第8話 旅立ち

「おい! じじい! 黙っていなくなるとは、どういうことだ!」

 駄馬に荷を積んで、徒歩で帝国へ向かっていたマリウス一行だったが、馬に騎乗して早駆けしてきた青年が、激しく怒鳴りつけた。マルクだ。


「何だ? マルク。仕事はどうした?」

「そんなことは、どうでもいいんだよ! 帝国へ行くって本当なのか?」と尋ねるマルクは切実感にあふれている。

 

「ああ。それがどうした?」

「ああ……何てことだ……せめてリーサだけは、置いていってくれよ。ダメなんだよ。俺、1人じゃあ何もできなくて……」

 と、マルクは頭を抱えている。


「あなた! 何言ってるのよ! とうに20歳を過ぎた、いい大人が! メイドでも何でも雇えばいいって言ったでしょ!」

 マルクに指を突きつけ、叱りとばすリーサの口ぶりは厳しい。

 

「もちろん雇ったぜ。でも、それは身の回りの世話だけのことで……」

「それで十分じゃないの!」


「いや……俺……腕っぷししか能がなくて……ほかのことは、でんでダメだからさ」

「だからって、何で私が、あなたの面倒をみなくちゃならないの?」


「だってよう。好きなんだよ」

「はあっ? 今さら何言ってんのよ?」


「だから、支援魔術やらなんやら……ほかの女じゃ満足できねえんだ」

「ちょっと! 誤解されるようなこと、言わないでよ! 何か変なことしてるみたいじゃない!」


「でも、本心なんだよ」

「とにかく、私はお父様の傍を離れるつもりはないの。諦めなさい!」


「そんなあ……だが、そこまで言うなら、俺も覚悟を決めた。一緒に旅へついて行くぜ」


 そこへマリウスが、会話に割り込む。

「騎士の仕事はどうするんだ! 放棄するのか?」

「んなもんは、どうでもいいんだ! 俺のたった1つの生きがいはなあ、じじし! 強くなって、いつかおめえを倒すことなんだよ!」


「はっ、はっ、はっ……笑わせる。おまえ程度の才能では無理だ。その前に私は、ヨボヨボになって死んでいるだろう」

「けっ! そう簡単にくたばるタマかよ。じじいのくせに」


「まあいい。ついてくるなら、勝手にしろ。だが、あくまでも自己責任だからな」

「わかってるよ。じじいたちに、迷惑はかけねえ」


 こうして、旅の一行にマルクが加わった。


 夕方近くになり、最寄りの町で一泊することになった。


「男女2人ずつで一泊したいのだが、空きはあるかな?」

「申し訳ございません。シングルが2部屋とダブルが1部屋しか空きがございませんが」


「それでも、4人は泊まれるな。なら、それで頼む」

「かしこまりました」


 問題は、部屋割りをどうするかだ。


「俺、じじいと一緒はやだぜ」

 と、マルクが気乗り薄に言いだした。


「男どうし、さしで話すのも一興いっきょうではないか? 特にリーサとのことについては、入念に聞かねばなるまい」

「いや! それは、また機会を改めてだな……」

 マルクは、とたんにおどおどし、冷や汗を流している。


「ならば、今日のところは許してやろう。では、タミーさんとリーサが……」


 マリウスの言葉を、リーサが決意のこもった声でさえぎる。


「お父様は、タミーさんときちんと話し合うべきです!」

「……リーサ。何が言いたいんだ?」

 マリウスは、まるで理解できないといった顔で唖然としている。


「お父様は、なぜタミーさんを追いかけてきたのですか?」

 と言うリーサの言葉には、毅然とした厳しさが込められている。


「それは言っただろう。もともと国を出たいと思っていたから……」

 マリウスは、リーサに気圧けおされている。


「タミーさんを都合のいい手駒として利用したとでもいうのですか?」

「手駒など……そんな言い方をすることないだろう」


「とにかく、私は、これ以上とやかく言いません。それこそ、さしで話し合ってください。

 タミーさんもですよ。きつい言い方になりますが、ここで思いを伝えるかどうかが、あなたの人生の分岐点です。後がないと思いますよ」

「そうですね……」

 タミーはリーサの意図を察したようだが、下を向き、力なく答えた。


 それだけ言うと、リーサは、マルクを引っ張っていき、それぞれの個室に入ってしまった。


「まったく……昔はおとなしくて、引っ込み思案な子だったのに、男社会で育ったせいか、あんなになってしまって……」

「頼もしくて、いいじゃありませんか」

 タミーは、微笑を浮かべながら答える。が、どこか憂いを引きずったぎこちない笑いだ。

 

 2人は静かに部屋に入る。

 小さなテーブルに、椅子が向かい合わせで置かれている。


 マリウスがその1つに座り、タミーも対面に座るよう手振りで促した。タミーは、やや戸惑いながら静かに座る。


 2人は、まともに視線を合わせることができない。

 しばらくの沈黙のあと、マリウスが口を開いた。


「タミーさん。手駒なんて嘘だからね。私は……あなたのことを愛おしいと思っている。リーサに負けないくらい……」


「マリウスさん……」

 答えようとしたタミーは、言葉に詰まった。


 マリウスの手をそっと握ると、頬に当てた。じっと目を閉じ、その温もりを味わっているようだ。

 マリウスは、これを一種の媚態のように感じた。年甲斐もなくと、かぶりを振る。

  

 やがてタミーは、心に整理をつけるように、ゆったりと話し始める。


「私も、マリウスさんのことが愛おしい……聖女になるずっと前から……。私には父の記憶がなかったから、こんな素敵な人がお父さんだったらと憧れていました……でも、マリウスさんに聖女へ推薦したいと言われたとき、気づいたんです。マリウスさんと結婚できなくなると考えたら、たまらなく寂しくて……男の人として愛しているのだと……」


 マリウスは、タミーの言葉を素直に信じられない。あれは、相手がトーベン皇太子だから、嫌がっていたんじゃないのか?

 当惑し、首をひっかきたいような衝動に駆られた。


「タミーさん。本気なのか? 私はもう60歳になろうかというじじいだぞ。君は、まだ20台の女盛り。常識的に、そんなに歳の離れた恋愛が成立するとは思えない。私はともかく、君は、それでいいのか?」


「そんなことは、ずっと前からわかっています。何度も何度も自問自答しました。それでも、私の気持ちは変わらない。常識とか、世間体とかは関係ないし、縛られたくもない。

 それに、私は穢れてしまった。もう何の価値もない、奴隷以下の女です。だから、結婚なんて贅沢は言いません。

 マリウスさんの傍にずっといたい。いっしょに生活をして、同じ時を過ごしたいんです。こんな女の望みを叶えていただけるなら、私は何でもします。ですから、お願いです」


 ここまで言われてしまって、マリウスは引け目を感じた。タミーは、ずっと貞潔を貫き通していたのだ。挙句、悲劇が訪れた。

 自分はどうなのか? 娘のように愛おしいとは感じていた。だが、それはリーサに対する感情と同じだったのか? 今思えば、違っていたように感じる。


 聖女へ推薦する決断をしたとき、タミーが幸福になってほしいと願った。その過程で、苦悩もしていた。結局は、自分の心を殺すことで、悲劇の主人公よろしく悦に入っていたのではないか? 彼女の気持ちをきちんと確認もせずに。

 

 もし、あとひと手間かけて、彼女の意思を確認していれば、結婚していた可能性もあった。そうすれば、あんな悲劇は起きなかったのだ。それを惜しんだ自分の不甲斐なさ、意気地なさに幻滅する。


「タミーさんが無価値などということはない。処女性をことさらに重んじるのは、女を物扱いする品性のない男の身勝手な妄想だ。私は、断固として否定する。それにラフィが君を見捨てていないことが、何よりの証拠だ。

 あの事件があって、君の心はさぞかし傷ついただろう。男の僕には想像ができない。だから、穢れた意識を持つことが悪だとは言わない。だが、過度に自分を卑下するのはやめた方がいい。時間をかけてかまわないから、少しでも前向きに改善していくんだ。私も協力するから、必要なときには、いつでも言ってくれてかまわない」


「私なんかのために、ありがとうございます……」

 タミーの目は、涙で潤んでいる。


「だから……本当に君が望むのなら、結婚しよう。私は、老い先短いじじいだが、それでも連れ添ってくれるというなら、感謝の言葉しかないよ」


「本当ですか?」

 タミーは潤ませていた目を輝かせ、喜びを示した。


「今さら、リップサービスで嘘をつく意味もないだろう」

 照れ隠しのように、マリウスは、ぶっきらぼうに言う。

 

「ありがとうございます!」


 タミーは、マリウスに抱きつくと、胸に顔を埋めた。

 彼女は、嬉し涙が止まらず、シクシクと泣いている。


「なにも、泣くことはないじゃないか」

「ごめん……なさい……」


 マリウスは、タミーを抱きしめ、後頭部を優しくなで続けた。


 タミーが落ち着いて、寝ることになった。


 まだ慣れないので、マリウスが後ろを向いている間に、タミーが夜着に着替え、布団ふとんに入る。


「いいですよ」


 タミーの声を合図に、マリウスも布団に入る。

 布団をめくったとき、タミーの夜着姿がチラリと目に入った。


(華奢だな……)


 聖女は、修道女と同様に、清貧な生活が求められる。豪華な食事とは縁遠い生活を送っていたのだから無理もない。

 生地の薄い夜着姿だと、体のラインがよくわかる。大きくはないが胸の膨らみがしっかりわかる。女を意識せずにはいられない。


 何とも言えない緊張感が漂う。


 やがて、タミーはマリウスの方へ向き、横合いからすがりつく。


 マリウスの気分は複雑だ。


 自分を慕ってくれていることはわかる。しかし、あの事件から日が浅い今、彼女の心中には男性への恐怖感が、トラウマとして刻まれているのではないか? それに耐えて、彼女は身を捧げる覚悟なのだろう。 そう思うだに、健気で、哀れだと痛切に感じる。


 さすがに、これを完全無視とはいかない。


 マリウスもタミーの方を向き、2人は向かい合わせとなった。

 瞳を見つめ合うと、愛おしい感情が湧き上がる。


 タミーはそっと目を閉じた。やや唇を半開きにして、明らかに媚態を示している。

 マリウスは、顔を近づけ、軽く唇を重ねるだけのキスをした。


 タミーは、目を閉じ続けているが、体が硬直し、ほんの少し震えている。


(やはり、これ以上は酷だな……)

 

 マリウスは、仰向けの姿勢に戻る。


「悪いが、これ以上のことは、正式に結婚してからにしよう」

 と、できる限り、さりげなく言った。


「はい」

 タミーは、小さいが安心したような声で答えた。

 

 タミーは、仰向けになるマリウスの横合いから、すがり続けている。

 

 ――まるで、父に甘える子どもだな……。


 マリウスには、そうも思えてしまう。

 マリウスの年齢からすれば、20台の女性など、まだまだ未熟だ。


 子どもに欲望を覚える親はいないから、夜の営みの対象としては見られない。


(ギリギリの線だな……)


 タミーには、心の準備期間が必要だ。

 一方のマリウスも、子どもではなく、妻なのだと、しっかりと割り切る時間が必要だと感じていた。


 翌朝。


「お父様。男女が一晩同衾どうきんしたからには、ちゃんと責任を取るのですよ」

 リーサが、またもや険しい顔つきでマリウスへ詰め寄る。

 

「親に命令する子どもが、どこにいる?」

「老いては、子に従えでしょ」


「アホか! 意味が違うだろう! 男女が逆だ」

「まさか、責任を取らないつもりなの?」


「そういうわけではないが……」

 マリウスの歯切れが急に悪くなる。単に照れただけなのだが。


「じゃあ、うまくいったのね。よかったわね。タミーさん」


 タミーは、顔を赤らめて、コクリとうなずいた。

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