第7話──4日目 前半──

『ちなみに悠祐。幻想世界では丸一日経ったぞ。』


 次の記憶までの道案内をしてくださるザクロさんが言う。


「え、意外と早い……」

『のんびりしていられないが、記憶の再生速度にも限度がある。どうか、頑張ってくれ。』

「分かりました。」


 ガシッ


 肩を掴まれて強く揺さぶられたような衝撃の後、視界がゆっくり開けた。


「は?」


 驚いた。幼稚園生の俺がいる。しかも、骨折したときに他の怪我がないか検査入院したときの姿だ。


「あれ、でも、浅葱さんは……」


 俺が駆けていく。看護師さんから走らない、と注意されて、速度を落として早歩きになる。向かった先はプレイルーム。あれ、俺、こんな記憶あったっけ……


「こんにちはー!」


 大声でプレイルームの子供たちに向かって挨拶をすると、そこにいた浅葱さんが幼少期の俺に近付いてくる。


「こんにちは。なまえは?わたしは、あさぎ。」

「おれ、ゆうすけ!よろしくな、あさぎ!」


 骨折していない方の左手で握手を求めると、浅葱さんは応じてくれて、そのまま手を引いて絵を描いている群衆……を通り過ぎて、積み木コーナー一直線に歩いていく。


「これなら、ゆうすけくんも、あそべるでしょ?」


「わわわわわ……浅葱さん優しい……」


 うっかり、現在の俺から声が出る。まあ、向こうには聞こえていないようなので大丈夫だろう。


「ありがとーあさぎ!つみきならあそべる!」


 年長さんにもなって舌足らずな俺と、柔らかい雰囲気の喋り方の浅葱さんが一緒に遊んでいると、浅葱さんの方が体が小さいのにお姉さんに見えてくる。


「あさぎ、なんさい?おれ、らいげつにろくさいになるんだ!」

「わたしも!しちがつなのか、たなばたのひだよ。」

「おれも!たんじょうび、いっしょだ!」


 へぇ……浅葱さんと俺って誕生日一緒だったのか。すごい奇跡だ。


「でもあさぎ、ちっちゃい!」

「……びょうき、だから。」


 俺の馬鹿!浅葱さんを傷付けてどうする!ほら見ろ負の感情、過去の闇が湧き出てきただろうが!幼稚園生の俺ってデリカシー無いな、失望したぞ俺!

 ロボットを操作する要領で過去の闇を崩していると、一体だけ背後に立っていて、俺の反応が遅れて、手を伸ばされてしまった。


「浅葱さん!」


 咄嗟に、体で遮ろうとする。しかし、俺の心臓を突き抜けて、影の手は浅葱さんのところまで届いてしまった。


「…………かはっ……」


 浅葱さんはシャボン玉のようなバラバラの光の粒になってしまった。記憶の世界の再生も止まってしまった。これはまずい。過去の闇を全て崩して、浅葱さんが元の姿に戻るまで、しばらくかかった。


(まずいな、これはたぶん致命傷だ。)


 記憶の世界の再生が再開したのでまずは一安心だが、俺はたぶん致命傷を負っている。心臓のあるところが氷のように冷たいのだ。


「現世で死んでたらどうしよう……まあ、それはそれで浅葱さんを助けられるのなら悔いはないけど。」


 とはいったものの、致命傷を負っているため本当に最後まで助けられるか不安が残る。目の前で積み木を使ったままごとを始めた2人に影が寄ってこないように周囲を監視しながら、俺は2人を眺めた。

 寄ってくる影を崩しながら守った2人の笑顔。いつの間にか、浅葱さんの体は仄かに発光していた。その光があまりにも美しくて懐かしいものだったので、俺はつい手を伸ばしてしまった。浅葱さんの肩に触れる。伝わってきたのは、心の底からこの時間を懐かしんでいる、現在の浅葱さんの感情だった。


(俺は、浅葱さんと既に知り合いだったのか……)


 でも何故俺にはその記憶が無いのだろう。きっと浅葱さんは俺が浅葱さんを覚えていないのを知っていて、知っている上であの態度をとっていた。時折見せる懐かしそうな表情も、愛おしそうに呼ぶ俺の名前も、全部、浅葱さんは覚えていたのだ。


(理由が何であれ……申し訳ない。)


 俺は、その感情を浅葱さんに悟られないように、幼い浅葱さんの肩からそっと手を離した。


 記憶の世界の2日後、俺は退院した。もともと骨折以外の怪我がないか確認するための入院だったのだ。そんなに長期のものではない。

 俺が退院する日の浅葱さんは塞ぎ込んでいて、影も沢山出ていた。でも、数が多いからといって、もうあんな失敗はしない。確実に一体一体、崩していく。


「また、おみまいにくるから!」

「やくそくだよ?」

「うん!」


 年長さんの俺は指切りげんまんをすると、病棟から去っていく。つい現在の俺も去りそうになったが、そういうわけにはいかない。俺は、残って浅葱さんを守らなくてはならない。

 暗転と混乱を繰り返して、気が付かば浅葱さんと俺の誕生日が来ていた。


「あさぎ!」


 年長さんの俺だ。


「ゆうすけくん!」


 おいおい、待て、俺。浅葱さんのご家族が既に面会しに来ているじゃないか。看護師さんもよく止めなかったな。いや、俺が振り切って来てしまったのか?俺の両親も居心地悪そうに挨拶して頭下げてるし……


「プレゼント!このひのために、おてつだいがんばったんだ!」


 片手……しかも利き手が封じられている俺ができる家事手伝いなどたかが知れている。ほとんど、ねだって買ってもらったようなものに違いない。


「あけてもいい?」

「うん!」


 手が汚れないとして有名なメーカーのクレヨンだった。


「あさぎ、えがじょうずだから、クレヨン!」


 俺も、ぴったりなプレゼントだと思う。


「ありがとう!わたしも、ゆうすけくんにプレゼントがあるの。」


 それは、当時の俺が好きなアニメのキャラクターの絵だった。あ、これ、見覚えある。家にまだあるぞ。


「わーい!やったー!」

「こら、悠祐。まずは浅葱ちゃんにお礼をちゃんと言いなさいな」

「ありがとう、あさぎ!」


 ささやかなプレゼント交換は幸せに満ちていて、影も全く出現しなかった。それ以降、浅葱さんは常に絵を描くようになった。当時の俺が贈ったクレヨンを使って。そして、描いている間だけは、浅葱さんの感情としての影は出現しなくなった。


(クレヨン、当時の浅葱さんの役に立ててるってことかな……?)


 だって、常に楽しそうなのだ。絵を描く間も、絵を描いてからそれを眺めている時間も。流石に眺めている時間は集中している時間ではないため過去の闇が影として出現したりもするが、それでも格段に件数が減った気がする。


「よかった、よかった。」


 うんうん、と頷いて安心する。完全に油断しているわけではないが、浅葱さんが楽しそうにしていると、なにとなくほっとするのだ。

 誕生日から数日後、浅葱さんのお父さんが学校の先生のような人を連れてきた。


「こんにちは、浅葱さん。」

「こんにちは!」


 話を聞いていると、葉桜学園の先生だった。なんでも、葉桜学園は入院中の子供たちの教育にも力を入れている私立らしく、オンラインで通常級の授業を受けたりできるのだという。


「浅葱が元気になったときに、勉強も頑張れるような学校がいいと思ってな。」


 浅葱さんのお父さんが浅葱さんに微笑みかける。


「うん!わたし、おべんきょうがんばる!」


 屈託のない笑顔の浅葱さんが眩しい。そして、葉桜学園の先生と浅葱さんのお父さんは入試についてなんかの話をし始めた。


(へぇ……浅葱さん、小学校から私立だったのか。)


 入試は、自己紹介の文をひらがなで書く、というものだった。


(思ったより簡単そう……)


 しかし、文章を書き始めた浅葱さんは、再び影に襲われることになる。


「かけないよー、かけないよー!」


 泣き叫ぶ浅葱さんを浅葱さんのお父さんがなだめる。どうやら、自分をどう紹介したらいいか分からないらしい。確かに、ずっと入院しているのだ。浅葱さんにとっては、自己紹介は難しいものなのかもしれない。

 ところが、数日後、お見舞に来た俺によって、その状況は打破されることとなる。


「じぶんをしょうかいする?あさぎは、えがじょうずだから、それをかけばいいとおもう。」

「でも……ほかに、なにもないもん」

「でも、えがじょうずだもん。」


 そして、俺が絵が上手だと言い続けた結果、浅葱さんは絵が好きだという自己紹介を書いて、無事合格となっていた。ナイス、年長さんの俺!

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