第9話 ラグーニャ帝国

 フリーダがアジスザーゼン王国の聖女となったからといって、高慢さが直るはずもない。


 一縷の望みをかけて聖女宮へ訪れた病める者、傷ついた者たちは、身分が低く、貧しい者ばかり。彼女は、この者たちを歯牙にもかけない。


 一方、教会の教えでは、このような者たちこそ、救済すべき対象なのだ。


「聖女様! なにとぞお願い申し上げます。救いを求めて来た者たちにとって、聖女様は最後の希望なのです。どうか、どうかご慈悲をお与えください!」

 などと、教会の幹部が入れ替わり立ち替わり、説得を試みる。


「聖女は、神や精霊に最も近い神聖な存在! 下賎の者など目に映るのもおぞましい。穢らわしい者を決して近づけるでない! わかったら下がりなさい!」

 フリーダは、目を吊り上げ、ヒステリックに叫ぶばかり。


 そんなある日。王家に連なる公爵家の子息の治癒の依頼があった。公爵家からは、教会へ多額の心付けも支払われている。


 心付けは、本来、教会への寄付だ。しかし、フリーダは、半額を自らの個人財産とせねば応じない、と理不尽な要求をした。もはや教会は、この横暴を受け入れるしかなかった。

 

 しかし、いざ治療の日が訪れる直前、フリーダは病と称して部屋に閉じこもった。以来、誰であれ姿を見せようともしない。

 

 それも当然。彼女は、ようやく気付いたのだ。アーティファクトが壊されていることに。あれなしでは、光魔法が使えない。力を失ったのだ。


 これを知られたら、他人がどう考えるか? フリーダには容易に予想がついた。なにしろ、元聖女タミーは、自分が提案して陥れたのだから。


 民衆は、トーベン皇太子と不純な行為をした、と非難するだろう。それならまだしも、フリーダは性に奔放な女だった。皇太子以外にも、複数の男性と関係を持っていた。それが明るみに出てしまったら……考えたら、フリーダは鳥肌が立った。


 民衆は、日々、姿を現さない聖女フリーダへの不信感を募らせた。

 その矛先は、彼女と結婚したトーベン皇太子へも向けられていく。


 そのうち、死都ゴオの森などから迷い出た怪物の被害が頻発した。それは、ますます酷くなっていく。


 天候が平年並みにもかかわらず、作物の生育が悪く、今年は記録的な凶作となる勢いだ。


 アジスザーゼン王国では、不穏な空気が濃くなっていく。


 ◆


 炎老翁えんろうおう一行は、ラグーニャ帝国への道程を辿っていた。


 深い森を縫う道は薄暗い。マリウスには、むしろ木漏れ日が心地よいと感じる。

 帝国には伝手も何もなく、あてのない旅だが、一行の間には、のんびりした穏やかな雰囲気が漂う。


 足取りは軽く、笑みを交えた会話もごく自然に交わされている。


 遠方に漆黒の4頭立ての豪華な馬車が停まっている。周りに10人ほどの者が立っているが、武装しているようだ。

 紋章の表示がないことは、貴族のお忍びを予想させた。


「おい。なんだ、ありゃあ? 馬車が故障でもしたのか?」

 マルクが目ざとく見つけて、声を上げた。


「そうかもしれんな。だが、道具もないし、我々に手伝えることもなさそうだ」

 マリウスは、淡々と答える。


「気の毒だが、しょうがねえな」

 マルクも、それに賛同した。


 タミーの顔には影が差している。

 それを垣間見たマリウスも、心根が暗くなった。慈悲深い彼女は、助けられないことに負い目を感じているのだろう。


 馬車に近づくと、一人の青年が歩み寄ってきた。

 黒いマントを羽織り、軍服にも似た服を着ている。それには、ほど良く品のある金銀の装飾が施されている。胸には勲章が輝いていた。


 マリウスは、青年の身分に想像がついた。

(帝国の貴族だな。しかし、なぜこんなところに?)

 

 青年は、マリウスの前で片膝をつき、こうべをたれた。予想外の事態だが、マリウスは、それを顔に出さない。


炎老翁えんろうおう、マリウス・エネス・フォン・ビショフ卿とお見受けいたします」

「いかにも、そうですが」

 マリウスは、感情の薄い口ぶりで答える。未知の相手だけに、どうとでも取れるようにするしかなかった。


「やはり、そうでしたか。突然の無礼をお許しください。私、ラグーニャ帝国皇帝、アルヴィーゼ・ロザリア・オーランディと申します。我が国は、ご一行を最大限の礼をもってお迎えする用意がございます。ぜひともご滞在いただければ、ありがたく」


 さすがのマリウスも、この言葉には驚いた。

「頭をお上げください。皇帝陛下。まさか御自らお忍びでお出迎えいただけるとは、身に余る光栄です。もとより、私どもは貴国へ向かうところでしたから、よろこんで滞在させていただきます」


「それはありがたい。実のところ、取るに足らぬ若造が治める国など素通りされるのではと、気が気でなかったのです」

 と言うアルヴィーゼは、爽やかな笑みをたたえている。


 まだ30歳手前のアルヴィーゼは、2年前、皇帝に即位したばかりで、国内の基盤が固まったとは言い難い状況にあった。

 

 気さくなアルヴィーゼは、マリウスたちとともに、徒歩で次の宿場町へ向かう。


「炎老翁の名前は、我が国にも鳴り響いております。皆、大歓迎ですよ」

「そうですか。看板倒れにならなければ、よいのですが……」


「謙遜なさらず。古代竜エンシェントドラゴンゾンビを討伐した話は、聞き及んでおりますよ」

「あれは、私一人の力ではありませんから」


「ご一行は、討伐時の主要メンバーなのですよね。風の魔女リーサ、剣狼マルク、それに聖女ミーナのお名前も、負けず劣らず帝国では知られています。それが、揃っておいでいただけるとは、なんたる僥倖なのでしょう」


 アルヴィーゼの言いぶりには、まるで嫌味がない。

 好青年の見本のようで、マリウスは眩しく感じた。


「私、その二つ名は悪役みたいで、嫌なのですけど……」

 リーサは、本当に嫌そうに顔をしかめながら言う。


「これは、ご令嬢に対して、礼を失してしまいました。お許しください」

「別に、悪意があったわけじゃないでしょうから、いいのですけれど……」


「俺も、そんな呼ばれ方をしてるなんて知らねえぜ。なんか、乱暴者のチンピラみてえじゃねえか?」

「どの口がそれを言うのかしら? あんたは乱暴者以外の何ものでもないでしょうが! ちょっとは自覚しなさいよ!」


 リーサは、マルクの口を両手で掴み、左右にグイグイと引っ張った。

「いでぇ、いでぇ! やめれ……」


 その様子がおかしくて、一同の間に笑いがはじけた。


 それが落ち着くと、アルヴィーゼは急に真顔になった。

「実は、我が国で一番切実なのは、聖女ミーナ様にご援助をいただくことなのです。我が国の聖女は、老齢のため霊感が衰え、その影響は無視し得なくなっています。ご助力をいただけると我が臣民も大変助かるのですが」

「でも、私は……」

 ミーナは、表情を暗くして、言い淀んでいる。


「ご事情はお察しします。しかし、非処女が聖女になれないなどというのは、まやかしです。現に、帝国や他国では、既婚者が聖女に選ばれ、子をなしている例も少なくないのですよ。そもそも、夫婦の愛の営みが貞潔さを損なうなどと言ったら、人間は滅んでしまいます。子は、女しか産めぬのですから」

「しかし、私の場合は……」


「それを決めるのは、あなた自身ではなく、神や精霊なのでは? 少なくとも、私は、神や精霊は不条理ではないと信じています。あなたが信じなくて、どうするのですか?

 それに、あなたの心の傷は、夫となる人が癒してくれるはず。ほかでもない、あなた自身が一番感じているのでしょう?」

「それは……そうですね……」

 ミーナの顔に、少しだけ明るさが戻る。


 マリウスは、そっとミーナの手を握った。彼女がマリウスの顔を見つめると、マリウスも見つめ返す。

 ミーナは、大樹で羽を休める小鳥のように、頼れる安らぎを感じた。


(ミーナ。僕もいるからね。いっしょに頑張ろう)

 光精霊のラフィもミーナを元気づける。


 皇帝アルヴィーゼは、帝国へ着くまでの3日間、徒歩でともに旅をした。その間に、一行との親交も深まった。


 帝国へ到着するや否や、すぐさまタミーは帝国の聖女への面会を希望し、それはすぐに実現した。


「私は、イオランダ。帝国の聖女をやっているわ。あなたがタミーさんね。来てくれて嬉しいわ。こんな格好で、ごめんなさいね。最近は、立ち上がるのもおっくうで……」


 帝国の聖女は、扇状の背もたれがついた大き目の椅子にゆったりと座っていた。


「いえ。お気になさらず。お体をご自愛下さい」


 そう言いながら、タミーはイオランダの姿に感銘を受けていた。


 年相応に老けてはいるが、顔の作りは整っているし、きちんと手入れもされている。若い頃は、さぞかし美人だっただろうと想像するが、色褪せてなお高い品格を感じる。

 若い美人の原色の輝きと対照的に、くすんだ方がむしろ趣が深まる。そんな老い方もある。


(私に、そんな歳の取り方ができるかな……)


 タミーは、隣に立つマリウスへチラリと視線を向けた。


 ――この人は、もはや別格だけれど……。


 本当に、こんな人と寄り添っていくことができるのか?

 タミーは、自分がみすぼらしく思えた。


「それにしても、あなたの精霊さんは若そうだけれど、素晴らしい力を持っているようね。頼もしいわ」

「ありがとうございます」


 光精霊のラフィは、後ろでニヤニヤと嬉しそうだ。


「それにお隣の方の精霊たち……大国のお姫様のような威厳があるわ。それに光の精霊さんまで……精霊王のご息女なのかしら? あなたが、噂に聞く炎老翁様ですね」

「周りからは、そう呼ばれております」


(よくわかってるじゃねえか。腐っても聖女ってか?)

 火の精霊フレデリケが憎まれ口をたたく。


「ホッ、ホッ、ホッ……お婆ちゃんだから、少し干からびてはいるけど、まだ腐ってはいないつもりよ」

(けっ! わかったよ。からかいがいのねえ女だな)

 フレデリケは、余裕でいなされてつまらなそうだ。


(フレデリケ……)

 マリウスがフレデリケの頭を撫でると、彼女はシュンとなった。親に叱られた子どものようだ。


「ところで、タミーさん。聖女様の調子が悪いようなら、マッサージをしてあげられたらどうかな?」

「そうですね。聖女様が、お嫌じゃなければ」


 聖女イオランダは、目を輝かした。

「まあ、あなたマッサージができるの?」

「実は、私は、もともとマッサージ師だったんです」


「それは、ぜひお願いしたいわ。マッサージ師って男ばかりでしょ。男が聖女の体に触れることは許されない、といわれてダメだったのよ」


 そして、聖女イオランダの施術をしながら、タミーは懐かしさを感じた。


(思えば、聖女になったのも、マリウスさんを施術したのが始まりだったわね……)


 真心を込めて癒してさしあげる。それで、少しでも笑顔が戻ってくれれば、私は満足。聖女の肩書なんて関係ない。「貞潔」なんて、堅苦しいことを考えなくても、私にできることをすればいい。ラフィも、きっと助けてくれるはず……。


 翌日。タミーは、体調不良のイオランダの代理で、帝国の聖女宮を訪れた者たちを治癒することになった。

 今まで滞っていた分だけ人が多い。


 失敗して、罵倒されたことが頭を過る……。


(僕はタミーの味方だよ。自分を信じて……お爺ちゃんも言っていたじゃないか)

 ラフィが励ましの言葉をかける。


 マリウスが見守る暖かい視線を感じる。


(私には、帰って羽を休められる大樹がある……)


 そう考えると、緊張が一気に解けた。


 タミーは、目を閉じ、数瞬瞑想すると、両手を組んで祈りを捧げる。

(光の精霊ラフィよ。かの者たちに、癒しの慈悲をもたらしたまえ。世々限りなき神と光の精霊王の統合のもと、タミーが乞い願う。かくあれかしアーメン


 天から柔らかく暖かな光が降り注ぐ。

 集まっていたケガ人や病人たちは、ことごとくが治癒した。


 感動のどよめきが湧き上がる。


「聖女様だ! 新しい聖女様が来てくださった!」

「聖女様。ありがとうございます」


 事前に、聖女代行の魔術師による治癒が行われると説明があったにもかかわらず、皆は、聖女と信じて疑わない。


 降り注ぐ神聖な光といい、これだけの人数を一瞬で治癒したことといい、皆が皆、奇跡とみなさなければ納得できなかったのだ。


 当惑したのは、教会当局だ。一国に聖女が2人など前例がない。

 それを見た聖女イオランダは、笑い飛ばした。


「そもそも、聖女は一国に一人でなければならいという記述は、聖典にはないのではなくって? もし、どうしても一人というなら、私が聖女を引退するわ」

 

 長年にわたり聖女を務めてきたイオランダの信奉者は多い。

 教会も、簡単に切って捨てることはできない。一方のタミーが行った治癒は、これぞ奇跡だという噂が噂を呼び、その熱気が収まる気配はない。


 皇帝アルヴィーゼは、煮え切らない教会に圧力をかけた。


「聖女イオランダの言うとおり、一国に聖女が2人いてはならない決まりはない。そもそも奇跡ともいうべき能力を引き出せるかどうかが問題であって、『聖女』など、ただの肩書だ。出し惜しみする必要がどこにある。むしろほまれではないか」


 こうしてタミーは、あれよあれよという間に、聖女に祭り上げられた。


 盛り上がったところで、マリウスとタミーの結婚式が盛大に執り行われた。媒酌人は皇帝アルヴィーゼが行うという、これ以上の名誉はないというものだった。


「聖女は貞潔であるべき」などと言う者は誰もいない。

 貶められて力を失った聖女が、伴侶となる夫の愛を得て、再び聖女として復活する物語。これが脚色も加えて小説化され、舞台でも演じられた。

 帝国臣民は物語りに酔いしれ、もはや伝説となった。


 リーサは宮廷魔術師団に、マルクは近衛騎士団に職を得て、それぞれの本文をまっとうすることになった。


 マリウスは、皇帝顧問という微妙な職に就いた。皇帝アルヴィーゼの要請によるものだった。

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炎老翁の悲哀 ~シンクロニシティのはてに~ 普門院 ひかる @c8jmbpwj

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