも店の壁と窓をぶち割って侵入してきそうだ。理性が微塵も感じられない。


 理性……理性?


「ッ! あの馬鹿、調合ミスりやがったなッ!!」


 アーチェのヤツ……寝ぼけてやらかしたに違いない。クソッ! せっかく全てがうまく回ってたってのに水差しやがってッ!


「聞いてんのかオイ!」


「金なら払うから店を開けろォォ!」


「オアアアアアァァァァァァ!!」


 若干名やべぇ奴もいる。もはや新種の魔物だ。俺の手には負えない。俺は事務所に引っ込んだ。


「酒……酒……」


「ヒッ!」


 事務所の窓に目をギラつかせた男が張り付いていた。怪奇現象やめろ! 夢に出るわ!


 ここはもう……駄目だ。直に突破される。アーチェの店に行かなければ。解毒薬、ないし対処法を聞き出さないとマズいことになる。

 このままではギルドに目を付けられる。そうなったら、また……いや、不穏な想像はよそう。まだ間に合う。アーチェに適当な仕事をしやがったツケを払わせなくては。俺は路地裏に通じる裏口から外に出た。


「いたぞッ! こっちだ!!」


「酒をちょうだい! 早く!」


「イェアアアァァァァッッ!!」


 クソ! あんな連中に捕まったら殺される! 【敏捷透徹アジルクリア】!!


 身体能力を強化した俺は亡者の群れを三角飛びで躱して駆けた。脇目も振らず路地裏を駆け抜ける。止まったら死ぬ。そんな本能的な恐怖に突き動かされて。

 走りやすい大通りで速度に物を言わせた強引な引き離しを敢行し、追い縋ってきた猛者は入り組んだ路地裏をデタラメに駆け回って煙に巻く。


 心臓が早鐘を鳴らす。こんなに全力疾走をしたのはいつ以来だ……? クソッ。どこで間違えた? どこで狂った!? どうして俺がこんな目に遭わなければならないんだ!!


「ハッ……ハッ……がッ!?」


 死に物狂いで路地裏を駆けていたら、目にも留まらぬ速さで割り込んできた人影に足を狩られた。ろくな受け身も取れずにゴロゴロとすっ転ぶ。

 回る視界。もつれる足。それでも必死に足掻こうとしたところ、腕を掴まれ押し倒された。細い腕。華奢な体型。その身体のどこにそんな爆発力が秘められているのか。


 俺を見下す瞳はどこまでも冷酷で、そこに人間らしい感情を認められない。ギルドの犬。またか。またお前かッ!


「『遍在』……ッ!」


「……」


 無機質な瞳が闇の中で剣呑な光を放つ。俺程度の睨みでは小揺るぎもしない精神力。これだけ動いても息の一つも乱していない。バケモノめ。

 ギリギリと俺の腕を締め付ける細腕が震えている。反対の手を懐に突っ込み、何かを取り出した。引き倒された俺の眼の前にそれを置く。鈍く光る円形。それはどこからどう見ても銀貨であった。


「串焼きと、酒のセット一つ。大至急」


 ミラさん。あなたもですか。


 ▷


「離せッ! 俺は何度でも食いたくなる美味い飯を提供してただけだッ! 毒を盛ったなんて言い掛かりはよせッ! クソがっ! クソがーッ!」


「これより、違法な薬剤を悪用して集客をした挙げ句、市民に大規模な混乱をもたらした詐欺師サーディンの処刑を執り行います」


 首枷を嵌められた俺は断頭台に掛けられていた。


「何が違法だッ! 何が詐欺だッ! あの薬はなぁ、個人の意思一つでどうとでも出来るものでしかねぇんだよ! お前らの意思が薄弱だったのが悪いんだろうが! 分かったら、俺を解放しろッ!」


「人の精神に作用する薬の使用は国の法律で禁止されています。子供でも知っている常識ですよ」


「いいのか!? 俺が死んだら二度とあのメシが食えなくなっちまうぞッ! おい! 黙って見てねぇでお前らからも何とか言えよ!」


 俺は集まった冒険者や街の住人共がクスリの影響から抜け出せていない可能性に賭けた。暴動の一つでも起きてくれればこのふざけた処分もうやむやになり逃げきれるかもしれない。


「いや……大して美味くなかったし、なんかもういいかなって」


「お前、あの肉と酒また食いたいか?」


「いらねぇ。味は並み以下だし」


 この味オンチ共が……! 高級な肉なんて味わったこと無いくせして、何をしたり顔で語ってやがるんだ!


「無駄ですよ。優秀な錬金術師に解毒剤を提供してもらいました。あんなゲロ以下の飯を食べたいと思う人間はもういません。薬で洗脳された従業員の保護も済んでいます。悪あがきは止めたほうが懸命でしょう」


 アーチェぇ……俺を利用しやがったなあのアマ! クソッ! どこにいやがるあいつ! 一体どこに……いねぇ。裏切りやがったな!


「最期に何か言い残すことはありますか?」


 ざっけんな! 人の首をポンポン飛ばそうとしやがって! 命を何だと思ってるんだクソどもが!


 いや、まだ諦めるな。何か……何かあるはずだ。俺は集まった群衆をぐるりと見回した。探せ……状況を覆す逆転の一手……。


 無かったわ。


 ガコンと音がした。歓声が沸く。俺はまな板の上の魚のように素頭を落とされて死んだ。お粗末!

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