第6話 竜討伐

 死都ゴオの森でのドラゴンの目撃情報がもたらされ、王宮は混乱の極致にあった。

 ドラゴンは世界最強の生物であり、数千年以上生きた古代竜エンシェント ドラゴンともなれば、300年ほど前に世界へ混乱をもたらした魔たる王をもしのぐほどの強さだと言い伝えられている。


 個体数が少なく、最後にドラゴンによる被害を被ったのは、100年ほど前。このため、ドラゴンに関する正確な情報はほぼなく、伝説に頼るしかない状態だ。


 王宮内では喧々諤々けんけんがくがくの議論がかわされたが、議論に疲れた国王や宮中伯たちは、死都ゴオの森の調査を炎老翁えんろうおうを筆頭とする少数精鋭パーティへ命じた。


 アジスザーゼン王国の首都ドゥアツク北東部に位置する死都ゴオは、古代の都邑とゆうである。

 現在は多数の死霊が彷徨さまよい、死の気配が濃く立ち込めている。加えて、ゾンビ、スケルトン、グール、マミー、ワイト、レヴァナントなどのアンデッドが跋扈ばっこする。

 

 これを恐れ、数千年にわたり人の立ち入りがほとんどないため、周辺は鬱蒼うっそうとした大森林に囲まれている。


 死都ゴオの森は、首都ドゥアツクから、さほど遠くない距離にある。仮に、ドラゴン彷徨さまよい出て首都方面へ向かえば、甚大な被害を被る恐れもあった。


 パーティメンバーは、次の5名である。

1 炎老翁えんろうおうこと、マリウス・エネス・フォン・ビショフ子爵

2 王国近衛騎士団の若手ホープのマルク・ダン・ハルトマン

3 やりの名手で、南方出身の異邦人バルバロイオユスフ・リュル

4 弓の名人で、エルフ族のニルー・ディムヘ

5 聖女タミー・バイアー

 

 さらに、見習いとして、マリウスの娘リーサが同行する。

 

 一行は、ついに死都ゴオの森にさしかかる。


「ああ……ちょっとお花摘みだ……」

 と告げて、森へ分け入ったマリウスの声には、わびしさがこもっていた。

 

 ◆

 

 コカトリスを倒し、命の危機は去ったものの、炎老翁えんろうおうは忘我状態におちいっていた。


 何とか正気を取りもどしたのは、ガサッ、ガサッと森を分け入る音がしたときだった。

 反射的に魔法の杖を構え、警戒する。


「おい! じじい! 年寄りのしょん便が長いといっても限度があるだろう! それとも大の方ってか?」

 と、マルクが大声でとがめる。すっかりビショフ家になじみ、口汚くなっている。


「だからお花摘みだと言っただろう」

 マルクの手には、青灰色の葉で、小さな黄色い5弁の花が咲いた木の枝が何本か握られている。


「なんだよ! そのショボい花はよう!」

「知らぬのか? ヘンルーダだ。コカトリスの石化を防いでくれる」


「コカトリス? まさか出たのか?」

「ああ。3羽まとまっていた」


「ならけようぜ。無駄に正面から戦わない方がいい」

 マルクは、危機感をにじませる。

 

「そいつらなら、もう倒した。そこらで消しずみになっている」

 感情の薄いもの言いに、マルクは違和感を覚える。


 そして、異臭に気づいてしまった。見れば、マリウスのローブのすそがかなり濡れている。


じじい……てめえ……」

「ああ。間に合わなかった。歳は取りたくないものだな……」


 2人の間に、何ともいたたまれない空気がただよう。


「とにかく、戻ろうぜ。リーサたちが心配している」

「そうだな」


 2人の間に一言の会話もなく、黙々とパーティの隊列へと帰還する。


 憂い顔で立ち尽くしていたリーサは、マリウスの姿を目にすると、駆け寄ってきた。

「お父様! 大丈夫なのですか?」


 マリウスは、リーサと目を合わせることができず。視線をそらし、沈黙している。


「コカトリスが3羽もいたが、じじいが倒したそうだ」

 代わりにマルクが答える。

 

「まあ! それは、たいへん! おケガはないのですか?」

「ケガはねえみてえだ」


 リーサは、さすがに違和感を感じ、不審さをにじませる。


「ええと……じじいの着替えはあるよな?」

「着替え? ありますけど……」

 リーサは不思議そうに答える。そして、マリウスの姿に気付き、ハッと息を飲んだ。


「ああ……少し濡れてしまったんですよね。よくあることです」

 リーサはうろたえて、妙に早口になっている。


「でも、着替えるだけじゃなくて、念のため体も洗った方がいいんじゃないかしら? 近くに小川でもあるといいなあ……」

 

 状況を理解した他の者は、一言も言葉を発せない。

 話の流れで、小川を探すことになり、しばらく歩く。


 マリウスは異臭を避けるため、隊列から離れて最後方からついていき、これにマルクが付き添った。


 幸い、近くに小川を発見した。まだ、森の入り口で、水は汚染されていない。


 マリウスは、全裸になると、黙々と体を洗う。

 少し離れて、マリウスが脱いだ下着とローブをリーサが洗濯している。彼女は、父の裸を目にして赤面していた。


(ついこの間まで、一緒に風呂へ入っていたのに……)


 リーサに、よそよそしさを感じた。が、思い直すと「ついこの間」が軽く10年以上前だったことに気付き、愕然がくぜんとした。


 それを顔に出さないようにしながら、きちんとそろえられていた下着とローブを身に着けると、香りのついたケルン水を手首に付けた。

 ケルン水は、50歳を過ぎてから、加齢臭を気にして付け始めたものだが、無意識に多めにつけてしまった。


「すまない」

 マリウスは、リーサに声を掛けるが、明らかに気落ちしている。


「やだ。お父様。娘に遠慮なんてしないでください」

「ああ……」

 もう一度謝りそうになる。かといって、選ぶ言葉が思いつかなかった。


 一息ついて、森の奥へ向かう。


 ゾンビ、スケルトン、グールなどのアンデッドが立ちふさがるが、若き精鋭たちの敵ではない。


 コカトリス、マンティコア、ティラコレオ、サーベルタイガー、ニグルムジャガー、エラスモテリウム、セラティスヴァイパーなどの猛獣・怪物も出現する。

 ゾンビなどより、よほど強いが、これらも退けていく。


 マリウスは、魔術師役をリーサに任せて、監督役に徹し、状況を俯瞰ふかんしながらアドバイスしている。


 中心部の死都ゴオを前にして、グオーッという雷鳴のごとき咆哮ほうこうが森に響き渡った。

 巨大な竜の影が上空の太陽を遮り、パーティは影に包まれる。


 逆光で形しか視認できないが、不快な腐臭が鼻を突いた。


「ドラゴンゾンビだな」

 マリウスは断定した。


 300年ほど前。魔たる王を倒した勇者一行は、その後、死都ゴオの森で、古代竜エンシェント ドラゴンを討伐したという伝承がある。


 ――討伐するだけして、死体を放置とは……勇者とやらにも困ったものだな。

 

 ドラゴンゾンビは、パーティを認識すると急降下してきた。

 マリウスは、口を大きく開く予備動作を見逃さない。


「ブレスが来る! 退避準備!」

 緊迫した指示には、抗いがたい威厳がある。一同は、退避すべく身構えた。

 マリウスは、戦闘慣れしていない聖女タミーを背後から抱きかかえる。


 ドラゴンゾンビの吐き出したブレスが向かってくるが、あらかじめわかっていれば、退避は難しくなかった。


 ブレスは、辺りの木々をなぎ倒す。あっという間に枯れると、ボロボロと朽ちていく。巻き込まれたうさぎの群れは、あっという間に絶命し、腐り果てた。

 

 マリウスは、聖女タミーを抱きかかえ、いち早く退避している。


「ありがとうございます。ビショフ卿」

「聖女様の身の安全が最優先ですから。お気になさらず」


 タミーが雲の上の地位へ上り詰めた以上、礼を尽くして肩書で呼び合わなければならない。親しく過ごしたあの時間は、もう戻ってこない。

 ふとした会話をきっかけに、2人の間に一抹の寂しさがただよう。


「おい! なんとかして、地上に引きずり落とさないと、ジリ貧だぜ!」

 マルクがいらついた声をあげた。

 遠距離攻撃ができるのは、ニルーとリーサだけだ。


「わかっている!」

 弓使いのニルーが、ドラゴンゾンビの羽をめがけて矢を放ちながら言い返す。


 リーサは、これを聞き流しながら、風魔術で羽を攻撃している。


「リーサ! 尾の先の細いところを狙え! 特大の風刀ヴェントゥス グラディウスでぶった切るんだ!」

 たまらず、マリウスが口を出した。


「はい! お父様!」


 リーサは詠唱を始める。簡易詠唱では、威力が落ちる。


我は求め訴えたりエロイムエッサイム。風の精霊フォルカーよ、我に力を貸せ。空の果てから、鋭き風の刃を呼べ。我が敵を一刀両断せよ。世々限りなき神々の統合のもと、実存し、 君臨する風の精霊王を通じ、リーサが命ずる。風刀ヴェントゥス・グラディウス!」


 巨大な風の刀がドラゴンゾンビの尾を襲い、見事に先端を切り落とした。


尻尾しっぽなんか切り落として、意味あんのかよ」

 マルクが疑問の声を上げる。が、すぐに驚きで目を見開いた。


 ドラゴンゾンビはフラフラと迷走を始めると、やがて地上へ落下した。


「ええっ? どういうことだよ」

「竜のたぐいが飛行するときは、尾でバランスをとっている。尾を傷つければ、バランスが崩れ、飛行が難しくなるというわけだ」


「へえー。たいしたもんだな。歳の功ってやつか」

 マリウスは、年寄り扱いされて、不快感をにじませた。


 一行は、ドラゴンゾンビの落下点めがけて突き進む。

 

 ドラゴンゾンビは、グワーッと咆哮して威嚇する。

 怯まずマルクとオユスフが突進して切りつける。


 二ルーとリーサはこれを後衛から攻撃して支援する。

 しかし、ゾンビだけに痛覚がなく、ダメージに対する反応がない。


 いったん引いたところで、リーサが大魔術を放つ。

猛吹雪ブリザルド!」


 極寒の猛吹雪もうふぶきが襲い、ピキピキと体表が凍りついていく。だが、これも体表だけにとどまった。ほどなくして、復活してしまう。


 ついに、マリウスが乗り出した。


我は求め訴えたりエロイムエッサイム。火の精霊フレデリケよ、我に力を貸せ。地獄の業火から灼熱の炎を呼び寄せん。我が敵を、燃え盛る炎の舞いに巻き込み、その身を焼き尽くせ。世々限りなき神々の統合のもと、実存し、君臨する火の精霊王を通じ、マリウスが命ずる。炎噴流ジェット・フランマエ!」


 激しい炎の奔流がドラゴンゾンビの体を包み込む。

 腐肉が焼け焦げる不快な異臭が、辺り一面に立ち込めた。


 致命傷には至らないものの、ドラゴンゾンビは攻撃の威力にひるんだ。


「聖女様! 今です!」


 聖女タミーは、手を広げ、光り輝く聖なるエネルギーを込めながら呪文を唱えた。


我は求め訴えたりエロイムエッサイム。光の精霊ラフィよ、我に力を貸せ。聖なる光よ、邪悪なる者を退けん! 煌めく星々の輝きよ、我が手に聖なる光を導け! 邪な龍よ、闇から解き放たれし者よ、今こそ我が言葉に耳を傾け、聖なる光により浄化されよ! 浄化プルガティオ!」


 神聖な光がドラゴンゾンビを包み込み浄化していく。

 ドラゴンゾンビは、苦しみもだもだえ、苦し気な咆哮を上げている。


「聖女様。効いています。もう少しです」

 リーサが激励するが、聖女タミーの顔には脂汗がにじみ、苦しそうだ。


 やがて、聖女タミーは気を失い、バタリと倒れた。魔力を限界まで使い果たしてしまったのだ。

 リーサが駆け寄り、抱き起す。


 ドラゴンゾンビは、苦しさのあまり見境なく暴れまくっている。


「リーサ。聖女様を連れて後方へ退避しろ」

「はい!」


 マリウスはドラゴンゾンビの前に立ちはだかる。

 深呼吸して深く瞑想すると、呪文を唱え始めた。


我は求め訴えたりエロイムエッサイム。偉大なる熾天使セラフサンクトゥスミアドエル。戦いにおきて、我らをまもり、よこしまなる竜の兇悪きょうあくなる暴力に勝たしめたまへ……」


 ドラゴンゾンビは、危機を察知してマリウスへ襲い掛かる。

 しかし、それはことどとく炎の投槍フラメウ マスタムで迎え撃たれる。


 マリウスは、詠唱を続ける傍ら、並行して詠唱廃棄で炎の投槍フラメウ マスタムを発動していた。

  

「……主神の彼に命をくだしたまはぬことを、伏して願ひたてまつる。あな天使の総帥そうすい。霊魂を損なわんとて、この世を徘徊はいかいするよこしまなる竜を、主神の御力みちからによりて、煉獄れんごくの炎もて焼き尽くし、永久とわに滅されんことを……」

 

 ドラゴンゾンビは、最後の手段とばかりに、ブレスを吐くべく口を開ける。そこを一段と大きな炎の投槍フラメウ マスタムが貫いた。

 上あごを突き抜け、頭から先端が飛び出ている。


 それでもなお、ドラゴンゾンビは動き続けている。

 

「……世々限りなき神々の統合のもと、実存し、君臨する光の精霊王を通じ、マリウスがこれを乞い願う。かくあれかしアーメン


 詠唱が完成し、強大な炎の竜巻がドラゴンゾンビを包み込む。

 煉獄の炎は、罪や穢れを浄化する聖なる炎だ。


 ドラゴンゾンビは必死に炎の外へ逃れようとするが、竜巻の中心に吸い寄せられ、それは叶わない。

 やがて、ドラゴンゾンビは燃え尽きて、真っ白な灰となって崩れ去った。


 マリウス以外の誰もが唖然とした。あれを倒したのか? 目の前で見た光景を信じていいのか?

 炎老翁えんろうおうの実力が、まだ健在であることを思い知らされた瞬間だった。


「お父様! 素敵です!」

 いち早く我に返ったリーサは、マリウスに抱きつき、喜びを示した。


「おめでとうございます。ビショフ卿。私など遠く及ばない実力。感服いたしました」と聖女タミーも祝福した。

「いえいえ。聖女様や他の者が弱らせてくれていたから勝てたのです。これはパーティ全体の勝利です」と、マリウスの答えは謙虚だ。


 首都ドゥアツクへ帰投したパーティは、民衆の歓呼を持って迎えられた。

 調査へ行ったつもりが、討伐まで果たしたのだ。嬉しい誤算というやつだ。それだけに、不安に包まれていた民衆の喜びは倍増したのだ。


 マリウスは炎老翁えんろうおうの健在ぶりを強く印象づけた。

 炎老翁えんろうおうをサポートしたとして、聖母タミーも株を大きく上げた。


 一方で、聖女の地位を逃した公爵令嬢フリーダは、タミーへの憎悪をますますたぎらせ、ギリギリと激しく歯噛みした。

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