第2話

 静寂に包まれたアパートの一室に、重厚なクラシックが流れた。


 まだ完全に起きていない頭で、何度か外しながらスマホに触れる。


 引っ越したときから色々試しているのだが、クラシックはなにか違う気がする。


 スマホのロックを顔認証で解除し、時間を確認すると6時を指していた。


 入学式の日もそうだったが、無意識に二度寝していなくて本当に良かった。


 布団からのっそりと起き上がり、勢いよくカーテンを開ける。


 すると、眩しい光が部屋を照らし、一気に僕の脳が覚醒し、視界がクリアになる。


 雲一つ無い晴れ空の中、楽しそうに小鳥たちが飛んでいる。


 今日の朝食は昨日の夜に余った餃子とコーンサラダ、ご飯だ。


 引っ越してきた最初はこんな朝食ではなく、米を炊いてふりかけをかけるだけの料理とも呼べないものだった。


 しかし、見様見真似で練習を重ねた結果、今ではササッと料理を作れるまでに成長した。


 他の家事も同様に苦労したが、今ではもうプロ級と行っても差し支えないだろう。


 そんな冗談に笑みをこぼしつつ頬張った餃子は、冷凍していたとは思えないほど肉汁が溢れ出し、ニラがシャキシャキしていて大変美味だった。


 朝食を食べ終え、掃除機をかけ、歯を磨き、制服を着る。


 寝癖がついていたので櫛でといておく。


 なかなかうまくいかないな。


 櫛ではうまくいかなかったのでブラシを使うことにした


 そこから10分間ひたすら寝癖と戦い、なおすことに成功した。


 そろそろ髪を切りに行ったほうがいい長さになってきたな。


 すぐに取りやすいよう玄関の近くにおいておいた学生カバンの中身を確認する。


 昨日に準備しておいた水筒を鞄の中にしまい、準備完了。


 まだ時間はあるので、江見高校の学食では何を提供しているのか、ホームページで確認する。


 私立なだけあって、まるでお店のメニュー表のような魅力的な写真が並ぶ中、一つのメニューに目が留まる。


「オムソバか…」


 なかなか珍しいんじゃないか?


 これを頼んでみよう。


 税込み500円とリーズナブルな価格に気分を良くしながら、予定より15分くらい早く家を出た。


 ーーー


 まだ数人しかいないかなと思って教室に入ると、もうクラスの半分くらいが登校していた。


 みんな真面目だな。


 それぞれスマホをいじったり、何人かで集まって喋っている。


 その中に入る勇気は無いので大人しく席につき、今日の晩御飯は何にしようかスマホで検索する。


 予鈴が鳴り、クラスの中にいる全員が着席し、少しすると秋岡先生が教室に入ってきた。


 僕もスマホをカバンの中にしまう。


 昨日はきちっとした黒のスーツ姿だったが、今日は黒のジャージと落差が激しい。


 教師内での服装の規則などはないのだろうか。


 秋岡先生は椅子にどかっと座り、口を開いた。


「今から出席取るから、ちょっと待ってろ」


 席表とこちらを交互に見始めて少しすると、動きが止まった。


「誰か高松の欠席連絡とか知らないか?」


 そう問いかけるが、返事をするものは現れない。


 もちろん僕が、知ってるはずもなく、静寂を守った。


「そうか…では、今日の連絡を伝える。よく聞いておけよ」


 つつがなく朝のSHLは終了した。


 ちなみに、高松は秋岡先生が教室を出て数分後に入ってきた。


クラスで談笑していた生徒たちが高松の方を見ながらヒソヒソ話し出す。


これからずっとこんな感じなのかと深いため息を付いた。


 ーーー


 昼休み、僕は机の上で溶けていた。


 やはり中学とはレベルが違うと、各教科の教師が豪語するだけあって、板書するだけでも一苦労だった。


 後、生徒に問題を解かせている時間に目があったときの気まずさは、耐え難いものだった。


 この2つは大変由々しき事態であり、早急に解決しておきたいところだ。


 だが、今の溶けた脳みそで考えてもいい案は思いつきそうにもない。


 体が求めるままに食堂に行こうとすると、いきなり教室のドアが勢いよく開いた。


 そこには憎き高松が2人の取り巻きを連れて、教室を見渡していた。


 2人共このクラスの生徒ではないようだ。


 僕と目があった瞬間、高松は口の端を吊り上げた。


 ニタニタと音がしそうな気持ち悪い笑顔でこちらにゆっくりと近づいてくる高松に、激しい嫌悪感を抱きつつ平静を装う。


 僕の机の前で歩みを止め、吊り上げた口角をそのままに、口を開いた。


「おい、本条だったか。ちょっと1万貸してくれよ」


 んなこったろうと思ったよ。


 恐らくカツアゲできそうな生徒でもチェックしたんだろうな、僕の名前を知ってるってことは。


 で、見事に孤立しているところを狙われたわけだ。


 思ったよりまずいなと、表情をできるだけ変えないで、八方塞がりの状況に焦っていると、思わぬ救世主が現れた。


「ちょっと高松くん、何をしているのかな?」


 声のある方を見てみると、十数人の女子生徒がいて、先頭の少し気の強そうなポニーテールの女子が笑顔で問いかけていた。


 顔をよく見ると、ポニーテールの女子を含めて半分くらいが同じ1年8組の生徒だった。


「おう、樋口か。こいつとちょっと世間話をしてただけだ」


 高松は、表情を変えずお前に用はないと言わんがばかりに言い放つ。


 嘘つけ、全力でカツアゲするつもりだっただろ。


 どうやら樋口と呼ばれた女子生徒は高松と知り合いらしい。


「そう?それにしては、本条くんの表情は楽しんでるようには見えないけど」


 樋口さんが答え、笑顔を消して更に続ける。


「入学式のときから高松くんのせいで雰囲気悪かったんだよね。これ以上は大人しくしておいてほしいな」


 その言葉に、後ろの女子たちが口々に援護する。


 怒涛の口撃に高松の顔から笑みが消える。


「…憶えてろよ」


 その様子に分が悪いと悟った高松たちは、捨て台詞を残し、足早に教室を出ていった。


 鮮やかな撃退術に見惚れていると、先頭の女子が話しかけてきた。


「私、樋口芽衣ひぐちめいっていうの。何か取られたものとかない?」


 そう優しく声をかけてくれる樋口さんに変に緊張しながら、答える。


「はい、特にこれといった被害はないです」


「よかった~、同じ中学だったんだけどね、中学の時も同じようなことやってたから」


 中学の時からああなのか。


 一体彼の人生に何があったのだろうか。


 そんな事を考えていると、周りにいた女子たちが解散し始めた


「樋口さんも行かなくていいの?」


「中学の時の友達で、また高松が悪さしようとしてるから集まってもらったの」


 人間としての格の違いを見せつけられたような気がした。


 ちょっとショックに思っていると、高松とは別の1人の男子生徒が教室に入ってきた。


 自分と同じくらいの身長だが、僕よりも筋肉質で健康的だ。


「やっぱりここにいたのか芽衣。どうせまた高松と言い合ってたんだろ?」


「ごめんね智也。紹介するね本条くん。私の彼氏で同じ中学校の藤原智也ふじわらともや。智也、こっちはクラスメイトの本条くん」


「はじめまして。藤原智也だ。よろしくな」


「あ、ああ。本条だ。よろしく」


 いきなりの彼氏の登場に、心の中の何かがパリンと音を立てて壊れた。


「それじゃ、行こっか。芽衣」


「そうだね。それじゃまたね、本条くん」


 桃色空間を作りながら教室を出ていく二人を呆然と見送りながら、足取り重く食堂に向かう。


 僕にも富田という女子の幼馴染はいるが、何も起こらないまま彼女は東京へ行ってしまった。


 僕の青春は一体いつ来るのだろうか…


 ーーー


 予想以上に美味しかったオムソバのお陰で、午後の授業を乗り切ることができた。


 それ以外のメニューも色々あるので、いろいろ試してみようと思う。


 昼休み以降、樋口さんたちが目を光らせていたおかげで、高松が絡んでくることはなかった。


 終わりのSHLで先生が高松について何を触れなかったので、樋口さんは先生には報告しなかったようだ。


 僕も大事にする気はないので、しばらく様子を見てからにしようと思う。


 部活動については1週間後に部活動紹介と見学する時間を設けるとのこと。


 部活動のこと以外は特に連絡することもなく終わりのSHLも終わり、それぞれ帰宅することとなった。


 特に用事はないが、晩ごはんの買い出しに行くために、家とは違う方向の道に入る。


 最寄りのスーパーは学校から五分程度の場所にあるため、しばらく歩いていると、声を掛ける人物がいた。


「なんだ、本条じゃないか」


 智也だ。


 こっちの方向に家があるのだろうか。


 自転車を降りて話しかけてきた。


「智也か。樋口さんはどうしたんだ?」


 昼休みの桃色空間を思い出し、尋ねる。


 すると、智也は少し嬉しそうに、でも苦笑しながら答えた。


「早速名前で読んでくれて、ありがとな。芽衣は女子会するってさ」


 いきなり名前で呼ぶのはあまり良くなかったな。


 でもありがとうって言ってるし構わないかなと思いつつ、あれだけの友だちがいれば

 友達付き合いも大変だろうと納得する。


「なかなかデートとかいけないのか?」


「そうなんだよ聞いてくれよ本条〜」


「翔でいいよ」


 そんなふうに打ち解けて、智也の愚痴を聞きながら歩くこと数分。


 いきなり視界がした。

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