第10話 トウタの怒り
門番は、ビアンカを見てそっと目をそらす。近くにいた二人組の男女がこちらを見て何か話している。
なるほど、こういうことかとトウタは悟った。生前、あるいはビアンカからあらかじめ聞いていなければ、ガンの一つや二つつけていただろう。ただ、トウタとしては見ていただけのつもりだが、男女は見られていることに気づき、気まずさからかどこかへ歩いていってしまい、
『こら、にらまない』
とビアンカに叱られてしまった。
トウタは、ビアンカの道案内に従って店を巡り、買い物を済ませる。紙幣がなく、硬貨の種類も多い支払いには多少まごまごしてしまったが、一回完了するごとにビアンカが褒めてくるので、落ち込むどころかいい気分だった。
事件が起こったのは最後の買い物を終えたときだ。
さびれた小さな酒場の近くを通ったとき、嫌な予感がしてトウタは立ち止まる。するといきなり目の前の鍵のかかっていなかった窓から酒瓶が飛び出してきた。店内からは罵声が聞こえる。瓶はわれ、とくとくと酒が漏れ出している。ぷうんとアルコールが香り、生前住んでいた町を連想する。
『ひえぇ。おっかないですわね。早く帰りましょう。天気も悪くなってきましたし』
日も高いのにもう酔っているのか、とおののくビアンカの言葉を無視して、トウタは酒瓶を拾い上げ、窓の奥をにらみつけている。
「これ、俺たちを狙ったのか?」
『まさか……』
トウタに答えるように窓から赤ら顔の男が身を乗り出した。
「あーあ、割れてんじゃねえかよ! お前が怒らせたからだろうが!」
後半のセリフを、彼は店内に向けていった。そちらを覗くと、頬を晴らした夫人が顔を伏せていた。
「誰だ?」
『この酒場……『とんぷく亭』の店主、だったと思いますわ。あまり経営状況はよくなくて、賭けに負けるたびにお酒を飲んで暴れる、と噂には聞いています』
トウタはビアンカに向けて聞いたつもりだったが、店主の男にも聞こえていたようだ。酒臭い息を吐き、苛立ちを隠そうともせず、言った。
「なんだよ、貴族サマじゃねえか。いいなあ、無能でも働かずに食っていける奴はよお。貧乏な庶民なんか知らねえってか!」
その時になって初めてビアンカに気づいたらしい男は好き勝手にわめく。話しぶりから、ビアンカのことを多少は知っているようだ。亭主が喧嘩を売っているのが貴族であることに気づいた夫人が慌てて止めるが、男は乱暴にそれを振りほどき、夫人は転倒して肘をうち、うめいた。
トウタは顔をゆがめた。自分の母とその男が思い出された。
反射的に拳を握るも、すぐに、この身体がビアンカのものであることと、そのビアンカと交わした約束を思い出す。人を殴らない。
(ビアンカ……お前は、今、何を考えている?)
ビアンカは黙ったままだ。言われたことに傷ついているのだろうか。だとしたら、とっとと離れてやるべきだろう。ビアンカは自分よりも年下のはずだ。守ってやる、というのは言い過ぎかもしれないが、嫌な気分にはさせたくない。
トウタは頭を冷やすように大きく息を吐き、とりあえず来た道を戻る。
しかしそれが、男の目には馬鹿にしているように映ったらしい。おい、などと言いながら窓枠を乗り越え、外に出てきた。
「なんだあ、その目は。馬鹿にしやがって。親に捨てられた、気持ち悪い緑目のくせに!」
トウタの足が止まった。
「クソが、社会でなんの役にも立てねえ出来損ないのくせに、毎日楽に生活しやがって」
それから男はビアンカの髪飾りに目を付けた。
「生意気な、こんなもん……」
男がビアンカの髪に手を伸ばすのを見て、トウタは弾けた。
「汚い手で触るんじゃねえ! どれだけ頑張ってるかもしらねえくせに!」
叫び、男の手をはたいて避ける。
トウタが朝、時間をかけて手入れをした髪。一回やるだけであれだけ面倒だったものを、ビアンカは毎日やってきていた。
そうやって美しくなった髪を、あれだけ無礼なことを吐くような男が軽々しく触れることを、トウタは許せないと思った。
男は反撃されるとは夢にも思っていなかったのか、一瞬ぽかんと呆けるが、すぐに赤黒く顔を怒らせ、ぎりぎりと歯を鳴らす。
気づくと、騒ぎを聞きつけた野次馬もまばらに集まり、遠巻きに見守っていた。
こんな女の子が絡まれてんだから助けろよ、とトウタは苦々しく思う。
村人たちは、厄介で乱暴な村の爪弾き者と、縁起の悪い緑の目を持って生まれ、ぽつんと離れた館で暮らす正体の知れない令嬢、どちらにもあまり関わりたくはなさそうだった。
『トータ……』
弱弱しいビアンカの声がした。
「ビアンカ。村に入る前に、あまり気を悪くしないでっていってたな。けど、無理だ。すげえむかつく。俺は、ビアンカが馬鹿にされたり、いやなこと言われてると、俺が言われたくらいイライラする」
「なに訳の分からないこといってるんだよ、ええ?」
男がすごむ。トウタはこんなもの、怖くない。だが、この男はビアンカも同じよう脅しつけてしまうのだろうか?
「マジで、ふざけんじゃねえよ……あんなに泣いてる記憶があるのに、楽してるだとか言いやがって。どれだけ傷ついてきたかも知らずに無能とか言いやがって! 目の色の何が悪いんだよ! 何色だっていいじゃねえか! 俺は知らねえんだよ縁起がどうとか!」
トウタは自分がビアンカの身体であることも忘れ、男をにらみ叫ぶ。
「ビアンカの目はキラキラしてて綺麗だろうが! 髪飾りだって似合ってるだろうが! この
トウタの叫びは、村中に聞こえるくらいに強く響いた。
酔った男はすっかり気圧されていた。
トウタの声がトリガーになったのか、野次馬に徹していた村人たちが寄ってきて、男をなだめ店内に押し込む。そのうちの数人が、トウタ──ビアンカにふとしたときにちらと目線をやる。村に入ったときに見られていた時とは異なり、その視線は、嫌な気分にはならない。
こそこそと、入れ替わるようにして夫人が出てきた。頬が赤くはれており、男に殴られたのだとわかる。また、ぶつけた肘が痛いむのか、もう片方の手で軽く押さえている。苦労が顔ににじみ出ており、美人だが薄幸そうな空気を漂わせている。
夫人は恐縮しきりだったが、トウタは夫人はむしろ殴られる母を思い出すので、あんたが殴ってやれと言い残してその場を後にする。
腹が立って、仕方なかった。
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