第6話 邪な気持ちなんてないけど?

「はい、じゃあこの問題を……横木~」

「先生。今、俺は授業どころではないんです」

「集中しろ~?」


 白取さんが大変だが、授業は普通にある。

 あの後、チャイムが鳴って渋々教室へ戻ってきた俺は、現在授業を受けている。


 当然、集中なんてできるはずもなく……俺はずっとそわそわしてしまっている。


 とはいえ、俺にできることなんて、ここで白取さんの無事を祈ることくらい。今は大人しく授業を受けるしかない。それは分かっているのだ。


 それでもなにかできることがないか、俺が役に立てることはないのかなど。そればかりが頭の中を巡って、授業に身が入らない。


 俺にできること――。


 仮に白取さんが重い病気だとしたら?

 残念ながら俺にできることがない。そうなったら俺はとんだ役立たず。


「ずーん……」

「横木~? 授業中に落ち込むな~?」


 先生に怒られてしまった。いや、落ち込むのは別にいいのでは? だって人間だもの。なんの脈絡もなく落ち込むことだってあるさ。


 たとえば? 過去の黒歴史を唐突に思い出すとか。


 そんなこんなで授業が終わって休み時間になった。保健室にようすを見に行きたい気持ちをぐっとこらえて、今はただ座して待つのみ。なぜなら俺は役に立たないから。


「ずーん」

「横木、なに落ち込んでるんだ?」


 と、宇田川が俺の前に現れる。


「白取さんのこと考えてた」

「あー心配だよなー」

「お前にも人を心配する心が残っていたんだな」

「俺のことなんだと思ってるんだ」

「エロ猿」

「正解」


 いつも通り毒にも薬にもならない極めて生産性のない会話をしていると――。


「あいつが……」

「あれが?」


 ひそひそ。クラスメイトたちがこっちをちらちら見ながら、なにやら話しているのが聞こえる。


「俺、ズボンのチャックでも開いてるのか?」

「男の股間には興味ねぇんだわ」


 宇田川が役に立たないので自分で確認する。どうやら社会の窓は開放されていないようだ。


 よかった。シリアスな顔をしておいて、社会の窓が全開だったら恥ずかしさのあまり夜しか眠れなくなるところだった。


「俺、なんか……注目されてないか」

「あー……それなぁ」


 宇田川はあきらかに理由を知っているようすで、坊主頭をぽりぽりと掻く。


「横木が白取さんを保健室に連れていっただろ? そのことで変な噂を流してるやつがいるみたいでなぁ」

「どんな噂なんだ?」

「曰く、横木泊がみんなの白取小鳩の胸を揉んだとか」

「なんだそりゃ」

「妬み僻みだな。多分、白取を運んでいったお前を見て、自分がやりたかったのにぃ! とか、羨ましい! とか思ったやつがいたんだろうさ」

「それで悪い噂を流そうと」

「いい趣味してるよな、そいつ」

「仲良くなれそうだな」


 宇田川と。


 正直、こっちは白取の感触を楽しむとか、そんな余裕がないというか。あの状況でそんな卑猥なことは考えもつかなかった。


「お、白取が倒れてるじゃんラッキ~。保健室運ぶと見せかけて、白取の柔肌の感触を楽しんだろ」


 とはならんだろ。

 そんな邪な発想があの状況で出てくるのは――。


「どうしたんだ? 横木~? 気になる女子のパンツでも見つけたか~?」


 宇田川文長。こいつくらいなもんだ。

 ふと、再びひそひそと2人の女子の話し声が聞こえる。


「あいつが白取さんの体をなめ回したっていう?」

「そうそう」

「白取さんはそれで精神的ショックを受けて、保健室で寝込んでるって」

「可哀想……」


 噂に尾ひれがつきまくっていた。

 

「違うよ!」


 と、先ほどひそひそ話をしていた女子2人に、見覚えのある女子が割って入った。


「よ、横木くんは……白取さんを助けたんだよ……!」


 俺に説教をしていたSFCの女子だ。


「白取さんが倒れちゃって……あたしたちパニックで頭がわーってなっちゃってた時……彼はいの一番に白取さんに駆け寄って、助けようとしてた……! そんな人の悪い噂を流すなんてよくないよ!」


 まさか庇ってくれるとは思わなかった。


「え、いや……」

「別にうちらがこの噂流してるわけじゃないし……」

「火をつけた人も悪いけど、あえて煙をあおるのも同罪だよ!」

「あう……」

「ごめんなさい……」

「分かったら噂流してる人がいたら注意してね!」

「「はい……」」


 そうしてひそひそ話をしていた女子2人は、しょんぼりしてしまった。

 宇田川にも今のが聞こえていたみたいで、「よかったな」と笑った。


「まあ、そうだな」


 そのタイミングだった。教室に白衣をまとった女性が現れた。誰かと思えば、烏丸先生だった。ある意味トレードマークとも言えるアイマスクがなかったため、一瞬誰か分からなかった。


「烏丸先生だ……!」


 宇田川は突然、興奮し出した。


「保健の先生ってだけでえっ〇なのに……あのダウナーな感じがたまらないんだよな!」

「お前は全国の保健の先生に謝罪しろ」

「おまけにあの魅惑的な脚……! タイトスカートから伸びる太ももがけしからん!!」

「……」


 ドン引きである。なんなら、聞こえていた周りの女子もドン引き。一部男子は同意するように頷いてから、女子を真似るようにドン引きしていた。


 男って本当に……あ、俺も男だった。


「その上、白衣の上からでも分かる豊満な胸ぇぇぇ! たまらんぜ!」

「俺にあらぬ噂が流れたのお前のせいなんじゃないだろうか」


 宇田川といつもつるんでるなら、邪な気持ちで白取を保健室に連れていったのでは?


 そう思われてもおかしくないだろ、これ。


「あの太ももに挟まれたい……」


 よし、こいつとは友達をやめよう。

 と、俺は思った。


「ああ……いたわね」


 烏丸先生と目が合う。


「横木泊。保健室まで来なさい。白取小鳩が目を覚ましたわ!」

「?」


 一瞬、すぐにでも保健室へ向かおうと腰をあげた。しかし、妙だ。白取さんが目を覚ましたのを教えてくれたのは助かる。が、なぜそれを俺に?


 そもそも、どうして俺はお呼ばれしたのだろう?


「はやく来てちょうだい。私、長時間立ってるの疲れるのよ」

「あ、はい」


 きっとその理由はこの後分かるに違いない。

 俺は一度、考えるのをやめて烏丸先生の後に続いて保健室へ向かうのだった。

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