クズ勇者のその日暮らし

珍比良

クズ勇者の日常

 見るだけでうんざりするような土煙が上がっている。


 強化した視覚が、狂ったように雄叫びを上げて押し寄せる魔物の群れを捉えた。先陣を切る魔物が上げる土煙に隠れて群れの全容は掴めないが、ざっくりとした計算でも五百体は下らないだろう。


 繁殖力、というよりは発生力旺盛な下級の魔物は、定期的に間引かないと大規模な群れを形成して人類を滅ぼさんと行進を開始する。

 群れの進行ルートにあるのはそれなりに大きな街だ。順当に行けばあと二、三時間で街は惨劇の舞台になる。魔物ってのは、何がそんなに人類のことが気に食わないのか、とかく人類に対して暴力をふるいたがる。それが存在理由だと言わんばかりに。


 思わず舌打ちする。あれだけ大きい街なら戦える奴の一人や二人はいるだろっての。こんなになるまで放置してんじゃねぇよ。


 見晴らしのいい小高い崖の上から見た景色に辟易し、八つ当たり気味に足元の草を踏み躙った。めんどくせぇ。


「どうしたの? もしかして、苦戦しそう?」


「見りゃ分かる」


 それだけ言って俺は場所を譲った。のんきに飯の用意をしていた女が立ち上がり、崖の先端に立って、どれどれ、などと漏らした。

 目を凝らし、手でひさしを作り、両手で輪を作って目に押し当ててひとしきり眺めたあと、コテリと首を傾げた。それにつられて腰まで伸びた金髪が揺れる。


「うーん、見えない! 視覚強化ちょうだい」


「見えないなら別にいい。そこまでして見るもんじゃねぇ」


「いーからいーから!」


 ガキみたいな反応すんじゃねぇよ。年を考えろ。

 未だに両手を目に添えたまま早くと急かすアホ面の女に一歩近寄り、右手をかざして唱える。


「【視覚透徹サイトクリア】」


 補助魔法。その最も基本的なものである五感強化。音も光も発生していないが、確かに魔法は発動した。

 いまさら珍しいものでも無いだろうに、何が面白いのか女はおぉーと間延びした声を上げた。


「小鬼に豚頭、犬頭もいるね。全部合わせて……五百匹くらい? 私達で勝てるかな?」


「冗談よせよ。過剰戦力だろ」


 群れの内訳は小鬼五割、豚三割、犬二割といったところか。完全に有象無象だ。小鬼と犬なんて雑魚筆頭だし、豚も腕が立つやつならば問題なく狩れる。群れてさえいなければ、ではあるが。


 そう、群れてさえいなければ勝てるのだ。なのになんで自分たちで駆除しねぇんだ。畑を荒らす害獣を駆除する感覚で定期的に狩りさえすればこんな事態にはならないってのに。誰がケツ拭くと思ってんのかね。


 何が腹立つって、街の連中に一切の焦りが無いことだ。あと数時間もすれば天に召されるかもしれないってのに、誰一人として避難どころか慌てすらしていない。

 今頃はアホ面晒してメシでもかっ食らっているところだろうか。俺たちのことを酒の肴にして駄弁ってるだろうか。

そう考えると帰りたくなる。帰るか。俺は提案することにした。


「雑魚の寄せ集めセットだな。これなら街の連中だけで片付けられるだろ。帰ろうぜ」


「まーたそういうこと言う! 駄目だよ、ちゃんと仕事しなきゃ!」


 仕事。仕事ね。よくそんなモチベーションが保てるものだ。ひょっとしたら冗談で言ってるのかもしれないと思って表情を窺うと、ぷんすかといった表現が似合う顔で女がこちらを睨んでいた。年考えろ。


 しかし本気で言ってるのか。つくづく同じ環境で育ったとは思えないほど考え方が異なっている。

 自己犠牲。奉仕の精神。博愛主義。ついぞ理解できなかった考え方だ。銅貨一枚の価値もありゃしねぇ。


 こいつは、救援要請に従って現れた俺たちを見て安堵の表情を浮かべ、あとはよろしくと言わんばかりに死地へと追いやる街の住人に対して何も思わないもんなのかね? 俺は一発くらい殴ってもバチは当たらねえんじゃねえかなと思うんだが。


 ……思わないんだろうな。歴史がそうだったから。力を持ってるから。そんな理由だけで己を納得させて、不満も疑問も抱かず期待された役割を全うしてみせる。そして賞賛の声を浴びることで全ての苦労が報われると本気で思っている。

 まったく羨ましい精神構造だ。反吐が出る。


「実際さあ、ここらへんで街の一つくらい滅んでおくべきだろ。どいつもこいつも危機感がねぇ。俺らが駆け付けられる状況になかったらどうするんだっての」


「冗談でも怒るよ、ガル。どんな状況でも駆け付けられるように鍛錬を怠らない。それが勇者の務めよ!」


 むせ返るほど臭いセリフを言ってのけた女を前にして、俺はなんかもう吐きそうになった。


 勇者。俺たちが背負う役割。影のように付き纏う呪い。

 女神様から力を与えられた俺たちは、どうやら魔物たちと死ぬまで戦うことを、いや、死んでも戦い続けることを宿命づけられてしまったらしい。


 面白いのは、勇者本人も守られている奴らも、その生き方に疑問を一欠片も持っていないことだ。

 人のことを死ぬまで、いやさ死んでも扱き使うくせして奴隷制度を糾弾してる国があるらしい。ギャグかな? ちょっとセンス高すぎて付いていけねえわ。


 或いは。有する力の差がそのまま考え方に反映されているのかもしれない。


 淵源踏破の勇者。市井しせいが面白がって囃し立てるその名は、目の前で恥ずかしげもなく御高説を垂れた女に付けられた称号だ。


 攻撃魔法と回復魔法を極めた才媛。脅威である魔物の軍勢を一瞬で葬り、病める者に慈愛の手を差し伸べる博愛の使徒。

 完璧な勇者の物語が描かれた童話の本に手を突っ込んで、その首根っこを捕まえて引きずり出してきたかのような存在だ。その力が存分に振るわれたなら、今押し寄せている魔物の群れなんて一分もしないうちに塵になる。俺いらねえだろ。


 そう、俺はいらない。もし仮に俺があの群れと対峙したら……十体狩れればいいほうなんじゃないかってレベルだ。そのあとは群がられてお陀仏だろうな。俺は自分の能力を過信していない。


 補助魔法を高いレベルで扱える。それが俺の力だ。極めた、と言えないところがまた哀愁を誘う。

 正直俺は強くなんてない。身体強化の補助を自分に掛けたとしても、精々がちょっと強い奴といったところが関の山だ。


 一般人や半端に鍛えただけの奴には負けないが、荒事を生業にするような奴とは正面切って戦ったら負ける。補助魔法を全力で駆使したら勝てるかもしれないが、そこまでしなければならない時点で負けのようなものだ。普通の人間に本気出さないと勝てない勇者ってなんだよ。


 つまるところ、俺とあいつとでは見えてる景色が違うわけだ。あいつにとってはピクニックついでにゴミ掃除をする程度の感覚なのだろうが、俺にとっては正しく死地なのである。一人だったら間違いなくしっぽ巻いて逃げてる。


 そんなんだから市井の覚えもめでたくない。さっきも教会の神父にこいつ誰だって視線を向けられた。まあ知らんよねっていう。俺のことなど国の上層部連中くらいしか認知してないだろう。

 それでいい。もしも俺が補助魔法しか使えないということを知っていて、なのに勇者という理由だけで死地へと追いやろうとしていたのならば手を上げない自信がない。


 今回の要請だって無視する予定だった。たまたま同じ街にこの女が居たので無理やり引きずられてきたのだ。逃げようとしたら半身を氷漬けにされて無理やりにだ。死ね。三回くらい死ね。


 俺は一体どんな表情を浮かべていたのだろうか。勇者の務めとやらにいい反応を返さなかったのは確かだ。不満そうに顔を顰めた女は、全く迫力のない声で説教を始めた。


「何でそんなに不真面目になっちゃったの? 昔はあんなに真剣に訓練してたのに」


「ガキの頃は大人の言うことが全てだったからな。それしか考えられなかっただけだ。洗脳ってやつだな」


「もう! あの頃のガルは私なんかよりもよっぽど強かったのに」


 いつの話だよ。俺がこいつより上だった時期なんてそれこそクソガキの頃だけだ。補助魔法で強化した身体能力でゴリ押せば勝てたガキの喧嘩を引き合いに出すなよ。

 言っても聞かないだろうな。分かり合える気がしない。久々に顔を合わせたが、昔となんら変わってないようで安心したよ。人類はまだまだ安泰だな。


 ため息を一つ吐き、掛けていた視覚強化を切る。急激に変化した感覚に慣らすため目をパチパチとしばたたかせている女を尻目に、ドカッと腰を下ろして用意されたメシを食う。

 肉の塊を串にぶっ刺して素焼きにしたものだ。文化的な食事じゃねぇな。せめて調味料くらい使えっての。


「【隔離庫インベントリ】」


 異次元に格納しておいた小瓶を取り出す。貴重な香草と香辛料が複数混ざった貴族御用達の一品だ。どんな癖のある肉でもこれをかけるだけでだいぶマシになる。


 小走りでやってきた女が向かいに座り込み、物欲しそうな顔をしながら手を伸ばしてきた。俺は無視した。自分に耐熱魔法をかけて肉にかぶりつく。んー、それなりだな。それなり。下味がついてないから大雑把な味だ。四十点。


「もう! どうしてそういう意地悪するの!」


「タダで手に入れたわけじゃねえんだよ。欲しいなら出すモンあんだろ」


 王都の闇市場でも滅多に流れてこないシロモノだ。どうして無償提供してやる必要があるのか。あいにくと、俺は善意で腹を満たせないんでね。


 なおも無視して肉にかぶりついていると、膨れっ面を浮かべた女が右手をかざした。

 五指に紫電が走りバチバチと不吉な音を立てる。次の瞬間には手のひらに球が握られていた。目を覆いたくなるような極光を芯に据えた破壊の権化。上級雷魔法【女神の裁き】。殺す気かッ!


「分かった! 分かったからそれどうにかしろッ!」


 慌てて小瓶を投げて寄越す。女はにへらと笑みを浮かべると、ブンと手を振って物騒な魔法を霧散させた。ジリジリと空間が震え、魔力の余波で風が吹き抜ける。

 本当に変わってねぇ……。ガキの頃から何か気に食わないことがあるとすぐこれだ。こんなのが勇者として祀り上げられてるんだから世も末だ。担ぐ神輿くらい選べよ。


「ありがと。あ、いい香り!」


 ついさっき衝動的に殺人をしようとしたとは思えない態度で女がシャカシャカと小瓶を振る。シャカシャカと……かけすぎだろ!


「バカがよぉ! こういうのは軽い味付け程度に留めておくのが普通だろうが!」


 咄嗟に立ち上がり小瓶を取り上げる。信じられないことに、中身はあと僅かしか残っていなかった。なんかもう死ねよ。クソが。


「そんなに怒らなくたっていいのに……」


 何処を押せばそんな音が出るのか。怒りに任せて上級魔法をぶっ放そうとしたのは何処のどいつだ。舌打ちが止まらない。

 一呼吸したあと、額に手を当てて【鎮静レスト】をかける。自分の精神に作用する魔法は出来るだけ使いたくない。強い忌避感を感じる。それに頼り切りになってしまいそうだからだ。


 感情の波がスッと引いて冷静になったので肉にかぶりつく。それなりの味だ。けして美味くはない。


 女が指先をちょいちょいと動かして魔法を発動した。風魔法だろう。音もなく切り分けられた肉がふよふよと浮いてすっぽりと口に収まる。便利なこって。


「あふっ、あふ……ん、美味しい!」


 こいつはいつもそれしか言わない。素焼きの肉も手間ひまかけた料理も別け隔てなく美味しいの一言ですませる。味覚オンチめ。その肉しょっぱくて食えたもんじゃねぇだろ。


「あふ、熱っ! ガル、お水! お水ちょうらい!」


 鎮静の効果が早くも無くなりつつある。インベントリから取り出した瓶を放ると、女はフタを外して一息に飲み干した。ぷはぁと呼気を吐き出し、袖で口を拭う。


 さて。どうなるか。


「ありがと、ガ……ル? あ、ぇ?」


 焦点がブレていく。呼吸が荒れていく。額にじわりと滲み出した汗に前髪が張り付いている。身体を起こしていられなくなったのか、重力に引かれたように仰向けにパタリと倒れ伏した。長い金髪が花のように広がり、手に持っていた瓶がコロコロと転がった。


 ふむ、高い抵抗を抜き、即効性も十分、と。まったく、つくづくいい仕事をする。


「イカれエルフ共謹製の麻痺毒だ。魔法行使すら阻害する優れものらしいぞ。あと一時間は動けないんじゃねぇかな」


「ぁ……ぅ……」


 呂律が回らなくなった女を見て俺はひとまず安心した。どうやら回復魔法は使えないようだ。安全が確保されたのを確認し、肉を齧って串を引き抜く。咀嚼しながら立ち上がり、ゆっくりと歩を進める。


 女を見下ろす。就寝時のように地面に四肢を放り出しぐったりとしている。熱に浮かされたように上気した頬。荒い呼吸で胸が上下している。焦点を失った瞳は小刻みに震えて潤んでいた。

 上出来だな。俺は女の傍らに座り込み、着ているローブを引っ掴んだ。


「ッ!? ぁ……やッ!」


 ビクリと痙攣した女の額からチリと紫電が走る。瞬時に飛び退く。チッ。おいおい、魔法阻害効果はどうしたよ。


 だが、どうやらそれが限界だったらしい。たっぷり十秒様子見したが、それ以上の追撃が来ることはなかった。驚かせやがって。再度近づきローブを引っ掴む。


「ッ……ぅ……」


 抵抗はなかった。そう、それでいい。余計な手間をかけさせるな。

 ローブを、その内側をまさぐる。そして、それが顕になった。


「くくっ。これだよこれ」


 革袋。財布だ。アホほど無駄にした香辛料の分の金を、迷惑代も上乗せして返してもらわなきゃな?

 未だに呻いている女を無視して財布の紐を緩める。成果を確認するこの瞬間がたまらねえんだ。


「どれどれ……は?」


 あの女は勇者だ。人類の守護者。万民の救世主。たかろうと思えば金なんて泉の如く湧いてくるだろうに――


「銀貨が一枚と、あとは全部銅貨……? おいおい、冗談キツいな……赤字ってレベルじゃねえぞ。くそ、使えねぇ……」


 眉間にシワが寄るのを感じる。目がひくひくと痙攣してきた。こんな端金だけでどうやって過ごしてるんだこいつ。霞でも喰ってんのか?


「ぅ……ッ!」


 哀れみの視線を向けたところ睨み返された。なんかもう、どうでもいいや。俺は急速にこの女への興味を失くした。


 インベントリからナイフを取り出す。向こう側が透けて見えるほどに薄い刃。遥か昔、手練の暗殺者が愛用していたそれは、刃を突き立てた対象に酷く安らかな死をもたらす。斬られて死んだことにも気付かないほどに。


「!? ぁ、ゃめ……だ、め……」


 おいおいもう喋れるようになってんのかよ。不良品掴まされたか? ……いや、こいつの抵抗力が高すぎるだけか。要改良だな。後で報告しておこう。


 酷い表情で呻く女に俺は笑みを返してやった。女が目を見開く。窄まった瞳孔に俺の穏やかな顔が映っていた。


「そう心配すんなって。痛みは無ぇ」


「ッ! や、め……」


 弱々しい声。これが勇者だと言って、信じる人間はいないだろう。

 まったく危機感が足りてねぇ。無条件で人を信じる底抜けのお人好しは美点なのかもしれないが、ちっとは疑うことを覚えないと悪人に足を掬われるぞ。こんな風にな?


「じゃあな」


「やめ、てッ!」


 短い別れの言葉を告げ、俺は俺の頸動脈にナイフを突き立てた。


 んじゃ、あとはよろしく。姉上。

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