第2話 養女

 炎老翁えんろうおうこと、マリウス・エネス・フォン・ビショフ子爵は、アジスザーゼン王国の筆頭宮廷魔術師だ。21歳の異例の若さでこの地位に就いた彼は、60歳を目前にして、なおこの地位を守り続けている。


 マリウスは、その地位に固執していない。

 彼がそれだけ飛び抜けた能力の持ち主で、なおそれを越える人物が現れない得ない事実の単純な反映である。その名声は、国外にまで鳴り響いている。

 

 マリウスは、あえて一言でいえば「貞潔」な人物だ。貞潔とは貞操が固く、純潔なことをいい、修道女の修道誓願の1項目でもある。ただし、これは結果論。

 ビショフ子爵家は代々魔術師を輩出してきた家系だ。マリウスも御多分に漏れず魔術師を志し、その道に没頭した。脇目もふらず邁進まいしんした結果、気づけば婚期を逃していた。


 40歳を過ぎた頃。同僚の中で早いものは、孫が生まれた話も聞く。

 自分の得た知識・技術を伝える後継者がいないことに寂しさを感じ始めた。


 マリウスは、弟子をとらない主義だ。試みたことはあるが、マリウスは教育者としては出来損ないだった。あまりに天才肌のため、凡人が何をわからないのかわからない。


 諦めた彼は、1冊の本を書いた。極めて高度な魔術の実践書。初球から上級までの魔術の基礎的な知識・技能は習得済みであることを前提に書かれた本で、極めて難解な本だった。


 その直後、マリウスに大きな出会いがあった。

 ある日。皇太子の護衛として、孤児院を訪れた。


 王国で布教されている宗教では、金銭に貪欲な者は天国へ行けない、という教えがある。

 このため裕福な貴族や商人は、こぞって教会や慈善活動へ金銭を喜捨きしゃした。


 この一環で教会の運営する孤児院があり、喜捨をした皇太子が視察に訪れたのだ。


 マリウスは、もともと清貧を好み、贅沢には興味がない。ゆえに喜捨も慈善活動にも縁がなかった。彼には、かなりの俸給収入があったが、その大半がレアな魔術書グリモワールの購入で消えていく。


 そんな彼が、漠然と孤児たちを眺めていたとき、ふと5歳くらいの幼女の姿が目に留まった。

 彼女は、超然として一人ポツンと孤児たちから離れて座り込み、一見すると、花壇を眺めているように見える。


 だが、他ならぬマリウスには、わかった。妖精や精霊と戯れている。妖精は、花壇に咲く花の妖精やいたずら者のピクシー、精霊は風精霊シルフのようだった。


 中でも精霊は、霊的波長の高い存在で、並の霊感の持ち主では見えない。見ることができるのは、精霊視の能力を持つ者だけだ。

 しかも、風精霊シルフは、完全な人形をとった中級精霊で、名付けまでしているようだ。


 ――これは、本物の天才だ!


 5歳のマリウスでも、ここまでできていなかった。彼女は、これを才能だけでやってのけたのだ。


 マリウスは、興奮して孤児院の院長室へ乗り込むと、幼女を養子に迎えることを申し出た。

 院長は、驚き、呆気あっけにとられている。


 教会の教えでは、子どもは7歳までは天使、すなわち神の使いであり、7歳を迎えて初めて人となるという教えがある。

 このため、子どもが様々な職業の見習いを始めるのも、7歳からというのが世間の常識だ。


 子がいない職人の夫婦などが、孤児の里親になることはある。これも7歳を過ぎてからが一般的だ。

 5歳の女児を求められて、院長は戸惑ったのだ。


 しかも、女児の性格は、とてもおとなしくて、物静かだった。女は愛嬌あいきょうとばかりに、孤児も愛嬌のある女児から売れていく。これも意外に思ったようだ。


 だが、マリウスにとっては、知ったことじゃない。

 院長は、相手が貴族ということもあり、養子の件を即答した。


 マリウスは、喜び勇んで女児のもとへ向かう。

 突然、知らないおじさんが突撃してきたので、女児は驚いて後ずさった。


 ――面倒を見ているのはシスターばかりだし、こんな小さい子の視点から見たら、男の大人なんて巨人だな……。


 当惑したマリウスは、仕切り直す。

 しゃがみ込むと、視線を女児の高さに合わせた。


「君がリーサちゃんだね。急な話だけど、おじさんの子どもになってくれるかな?」


 リーサは、マリウスの顔をじっと見つめる。


「おじさんの回り、妖精や精霊がいっぱいだね。いいよ。楽しそうだから、おじさんの子どもになりたい」

「よしっ! 決まりだ」


 マリウスは、嬉しさのあまり、リーサにほほずりをした。


「おじさん! 痛いよう」

「ああ。ごめん、ごめん。今度から、気をつけるよ」


 これが天才と天才の出会いだった。

 

 魔術の世界に、偶然などはない。共時性シンクロニシティといって、霊格を高めることなどによって、非因果的連関が起こる。

 この出会いが、まさにそれだった。

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