第4話 騎士見習い
7歳となったマルク・ダン・ハルトマンは歓喜した。念願の騎士見習いとしての修行ができる、と父から告げられたからだ。
ここ数百年にわたり、騎士道が発達・普及してきた。有能・勇敢な庶民、農民、農奴などで騎士を目指す者にとって、それは
マルクは小規模な自作農の次男。家は継げないため、いずれは家を出なければならない立場にある。彼も騎士への夢を見ずにはいられなかった者の1人だ。
実際、マルクは
先日、見習い試験を受けたときは、同年の少年を相手に暴れまくった。体格も大きかったし、体力にも自信があった。おかげで、相手の少年たちは傷だらけとなってしまったが。
期待を胸に見習いの修行を始めたマルクは、閉口した。まずは、行儀作法を徹底的に習わされた。ほかは、武具の手入れの手伝いなどの下働きと基礎的な体力作りばかり。剣術については、棒切れ1つ握らせてくれない。
マルクは不良少年だった。町の悪ガキどもとつるみ、犯罪まがいのいたずらに興じることを楽しみとしている。家の農作業の手伝いもサボってばかり。
おかげで口は汚いし、態度も横柄。乱暴者で、気性も荒い。もともとの素もあるが、そうでもないと悪ガキどもに舐められる。結果、それに拍車がかかっていた。
そんなだから、先輩見習いたちと対立し、たびたび
そんな平穏とは縁遠い日々を耐え、マルクは14歳で成人を迎えた。
ようやく、待ちに待った本格的な剣術の修行が始まった。
しかし、先輩たちとの技量の差を思い知ったマルクは、奈落へ突き落された気分になった。彼の力任せの剣術は、悪ガキどもには通じても、正規の剣術を習った先輩たちには通用しない。
繊細さを持ち合わせないマルクは、壁にぶち当たり、空回りするばかり。剣の技術というものを、どうしても実感できないでいた。
騎士は、本番の戦争時は団体で行動する。個人技のほか、団体戦の訓練も行われる。その場合、魔術師団との連携訓練をすることもある。
魔術師は、騎士に対して、身体強化、身体能力強化、戦意高揚などの効果を持つ魔術で支援するほか、傷の手当なども行う。
そんな団体訓練が行われた日。
マルクは、その場にふさわしくない少女の姿を目にした。
とても穏やかで、おとなしそうな彼女は、偉そうなおっさん魔術師の影へ隠れるようにして、おどおどしている。彼女も一丁前に魔術師のローブを纏い、魔法の杖を携えていた。
そして訓練が始まる。
それはいつも通りの展開で、魔術師の支援にいたっては、あるのかないのか実感できない。これまでの経験で、そんなものだと思っていた。
休憩をはさみ、訓練が再開されると、例の少女が訓練に参加してきた。
マルクは、彼女の姿に目を奪われた。一転して真剣で
まだ幼さを残しながらも、品格のある
我に返り、訓練に参加して驚いた。体が嘘のように動く。
――これが支援魔術の効果か!
初めて実感した。しかも、欲しいときに、絶妙なタイミングで支援される。一瞬、自分ばかりが
彼女は冷静に戦況を見据え、必要な人へタイミングを見計らって支援を付与している。これには脱帽せざるを得なかった。
訓練が終わり、マルクは彼女のもとへ向かった。彼の辞書に「遠慮」の2文字はない。
「よう! すげえじゃねえか。嬢ちゃん」
彼女は怖がり、おっさん魔術師の後ろへ隠れる。
「なにも怖がらなくてもいいだろ。
おっさん魔術師が、いきなりマルクの脳天へ
「
「リーサは、おとなしい子だ。怖がらせるな! 見習いのぶんざいで」
「バカ野郎! こっちへ来い!」
失礼に気付いた先輩見習いに、引きずっていかれるマルク……。
離れた場所で、お小言をもらう。
「あのお方は、筆頭宮廷魔術師のビショフ卿だ! 雲の上のお方だぞ。機嫌を損ねたら、おまえの首なんて、すぐに胴体と離れるんだからな!」
「へえー。あのおっさん。そんなにお偉いさんなんだ……」
しかし、マルクはリーサのことが気に入ってしまった。彼女の支援魔術で力が増すと、力技でもなんとか他の見習い騎士たちにも対抗できた。
連敗続きで空回りしていたマルクには、それがたまらない快感だったからだ。
訓練の
「よう! 嬢ちゃん! 今日の支援魔術も最高だったぜ。また、頼むわ」
しばらくして、訓練の余興と称して、騎士団長とおっさん魔術師が練習試合をすることになった。
当然、魔術師の方が負けると誰もが思っていた。マルクもそうだ。
だが、試合が始まると、皆が皆、唖然とした。
両者とも多彩な攻撃のオンパレード。剣撃のスピードも威力も凄まじい。
硬軟まじえた攻撃は、見ている者さえハッとさせるフェイントがあれば、相手はこれを利用して攻撃に転じる。
激しく攻防が入れ替わり、一瞬でも気を抜けない。
これを見つめるマルクは、呼吸を忘れそうになり、息苦しくなった。
リーサが支援しているのでは? と思いつき、姿を探す。が、彼女は不安げに観戦していて、魔術を使っている気配はない。
団長レベルの境地は、どれほどの高みにあるのか? 想像もつかない。マルクは気が遠くなった。
そんな忘我状態にあったとき、ふと
――嬢ちゃんは、おっさんを練習台にしている!
マルクならではの斜め上の発想。しかし、説得力に富んでいる。
◆
「旦那様。マルク様という方がお見えになっておりますが、いかがいたしましょう?」
メイドが当惑しながらマリウスに指示を請うた。
「マルク? 知らんな。先触れもなかったし、どんなやつだ?」
「リーサお嬢様と同年輩の少年です。見たところ、騎士見習いのようですが……」
メイドは、リーサの知り合いなら
――くっ! いつも馴れ馴れしく話しかけてくるあいつか!
マリウスは想到した。
のこのこと屋敷まで訪ねてくるとは、無礼千万。ここは、いい機会だから、一度懲らしめておくに限る。
「通せ。玄関ホールで待たせておけ」
「かしこまりました」
メイドは、意味を計りかねている様子だ。
マリウスが玄関ホールへ顔を見せると、マルクが緊張した
「やはり、おまえか」と言うマリウスは、
「おっさん。俺、嬢ちゃんに会いたくて……」
マルクは、テンぱっていて、空気を感じ取れていない。
「おまえは、騎士見習いだろう。子爵令嬢のリーサが、相手にするわけがなかろう」
「違うんだ。好きなんだよ……」
「なにっ!」
瞬間、マリウスは激情に駆られた。
「……あいつの支援魔術がさ」
とたんに、マリウスの緊張が緩む。娘の魔術を褒められて、悪い気はしない。
「気持ちは察するが、だから何だというのだ。わざわざ屋敷まで訪ねてきて」
「俺よう、練習台になってやろうかと思って……」
「誰がそんなことを頼んだ? 練習台は間に合っている」
「でも、たまには俺みてえな半人前を相手にするのも、いいんじゃねえか?」
「小理屈を考えたではないか。しかし、おまえごとき低能を相手にしても訓練の意味がない。わかったら、とっとと帰ることだな。そして、二度とリーサに話しかけるな」
このときばかりは、マルクは、マリウスの言葉尻をとらえた。
身分の低さを
「なら、強くなればいいんだろ。強く……」と、マルクは食い下がる。
「はっ、はっ、はっ、はっ……まるで、わかっていないようだな」
「おまえの戦いぶりをチラリと見たが、あんな大振りばかりでは、当たるはずがなかろう。宝くじが当たることをあてにしても、
「なら、おっさんが剣を教えてくれよ」
「私は魔術師だ。それに弟子はとらない主義だからな」
「……んなこと言っても、あんなに強かったじゃねえか!」
「そもそも、おまえには師と仰ぐ騎士がいるのだろう。誰だ?」
「ウィリアム・フォン・シムセク卿だけど……」
「ああ……あの脳筋か……それは災難なことだな」
「なんだよ! 師匠のことを悪く言うんじゃねえ!」
マルクは、声を荒らげる。
「バカにお世辞を言う趣味は、私にはない。やつは、おまえに何を教えている?」
「いやっ……とにかく『気張りやがれ』としか……」
「脳筋どもの大好きな根性論ってやつだな。そんな意味のない概念を信仰したところで、何の益もないぞ」
「だからって、見習いは師を選べねえだろ!」
と、声を張るマルクの言葉は切実だ。
「……まあ、それもそうだな……ならば、お情けで基礎の基礎だけ教えてやる」
「本当か?」
「だから、本当に基礎だけだ。まずは、確認したい。おまえは、どうやって剣を振るっている?」
「どうやって……って、手で振っているに決まってるじゃねえか。まさか、足で振るってっか?」
「半分正解だな」
「ええっ? どういう意味だ?」
「剣は、全身の筋肉を総動員して振るうものだ。それには、全身の神経に意識を行きわたらせ、繊細にコントロールする必要がある」
「んんっ? なんとなくイメージはわかるが、どういうことだ?」
「一番重要なこと。それは体の重心を意識することだ。直立しているときの身体重心は、
では、剣を左から右へ払う動作を考えよう。払い終わったときの重心はどこにある?」
「……んーん……臍の右側、大振りすれば体の外にでちまうな」
「そうだな。そこが目標点になる。剣を左から右に払う動作は、重心が左から右へ移動することを意味する。
全身を使おうとするとき、大切なのは重心を起点として安定させなければならない。まずは、重心が先導して動き、背骨、肩、肘、手首、指の順に動いていく。これが一連の流れだ」
「さっきよりは、少しわかった気がするぜ」
「ならば、重心はどうやって動かす?」
「それは……足をつかってだな」
「半分正解と言ったのは、そのことだ。足さばきこそが基礎の基礎。攻撃も、回避も、防御も含めてだな」
「それはわかったけどさあ。どうすりゃいいんだよ?」
「ならば、課題を出そう。山へ行って鹿を捕まえてこい。もちろん素手で」
「はあっ? 何言ってんだよ。意味がわからねえ」
「鹿は足さばきの天才だ。よく観察して、捕まえてこい。下手な人間相手よりは、よほどいい訓練になる」
「けっ! わかったよ。やりぁあいいんだろ。やりゃあ……」
マルクは、ふてくされた。
そのまま屋敷を出ていくマルクへ、マリウスは声をかける。
「捕まえるまで、屋敷へくるんじゃないぞ」
マルクは、振り返りもせず、手をヒラヒラと振って答えた。
マリウスは、
(だが、ひょっとしたらとひょっとすることもあるのか……まさかな……)
半年後。マリウスは、すっかり課題を出したことを忘れていた。
「旦那様。たいへんです。マルク様がおいでになって……」
「どうした? そんなに血相を変えて」
「それが、鹿を丸ごと一頭お持ちに……」
「くーっ! やつめ! やりおったか……」
マリウスに面会したマルクは、鼻高々に自慢する。
「どうだよ! おっさん! やってやったぜ!」
「まあ、時間はかかったが、褒めてやろう」
「なんでえ。素直じゃねえな」
「本当のことを言ったまでだ。とにかく、せっかく捕ってきたのだから、食べてやろう。それが供養にもなる。肉の熟成に時間がかかるから、3日後に屋敷へ来い」
「おう! やった! ごちになるぜ!」
「それはそれとして、課題は山のようにある。まだ、続ける気はあるのか?」
「もちろん! 望むところだ!」
マリウスは次の課題を出した。またも無茶ぶりな内容だ。
3日後の
マリウスの屋敷で、鹿尽くしの料理が振舞われた。
リーサも同席している。
「この鹿は、マルクが捕ってきたの?」
「おうよ。走って追いかけて、ひっ捕まえたんだ。おっさんが無茶言うから、苦労したぜ」
「ふっ、ふっ、ふっ……お父様の無茶は、今に始まったことじゃないわ。いちいち驚いていたら、弟子なんてできないわよ」
「ええっ? そうなのか? 俺は、てっきり嫌がらせをされたのかと……」
「お父様は、いつも言葉足らずだから、わかりにくいけど、ちゃんと意味があることだから」
「へえー。そうなんだ」
おとなしくて、家では、いつもつまらなそうにしているリーサが楽し気に笑っている。マリウスは、感慨が胸にあふれた。
「私、ジビエって初めてだから、ドキドキしちゃう」
「そうか……そうだったな。これからは、マルクがリーサに献上してくれるそうだ」
しれっとした顔でマリウスが言うと、リーサは素直に信じた。
「まあ! そうなの。マルク。ありがとう」
「えっ? ああ……いやあ……どうということはないさ」
マリウスの出した課題は、マルクの剣術を着実に上達させていく。
味をしめたマルクは、課題を求め続けた。
気づくと、マルクは、すっかりビショフ家の顔なじみとなっていた。
そして、18歳になったとき、マルクは、騎士として叙任された。
平民からのたたき上げの叙任としては、異例の速さだった。なんだかんだで、マルクは、師に恵まれなかっただけで、相当な才能の持ち主だったのだ。
騎士となったマルクは、今では、リーサの護衛騎士気どりとなっている。
マリウスは複雑な気分だが、リーサが気分を害している様子はないので、彼女を尊重して静観している。
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