第5話 聖女

 アジスザーゼン王国の聖女ジュリア・ターニャ・エベリングは、祈りの儀を終えると酷い疲労を感じた。


 目がくらみ、視界が暗転しそうになる。ふらついたところを、機転を利かせた侍女に支えられ、難なきを得た。

「大丈夫ですか! 聖女様!」

「ありがとう。疲れが出たみたい。部屋で休むわ」


 聖女ジュリアは、よわい50を超えて霊感の衰えを感じていた。

(このままでは、あと何年も持たない……)


 彼女は、次代の聖女候補を選定し、育成することを決意した。

 その旨は、直ちに国内各所で告示された。


 貴族の間では、フリーダ・ヴィクトリア・フォン・ベリシャ侯爵令嬢が光魔術の使い手として知られていた。

 光魔術の使い手は寡少であり、彼女が次代の聖女になるだろうことが、一致した見解となっていた。


 アジスザーゼン王国では、国王と聖女が婚姻を結ぶことが代々の慣行となっている。ただし、聖女は貞潔で、かつ処女であることが常識となっている。婚姻と言っても、夜の営みを伴わない白い結婚なのだった。


 王は、他に愛妾を王宮に住まわせ、次代の王をもうける。


 聖女候補が必然と思い込んでいるフリーダは、何年も前から、トーベン皇太子と深い仲になっていた。正式な聖女候補となれば、皇太子と婚約できる。フリーダは、期待に胸を膨らませた。


 反面、王国の民衆は冷めていた。


 皇太子は甘やかされて育ったため、わがまま放題で、倫理観のかけらもない人物だった。

 フリーダも侯爵家という高い身分にあって、低い身分の者を食い物にしても何も感じない高慢なお嬢様だった。

 悪い意味で、2人は意気投合していた。


 ◆


 聖女候補選定の告示を見たマリウスは、苦悩していた。


 フリーダは、遠目で見かけたことしかないが、高い魔力は感じられなかった。せいぜい中級どまりだろう。よほど巧妙に魔力を隠しているなら別だが、そうは思えない。


 一方で、タミーは日々腕を上げている。教会の慈善活動にも積極的に参加し ケガ人・病人の治療などに腕を振るっている。彼女は、看護師のような白衣を着て活動していることから、民衆の中には彼女を「白衣の聖女」と密かに呼びならわす者も少なくなかった。


 これだけ目立っていては、当局に目をつけられるのも時間の問題だ。

 ならば、いっそ自分が推薦しよう、とマリウスは思い立った。


「タミーさん。聖女候補の選定が進められているのは知っているね。私は、君こそ聖女にふさわしいと思う。これまでの、努力も報われるというものだよ。ぜひ、私に推薦させてもらえないだろうか?」

「それは、たいへん光栄なことですが……」


 タミーは、そこで黙りこくってしまった。うつむいて、表情は鬱気うつきに包まれている。

 

「どうしました? 何か心配事でも?」

「聖女候補になったら、皇太子殿下と婚約しなければならないんですよね」

 タミーの声は暗く、弱々しい。

 

「そうだけど、光栄なことじゃないか。王子様と結婚なんて、女の子なら誰でも一度は夢見ることだろう?」

「でも……」


 タミーは、再び口ごもる。


「もしかして、好きな人でもいるのかな?」

「ええっ? いや……その……い……いません……」


 マリウスは、タミーの答えぶりに違和感を覚えた。

(好きとは言い切れないまでも、気になる人でもいるのか?)


「タミーさんに躊躇ためらいがあるなら、やめておくよ。変な話をしてごめんね」

「いえ。こちらこそ、せっかくのご厚意を……」


「いいよ。気にしないで。君の気持ちが一番だから」

「すみません」


 しかし、教会へ聖女宮の者が調査に入り、光魔術のことが発覚してしまい、タミーは聖女候補にされた。

 聖女宮の使いが来てしまっては、半強制。平民のタミーは、逆らいようもなかった。


 そして選定の儀の日がやってきた。

 聖女候補は、フリーダとタミーの2人だけ。


 選定の間には、人の頭よりも二回りほど大きい水晶が置いてある。

 光魔術の使い手が魔力を込めると、水晶が光るという仕掛けだ。


 聖女ジュリアが見守る中、儀式が進められる。

 進行役の神官が、手の込んだ儀式を終えた後、いよいよ選定するときがきた。


「それでは、これから選定を行います。まずは、フリーダ嬢から、水晶に手を触れて魔力を込めてください」


 フリーダは、タミーへ毒を含んだ視線を向けて牽制すると、自信満々で水晶の前へ進み出た。手を触れ、魔力を込める。

 すると、水晶は、夜空を照らす満月のように明るい光を発した。部屋にいた者たちから、どよめきがあがる。


「どうやら、私で決まりのようね」

 フリーダは、部屋にいる者たちの前で、面当つらあてのようにタミーへ言った。


 進行役の神官は、聖女ジュリアの様子をチラリとうかがう。フリーダの言うとおり、決まりならタミーを試す必要はない。が、聖女は完璧なすまし顔で、その気配はない。


「次は、タミー嬢。水晶に手を触れて魔力を込めてください」


 彼女の足取りは重く、顔も青白い。ためらいがちに、水晶に手を触れ、魔力を込める。

 すると、水晶はまばゆい光を発した。その光は太陽のように力強くて直視できない。フリーダとの差は歴然だった。


 フリーダは、誰の目をはばかることなく地団太じだんだを踏んで、悔しがった。悪鬼のごとき形相ぎょうそうで、タミーをにらみつける。

 タミーは、目をギュッとつぶって、これを耐えしのぶ。


 その様子を気味悪がりながらも、神官が聖女に視線を送ると、彼女は軽くうなずいた。

「聖女候補は、タミー嬢に決定しました。なお、フリーダ嬢も光りましたので、聖女候補第2位の補欠といたします」


 こうしてタミーは聖女候補となった。

 

 トーベン皇太子とタミーの婚約式は、慣例にのっとって、粛々と進められた。

 皇太子は当てが外れ、終始不機嫌な表情をしていた。以来、タミーには、一度も会いに来ていない。彼は、平民出身のタミーを見下し、さげすんでいた。


 タミーは根が従順だ。皇太子との関係には目をつぶり、聖女ジュリアの指導を受けて、聖女としての能力をメキメキと開花させていく。


 1年後。タミーの実力は、聖女ジュリアを上回るほどに成長した。

 それを見届けた聖女ジュリアは、眠るように安らかに息を引き取る。


 そしてタミーは、正式に聖女となった。

 

 聖女タミーを民衆は歓呼を持って迎えた。

 平民出身という親しみやすさもあるが、実力も折り紙つきだったからだ。

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