第3話 マッサージ店の少女
人の体は、生まれてから成長を続ける。だが、20代半ば頃をピークに、後は衰えるばかり。これは、誰にもいかんともしがたい事実。なんとか体を鍛え、衰えを抑える手段を講じるしか道はない。
一方で、精神は体よりもゆっくりと成長する。そのピークはあるのか? これには諸説あり、40台ピーク説や50台まで成長するという説もある。
健全な精神は健全な肉体に宿る。言い古された、ありきたりな言葉だが、これは真実を含んでいる。
肉体と精神は、それぞれに独立した存在ではなく、相互に作用している。
精神を奮い立たせて、肉体の能力の限界を引き出す。軍隊などでよく唱えられる根性論。根性論一辺倒なのは勘弁願いたいが、一定の真理を含んでいる。
病は気から。病気に罹患したとき、精神が弱ることもまた事実だ。
病は一時的なものだが、加齢による体の衰えやこれに伴う肉体の機能障害は、個人差はあれ避けることができない。
結果、多くの人は40歳前後に体と精神のバランスを崩して、大病を
幸い、マリウスは、魔術師として精神修養もしていたし、肉体も鍛えていた。鬼門というべき40歳台をなんなく通り過ぎ、周囲からは
リーサを養女に迎え、生活に張りが出てきたことも大きいかもしれない。
リーサが立派に成人して、一人立ちできるまでは、自分は死ねない。人は、道楽で飼うペットではないのだ。マリウスの覚悟は本物だった。
だが、50歳を過ぎたマリウスは苦戦していた。
肉体の機能は容赦なく落ちていく。これに抵抗して鍛えようとしても、過度な運動はかえって体の負担となり、激しく疲労する。
逆に、疲労を癒すために体を休めすぎると、かえって調子が悪くなる。
体をコントロールするための試行錯誤の連続。
単なる筋トレではなく、ヨガのような柔軟運動も取り入れた。食事も改善し、東洋の医食同源思想も実践した。
それでも体のあちこちは凝り固まり、柔軟性は失われていく。
これは精神にも影響したし、逆に精神のストレスが体にも影響しやすくなった。
――ここは、誰かの助けを借りるしかない。
マリウスは、王都のマッサージ店を巡った。
腕の良い者もいるが、満足はできない。
諦めかけたとき、下町の粗末な店舗で営業しているマッサージ店を見つけた。店舗のみすぼらしさに反して、ずいぶんと繁盛している様子だ。
興味に負けて入店してみて驚いた。母と娘の2人で営業している。
マッサージ師は、男性が多い。だいたいが力技で、強引に凝りをほぐすパターンがほとんどだ。
マリウスは、ますます興味深くなった。女性に、そんな力はない。なのに、これほど繁盛している秘密は何なのだろう?
「お待たせしてしまい申し訳ございません」
娘の方に声を掛けられたとき、マリウスは年甲斐もなくときめいた。
看護師のように白くて清潔な衣装に身を包んだ彼女は、リーサと同じくらいの年齢で、10台の後半くらい。美しく輝く長い金髪を後ろで縛ってまとめている。瞳も金に近い
無垢な幼さが残りながらも、凄艶といっていいほどの造形美に、年甲斐もなく打ちひしがれる。
「お客様?」
彼女が不思議そうに声を掛けたとき、彼女に見惚れていたことに気付き、マリウスは恥じ入った。
そして、施術に入るべくうつ伏せとなった。
「ご要望があれば、何でも言ってくださいね」
「やっぱり、まずは肩凝りかな」
彼女が肩を揉みほぐしていく。やはり力が弱い。
(期待外れかな……しかし、なぜ繁盛しているのだろう)
しばらくすると、マリウスは癒しの感覚に満たされていく。
母親が子の痛がる場所に手を当てると、痛みはやわらいでいく。同様に、異性の
マリウスは、そのことを実感し、いつの間にか眠りについていた。
「お客様。お眠りのところ、申し訳ございませんが、次は仰向けになっていただけますか?」
「ああ、失礼。眠ってしまっていたようだね」
マリウスは、ついに最高のマッサージ店を探し当てたと確信した。
「お客様の凝りが酷くて、ほぐしきれませんでした。でも、一気にやるのも体に悪いので、定期的に通っていただいて、少しずつほぐしていくのがいいと思います。ご都合はいかがですか?」
彼女の言葉には、真心がこもっていて、固定客を得るための営業トークには思えない。
「そうだね。気に入ったから、都合がつく限り通わせてもらうよ」
「ありがとうございます」
「君。名前は?」
「タミーと申します」
「指名はできるのかな?」
「指名料を5ターラーほどいただくことになりますが」
以来、マリウスは、タミーのもとへ通い続けている。
やはり、自力では体をチューニングしきれないが、タミーの力を借りると、ずいぶんと楽になる。
慣れてきたマリウスは、人間の骨格、筋肉や神経の構造をタミーに教え、改善点をアドバイスした。それにより、タミーはますます上達していく。
やがて数年が経過して、マリウスは気づいた。
(精霊のようだな……)
タミーは、施術のとき、無自覚に精霊の力を借りている。
あれは、火風水土の元素精霊ではない。それとは違う
――光精霊か!
光精霊は極めて貴重で、神々や天使と縁の深い存在。その使い手は寡少だ。
魔術師としての血が騒ぐ。
「タミーさん。営業が終わってから会えないかな?」
「ごめんなさい。そういうお誘いは、お断りしているんです」
ああそうか。彼女ほどの美人なら、下心を持った男どもにさんざん誘われているのだろうな。しかし、それと同じだと思われるのも心外だ。
「違うんだ。タミーさん。実は、私は魔術師で、少しアドバイスがしたくて」
「そう言われましても……」
男どもが、手を変え品を変え、タミーを誘惑する姿が目に浮かぶ。この程度では、説得できないということか……。
下町で目立たないように、それっぽい服装をしてきていることが裏目に出た形だ。だからといって、いかにも貴族な服装で来るのもどうかと思う。
思いあまって、自宅の住所と肩書きを書いた紙をタミーにわたす。
「もしよかったら、時間のあるときに尋ねてきてくれると嬉しい」とだけ言い添えた。
そのときは、淡い期待しか抱いていなかった。
筆頭宮廷魔術師が、下町のうらぶれたマッサージ屋に通っていると言っても、誰が信じるだろう。
しかし……。
「旦那様。タミー様というお嬢様が訪ねておいでです」
「そうか! 通してくれ」
タミーは訪ねてきてくれた。住所は貴族街にあるし、信じてくれたのだろう。
タミーが入ってきた姿を見て、リーサは顔を曇らせた。
父親が同年輩の娘を自宅へ招き入れたのだ。貴族ならば、囲って愛人にしようと目論んでいると疑われてもしかたがない。
娘からしたら、さぞかし気色悪いことだろう。
だが、タミーを観察していたリーサは、呆れたように口を開いた。
「なーんだ。お父様の魔術道楽か。ねえ、私も一緒にいい?」
「もちろんだよ」
男女2人きりというのもバツが悪いので、むしろ望むところだ。
「あのう……ずうずうしくお邪魔してしまって、申し訳ありません。本当に貴族様のお屋敷なんて……」
「いや。タミーさんが気にすることはないよ。むしろ、私の道楽だから」
「ありがとうございます。それで、アドバイスというのは、いったい……」
「タミーさんは、施術のとき、精霊の力を借りているだろう」
「ええっ! そんなつもりは、ぜんぜんないのですが……」
「やはりそうでしたか。精霊の存在を感じられるようになると、もっと上達すると思いますよ」
手助けするには、彼女に触れて、魔力操作を手伝ってやるのが手っ取り早い。だが、手を握ったりしたら、それはそれで下心を疑われてしまうかもしれない。
――面倒なものだな……男女の関係というものは。
その雰囲気を察したのか、リーサが誘いかける。
「じゃあ、私が手伝ってあげる。手を握ってくれるかしら? 魔力操作を誘導してあげるから」
リーサは、タミーの
「あなたの前に、精霊がいるのを感じる?」
「ああ……言われてみると、なんだか、やわらかな暖かい光を感じます」
「ちょっと肩を押しただけでできるなんて。凄い才能じゃない!」
「そうなんですか? なんだか実感が湧かなくて……」
普段、無口でおとなしいリーサは、打って変わって、いたずらっぽい表情を浮かべる。
「これ以上は、お父様じゃないと無理かな」
いきなり振られ、子どもか孫くらいの少女の手を握ることに
マリウスが手を差し出すと、タミーは素直に握った。
「タミーさんが感じた精霊は、光の精霊だ。神々や天使に縁の深い貴重な精霊なんだ。それに好かれる君は、きっと清浄な魂の持ち主なんだね」
「そんな……私なんか、ただの貧しい平民なのに……」
「タミーさんは、いい意味で、もっと自信を持つことが必要だね。そうじゃないと、君を慕ってくれる光の精霊が可哀そうだ」
「努力してみます」
マリウスは、タミーの眉間に集まった魔力を絶妙な加減で調整する。
「この精霊は、低位の精霊で、まだ言語は解せない。でも、感情は伝わってくるはずだよ。感覚を研ぎ澄ませてごらん」
「本当だ! 私に懐いてくれている感じがします」
タミーは、もう一方の手を差し出した。
「おいでよ。仲良くしてくれると、嬉しいな」
精霊は、嬉し気にピョンと手の上に乗る。タミーは、それを顔に近づけると、頬ずりをした。
「わあ。暖かくて、気持ちいい。とても癒されます」
すると、それをうらやむように、もう1人の精霊が姿を現した。それは、しだいに数を増やしていく。やがて、タミーは周りを囲まれ。精霊まみれになった。
「いやん。くすぐったい。いたずらっこだなあ」と、苦情めいた言葉を吐きながらも、タミーは満面の笑みをたたえている。
タミーは、マッサージ店の休業日にはマリウスのもとへ通い、魔術の訓練に励むようになった。
持ち前の才能もあり、めきめきと上達し、病気やケガを治癒する魔術、呪いや
実は、タミーの恩恵で、マリウスも光魔術が使えるようになっていた。
精霊は、術者とともに進化する。光精霊は、中位精霊に進化した。手のひらサイズの人形で、背にはトンボのような透明な羽が生えている。言語も
しばらくして、マリウスは提案した。
「そろそろ名前を付けてあげたらどうかな? 名づけをすると精霊の力が増すし、
修道女のように従順なタミーは、マリウスをすっかり信頼している。
「じゃあ、やってみます。う~ん……君の名前は……ラフィにしよう」
そのとたん、タミーから膨大な魔力がラフィに流れ込み、
ラフィの体はみるみるうちに大きくなり、10歳くらいの男の子の姿となった。もはや、駆け出しの上位精霊といっていい。
「タミー! 素敵な名前をありがとう! 僕、タミーのためにできることなら、何でもするよ!」
破顔しながら、ラフィはタミーに抱きつくと、胸に顔を埋めて甘える。
まるで、仲の良い姉弟のようだった。
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