コツは正当防衛の状況作りと声のデカさ
人ってのは死ぬと塵になる。
塵というよりは光の粒だな。天におわす女神様の御許へと還るのだという。女神様の敬虔な信徒は死ぬという言葉を使わず、天に召されるなどと洒落た言葉を使う。眉唾な話だ。
では勇者が死ぬとどうなるか。
光の粒になるのは変わらないのだが、女神様はどうやら勇者というのが嫌いらしい。天国から出禁処分を下された勇者は地上に帰ることを余儀なくされる。
教会の告解室。そこに安置された女神像から、ポンと判を押したようにそっくりそのままの姿で生えてくる。身に付けてるものまでそっくり再現するという手厚いサービスに涙が出るね。
俺くらいの猛者になると、生えてくる教会を自由に選べたりする。死んだあとにぼんやりと行き先を指定できるのだ。御者に金を握らせて目的地を指定するようなもんだな。コツを掴めば容易いことだ。
愚姉に薬を盛り、回復魔法を使われて邪魔されることのない環境を整えてから満を持して自殺した俺は、王国の中でも辺境にあたるエンデという名の街を目的地に指定した。
この街はいい。この街の近辺は魔力が溜まりやすいらしく、魔物が雨後の筍のようにポコポコ生えてくる。そんな悩みの種である魔物に対して、はるか昔の街の責任者様は勇者に頼らず自衛をする方針を掲げた。
手始めに、仕事にあぶれた荒くれ共に魔物退治の仕事を振り、成果に応じて気前よく報酬を払う機関を設営した。冒険者ギルド。危険を冒す者共の集まりというわけだ。
この試みが個人的に気に入っている。自分のケツは自分で拭くという姿勢がいい。荒くれを集めたので治安は相応に悪いが、それすら自己責任で済まされることが多い。まぁ、やりすぎた奴は街の中央に鎮座するギロチンで女神様のもとへと強制追放されることになる。
そしてなにより気に入っているところは、勇者には頼らないという方針のため姉と顔を合わせる確率が低いということだ。
姉に見つかったら最後、どうやって自殺して逃げるかで頭を悩ませなければならなくなる。煩わしいったらねぇよ。
そういう諸々の事情があって、エンデは俺のホームグラウンドだ。雑多で猥雑。俺の仕事もやりやすいってもんだ。
女神像から噴出した光の粒が肉体を、装備を形作る。エンデの片隅にひっそりと建つ教会、その告解室。
そこまで手入れが行き届いてない一室に、掃除中と思われる神父が立っていた。視線が交差する。数瞬の後、神父が驚愕に目を見開き、震える口を開いた。
「ま、さか……勇者、様!?」
神父は聖職者とは思えないような引き締まった肉体をしていた。年の頃はおそらく三十代半ばか後半。元冒険者か。引退したか、もしくは死の淵から生還して女神様の敬虔な信徒にでもなったのか。どうでもいいか。
エンデの住民で信心深い奴ってのは少ない。女神様の最大の功績は勇者を送り込んだことだからな。それに頼らないってんだから当然だ。故に告解室でこうして鉢合わせるって事態は今までに無かった。
俺は舌打ちした。まいったな。早速ケチがついた。俺は神父の腹に右の拳を叩き込んだ。
「かッ、は……」
まるで警戒していなかったのか、無防備な腹へ一発食らった神父は腹をくの字に曲げて苦悶の表情を浮かべた。すかさず神父の頭に左手をかざす。目撃者、とりわけ
「【
補助魔法は抵抗力が強い人間には弾かれることがある。万全を期すならば、意識の空白を作り出してそこに捩じ込んでやる必要があるのだ。
【寸遡】。直前直後数秒間の記憶を飛ばす魔法だ。頭にかざしていた左手で茶髪を掴み顔を持ち上げ目を覗き込む。虚ろな目。無事効力を発揮したようだ。もうここに用は無い。
「【
顔を変え、念の為存在感も消す。
苦節二十年付き合ってきた顔が全くの別人へと変貌する。くすんだ金色の短髪、目つきの悪い勇者ガルドは、濃い茶髪と無精髭、目つきが悪くうだつの上がらない冒険者エイトに成った。
装備も変える。ボロの外套と薄汚れた革鎧。これで俺が勇者であると見抜ける奴は姉以外居なくなった。
「さて、稼ぐか」
淵源踏破の勇者様の財布事情があまりにもクソだったので懐が寒くていけない。香辛料もクスリも有ればあるほどいい。金はいくらあっても困ることはない。
椅子がぶっ壊れ、ステンドグラスが一部欠けたまま修理されていない礼拝堂を抜けて俺はエンデの目抜き通りへと繰り出した。
▷
目抜き通りは今日も騒々しい。
馬鹿みたいにデカい声で売り込みをする店主。昼間から呑んだくれて騒いでる馬鹿。肩が触れたなんて理由で喧嘩を売り、その喧嘩を快く購入する馬鹿共。スラムのガキにものを盗まれ発狂する馬鹿。馬鹿しかいねぇな。嫌いじゃない。
そんな大通り脇には等間隔で明らかにカタギじゃない奴らが並んでいる。冒険者。ギルドから治安維持を依頼されているのだろう。
冒険者は魔物を狩る以外にも雑用や採取、治安維持といった作業にも駆り出される。中でも目抜き通りの治安維持は人気のポジションだ。
人に過度に迷惑を掛ける馬鹿をとっ捕まえたら、そいつの財産の幾ばくかを頂く権利を貰えるのだ。これはただ突っ立って何もしない奴を出さないための措置だ。臨時収入があるかもとなれば監視にも気合が入るのだろう。眼光鋭く不審人物がいないか見回している。
これだけ監視の目が光っている中だと、いくら俺でもバレずにスリを働くのは難しい。しかし方法がないわけじゃない。厳しい監視があるからこそ取れる手段というものがある。手頃なターゲットを品定めしながら俺は唇を舐めた。
ギルドから遣わされた治安維持担当にはいくつかの守らなければならないルールがある。
一つ。ガキへの制裁を禁ずる。ガキに物を盗られるようなマヌケは保護に値しないってことだ。
二つ。命に関わるレベルのものでなければ喧嘩の仲裁は基本的にしない。ちっぽけな喧嘩まで取り締まってたら際限がないのだ。
そして三つ。特定の条件下において行われた盗みは見逃す。これだ。これがいい。
向かいから歩いてくる赤ら顔で禿頭の男を見る。酔っているのだろう、覚束ない足取りで左右に揺れながら上機嫌そうに歩いている。体格は俺よりも頭一つ分はデカい。直接やりあえば不利だな。
視覚を強化して素早く装備を検める。要所を守る革鎧は使い込まれていて、かつ致命的な損傷がない。腕は立つ。吊るされた剣の鞘に描かれた装飾は精緻で、それなりの質であると予想できる。稼ぎは悪くなさそうだ。
オマケに、これみよがしに腰に吊るされた革袋がパンパンに膨らんでいて目に優しい。中身を開放してくれという財布の声が聞こえてくるかのようだ。
決まりだな。俺は怪しまれない程度に進路と歩幅を変え、ちょうど治安維持のために突っ立っている冒険者に近い位置で禿頭の男とすれ違うように調整した。
交差する直前。口に出さず魔法を発動する。
【
それまでイカつい顔で鼻唄なんぞを披露していた男はふと歩みを止め、突然顔を顰めてこちらを睨みつけた。酔っ払ってる馬鹿には補助魔法は覿面に効く。
俺はすっとぼけた顔をして頭一つ分高いその男の顔を眺めた。
「なにか?」
「あァ!? んだテメェ気色悪ぃ顔しやがってよぉ!」
効きすぎだろ。思わず笑みが溢れそうになるがなんとか飲み込む。
俺は口端を歪めた癪に障る表情を意識して作り、吐き捨てるように言った。
「頭の悪い奴に付き合ってる暇はないんで失礼するよ」
追い打ちで顔の前で手をヒラヒラと振ってやれば仕込みは完了だ。理性の飛んだ魔物のような雄叫びを上げて男が殴りかかってくる。野太い腕から振るわれた拳が顔に当たる直前唱える。【
物々しい雰囲気を受けて治安維持の冒険者が得物に手を添えた。おっと、そう鞘走るんじゃねぇよ。それは俺んだ。余計なことをされる前に腕の力と身体の反動を利用して跳ね起きる。
特定の条件下において行われた盗みは見逃す。この条件を満たすのに必要なのは正当防衛の状況作りと声のデカさだ。俺は叫んだ。
「ッッてんじゃねェェェぞこンボケェアアアァァッッ!! ッろすぞゴラアアアアァァッッ!!」
冒険者の男がぎょっとしてこちらを振り返り、禿頭の男がポカンと口を開けていた。意識の間隙。そこを突く。ここからはタイミングが重要だ。
補助魔法は同時に三つまで自身に掛けることができる。……筈なのだが、何故か俺には二つまでしか掛けることができない。他人に掛ける分には三つまでいけるのだが、自分にとなると何故か二つまでになる。
補助魔法を極めたと言えない所以だ。そして今、【
補助魔法には種類がある。五感強化や身体強化、【
【
デカい弱点だ。強化魔法を使ったら他の魔法は使えないという情けなさ。ちょっと強い一般人の出来上がりだ。
故に切り替えのタイミングが重要となる。
【
禿頭の懐へ入り込む。【
禿頭の腹を目掛けて体当たりを繰り出し、勢いそのままに吹き飛ばす。革の鎧を引っ掴み、もつれ合いながら共にゴロゴロと通りを転がる。ドサクサに紛れて【
倒れ伏した男を蹴飛ばしながら立ち上がり、外套についたホコリを叩いて落とす。禿頭の男は目を回していて立ち上がる気配はない。
【
さてさて、一仕事終わったことだし報酬を頂くとするかね。
盗みが見逃される条件。それは先に喧嘩を吹っかけてきた相手を打ちのめした時だ。被害者側の権利ってとこだな。
補助魔法で相手をキレさせることで先手を取らせて正当防衛の体裁を整え、叫び散らかすことで衆目を集め被害者の立場であることを認知させる。
ここまでやればお相手さんから財布を拝借しても咎められないって寸法よ。我ながら鮮やかな手際だぜ。
中身がパンパンに詰まった革袋を頂戴する。歩きながら中を検めると、ジャラジャラと詰まった魔石と金貨数枚、銀貨数十枚が入っていた。おいおい大当たりじゃねぇか! これだからやめらんねぇよなおい!
こんだけ稼いだのは久々だな。奮発して美味いメシ屋巡りとでも洒落込もうかね。
意気揚々と歩き出したところ、行く手を阻むように男が立ち塞がった。さっきの治安維持担当の冒険者だった。チッ。目をつけられたか。
しれっと脇を抜けようとしたところ肩に手を置かれた。そっと置かれた手は、しかしその所作に反して力強い。五指が食い込む。警告だ。抵抗するな、言外にそう言っている。
「鉄級冒険者のエイトだな? 話がある。冒険者ギルドまで同行願おうか」
名前まで知られてるのか……厄ネタ臭がしやがる。この人格は捨てるか? だがまた一から冒険者をやるのも面倒だ。めんどくせぇが付いていくか。一応は公的な組織だし手荒な真似はされないだろう。
俺は曖昧な笑顔を浮かべて頷き、冒険者の後を大人しく付いていくことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます