第9話──5日目──
『悠祐、大丈夫か?』
「ああ、影と融合してしまったが、なんとかなっている。影に対して物理攻撃も使えるし、一周回って便利かもしれない。」
『……そうか。こちらでも副作用についてルリに調べてもらうようにしとくよ。』
「りょーかい。」
ボキッ
まるで骨折した日を思い出すかのような衝撃が全身に走る。まるで、俺が幻想世界に来て目を覚ましたときのような。そんなどろりとした後味の悪さが心底に残っているではないか。
辺りを見回すと、どうやら病院のICUのようだった。断定はできないが雰囲気でそうだろうと思った。浅葱さんはというと、退屈そうに文庫本を読みながらあくびをしている。七月五日、時間は午後九時。外は雷雨で騒がしそうだ。
「浅葱さん、そろそろ休んでくださいね。」
「はい。」
看護師さんが仕切りのカーテンを閉めようとしたとき……
「ゆ、悠祐くん?!」
隣に運ばれてきたのは、中学二年生の俺だった。看護師さんが、しまった遅かった、と臍を噛む。こうなったら歯止めが効かないのが浅葱さんらしいということが、これまでの記憶を見て俺も分かっている。
「あ、あの、悠祐くんは一体……」
「山野さんと浅葱さんが家族ぐるみのお付き合いをしているのは知っているけれど……山野さんのことは、山野さんのご家族が許可を出さないと教えられないのよ……ごめんなさいね。」
「……そうです、よね……」
この日の夜、消灯後、浅葱さんは一睡もできていなかったようだった。推測なのは、大量の濃い影が襲ってきて、守るのに必死で浅葱さんの様子を見る暇など無かったのだ。……と言ったら、言い訳になるだろうか。
と、ある瞬間を境に浅葱さんを襲う影が消えた。俺が目を覚ましたのかと思ったが、違った。代わりに流れてきたのは、浅葱さんの思考の記憶だった。
『このままじゃきっと悠祐くんは死んでしまう……』
『なんとかして、助けないと……』
『そうだわ、』
嫌な予感がした。
『私の命を捧げることができたら』
「駄目だ、駄目だ浅葱さん!」
『私の命はどうせ散るもの。だったら、悠祐くんに生きていてほしい』
「駄目だ、駄目だよ浅葱さん!俺は、浅葱さんにも生きてほしいんだってば!」
声は、届かない。もどかしくてもどかしくて、でも影と融合してしまった俺が浅葱さんに触れたらどうなるか分からないから、どうすることもできない。浅葱さんの魂の輪郭が、俺の呼びかけに対して首を横に振ったように見えた。
結局どれだけ叫んでも声が届くことはなく。浅葱さんは何かに向かって祈り始めた。
浅葱さんが祈り始めて、どれくらい経っただろうか。空中に鈍色の球体が浮かんでいた。新手の影かと思って警戒したが、それは、悪魔だった。それも、寝起きで不機嫌な悪魔猫のザクロさん……
「ったく……なんだよ、朝っぱらから……まだ五時ぞ?出勤前ぞ?何で呼び出すんだよ人間よ。」
テンションの低さと不機嫌さはどうやらずっと前から健在だったらしい。
「私は千堂浅葱。悪魔と契約したくて、あなたを呼び出しました。こんな時間にごめんなさいね。」
「ん?契約?別にいいけど……俺、今契約に関してはフリーだし。んで、どんな内容?」
「隣のベッドの山野悠祐くん。この人の容態を安定させて、目覚めるようにしてほしいの。」
「いいけど……こいつ、全身ボロボロで生きてるのが奇跡な状態だから、対価は高くつくよ。」
浅葱さんは、きっぱりと言い放った。
「大丈夫よ、どんな対価でも必ず払うわ。ただし、対価には条件がある。私の病気の研究の邪魔にならないこと。そして、悠祐くんの将来の寿命を縮めないこと。」
ザクロさんはケケケと笑った。
「面白い人間だな。いいよ。契約するよ。そうだなぁ……対価は、そのお前の綺麗な浅葱色の虹彩だろ、それから山野悠祐のお前に関する記憶だろ、それから……そうだな、お前にもペナルティを与えようかな。」
浅葱さんは身構えるが、ザクロさんはそんなに怖いものじゃないと言う。
「あのな、お前の片思いの相手の山野悠祐。実はお前と双子なんだよ。二卵性双生児ってやつだ。」
「え?」
「お前を生んだ後、お前を連れてお前のお母さんは離婚した。そして、千堂織布の社長、今のお前のお父さんと再婚。お前と姉の縹は姉妹になったが血の繋がりはない。そして、お前のお母さんはお前と縹を置いて再び離婚、その後失踪したんだよ。」
「えっと……じゃあ」
「そうだ。山野悠祐のお父さんが、お前の本当のお父さんなんだ。」
「そんな……」
「ケケケ、片思いをしてたのに残念だったな、ケケケ」
「そんな、幸せなことがあっていいんですか?!」
「は?」
「私、ずっと、悠祐くんが本当の兄妹だったらいいなって思っていたの。だから……」
どうやら浅葱さんにはそのペナルティは効かなかったらしい。むしろ俺と兄妹だと喜んでいるではないか。ザクロさんも想定外だったようで、困った顔をしている。
「と、とにかく!契約は受け付けたからな!死期はいつにする?」
「七月七日、明日の夕方。」
「え、結構急だな、書類間に合うかな……。い、いや、間に合わせてみせるから、待ってろよ、にんげ……千堂浅葱!」
俺は、なんとか取り消せないものかと考えた。しかし、“ここは記憶の世界”という事実が、どんな考えも消し去ってしまう。
一睡もしてない浅葱さんはというと、朝一で俺のところに来た両親から窓越しに話を聞いて、俺の両親を励ましている。きっとすぐに目を覚ますから、と。それは、傍観者の俺には分かる。それは励ましではなく、この先約束された事実なのだ。
俺はショックのあまり、その場に立ち尽くした。
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