第7話 魔法の才能はないけれど

 そうして、トウタが来てから基本的には上機嫌だったビアンカだったが、庭に備え付けられたまとは何かと、トウタが尋ねると、ばつが悪そうにもじもじしだした。


「あれは……魔法の練習台ですわ」

『マホウか。面白そう、見せてくれよ』

「記憶、見てませんの? わたくし魔法がろくに使えないんですわ」

『え~……そもそもさあ、マホウがあるってどういうこと?』


 トウタは疑問をぶつけた。彼のいた世界では魔法なんてものはおとぎ話の産物だった。使えない、と言われても、それが普通だから何とも思わない。


 そう聞いて、ビアンカはちょっと虚をつかれた。この世界では子どもでも知っていることだ。違う世界から来た人だとわかっていても、ふとしたときに驚いてしまう。

 本当は、魔法について説明するのも嫌だし、この的を見るのも、つらい気持ちを思い出す。それでも、説明しなければならないだろう。


「こちらの世界には、魔王という存在がいるのですわ。人類を支配し、滅ぼそうとした悪しきものが」


 ビアンカは視線を空に向けていった。


「百年前、白の乙女という聖なる力に目覚めた一人の少女が封印するまで、このあたりも魔王の支配下だったと言います。その影響で、今よりももっと魔物は多く……草木も生えないほど荒れていたそうです」


 それが、百年でこうも自然豊かになるのか。トウタの心を読んだように、ビアンカは軽く笑った。


「魔王を白の乙女が封印したことで、魔王の影響下にあった土地には聖なる浄化の力が流れ込んだらしいですわ。昔、当時を知る方のお話を聞いたのですが、朝、起きるたびに気色は変わり、空気が美味しくなっていたそうですわ」

『へえ。そんなら、うちの町にも来てくれればよかったのに。あそこはゴミ臭かったから』


 歴史に残る聖女を空気清浄器扱いするトウタにくすくすと笑いながら、ビアンカは続ける。


「魔法は、そういう脅威から身を守るためにあるのですわ。今でこそ、生活に便利な魔法具が開発されるようになりましたが、魔物は今でもいますし、実戦で使えるかどうかが、魔法、ひいてはその人の評価になるのですわ」


 そして、とビアンカは自嘲するように笑う。


「わたくしは、その才能がまるでない」


 ビアンカは的から三歩ほど離れ、的に向かって手をかざす。

 すると、手のひらを白い光がぼうっと覆う。


「やっ」


 ビアンカの掛け声とともに、光は球体の形をとり、射出され、そして十センチも進まないうちに霧散した。


『なに、今の』

「基礎的な魔法ですわ。この距離からあの的に当てるくらい、五歳の子供でもできるのに、わたしくはこのざま。あえなく無能の烙印を押され、あれよあれよとこの館にたどり着いたわけです。そういうわけで、わたくしが魔法を教えることはできませんわ。残念ながら」


 軽い調子でビアンカは肩をすくめた。

 トウタはそんな彼女に、さも不思議そうに尋ねる。


『じゃあ、近づいて撃てばいいじゃん』

「お話、聞いてなかったんですの? この距離から当てるのが当然であって、近づいて当てられたって……」

『でも、喧嘩で勝てばいいんだろ』


 その言葉の意味が、ビアンカにはすぐにはわからなかった。


『さっき、実戦で使えるかどうかって言ったろ。それ、要は喧嘩だろ。なら、勝てばいいんだ。遠くから当てるとかできなくても』

「それは……」


 トウタの頭の中にあったのは、かつて家に上がり込んできた母の男たちだった。まだ子供であったトウタが、体格の大きい成人男性には力でもリーチでもかなわない。それでも、暴虐非道な彼らを追い払えたのは、手段を選ばなかったからだ。噛みつき、不意打ち、急所攻撃。その場にあるものを武器にするのだってしょっちゅうだった。


『自分たちの身を守るんなら、とにかくできること全部やってなんとかするしかない……』


 かつて喧嘩を売ってきたものの中には、武道や格闘技の経験者がいたこともあった。かじった程度とはいえ修練を積んだ彼らの動きは、何も学べなかったトウタよりも明らかに洗練されていた。それでも、勝ったのはトウタだった。


「……それも、そうですわね」


 ビアンカは、トウタの言葉が不思議とすとんと胸に落ちた。

 一歩、二歩、三歩と踏み出し、的に触れるくらいの距離で、ビアンカは魔法を発動する。

 ぼっ、と鈍い破裂音が音がして、的に穴が開いた。


「ふふふ、初めて当たりましたわ」

『おう、そうだな』


 トウタが拍手をしている気配がした。

 こうやって当てたところで、両親も、世間も、誰も褒めてはくれないだろう。


 だが、確かに魔法は当たったのだ。


 この館では、ビアンカとトウタ二人のこの場所では、近づかなければならないことを後ろめたく思う必要はない。単なるごまかしだ、と頭では思うけれど、心は不思議と晴れやかだ。この的を見るたびに胸が痛み、さりとて撤去してしまえば、逃げたという記憶が残ることが怖かった。たとえひと時忘れられたとしても、根本に染み付いた劣等の苦さは決して消えない。


 もしかしたら、明日、明後日になれば、またふとしたときにつらくなる瞬間はあるかもしれない。


 しかし、それはもはや恐ろしくはなかった。


「ねえ、トータ。この距離で魔物に当てようと思ったら、うんと近づかなければならなくて、危ないですわ」

『んー。じゃあ、避けるしかねえな』

「トータ、そういうの得意でしょう? よかったら教えてくださる?」

『いいぜ。要は喧嘩の勝ち方だろ? 今からでいい?』

「いえ、明日にしましょう? まずはトータの動きが見たいわ。身体が違う分勝手も違うでしょうし」


 できることをやればいい。そして、トウタがいれば、できることだって増えていく。

 ああ、明日が楽しみだ!



 翌日。

「人の身体で一番硬いのは頭だ。詰め寄られたときは、そいつの髪を掴んで鼻っ柱に頭突きする。これでかなり有利になる」

「とにかく相手の嫌がることをやるのがいい。つねるのが結構効果的。あと、掴まれたら耳元で大声出すのも効くぞ」

「指の関節はみんな弱いからいざという時は狙っていけ。勝手に降参するから。あと、こういう体勢になったら肛門に指を突っ込んで──」

『もう少しっ……もう少し優しい手法をお願いしますわっ……!』


 できること全部と言っても、限度はある。手段が物理的に可能であるかと、実際にできるかは別なのだ。

 結局、体力作りから始めることにしたビアンカであった。

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