イカれエルフの生態
俺は小さな女神像が打ち捨てられた大きな犬小屋からのそりと這い出した。
犬小屋て。よりによって犬小屋ってなんだよ。相変わらずここに来ると人としての尊厳をヤスリで削られる感覚に陥る。
立ち上がって袖と腹部に付着した土を払う。辺り一面に広がるのはバカでかい木々と、木の上に建設された家屋と、鉄臭いよく分からん物体だ。
雄大な自然の中にポンと文明の結晶が置かれているのはいつ見ても奇妙な光景である。迷彩結界の維持に必要らしいが、原理を聞いてもチンプンカンプンだったので無視することにしている。
這い出してから間もなくガサガサと葉の揺れる音がした。来たか。魔力の揺らぎでも感知したのだろう。
周りの大木の枝の上にはスラリとした人影がいくつも並んでいる。エルフ。人に似ていて、しかし人と異なる存在。ここはそいつらの集落だ。
じっと観察するような視線が俺を射抜く。警戒、というよりは好奇の視線。
……ああ。【
それを見てパッと笑顔になったエルフ連中がぴょんと飛び降りてくる。デカい木の枝の上から飛び降りたというのに、衝撃を全く感じさせない軽やかさ。並外れた身体力と魔力操作による恐ろしく精緻な芸当。成熟してないように見える身体のどこにそんな力があるのか。
飛び降りたエルフ共が怖気の走るほどいい笑顔で駆け寄ってくる。
「勇者さまだ!」
「勇者さまー!」
「わーい、久しぶりだー!」
見た目十五、六歳くらいにしか見えない男女が、無邪気で幼い口調で集る。閉じた社会で完結している彼ら彼女らは精神的な成長というものがあまり無い。見た目に反して俺よりも年を食っている奴でもこんな感じの口調だ。
孤児院のガキみたいな反応をする連中に俺は片腕を挙げてようと応えた。うまく笑えているか心配だ。
「今日は何して遊ぶー?」
「爪? 爪?」
「骨?」
「私あれ見たい! 背中の開き!」
顔が引き攣るのを感じる。グイと手を引かれてつんのめりそうになるのをこらえながら、俺は出来るだけ優しい声色で――猛獣を刺激しないよう諭すように――話しかけた。
「あー、君達、悪いけどもう少し待ってくれるか? ちょっと族長に用があるから話はその後で……あ、服引っ張るのやめてください、お願いします千切れてしまいます」
▷
「あら、勇者さまではありませんか。心臓ですか? 肝臓ですか?」
泣きそう。なんかもう……泣きそう。
俺の決心なんてのは脆いもので、早くも後悔し始めている。本当にこれで良かったのか。他に方法はなかったのか。思考の迷路にハマりかけた俺は、いずれくる必要があったのだから仕方ないと自身を無理やり納得させた。
キリキリとした胃の痛みを無視して笑顔を作る。物騒な第一声をあえて無視して会話に持ち込む。
「お久しぶりです、族長。今日は以前頂いた麻痺毒の検証結果の報告と、あとは少し金貨の方を恵んでいただきたく」
「肺ですか?」
めげそう。
エルフという連中は日がな一日魔法の鍛錬や狩りをして過ごす変わった種族だ。その生活は変化に乏しい。故に、俺のような異物に対して行き過ぎなくらいの興味を抱く。
好奇心の化け物。俺が彼らを評価するとしたら、そんな感じになる。
族長の家の外からはわいわいと声が聞こえる。エルフ連中が群れているのだろう。窓をチラと覗くと、目を輝かせるエルフの一人と目が合った。俺はすぐに目を反らした。
会話に応じてくれない族長……エルフの中でも大人びていて、二十歳くらいの外見の女に一方的に告げる。
「あの麻痺毒ですが、他の勇者に対して使用したところ効果は覿面でした。服用後十秒ほどで効果を発揮、魔法の阻害も完璧に近かったです」
「うーん……腎臓ですか?」
ボケてんじゃねぇだろうなこのクソババア。
「…………。ですが、一つ報告が。一時間は身動きが取れなくなるとのことでしたが、勇者の抵抗力が予想以上に高かったせいか、二分ほどで喋れるくらいには回復していました。もう少し改良の余地は、残されているかと」
そこまで言って初めて族長が普通らしい反応を示した。パチパチとまばたきし、顎に手を当ててコテリと首を傾げた。
実にあざとい仕草だが、実年齢がいくつかわからないので可愛いと思えない。下手したら俺の十倍以上生きてそうだ。
「うーん、あれ以上ってなると……ほんとに致死量一歩手前になっちゃうなぁ。デドリースコルプとフェイタルビーとディザストヴァイパの混合毒、それも麻痺成分だけを抽出したものでも駄目ってなると……コラプスパイダも混ぜる? でもそうしたら後遺症が出ちゃいそうだしなぁ……パッパラ草で代用してみようかな? 下手するとパーになっちゃうけど、死んじゃうよりはまだマシ……かな?」
「あー、すみません族長。改良案については後でじっくりと考えていただくとしてですね……。不躾なんですが、その、少々金貨の方を恵んでいただければと」
俺は長考に入った族長に恥ずかしげもなく金の無心をした。
その言葉を聞いて我に返った族長がパァと輝くような笑みを浮かべた。胸の前でパチと手を合わせる。鈴を転がすような声で言う。
「十二指腸ですか?」
吐きそう。もうやだこのイカレた種族。すぐ人の身体で遊びたがる。心底から遊び気分であるのがタチの悪いところだ。いくら好奇心が強いからってこれはねーよ。
「……あの、出来れば、なんですけど……臓器以外の方法ってなんか無いですかね。ちょっと珍しい品と交換とかどうですか?」
「えっと……歯ですか?」
心臓が変な鼓動を刻んでいる。俺はどんな表情をしているのだろうか。いま鏡を見たら心がポッキリ折れてしまいそうだ。
心を強く持て。全てはあの運命的な出会いをした呪装のため。思考を止めろ。心を殺せ。覚悟をキメろ。俺は惨たらしい死を受け入れた。
「金貨が二十五枚入り用なんです。対価は……身体で払います」
▷
服をひん剝かれて寝台に寝かされた俺は、痛覚を無効化する魔法と気分を落ち着かせる魔法を同時に使用しながらぼんやりと天井の光を眺めている。どちらもあまり使いたくない魔法だ。自分が自分でなくなりそうな気分を覚える。
だがしかし、怪物に対抗するためには必要な手続きだ。この魔法を使わなかったら俺は多分狂っている。
強く照りつける光が眩しくて、俺はふと目をそらした。よくわからない液体がなみなみと注がれた瓶に、俺の体の一部がふよふよと浮いていて……【
「そのまま魔法を維持してて。そうそう、血の巡りを止めちゃダメ」
「こっちは切除しちゃダメなの?」
「そこは最後の方に回すから待っててね」
食用の動物を解体するとき、人はそこに感情を挟まない。長年手ずから育てた家畜だったら思うところはあるかもしれないが、魚を捌くときに感情的になる人間はあまりいないだろう。精々が気持ち悪いな、程度だ。
エルフにとっては人間がそれだ。人間、というよりは、女神様から出禁処分を言い渡されて何度でも地上から生えてくる勇者が対象か。
ぐちゅ、というあまり精神によろしくない水音が響く。見なければいいのに、その音につられて視線を下げてしまった俺は俺を構成する一部……構成していた一部が運び出されるのを見てしまった。
何が面白いのか、ニコニコと笑顔を浮かべたエルフが俺の一部だったものを魔法でキレイキレイしてから液体が注がれた瓶に投入する。蓋を閉め、一仕事終えたと言わんばかりに額の汗を袖で拭った。その顔はとても晴れやかだ。頭おかしいよコイツら。
人ってのは死ぬと光の粒になる。女神様に救われたその日から、人はその役目を終えると女神様の許へと還ることになったのだとか。動物の死骸が残るのは女神様の庇護下に無いかららしい。眉唾な話だ。
光の粒になると当然血や臓器も消えてなくなる。その現象に興味を抱いたエルフ共は、死んだ後も形を保ったままにする方法を研究した。俺の身体で。
結果、生み出されたのが例の液体だ。あれに浸しておくと死後も体の一部が残り続ける。奴らは何が面白いのか知らんが、俺の生体パーツコレクションを喜々として飾っている。いつ見てもおぞましい光景だ。
「うわー、ねとねとするー!」
「ぐにゅってした! うわぁ! 面白ーい!」
「コラッ! 人の臓器で遊んじゃいけません!」
ほんとにな。
ゴキゲンな会話だぜ全く。こんな会話を聞いたことがあるのは世界広しと言えど俺くらいなんじゃねぇかな? ちょっとした自慢話にもってこいだ。はは。
あぁ、思考がおかしくなってきた。【
牙を抜かれた肉食獣は水と草を食むだけで生きていけるのだろうか。人を憎むことをやめた魔物は隣人足りうるのだろうか。生に執着しない人間とは……
「勇者さまー? 起きてますかー?」
ハッ! 俺は……何を……?
「良かった、あと三分くらい頑張ってくださいねー。もう少しですからねー」
うん、俺、頑張る。お金、欲しい。
「まだこれ維持してないとダメなの? 私も切るほうやりたい!」
「それはまた今度ね。あっ! こら!」
こぷりと口から何かが溢れる。温かい何かだ。それは紛れもない生命の残滓。命って、温かいんだなぁ。
「ワガママ言わないの! もう、今回だけだからね。私が維持しておくから、言うとおりに切ってね」
「わぁい! ここ? それともここ?」
「そこはダメ。左側の管を中程から……あッ」
俺の意識はそこで途切れた。
▷
金貨四十枚を揃えた俺は足早に闇市へと舞い戻った。針は売り切れていた。クソが!!
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